ハルヒが市内パトロールをすると言って張り切っていたその日、俺はメールで一方的に欠席を告げた。 理由を問うメールには、体調が悪いとだけ答え、後は無視だ。 それ以上どうすりゃいいのかも分からず、不審がっているハルヒの姿が見えるようなメールには一切返信しなかった。 妹はさっき家から追い出すようにして遊びに行かせたからいいが、この状態であいつらに押しかけられるとまずいだろうな。 だからと言って来るなと言えば余計にやってくるだろう。 来ないことを祈りながらまんじりともせずに過ごしていると、玄関のチャイムが鳴った。 くそ、来ちまったか。 鉛のような脚を引き摺りながら玄関に出ると、ご機嫌斜めを絵に描いたようなハルヒが腕組して立っていた。 「何よ、全然元気そうじゃない」 「俺はな」 と俺はため息を吐き、ハルヒの後ろに控えた長門、朝比奈さん、そして古泉を見た。 特に古泉を睨みつけてやると、困惑したような視線を返された。 「じゃあなんで休んだりしたわけ?」 「……お袋が倒れてな」 俺の言葉に反応を返したのは古泉だった。 「大丈夫なんですか?」 「身体は多分大丈夫だ。…ショックで倒れたってだけだから」 朝比奈さんはきょとんとした顔で、 「ショック……ですか?」 俺はどうするべきかと考えながらとりあえず、 「まあ、上がってくれ」 とハルヒに言った。 とてもじゃないが玄関先で出来る話じゃない。 お袋が寝込んでいることに配慮してか、ハルヒも静かにしてくれている。 妙に静まり返った居間にグラスとジュースのボトルを運び、適当に配ると、 「それで、どういうことなの? ショックで倒れたなんて…」 待ちきれなかったらしいハルヒの言葉に、俺は少し躊躇ったが、正直に告げた。 「ばれた」 「ばれたって……まさか」 ハルヒどころか古泉も青褪める。 そうじゃなかったのは、おそらく全てお見通しだったのだろう長門くらいだ。 「ああ、そうだ。…女装趣味も、古泉と付き合ってるのも全部ばれた」 朝比奈さんが小さく息を呑むのが聞こえた。 「なんでばれちゃったんですか?」 「最近、テレビを見てても反応するものとか変わって来てたんですよ」 肌の具合とか、食べるものの趣味も違ってきていたせいで、どうやらそこそこ前から不審がられていたらしい。 その決め手が、プリクラだった。 「見られたの?」 ハルヒの問いには頷くしかない。 一昨日、古泉とデートした時に撮ったプリクラを、俺は昨日ハルヒに見せてやったのだ。 見せた理由はたまたま荷物に突っ込んだままだった時にハルヒに、 「昨日何したの?」 と聞かれて、 「プリクラ撮ったりした」 と答えた、というやりとりの流れだったとしか言いようがない。 決して見せ付けたかったというわけではないのだ。 完全に塗りつぶされた部分についてもどうやら何があったか察しがついたらしいハルヒはそれを指差して、 「相変わらずラブラブね」 なんてからかうように言っていたのだが、それを谷口に聞きとがめられたのがまずかった。 「誰がラブラブなんだ?」 と身を乗り出してきた谷口から慌ててプリクラを隠し、 「お前には関係ない」 などと無理矢理誤魔化したのだが、その時、俺はプリクラを制服のポケットに突っ込んでしまったのだ。 しかもその後、そのことをころっと忘れ、そのまま洗濯に出しちまった。 まさに大ボケとしか言いようがない失敗だ。 洗濯のためにポケットをチェックしていたお袋がプリクラを発見したことは言うまでもない。 最初は、古泉と誰か女の子のツーショットだと思ったらしい。 が、それなら俺が持っている理由が分からない。 そうしてよくよく凝視した結果、髪の短さや目鼻の位置その他から俺だと断定したと思われる。 どういうことかと問い詰められた俺は、諦めて白状した。 そこに罪悪感や申し訳なさがなかったといえば嘘になる。 だが、それ以上に、それくらいで親子の縁を切られたり別れろ切れろと言うほど頭の固い母親ではないと信じていたのだ。 