初夏のお嬢さん



「最近、外で会ってませんよね」
と古泉が言ったのは、部室でのことだった。
まだ初夏だっつうのに暑いなぁとかなんとか俺が呟いた直後のその発言は、はっきり言って唐突と言っていいものだったのだが、予想の範疇ではあったため、俺は会話の流れをぶった切られても何も言わなかった。
「そうか?」
と返しながら、そうだなと内心では同意しておく。
「そうですよ。…理由をお伺いしてもよろしいですか?」
若干、古泉が不安げに見えるのは俺の気のせいでもなんでもないのだろう。
それまで毎週のように会っていたのが、徐々に頻度が少なくなった上、さらには外であってもSOS団として、それも男の格好でだけ、なんてことになっていたら、古泉でなくても不安になるに違いない。
しかし、どう説明したものかな、と考え込んだ俺に代わって答えたのは、ハルヒだった。
「キョンったらね、女装した時に薄着でいる自信がないんだって」
ばかよね、とかなんとか付け足すのは何だ、失礼な。
誰だってそう思うだろう。
「……そんな理由だったんですか?」
って古泉、お前もそんな呆れたような顔をするな。
俺の考えはいたって真っ当だろうに、自信がなくなる。
これほどまでに暑くなってくる前、薄着の人間が多くなってきた辺りから、古泉と外で会うことは少なくなってきていた。
それでもまだ一緒に出歩いたりしたかったから、多少厚着に耐えてでもそうして来たんだが、今の状況ではそれも難しいだろう。
薄着になって、と考えなかったわけじゃない。
だが、重ね着をして体のパーツをあれこれ隠しているがために女装してもそうとばれずにいるのであって、薄着なんてしたら確実に男とばれる。
それが嫌なんだという俺の気持ちも分かってくれ。
「別に、薄着をしたところであなたはちゃんと女性らしく見えると思いますが」
苦笑混じりに古泉はそう言ったが、俺としては眉につばをぬってやりたい気分だ。
思わず顔をしかめると、
「ほらキョン、古泉くんもああ言ってるじゃない」
とハルヒに言われ、朝比奈さんにも、
「そうですよ、キョンくんなら大丈夫です」
と言われた。
長門はと言うと、くっきりと頷いてみせる。
……お前等、本当に冷静に判断できてんのか?
「とにかく、」
と俺はげんなりしながら言った。
「夏の間は外で女装なんてしないからな」
えーとかなんとか言ったのはハルヒと朝比奈さんだが、長門も残念がっているように見えた。
古泉はと言うと、別に気にしていないのか、眉ひとつ動かしてもいない。
「せっかく可愛い水着とか買いにいこうと思ってたのに」
とぶつぶつ言ってるが、ハルヒ、お前そんな無茶な計画立ててたのか。
「何が無茶よ。別に実現可能でしょ。最近の水着って凄いんだからね。胸が少々なかったとしても分かんないのとか、ズボンタイプのとか色々あるんだし」
「少々どころか全く胸がないんだからどちらにしろ無茶だろう」
「そこはフリルとかで誤魔化すのよ。あんただってフリル好きなくせに」
それは否定しきれんが、だからと言って水着姿なんて生物兵器染みたものを衆目にさらせるか。
「何が生物兵器よ。たとえそれが正しかったとしても、あんたの言う意味とは全く逆の意味での兵器に違いないわ」
俺は、わけの分からないことを自信満々に断言するハルヒではなく、古泉に目を向け、
「とにかくそういうことだから女装で出歩いたりはしない」
と言うと、
「ええ、構いませんよ」
あっさり返された。
あまりにも簡単にそう言われ、拍子抜けする。
それどころか、こいつは俺と出歩くのを楽しみにしてたんじゃなかったのか、と愕然とした。
やっぱり、楽しんでたのは俺だけだったんだろうか。
女装した男なんて連れ歩くのは嫌だったとか…。
湧き上がってきた不安を見透かしたわけではないのだろうが、古泉は平然と言い足した。
「僕としては、あなたと一緒に過ごせればあなたが女装していようがいまいが関係ないと思ってますからね」
「……は?」
「いつもの格好のままでいいですよ」
「…えぇと古泉」
それはつまりあれか。
俺に男の格好のまま、野郎と二人連れで街を歩けということか。
「いけませんか? 極々健康的で健全なデートくらいならいいでしょう?」
「で、デートってお前…」
かあっと顔が赤くなるのが分かる。
「お前は……それでいいのか?」
「よくなければ言いません。それに、あなたが女装していなければあなたに熱烈な視線を送る連中に苛立たせられることもなくなりますからね」
今度こそ、絶句した。
なんだこいつは。
いや、確かに以前にも、俺が女装したことは俺を好きになるきっかけに過ぎず、女装しているから好きなのではないといったことを口にしてはいた。
が、それにしたってこうも平気で言いきれるものなのか?
