新しい服が欲しい。 ひらりと翻るロングスカート。 白いレースのついたキャミソール。 どうせなら靴もそろえたい。 バレエシューズのような柔らかくて頼りない、それでも可愛い白い靴。 黒でもいいか。 黒なら艶やかなエナメルがいい。 足の形を鑑みるとミュールをはけないのが残念だ。 新しい帽子も欲しいな。 あれもこれもと欲しくなってしまうのは、季節が変わったせいに違いない。 コンビニを覗くだけでさえ、新色の口紅が誘惑してくる。 先立つものがなくてよかった。 あったら、全部衝動買いしてる。 「あー……金が欲しい」 と、思わず天井を仰ぐように寝そべったままぼやいた俺に、ハルヒが呆れた口調で言った。 その手にはリボンが握られている。 俺の首に巻きつけるつもりらしい。 「バイトでもすれば?」 「そうしたらSOS団の活動に支障が生じるが、それでいいか?」 「じゃあだめ。……お金がいるのっておしゃれのためでしょ? それなら古泉くんに買ってもらえばいいんじゃないの?」 と、言われてもな…。 「俺には可愛らしくおねだりなんて器用なことは出来ないんだよ」 「そう? あんたならにっこり笑って指差せばそれでいいと思うけど」 「お前を俺をなんだと思ってるんだ」 「魔性の女」 「俺は女でも魔性でもない」 「古泉くんのこと、あっという間に落としといて何言ってんのよ」 「羨ましいのか?」 「ばか」 ぎゅっときつめにリボンを締められ、息が一瞬詰まる。 「殺す気か」 「そんなことしないわよ。つまらなくなっちゃうじゃない」 本当に俺をなんだと思っているのか、一度真剣に聞いてみた方が良さそうだな。 「あたしにしてみれば、どうして古泉くんに買ってもらわないのかってそっちの方が不思議だわ」 そこまで言うか。 「だって、付き合ってるんでしょ? 服やちょっとした小物くらい、プレゼントしたいもんじゃないの?」 「プレゼント、ねぇ…?」 貢物の間違いじゃないか? 「いいじゃないの、貢がせなさいよ。ほどほどにしておけば、古泉くんの方だって喜ぶわよ。経済的にであっても、好きな相手に頼られるってのは嬉しいことなんだから」 その言葉に頷いたのは長門だった。 「そういうもんなのか?」 「そういうもの。…私も、あなたに頼られるのは嬉しい」 そう言いながら長門は熱心に本のページを見つめている。 いつになく薄くて大判の本は、洋裁の本だ。 どうやら、服を手作りするつもりらしい。 それも、俺のために。 「あなたはどんなものが好み?」 聞かれた俺は、 「どうせ作るんだったら、店じゃ買えないようなのがいいな」 そこですかさず、 「メイド服とか?」 と言ってくるのはハルヒだ。 「なんでそうなる。というか、メイド服は既にあるだろう」 「じゃあチャイナドレス? あ、ヴィクトリア風のシックなワンピースなんかも似合うそうね。いっそスカートを大きく膨らませたドレスなんてどうかしら。マリー・アントワネットみたいな」 「仮装大会でもするつもりか?」 「どうせやるならダンスパーティーね。動きがあった方が楽しいから。キョン、あんたワルツとか踊れる? もちろん女の子のステップで」 「踊れるわけないだろ」 「そうね。…でもまあ、一ヶ月もあれば……」 不穏な計画を練っているらしいハルヒに、俺が何とか歯止めを掛けようとした時に、 「できましたぁ!」 と朝比奈さんが歓声を上げた。 その手には白いレースのショール。 もうずっと、朝比奈さんがかかりきりになっていたものだ。 「完成したんですか?」 俺まで嬉しくなりながら、少し頭を起こして問うと、 「はい。お待たせしました」 と言いながら、そのショールを体に掛けられた。 「俺のためだったんですか…」 驚く俺に、 「うん、キョンくんに似合いそうだと思って。あたし、不器用だからあんまり綺麗にできませんでしたけど」 「そんなことありませんよ。とても上手です。ありがとうございます、朝比奈さん」 朝比奈さんが嬉しそうに微笑み、俺まで温かい気持ちになった。 しかも助かったことに、ハルヒはどうやら思考を横にそれさせたらしい。 「有希、やっぱりシックなドレスがいいわ。このショールが似合いそうなの。ベルベットで作ると重いだろうけど、キョンならきっと大丈夫だからやっちゃいなさい。