水着



薄曇りの空を見上げながら、俺はため息を吐いた。
それは別に、今日の服装が白いロングのワンピースに薄手のカーディガン、白い夏用帽子という出で立ちが、この曇天には似合わないからという理由によるものでもなければ、曇っていても紫外線対策は必要だということが面倒だからというわけでもない。
単純に、今日の外出先がいささか気の滅入るところだというだけである。
ハルヒたちとだけ待ち合わせ、古泉を仲間外れにする、というのは、古泉には悪いがもはやいつものことである。
しかしながら、そうして向かうのが女性用の水着売り場だと思うと、流石にうんざりする気持ちになるのも、分かってもらえるのではなかろうか。
なんとか止めてはもらえないだろうかとお袋にこぼしてはみたのだが、
「あんたのことなら大丈夫だと思うけど、他人様に迷惑掛けない程度にしなさいよ」
という一言をくれたのみだった。
……止めてくれよ。
しかし、ハルヒを待たせると面倒だと言うこともよく理解している俺は、諦めて家を出て、待ち合わせ場所に向かった。
「キョン! なんか暗いわよ!」
夏中全ての青空を先取りして集めてきたような明るい笑顔でハルヒはそう怒鳴った。
頼むからキョンと怒鳴るな。
学校の奴等に聞きとがめられたらどうしてくれる。
「別に平気でしょ。キョンなんてあだ名の女の子くらい、どこかにいるわよ」
それはいるかもしれないが、お前がキョンと呼ぶのは俺くらいのものだろう。
結果として俺だとばれたらどうするんだ。
「別に、そこまで必死になって隠さなくてもいいんじゃないの? ご両親にもばれてるんだし」
「嫌だ」
「まあ、そうやって隠すから倒錯的で楽しいのかもしれないわね」
人を変態のように言うな。
眉を寄せたカーディガンの裾を、くんっと長門が引っ張った。
「長門?」
「……早く行きたい」
……お前、本当に俺を着せ替えにするの好きなんだな。
「当然でしょ」
と答えたのはもちろん、長門ではなくハルヒだった。
「あんたくらい飾り甲斐があると楽しいもん」
それじゃあ早速行って見よー! と高らかに宣言したハルヒによって、俺はデパートの水着売り場にまで連れて行かれたところまではまだよかったのだが、
「なんでお前らが持ってくるのはそういう水着ばっかなんだ!」
そういう、というのは露出度が高いという意味だ。
ハルヒは自分が好んで着るような布面積が少ないビキニタイプばっかり持ってくるし、長門は長門で胸がある女性じゃないと似合わないような、紐か何かのような頼りない水着を持ってくる。
朝比奈さんは可愛らしいワンピースタイプを持ってきてくれるのはいいのだが、どう見ても胸がなくて筋ばった俺には似合いそうにない。
むしろ朝比奈さん御自身に身につけていただきたいような水着だ。
「いいじゃないの。あんたに似合いそうだし」
と不貞腐れるハルヒを睨みつけ、
「どこがだ」
「似合うでしょ。こういうフリルのついたのって」
普通の服ならまだ似合うと言えなくもないかもな。
フリルがついてれば胸がなかろうが少々誤魔化せるし。
「なら、いいじゃない」
「あのな、よく考えろ。下がそんなにぴっちりしてたらどうしたって見苦しいだろ」
俺がそう吐き捨てると、ハルヒはむっと眉を寄せながら、
「何よそれくらい。前バリでも何でもして押さえたらいいでしょ」
「出来るか!!」
無茶苦茶言うんじゃない。
というか、前バリなんて年頃の女の子が口にするんじゃありません。
「前バリ……って、なんですか?」
と首を傾げる朝比奈さんに俺が口ごもっていると、長門が口を開き、
「前バリとは、」
などと説明しかけるのを、
「説明するんじゃありません!」
と慌てて止めると、長門がじっと俺を見上げた。
「…なんだ?」
「……パンツタイプの水着なら、いい?」
「…ああ、そうだな。それくらいなら」
俺はなんとかそう答えるのが精一杯だった。
長門の口から飛び出しかけた単語を脳内メモリーから削除するのに必死だったからな。
というか、長門の口から前バリなんて単語は、出来れば一生聞きたくなかった。
ハルヒ、お前のせいだぞ。
俺の内心の動揺も知らずに頷いた長門が持ってきたのは、ハルヒがさっき見せたようなフリルだらけの短いキャミソールのようなものと、普通のデニムのパンツを合わせたような水着だった。
水着でもそんなタイプもあるのか、と舌を巻く俺を、
「試着して見せて」
と言いながら長門が試着室に押し込む。
「ちょ、ちょっと待て、試着って……」