驚き、呆れながらも嬉しくて、だから俺はつい、その提案に頷いてしまったのだろう。

女の格好もせずに古泉と待ち合わせるなんて、おそらく初めてのことに、俺の心臓は挙動不審になったまま戻ってくれない。
ええい落ち着け、いつも以上に冷静でいなけりゃならんはずだというのに、と唸りながら歩いていくと、待ち合わせ場所の方からこちらに歩いてくる古泉の姿が見え、顔が真っ赤になるのが分かった。
だめだこりゃ。
「おはようございます」
いつもと変わらない笑みを見せた古泉が、反射的に思いっきり顔を背けた俺に文句も言わず、そう言った。
「おはよ…」
無理矢理そう返しながらも、どうしたものかと唸り続ける俺に、
「今日はどちらへ向かいましょうか」
と古泉はいつもと同じように聞いてきた。
「別に、どこでもいいが…。というか、出かけたがったのはお前だろ」
古泉は、いつにも増して可愛くない口を聞く俺に、気を悪くすることもないらしい。
「そうでしたね。では、お付き合いいただけますか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
そう嬉しそうに笑った古泉は、極自然に俺の手を握った。
それこそ手を叩きたくなるほど見事なほど自然な動きだった。
が、だからと言って許容することは出来ん。
いつもと違って、今日は女装してないんだからな。
ばっと手を振り解き、余計に赤くなった顔を自覚しながらも古泉を睨み上げた。
「お前、何考えてるんだ!?」
「いけませんか?」
きょとんとした顔で言い放った古泉に、俺は絶句するしかない。
「いけないに決まってるだろ。男同士で手なんか繋いで歩けるか!」
「普通にしていれば少しくらい大丈夫だと思いますけどね」
古泉はそう苦笑しながらも、
「あなたが嫌なのでしたら、我慢します」
と言ってくれた。
それでいいはずだと思うのに、寂しい。
…俺だって、出来るなら手くらい繋ぎたかったんだ。
だがそれ以上に、古泉と手を繋いで普通にしていられる自信がなかった。
どうしたって、顔は緩むだろうし、手を繋ぐ以上のこともしたくなるに違いない。
だから、と我慢することを選んだのだが、古泉の残念そうな表情が胸に痛み、一瞬繋いだ手が、妙に手持ち無沙汰に思えた。
俺は古泉の隣りを歩きながら、手の甲をそっと触れさせ、
「……すまん」
と一言謝った。
「何がです?」
分かってるだろうに、そう言ってくれる古泉は優しい。
優しすぎて、泣きたくなりそうなほど。
そんな古泉だから、好きになったんだろうか。
それとも、そんなことも瑣末なことに過ぎないんだろうか。
今日、古泉と会ってからまだ数分しか経っていないのに、分かったことがある。
俺は女の格好をしている時に限って古泉が好きというわけじゃなく、古泉も、これまでに何度も本人が言ってくれた通り、俺が女装をしているから俺を好きなんじゃないということだ。
俺が、自分の服装に影響されて精神状態までもがおかしくなってるのかも知れないと疑ったことは、一度や二度じゃない。
女装もせず、ハルヒや長門もいない自分の部屋で、ひとり冷静に考えてみると、やっぱり古泉は古泉であり、お互いに男である以上、恋愛感情になんてなり得ないんじゃないかとも思う時もあったのだ。
高校で制服でいる時には、大して何か思ったりもしなかったから余計に。
だが、これで分かった。
俺は間違いなく古泉が好きであり、制服の時に平気だったのは学校という環境と制服という抑圧的な服装のせいで、自制心が強く働いていただけなんだということが。