材料費はあたしも出すわ」 「了解した」 長門の淡々とした声がいくらか嬉しそうに響き、朝比奈さんも、 「それならあたし、袖や襟にレースをつけたいです」 と嬉々として参加する。 華やかだなぁ、なんて思いながら、この状況を当然のように受け入れている俺が、一番妙なんだろうな。 ちなみにここは長門の部屋であり、今日は土曜日である。 時刻は夕方の4時。 市内パトロールを終え、そのまま俺はここに来たというわけだ。 本当は、古泉と一緒に古泉の部屋に行ってもよかったのだが、明日がデートなら別に構わないかとハルヒに引き摺られるままこっちを選んだ。 去り際の古泉がいささか残念そうだったと思うのは、俺の思い込みかね? 明日がデートだと知っているハルヒたちによって、衣装決めと称する着せ替え遊びをされ、疲れた俺は外には来ていけないようなびらびらした服を着せられたまま、敷き詰められた服の上でごろんと横になっており、その周辺でハルヒたちがきゃわきゃわ言っている。 のんびりとした雰囲気なのはいいが、結局俺は明日何を着ていくんだろうな。 なんのかんの言っているうちに遅くなり、長門の部屋に泊まってしまった。 当然、ハルヒと朝比奈さんも一緒だ。 三人娘がかしましく作った朝食をのんびりいただくとは、俺も優雅な身の上になったもんだ。 それも、起こしに来てくださったのは朝比奈さんで、朝一番に聞くのが天使の如きあのお声とは、俺は本当に幸せだね。 などと、俺が幸せに浸っていると、 「キョン、あんたの今日の服だけど、」 とハルヒが口を開いた。 その手には空になった茶碗があるが、……さっき二杯目を空にしたところではなかっただろうか。 相変わらず長門と張り合える健啖家ぶりだ。 俺が呆れているのに気がついていないのか、それとも気がついていても気にしていないのか、ハルヒは平然と長門におかわりを頼みながら、 「ショールに合わせてちょっとクラシックな感じにしていいわよね?」 「ああ、好きにしてくれ」 俺はお前のセンスを信じることにする。 「そう、じゃあ好きにさせてもらうわ」 と言ったハルヒが選んだのは、黒いハイネックのノースリーブのシャツと、少しばかり古いデザインのスカートだった。 久々に膝丈のスカートでほっとしたのはいいのだが、……これはクラシックと言うよりは昭和のかほりというやつではないだろうか。 「ぶつぶつ言ってないで、そろそろ行った方がいいんじゃないの?」 化粧を終えて、姿見の前で試すつがえすして見ていた俺は慌てて時計を見た。 やばい、これは遅刻する。 「長門、なんで教えてくれなかったんだ?」 必要なものをカバンにまとめて放り込みながら俺が聞くと、長門は朝比奈さんの淹れたお茶をすすりながら、 「少し待たせるくらいが古泉一樹には妥当」 ……長門、お前古泉のこと嫌いなのか? と聞きたくなるような冷たい声を響かせた長門に俺はそれ以上何も言えず、 「それじゃ、行ってくる」 とだけ言って部屋を出た。 以前買った黒いパンプスで早足に階段を駆け下りる。 そんなことが芸当出来るくらいにはヒールの高い靴にも慣れたというわけだ。 それもこれも、古泉のせいだ、と責任転嫁しながら、緩んだ口元を押さえた。 とはいえ、そんな不安定な靴で走るのに疲れて、仕方なく歩くことを選んだ結果として、俺は約束の時間に10分ほど遅れて、待ち合わせ場所に着いた。 「すまん、遅くなった」 「いえ、大丈夫ですよ」 と返す古泉はいたっていつも通りだ。 「何かあったのかと思っていたのですが、何事もないようで何よりです」 とすら言ってのける古泉は、本当によく出来た奴だと思う。 いい男過ぎて申し訳ないような、腹立たしいような、曖昧な気持ちになりながら、俺は古泉の腕に抱きついた。 「あの…っ?」 と小さく驚きの声を上げる古泉に、 「本当にお前って奴は……」 と呟くと、 「どうかしましたか?」 心配そうに顔をのぞきこんできた古泉に、一瞬触れるだけのキスをして、 「いい男過ぎて困る」 と返してやると、古泉は真っ赤になり、 「それを言うなら、あなたの方こそ困った人ですよ」 「何でだよ」 「……あなたが、素敵な人だからです」 「素敵な人、ねぇ…?」 どうせなら、いい女って言われたいな。 「本気ですか?」 目を丸くした古泉に、俺はニヤリと笑い、 「割と本気だ。お前の隣りを歩くのに相応しいくらいのいい女になりたいって、思ってるんだぞ?」 