その週末はハルヒの命令で市内パトロールをするということが決定されていた。 その日も俺は当然のように女装して集合場所に向かうことになるのだろうが、それでも古泉と二人きりになれるとは限らないからと、平日であるにもかかわらず、放課後になるなりハルヒに団活の欠席を告げて二人で下校した。 長門に借りた鍵で長門の部屋に入り、先日古泉にプレゼントしてもらった服に着替えた。 古泉の趣味が反映され、可愛すぎるそれにくすぐったさを感じながらも、古泉のリクエストだからとそれを着て、また、それに合わせて少しばかり可愛さを強調するメイクをする。 「待たせたな」 別室で待たせておいた古泉にそう言うと、 「いつものことながら、見事に化けますよね」 と本気で感心された顔で言われた。 「ハルヒと長門の指導がいいからな」 「あなたの素地がいいんだと思いますよ。…その服も、とてもよくお似合いです」 お前はどこの回し者だ。 「素直に褒められてくださいよ」 「…無理だ」 俺だって多少は素直になろうと思わないでもないのだが、どうにもうまくいかないのだからしょうがない。 「ほら、さっさと行くぞ。いつもより時間もないんだからな」 照れ隠しに乱暴にそう言っても、古泉は笑顔のまま、 「ええ、急ぎましょうか」 と俺の手を取った。 それを握り返しながら、女物のバッグを手に、長門の部屋を出た。 「お前は着替えなくていいのか?」 俺がそう聞くと古泉は、 「ええ、着替える時間が惜しいですからね」 「それもそうだな。…まあ、うちの高校には幸い、男女交際禁止なんつう時代錯誤な校則もないから、見られてもいいのか」 「そうですね」 古泉が悪戯っぽく漏らした笑いが引っかかり、 「なんだよ」 と唇を尖らせて問うと、 「何でもありませんよ」 「何かある笑いだろ、今のは」 「大したことでは」 「大したことじゃないなら言えるだろ」 「困りましたね…」 苦笑した古泉は、 「怒らないでくださいよ?」 「内容による」 「じゃあ、言いません」 「言わなかったら確実に怒る」 「仕方ありませんね」 と言って、古泉は俺の耳に唇を寄せると、無駄に吐息の多い声で囁いた。 「男女交際、なんて言葉がさらっと出るほど、あなたは女性の気分でいるんだなと思ったら、とても可愛らしく思えただけなんです」 「なっ……」 息が多いとかわざわざ囁くなとか、それで悪いかとか言いたいことはいくつもあったのだが、うまく出てこない。 絶句している俺に古泉は楽しげに微笑むと、 「あなたのそういうところ、好きですよ」 とまたもや余計なことを囁いた。 俺は思わず古泉を突き放し、顔を背けて足を速めたのだが、嫌味なほど簡単に追いついた古泉が、 「すみません、怒ってしまいましたか?」 「知るか」 「すみません」 苦笑混じりの謝罪に、俺はそっと息を吐くと、 「悪いと思ってるんだったら、それなりの態度を取れ」 「そうですね。…お詫びに、何か甘いものでも奢らせてくださいますか?」 「……じゃあ、クレープが食べたい」 「分かりました」 頷いた古泉が俺の手を握りなおした。 こうして、手を繋ぐのは嫌いじゃない。 嫌いじゃないどころか、結構好きなんだと気がついたのは、先日、男の格好のまま古泉とデートした時だ。 それまで女装してデートすることに慣れ、つまりは手を繋いだりなんやかやして過ごすことに慣れちまっていた俺は、抱き合うことやキスはおろか、手を繋ぐことすら出来ない男の格好でのデートを断固拒否するようになっている。 おかげで、こんな薄着でいつ男だとばれちまうかとひやひやしながら過ごしたり、時間がないと言いながら着替えや化粧に時間を食うような破目に陥っているわけだが。 「そんなスリルも楽しくていいですよ。あなたが着替えているのを間近で待つことも」 と古泉が言ってくれるので構わないのだろう。 「待たされて楽しいのかよ」 「ええ。襖一枚隔てた向こうからかすかに聞こえてくる衣擦れの音もさることながら、確かに男性の姿であったはずのあなたが、30分とかからずに愛らしい女性にしか見えない姿で現れる驚きも、楽しいんです。もっともそれは、僕があなたに夢中だからかもしれませんけれど」 衣擦れ云々のところで殴ってやろうかと思って振り上げた手を広げ、古泉の髪に触れる。 柔らかな髪の感触を確かめるようにそろりと撫でれば、古泉がくすぐったそうに目を細めて俺の手を強く握り締めた。 「くすぐったいですよ。どうしたんです?」 振り上げたものの行き場を失ったからこうしたまでだ。 「なるほど。僕はまた、あなたがこうしてほしいのかと思いましたよ」 そう言って古泉は俺の髪をくしゃりと撫でた。 「ん…」 「気持ちいいですか?」 「まあ、な」 そんな風に優しくされるのはくすぐったくもあるが嫌いじゃない。 俺は恥ずかしげもなく古泉の腕に自分の腕を絡めるようにすると、 「ああ…やっぱり女装してると気が楽でいい」 と呟いた。 それはもうこの上ないほど実感のこもった発言だったのだが、どうやらそれが古泉には可笑しかったらしい。 ぶはっ、といつになく分かりやすく噴出すと、そのまま笑いを堪えようとして震えている。 そこまで笑わなくていいだろう。 