「全部脱いでとは言わない。試着しなければ似合うかどうかも、また、サイズが合うかも分からない。試着は必須」
ぐいぐいと俺を押し込んだ長門は、俺に水着を押し付けると強引にカーテンを閉めた。
「あたしも何か探してくるわ!」
とハルヒがいきり立つ声が聞こえてくることを思うと、当分ここから出してはもらえなさそうだ。
俺はため息を吐きながら、服を脱ぎ始めた。
デザインがデザインだからか、特に違和感もなく着れたが、水に入っても本当に大丈夫なのかね。
「……終わった?」
と長門に外から声を掛けられ、俺はカーテンを開いた。
「これでどうだ?」
「よく似合う」
こころなしか嬉しそうな表情で言った長門に、
「じゃあ、これでいいか?」
と聞こうとしたところで、ハルヒが長門を押し退け、
「今度はこれを着て見せなさい!」
ふわりとしたワンピースのような水着を突き出してきた。
どうやら、俺がさっき思ったことは間違いじゃなかったらしい。
その後も色が違うの柄が違うのといったものまでわざわざ試着させられた。
一体何回着替えさせられたかさえ分からなくなったくらいだ。
疲れきって、
「もういいだろ」
と言った俺に、ハルヒが了解をくれたのは、それこそ数時間が経過した後のことで、
「そうね。じゃあ、これなんてどう?」
と提示したのは、長門が一番最初に持ってきたもので……ってつまり、この面倒な着せ替えになんの意味もなかったってことか。
「あら、意味ならあったわよ。あんたもあたしたちも楽しめたでしょ」
お前等はともかく、俺はそんなに楽しくはなかった。
「少しは楽しんだんだからいいってことにしなさい」
一方的にそう言うと、俺のバッグから俺の財布を取り出し、とっととレジに向かった。
…本当に遠慮がなくなってるな。
やれやれ、とため息を吐きながら元の服に着替えて試着室を出ると、ハルヒに水着の入った袋と財布を押し付けられた。
「って、お前等は水着見なくていいのか?」
「あたしたちは後でいいわ。お腹空いちゃったから、先にお昼にしましょ」
そういえばもう昼と言うにも遅い時間になってたな。
そこまで夢中になって人の衣装選びをしなくてもいいと思うのだが。
「…そうするだけの価値はある」
と妙に真剣に長門が言ったので、余計に疲労感は増した。
「疲れた時は甘いものを食べるといいそうですよ」
笑顔でそう言った朝比奈さんによって、昼はデザートまで充実したビュッフェスタイルのレストランでとることに決定された。
休日の昼過ぎで、まだまだ人が多い中、女装姿で平然と座っていられる辺り、俺も随分と慣れたもんだな。
「ほんとにね。最初はあれだけびくびくしてたのに、堂々としちゃって」
そう楽しげに言ったハルヒは、
「古泉くんとも順調なんでしょ?」
「順調じゃないように見えるか?」
と反問してやると、ハルヒは声を立てて笑った。
「全然見えないわね。ほんとにもう、いっつも楽しそうにいちゃいちゃしちゃって。時々後ろから回し蹴りでも食らわせてやりたくなるわ」
おい。
「冗談よ」
そうだと分かってはいるが、ハルヒのことだ。
ノリと勢いによっては本気でやりかねないのが恐ろしい。
当分背後には気をつけるとしよう。
それにしても、
「全部、お前のおかげなんだよな」
そう思うと感慨深いものがある。
何しろ、ハルヒがこうして俺を女装させなければ古泉はまだ当分自分の恋心を自覚しなかっただろうと言っていたし、俺だって古泉と付き合うなんてことは考えもしなかっただろう。
たとえそこまで考えが及んだところで、ハルヒにばれてはいけないとひた隠し、罪悪感に苦しんだだろうし、あるいはそう思う自分を押し殺し続けただろう。
それを思うと、今の俺はどんなに恵まれてることか。
「なに言ってんのよ」
俺の内心など知らず、ハルヒは呆れたような顔をして、
「あたしだけじゃないでしょ。有希もみくるちゃんも協力してくれて、何よりあんたたちがちゃんとしてるからこそ、いちゃつけもするんでしょうが」
「…そうだな」
わかっていないらしいハルヒに当然だと思いながらも苦笑して、俺はそう返した。
それからも、食べながらあれこれ話した。
ハルヒが、
「古泉くんってむっつりスケベっぽいわよね」
といきなり言い出した時には思わず吹き出すかと思ったが、否定はしないでおいた。
あいつもなんのかの言って好きだからな。うむ。
それでもと、
「あからさまなのが好きって言うよりはまだマシじゃないか?」
フォローとも付かないことを言っておいて、ふと思った。
古泉の好みを考えるなら、さっき選んだ水着も、もう少し清楚っぽいのがよかったんじゃないのか?