「僕の方こそ、あなたに釣り合えないのではないかと戦々恐々としているんですけどね。お願いですから、僕のことを置いていったりしないでくださいよ?」 「出来るわけないだろ、そんなこと」 「そうですか?」 「ああ」 「あなたがそう仰るのでしたら、その通りなんでしょうね」 と穏やかに微笑んだ古泉は、 「ところで、そのショールはもしかして手作りですか? 初めて見るもののようですが」 「よく分かったな。朝比奈さんが作ってくださったんだ」 背中の部分も見せてやろうと、くるりと背中を向けてやると、背後から抱きしめられた。 「おい?」 そうしたら見えないだろうが。 「この前は、4人で買い物に行かれたと仰ってましたよね。そうやって、女性からの贈り物なら簡単に受け取るのに、どうして僕からは何も贈らせていただけないのでしょうか」 拗ねたような声に、俺は小さくのどを鳴らして笑った。 「何がおかしいんですか」 「何って、お前、…嫉妬、してるんだろ?」 「してますよ。いけませんか?」 嫉妬なんて必要ないだろうに、そんな風に分かりやすく妬いてるから、おかしくて笑えるんだろ。 「俺の好きなのはお前なんだって、分かってるんだろ?」 「それでも、あなたは男性ですからね。同じ男である僕よりも、朝比奈さんのような愛らしい女性を選ぶ方がよっぽど自然なことでしょう?」 「だとしたら俺はよっぽど自然の摂理とやらに逆らうように出来てるらしいな。…お前が、朝比奈さんを愛らしいって言う方が堪えるんだから」 俺は胸の上にある古泉の手をぎゅっと握り締めると、 「朝比奈さんにしろ長門にしろハルヒにしろ、お前が嫉妬する必要はないんだから、安心しろ。大体、平然と長門の部屋に泊まったりしてるんだから、男として見られてないってことくらい分かるだろ」 「……泊まったんですか?」 「…言ってなかったか? 昨日はハルヒも朝比奈さんも一緒に長門の部屋で布団を並べて寝たんだ」 あれこれしゃべりながら寝るのはなかなか楽しかった。 古泉の話もしたから、くしゃみでもしてないだろうかと案じたのだが、どうやらそういうこともなかったらしい。 「あなたは……本当に、もう…」 疲れたような声を出した古泉が、脱力して、俺の体にもたれかかった。 そうして掛けられる体重も、感じる体温も、心地好い。 「本当に、なんだよ?」 「……本当に、女性の感覚なんですね」 「そうだな。ハルヒたちといる時よりもお前といる時の方が緊張するくらいだし」 「本当ですか?」 「本当だ」 俺がそう答えると、古泉は呆れたような安堵するようなため息を吐いた。 吐息が首筋から胸元に掛かり、くすぐったい。 「……ずっと、考えていたんです。あなたをどこまで女性扱いしていいのかと。あなたはどうしてもご自分を過小評価する傾向が強いのか、僕があなた自身を好きなのだといくら告げてもなかなか信じてくださらなかったでしょう? もしも僕に合わせるために女装という方法を選んだのだとしたらどうしようかと思いもしたんです。でも、そうじゃないんですよね? あなたは本当に、女装が楽しくて、女性扱いされても不快にはならないんですね?」 「ああ」 そりゃあ、男扱いが嫌だとまでは言わないが、女装している時くらいは、完全に女扱いされてもいいくらいだ。 むしろ、そっちの方が嬉しいな。 「それなら、」 と古泉は笑いながら俺の向きをくるりと反転させ、俺と向き合うと、 「今日は是非、あなたのために何か買わせてください」 「え…」 「彼女に洋服を贈ったりすることは、彼氏として当然のことだとは思いませんか?」 にっこりと爽やかに微笑んだ古泉に、俺は顔を赤らめ、 「…いいのか? 今、欲しいものが多くて困ってるくらいだから、滅茶苦茶散財させるかも知れないぞ?」 「大丈夫ですよ。機関は給料もなかなか弾んでくれてましてね、特に前線で戦う僕らは待遇がいいんですよ。ですから、お金だけはあるんですけど、僕はどうやら物欲の薄いたちのようでして、貯金するばかりでつまらなかったんです。あなたのために稼いでいるのだと思えば、仕事も楽しくなりそうですし、今日は僕が満足するだけ、プレゼントさせてください」 言葉一つとっても俺が気に病まないようにしてくれる古泉の気遣いが嬉しくて、俺は笑って頷いた。 |