古泉の方も、ハルヒや他の生徒なんかに気を遣っていたんだろう。
校内でのそれと今のそれを比べれば、どう見ても表情の柔らかさが違った。
俺は男の格好で、かわいげの欠片だってないのに、俺といるだけで嬉しいと言わんばかりに、楽しそうにしている。
そんなところさえ、愛しいと思った。
「ここに入ってもいいですか?」
という古泉の言葉に俺は現実に引き戻され、
「別にお前の好きにすればいいんじゃ…」
ないか、と言いかけて止まった。
古泉が足を止めたのは、俺がよく行くようになっちまった女の子向けの服を扱う店だったからだ。
「…古泉」
「はい? だめですか?」
「だめって言うか、お前、本当に何考えてんだ?」
男二人でこのチョイスはおかしいだろ、と器用にも小声で怒鳴ると、
「いけませんか? 試着をしなければ、プレゼントを買いに来ているとでも思われると思ったのですが」
「そう都合よく行くと思うのか?」
「別に、そうでなくても僕は構いませんよ」
「ゲイだと思われていいってのか?」
「事実そうじゃありませんか」
何を言い出すんですか、と笑った古泉は間違っちゃいない。
だが、事実そうであるから構わないと言いきれることなのか? それは。
たとえ実際にそうであっても、人にはそう思われたくないとひた隠しにするもんだと思うのだが。
「それこそ、理解出来ませんね。社会的にマイノリティーであるからと自分が誰かを好きだと思う気持ちまで押し隠す必要はないと僕は思うのですが、間違っていますか?」
それはそれで立派な考えだろうが、それでもっていうのが普通の人間じゃないのか?
「そんなのが普通なのであれば、僕は断固として少数派の道を選ばせてもらいたいですね。僕としては、もし、許されることであるならば、あなたの恋人は僕なんだと誇りたいような気持ちなんですから。……ただ、それによってあなたが傷つけられたりすることが嫌だからこそ、黙っているだけです」
「……そうかい」
俺には何の反論も出来なかった。
その必要もないと思った。
ただ、嬉しくて、いつもと違ってすぐに抱きつけないのがもどかしかった。
「それで、ここには入らないんですか?」
「……お前、絶対お前が見たいんじゃないだろ」
間違いなく、俺のためだ。
そうに決まってる。
「お前の行きたいところに行けばいいだろうに、なんでそこまで俺を優先してくれるんだ?」
それが分からん、と尋ねた俺に、古泉は目を細めて見せた。
愛しげな視線が、くすぐったい。
「僕は、あなたといられるだけで幸せなんですよ。それに今日は、あなたも仰られたように、出かけたがったのは僕の方ですからね。貴重な休日に、一日お付き合いいただく以上、あなたに楽しんでいただける場所に行こうかと思ったんです。…残念ながら僕は、あなたが喜んでくれる場所というとこんな場所しか思いつけなかったんです」
ああ、畜生、だめだ。
こいつには絶対勝てない気がする。
前にもそんなことを思ったような気がするが、つまりはそれは間違いようのない事実ということなんだろうか。
赤くなった顔を俯いて隠しながら、俺は小声で古泉に尋ねた。
「……本当に、ばれないと思うか? 不自然に思われたりもしないと、思うか?」
「ええ、きっと大丈夫です。僕が保証しますよ」
「…じゃあ、」
声が上擦ったのは恥ずかしいからというよりも、嬉しさのあまりうまく話せなかったせいだ。
「入りたい」
「はい」
笑顔で頷いた古泉に連れられて、店に入る。
俺が男の格好でも、女装している時と変わらず、ちゃんと重たいガラス戸を押さえていてくれる古泉の優しさがくすぐったくて嬉しい。