今更交換も返品も出来ないだろうが、しまったな。
「変な顔しちゃってどうかしたの?」
きょとんとした顔で聞いてくるハルヒに、
「いや…」
と言葉を濁そうとしたのだが、そんなことをしたところで無駄だろうと、俺は真っ正直に思ったことを口にしたのだが、途端にハルヒはなんとも言えないような顔になった。
本当に、なんとも言いがたい。
にやけているような、面白くないと思っているような、ついでに少しばかり腹立たしくも感じていそうな、そういうごたまぜの、珍妙な表情だ。
「ハルヒ?」
「…ああもうっ!」
これまた形容し難い声を上げたハルヒはぐっと眉を寄せながら腕組みし、
「今からでも古泉くんからキョンを取り上げて、あたしの彼女に出来ないかしら!」
「なっ…」
真剣な顔をして、いきなり何を言い出すんだこいつは。
「だって、」
とハルヒは唇を尖らせながら、
「あんたが可愛いからいけないんでしょ。今時そうそういないわよ。彼氏の好みに合わせたいーなんて子」
「…からかいたいのか?」
「違うわよ。単純に古泉くんが羨ましいだけ」
そう笑ったハルヒは、ぎゅっと俺の手を握り、
「今からでも遅くないわっ。あたしの彼女にならない?」
「……冗談でも勘弁してくれ」
脱力しながら呻くように言うと、
「冗談じゃないわよ?」
と返されたが、それこそ勘弁願いたい。
今の一瞬だけでぐっと疲れが増した気がする。
そう思った俺の目の前に、長門がデザートのケーキを差し出してきた。
「…長門?」
「疲れた時は甘いものがいい」
「それはそうかもしれないが…」
じっと見つめるチョコレートケーキは見るからにカロリーが高そうだ。
「…もういくつか食べたし、これ以上は、太りたくないからやめとく」
呟くように言うと、正面に座っていた朝比奈さんがびくっと竦みあがったのが見えた。
ケーキを口に運んでいた手がふるふると震えている。
朝比奈さんがどうというつもりじゃなかったんだがな。
「みくるちゃんは全然気にしなくていいわよ。キョンも、」
とハルヒは咎めるような目を俺に向けつつ、
「ガリガリだとかえって抱き心地が悪くなるわよ」
「お前は俺に太れとでも言うつもりか?」
「ちょっとくらい太っても平気だと思うけど、」
と言いながら席から立ち上がったハルヒは、俺の体を背後から抱きしめると、
「んー……まあ、今くらいならまだいいかしら? 抱き心地が悪いってほどじゃないし。でも、やっぱりもう少し肉付きがいい方が抱きしめた時に気持ちいいのよねー」
「お前の好みは聞いとらん」
「あーはいはいそうだったわね。あんたが気になるのは古泉くんの好みだけだったわね」
呆れたように返すハルヒは睨みつけるだけにしておいた。

それから、もう一度水着売り場に戻り、今度はハルヒたちの分を俺が見立てさせられた後、解散間際になってハルヒが言った。
「旅行が楽しみね!」
……そう言えば、この水着は旅行の時に着せられるんだったか。
うっかり失念していたが、いきなり市民プールなどで監視員に止められそうな姿を披露させられるよりはマシなのか、はたまた新川さんたちに見せるのを嫌がるべきなのか。
…お義姉さんに関しては気にしないでおこう。
おそらくだが、俺のためにとかなんとか言って女物の水着を今頃嬉々として用意している頃だろうからな。
やれやれ、どうなることやら。
機関の方々のことだから、面と向かって似合わないとか気持ち悪いとか言われる心配はしなくていいのだろうが、それでもいささか気が滅入るな。
思わずため息をつけば、
「何ため息なんかついてるのよ! もっと嬉しそうな顔しなさい!」
とハルヒに背中を叩かれた。