まあ、予想はある意味見事に外れ、 「…女装は好きでやってる。古泉とも、俺が好きで、付き合ってる」 と告げた直後、お袋は見事にぶっ倒れてくれたのだが。 そういう事情をハルヒたちに説明した後、俺は頭を抱えてため息を吐いた。 「どうすりゃいいんだろうな…」 「誠意を持って対応するしかないでしょうね」 古泉が意外と冷静に言い、俺は驚いて顔を上げた。 真剣な顔をした古泉が、俺に言う。 「僕は、あなたと別れさせられたくはありません。もしそんなことになったら、あなたを連れて逃げるくらいの思いも、覚悟もあります。でも、今はまだそこまでする時ではないではないでしょう? 家庭はあなたにとっても大切なものですし、僕も、あなたの家庭を壊したいとは思わないんですよ。ですから、話し合いましょう」 「…古泉……」 それ以上、言葉にならなかった。 真剣にそう言ってくれることも、俺のことを考えてくれるということも、その優しさも嬉しくて、返す言葉も失った。 だから俺は座っていたソファから立ち上がると、ハルヒたちの前だというのにそれも忘れて、古泉に抱きついた。 ありがとうと伝えたいのに、うまく出てこない。 ぼろぼろ泣きながら、やっと気がついた。 どうしようと途方に暮れていたのはひたすらに、古泉の反応が怖かったのだ。 古泉は、俺にとってマイナスになることは何もしないようにしておくほど優しい奴だから、親に知られたとなったら俺のために身を引くくらい、平気でやりかねない。 だから俺は、素直に休んだ理由も告げず、相談することもしなかった。 ただ、古泉に知られたくなかったんだ。 そうして置いていかれるのが嫌だった。 親に知られたと言うことを古泉に相談もせず、ひとりで悩んで、問題を先送りして。 それは古泉を頼らなかったとか信じていなかったとか、そういうことじゃない。 俺が臆病だったというだけだ。 古泉のことはむしろ、自分でも呆れるくらい信じてる。 何があっても俺のことを好きでいてくれるだろう、愛してくれるだろうと分かっている。 愛してるがゆえに離れていく可能性があるということすら、知っていたから、こんなにも怖かったんだ。 ぎゅうっと力を込めて抱きしめれば、痛いくらいだろうに、古泉は文句も言わず、ただ優しく俺の背中を撫で、 「どういたしまして」 と言ってくれた。 ありがとうと言葉で俺は伝えられなかったのに、それすら通じたかのように。 それが嬉しくて、涙が止まらなくなる。 しゃくり上げて泣く俺の頭に、誰かの手がそっと触れた。 「じゃあキョン、古泉くん、しっかりね。もし何か必要だったらすぐ連絡しなさいよ」 ハルヒの声がして、ソファから立ち上がっていく気配もした。 「キョンくん、古泉くん、頑張ってくださいね」 ふわりと一瞬だけ俺の肩に朝比奈さんの手が触れ、離れていく。 「……大丈夫」 長門の少しばかり冷たい手が俺の背中をぽんと押し、また離れていった。 優しい言葉に頷き返すのが精一杯だった。 そうして三人が出て行き、二人きりになった部屋で、俺はもう一度古泉の瞳を見つめた。 優しくて、強い光が見えた。 「愛してます。…大丈夫ですよ、きっと、分かっていただけます」 「…ん……もし、だめだったら、その時は、……連れて逃げてくれ」 「あなたが嫌だと言っても」 古泉はそう言って俺の唇に触れるだけのキスをした。 俺を慰めるように、優しく。 翌朝、みっともなく目元を赤く泣き腫らしたまま、俺は登校する破目になった。 出来れば欠席したかったが、流石にそれはまずいだろう。 教室に入り、席につくと、ハルヒが心配そうに言った。 「あれからどうなったの?」 「なんとかなった」 と俺が笑みを浮かべると、ハルヒもほっとした表情になった。 多分、ハルヒもハルヒなりに心配してくれていたんだろうな。 女装についてはハルヒがそもそもの発端だし、それがなければ古泉と付き合うこともなかったんだから。 