「古泉……」 恨みがましい視線を送りながら唸ると、 「すい、ません…っ」 笑いすぎて声が震えてる。 何がそこまで可笑しかったんだ。 しばらくしてやっと笑いの発作をおさめた古泉は、 「あなたがあんまり可愛らしいことを仰るからいけないんですよ」 とまだにやけた顔で言った。 「何がだ」 「ふふ、自分でも分かっておられるのでしょう? 自分のしたこと、言ったことの意味くらい」 さて、俺は何をしたんだったかな。 笑いを堪える古泉があまりにも衝撃的過ぎて忘れたが。 「あなたもとぼけますね。……こんな風に腕に縋って、嬉しそうな顔をして、本気であんなことを言うってことはつまり、人前でもいちゃつきたい、ということでしょう?」 「なっ……!」 「間違ってますか?」 間違ってはないだろう。 が、だからといってあまり認めたくもない。 一瞬絶句した俺だったが、 「で、なんでそれであそこまで笑うんだよ?」 「それはですね、」 と古泉は楽しげに俺の耳元に唇を寄せると、 「常日頃のあなたからするとあまりにもギャップのある発言でしたし、それに気付いていないあなたが面白かったんですよ。しかしながら、突発的な笑いの理由を問われて理性的に解説したところで納得が行かれるとも思えませんね」 「全くだ」 説明されればされるほど分からん。 「でしたらもう忘れてください。笑ってしまってすみませんでした。でも決して、あなたを馬鹿にしたり、嘲笑ってのものではありませんよ?」 「それくらいは言われなくても分かる」 「それで安心しました。……あ」 と古泉が突然足を止めた。 「どうした?」 「ああ、いえ、何でもありません」 そう首を振って歩きだそうとした古泉を止め、 「なんだよ、気になるから言え」 と言うと、古泉が困ったように笑った。 誰か知り合いでもいたのか? それとも何か別に気になるものでもあったのだろうか。 そう思いながら俺は古泉が目を向けていた辺りに視線を向け、 「……古泉」 「はい」 「まさかと思うが、あれがしたい、ってんじゃないだろうな?」 ゲームセンターの一部スペースを占める大型撮影機械の群れ――いわゆるプリクラだな――を睥睨しながら俺が言うと、古泉は困惑混じりに苦笑したまま、 「いえ、少しばかり憧れてただけです」 「憧れって…」 「カップルで撮っていたりするでしょう? あれが少し羨ましくて…」 「携帯なんかにべたべた貼ってあるのが、か?」 「そうですね、あれも少々…。でも、あなたは嫌…ですよね。写真撮影自体もいつも拒まれますし、ましてやそれを僕が所持するなんてことは……」 「お前なぁ、」 俺は呆れを含んだため息に少しばかり苦笑の色を滲ませながら言った。 「俺を何だと思ってんだ?」 「……それはどう言う意味の質問でしょうか」 そのまんまだ。 「俺は、まあ、少しばかり普通とは言えなくなったが、基本的には普通の男子高校生であり、そうであれば多少ああいうのにも憧れないでもない。だからお前のそういう気持ちも分かる」 お前がそう思ってたってのは結構な驚きではあったがな。 「俺だって、彼女ができたら一緒に腕組んで歩きたいとか、プリクラ撮って自慢がてらに分かりやすく貼り付けておきたいとか、思ったりもしてたんだよ」 「……すみません」 そこで落ち込むなというに。 「まあ、当初の希望とは大分違うが、腕組んで歩いたり一緒にプリクラ撮ったりする相手がお前ってのも悪くないとは、思ってるんだ」 「…本当ですか?」 ここで嘘をついてどうする。 「俺もちゃんと楽しんでるだろ」 そう笑うと、古泉は嬉しそうに表情を緩めた。 「じゃあ、一緒に撮ってくれますか?」 「……しょうがないな」 いつも甘やかしてもらってるんだ。 たまには俺が古泉を甘やかしたところでバチは当たらんだろう。 狭いとも広いとも言いかねるようなスペースで肩を寄せ合って、慣れないなりに機械を操作して撮影する。 ……まではよかったのだが、 「自動で連続撮影とかあるんですね」 「それがどうした?」 「いえ、そっちの方が便利そうだなと思いまして」 「どういう意味だ?」 という俺の問いに、古泉が笑って答えなかった時点で引っかかるべきだった。 パシャパシャと合成されたシャッター音が響く中、俺はぎこちない笑みをカメラに向けていたのだが、いきなり古泉に抱き寄せられた。 「ちょっ…」 抗う間もなく、唇を奪われる。 同時に響くシャッター音。 やりやがったなコノヤロウ。 「お前は何考えてるんだ!!」 ぶつぶつ文句を言いながらラクガキ機能でぐりぐりと決定的瞬間を塗りつぶす。 「せっかくうまく撮れたのに、勿体無いですよ」 という古泉の言葉は黙殺するに限る。 「うるさい。こんな恥ずかしいもん取っておけるか」 「いいじゃありませんか。どこかに貼ったりせずに、大事にしまっておきますから」 「そういう問題じゃない」 「でも……」 と古泉はラクガキ画面にペンを走らせている俺の背中に伸し掛かるように体重をかけると、 「口で言うほど、怒ってませんよね?」 俺が古泉に肘鉄を食らわせたことは言うまでもない。 そうして俺は、油断大敵ということを学んだはずだった。 しかし、それはあくまでも「はず」に過ぎなかったらしい。 |