「さんきゅ」
と小声で返し、古泉と共に店の中を見て回る。
顔見知りになっちまった店員にも、どうやらいつもの俺とは気付かれていないらしい。
ただ、古泉には気付いたらしく、
「いらっしゃいませ」
と他の客に対するものと比べると、いささか柔らかさの増した笑顔を向けていたが。
それにおそらく、ぽんぽん物を買っていく古泉は、この小規模な店からすると結構な上客なんだろう。
そう思いつつも、なんとなく、面白くないと思った俺に気付いているのかいないのか、古泉は綺麗に展示してあったマネキンを指差し、
「あのスカート、彼女に似合うと思いませんか?」
とどこか悪戯っぽい表情で俺に聞いてきた。
その「彼女」が俺を示していることは、わざわざ確認するまでもないだろう。
古泉はどうやら、そんな風にして彼女のために買い物に来た男とそれに付き合わされる友人という構図を演出しようとしているらしい。
どうやら古泉は、演技することは大してうまくもないくせに、そういう演出やなんかを考えることはどうも好きなようで、今のこの状況すら楽しんでいるようだった。
だから俺も気兼ねすることなく、それに乗ることが出来るんだろう。
「そうだな…。あいつなら、もう少し落ち着いた色の方がいいんじゃないのか?」
「そうですか? いつもそう言ってモノトーンを選ばれたりするので、僕としては勿体無いと思っているんですよ。もっと明るい色や大胆なデザインを選んでもいいのではないか、と」
「たまにはそういうのも着てるだろ」
「ええ、涼宮さんや長門さん、朝比奈さんが選んだ時は、ですね。僕がおすすめしても聞いてくれないんですよ」
とため息を吐く古泉に、俺は苦笑するしかない。
そもそもあいつらには反論も反対も出来ないし、お前にそんな派手なものなんかを選んでもらうのは妙に恥ずかしいんだ、とストレートに言うことは出来ないから、
「恥ずかしいんじゃないのか? お前にそんな派手なのを選ばれるのが」
「どうしてです?」
「お前が選ぶのが女らしい色ばかりだからだろ。ピンクとか淡いオレンジとか」
「いけませんかね」
「お前に女扱いされるのが恥ずかしいんだと思うぞ」
「……そうかも知れませんね」
そう小さく笑った古泉は、
「でも僕は、本当に彼女にはああいった色が似合うと思ってるんですよ。着て見せて欲しいとも、ね。……あなたから、お口添えしてはいただけませんかね?」
「冗談だろ。自分の恋人なら自分で何とかしろ」
「……分かりました。では、一方的にプレゼントしてみましょうか。彼女は今時珍しく義理堅い方ですから、そうしたら着てくれると思いますし」
「お前な……」
俺は呆れのため息を吐き、
「そんなに楽しいのか? あいつの服選んだりするのが」
「楽しいですよ。彼女は何を着ても似合いますし、何より新しい服やアクセサリーを身につけた時に、嬉しそうにしながらも照れくさそうに笑って、似合うかどうか聞いてくれるのが、とても可愛らしくて」
「……惚気か?」
と返すのが限界だった。
面と向かって褒められて、くすぐったいなんてもんじゃない。
これは新手の拷問か何かと聞きたくなる。
抱きしめたい、キスしたい、なんて甘ったれた欲求を抑えるのにも一苦労だ。
古泉が優しすぎるせいで、俺はその日何度も、これなら素直に女装して来ればよかった、と悔やまされる破目になった。
それは古泉の部屋に上がりこむまで続き、それまででもう既に我慢の限界を突破していた俺は、玄関のドアを閉め、鍵を掛けるなり古泉に抱きついたのだった。