だが、ハルヒが感じるべきは責任じゃないだろう。 むしろ俺も古泉も、ハルヒに心底感謝してるんだからな。 「古泉が、言葉を尽くしてくれてな。お袋も最初はまともに取り合っちゃくれなかったが、最終的には分かってくれた」 「そう。よかったわ。……それで、これからどうするの? 女装はやめるの?」 「冗談だろ」 今更やめられるか。 特に今は、そのありがたみも骨身に染みて分かってる状態だからな。 「女装も含めて、許可を貰った。これまでと変わりはない。……というかむしろ、やりやすくなったかな」 「どういうことよ」 「今度、お袋とも出かける約束したんだ」 俺がそう笑うと、ハルヒは驚いたように目を見開いた後、悪戯っぽく笑った。 「よかったじゃない。それで、お父様にもばらしたの?」 「ああ、ちゃんと話し合ったからな。意外と動じなかったぞ」 もしかすると、今頃やっと脳に情報が届いて戸惑ってるかもしれないが。 「全て丸く収まったってことね」 「ああ。…ありがとな、ハルヒ」 「あたしは別に何もしてないわよ」 「してくれただろ。古泉を連れてきてくれたのはお前だって聞いたぞ」 「…だって、古泉くん見てるとじれったかったのよ。キョンがあんな態度とるから、不安になって、同時に心配してるのも見て分かるくらいなのに、それでも迷惑になったらまずいからって、お見舞いに行くわよって言ってもなかなか動かなかったんだから」 「だろうな」 あいつはそういう奴だ。 俺が小さく呟いて笑うと、 「幸せそうね」 と言われた。 俺はニヤリと笑い、 「幸せだからな」 と返してやった。 その日の放課後になって、部室に行った俺は、古泉と二人で朝比奈さんと長門に説明をした後、長門に向かって、 「そういうわけだから、長門の部屋を借りなくてもよくなったんだが、今度荷物を取りに行っていいか?」 と聞いたのだが、長門はちょっと眉を上げた後、そっと視線を落とした。 それがどうも不満げに見えるのは俺の気のせいじゃなかったらしく、 「…今のままがいい」 と言われた。 「今のままって……」 「私の部屋を使って欲しい。私も、あなたに服を着せたり、化粧を施したりしたいと思う。……それは、もうしてはいけないこと?」 「いや、そんなことはないが…」 「じゃあ、今のままで」 「それも悪いと言うか…俺も家で着替えて出て行きたい日もあるんだけどな」 「……」 「……」 「………」 黙りあいで俺が長門に勝てるはずなどなく、俺は苦笑しながら譲歩案を提示した。 「ああ、じゃあ、こうしよう。一部だけ持ってかえって、後は今のままにするってのはどうだ? 今までと同じようにハルヒたちと一緒に長門の部屋に泊まったりもするってことで」 「……」 「…だめか?」 「……分かった。それで構わない」 思いっきり不満そうに見えるが。 「……気のせい」 …そうかい。 俺はそっとため息を吐き、長門の意外な一面に呆れるしかなかった。 「今度、是非、お宅までお迎えにあがらせてくださいね」 にこにこと上機嫌で古泉が言い、俺は眉を寄せた。 「なんだそれは」 「いいでしょう? デートするなら、それくらい」 「……」 「それも、憧れてたことなんですよ」 「…お前、そう言えば俺が折れると思ってるんだろ?」 「そういうわけじゃありませんが…」 ああ、いい、もう言い訳なんぞ聞かん。 俺はため息を吐きながら古泉から目をそらして言った。 「……あんまり早く迎えに来たりするなよ」 次の瞬間、古泉に抱きすくめられた。 「ありがとうございます」 嬉しそうな古泉に、まあいいかと思っちまった途端、 「ああ、はいはいよかったわね。好きなだけいちゃついてなさい」 とハルヒに言われた。 それで平然としていられるほど、俺は神経が太く出来ちゃいないんだ。 よって俺は反射的に古泉を突き飛ばし、脱兎の如く逃げ出していた。 ……しばらく経っても古泉が追いかけてこないが、打ち所が悪かったなんてことはないよな? ……ない、と、思いたい。 |