ハマった人とオチた人



それは、いつものように唐突に始まった。
俺が部室でいつものように暇をつぶしていると、
「キョンって、化粧映えしそうな顔してるわよね」
と不意にハルヒが言い出したのだ。
部室に居合わせたのは朝比奈さんと長門のふたりで、朝比奈さんはきょとんとした顔でハルヒを見つめ、長門は黙々と読書を続けていた。
古泉は私用で遅れるとか言っていたが、ハルヒがこんなことを言い出すなら無理矢理にでも来させるべきだったかも知れん。
もっとも、あのイエスマンな時間空間限定超能力者がいたところで、どれほど役に立ったかは分からんが。
俺は早くも曇天を背負わされたような気分になりながら、ハルヒに向かって言った。
「…俺が何だって?」
「化粧映えしそうな顔してるって言ってんの。あんたみたいなあっさりした顔って、お化粧したら凄く変わるのよねー」
「まさかとは思うが、」
俺はハルヒを睨みながら言った。
「俺に化粧をしたいとか言うんじゃないだろうな?」
「そうよ」
「却下だ」
「なんでよ。今時男でもお化粧したりするじゃない」
「ああそうかもな。そんな普通のことはやっても詰まらんだろ。だから止めろ」
「嫌よ」
ハルヒは、何もこんな時に使わなくてもと思うようなイイ笑顔でそう言い、
「有希、みくるちゃん、キョンを押さえててちょうだい」
と団長命令を下した。
「ご、ごめんなさぁい」
と謝る朝比奈さんに俺が抵抗できるはずがなく、ましてや、痛まないギリギリの強さで拘束してくる長門には勝てるはずもない。
…物理的な意味で。
あれよあれよと言う間に俺は椅子に縛り付けられちまった。
ロープなんていつの間に部室に持ち込んでたんだ。
「さぁキョン! 覚悟しなさい!」
いつ以来だと聞きたくなるようなキラキラした顔で言い放ったハルヒが、いつもならボードゲームが広げられている長机の上に化粧道具を並べる。
さっきのは思いつきを口にしただけじゃなかったのか?
用意周到にもほどがある。
暴れて抵抗するということが出来ない俺は、
「何で俺なんだ! 化粧なら朝比奈さんにでも長門にでもすればいいだろう!?」
とささやかながら、口での抵抗を試みた。
「あんた、分かってないわね」
ハルヒは手を止めると、俺を見て言った。
「みくるちゃんは元が可愛いんだから、あんまり塗らない方がいいの。有希も同じね。でも、それじゃお化粧をする前と後とであんまり変わらないでしょ。せっかくお化粧するのにそれじゃつまんないじゃない。だから、あんたにするのよ」
それは遠回しな厚塗り宣言か。
本気で勘弁してくれ。
椅子が倒れても構わん、と無理矢理暴れようとしたのだが、長門は絶妙に縛り上げてくれたらしい。
くそ、ろくに動くことも出来ん。
「じゃあ有希、キョンが動かないようにしっかり頭押さえててね。キョン、あんたも動こうとするんじゃないわよ。もし万が一動いたりして失敗したら、もう一回最初からやり直してやるんだから!」
ハルヒ、その心配は無用だ。
長門の拘束を外せるはずがないからな。
かくして俺は、ハルヒのおもちゃにされちまったのだった。

「ふわぁ…キョンくん、本当に綺麗です…」
感心しきったような声で言ったのは朝比奈さん。
「……とてもよく似合っている」
ぽつりと、しかしはっきりとそう告げたのは長門。
「予想以上だわ…」
と呟いたきり絶句したのはハルヒだ。
俺はやっとロープを解かれたので、拘束されたせいでがちがちになっていた体を解そうとしていた。
どんな出来映えなんだか、考えるだけで恐ろしいね。
よって見ないでおこう。
「もう満足だろ。どうやって落とせばいいんだ? これ」
「待ちなさいよ。人がせっかくお化粧してあげたのにもう落とすつもりなの?」
してあげたとか、押し付けがましい言い方をするんじゃない。
正確に言うなら、俺の方こそ、お前に化粧をさせてやったんだ。
「とにかく、せめて古泉くんが来るまでそのままにしてなさい。団長命令よ」
本気でげんなりしてきた俺が、思わず顔を顰めると、
「こーら! そんな間抜け面にしないでよ!」
と怒鳴られた。
「お前は俺に一体どうしろと言いたいんだ」
「変な顔をするんじゃないって言ってるのよ。勿体無いでしょ」
「……そこまで言うほどの面じゃないだろ」
呆れながら言った俺に、
「あんたが思ってるより百倍は綺麗よ」
「嘘吐け」
「嘘言ってどうすんのよ。…ほら」
ハルヒはカバンの中から小さな手鏡を引っ張り出すと、俺に向かって突き出した。
……信じられないことに、鏡には、ちょっと見ないような美人が映っていた。
ファンデーションをかなり厚く塗られたはずなのだが、肌の色は極自然で、どうやら肌の違いを覆い隠すように作用しているらしい。
アイシャドーの効果なのか、目がいつもよりでかく見える。
唇の色は清潔感のあるピンクなのだが、グロスの効果なのか妙に艶があった。
俺の、
「そこまでするのか!?」
という叫びを無視して抜かれた眉毛よ、すまん。
正直、今の方がよっぽどいい。
だが、これは本当に俺なのか?
鏡に写真が貼ってあるというオチじゃないかと、鏡に映った人物が、俺と同じように動くかどうかまで、確かめてしまった。
「どう? 凄いでしょ」
誇らしげに言ったハルヒに返す言葉もない。
ただただ驚いた。
女子高生の分際でどうしてここまでメイク技術を持ち合わせているのか聞きたい気分だ。
水仙に変わっちまう前に、とハルヒに鏡を返した俺はため息を吐いた。
「……凄いな」
「でしょう?」
とハルヒが胸を張った時だった。
コンコン、とドアをノックする音が響いたのは。
「どーぞっ!」
上機嫌にハルヒが応じると、返ってきた声は案の定、
「失礼します」
という古泉のものだった。
ドアを開けた古泉が、動きを止めたのは俺と目があったせいだろうか。
それとも、俺のこの醜態と言うには少しばかり――いや結構、というかかなり――勿体無い姿に驚いたせいだろうか。
……その両方か。
「え」
と絶句した古泉の反応に、ハルヒはまさにご満悦で、
「どう? 古泉くん。綺麗でしょ」
古泉はハルヒに声を掛けられたことで慌てて態度を取繕いながら、視線をハルヒに移した。
「え、ええ、そうですね。…今日は何かイベントでも思いつかれたんですか?」
「違うわよ。面白そうだったからやってみただけ」
「はぁ…」
おいおい、間の抜けた返事だな。
大丈夫なのか?
軽く首を捻っていると、古泉が様子をうかがうように俺を見た。
だが、俺と目が合うとぱっと顔を背ける。
頬の辺りが赤くなっているように見えるのは目の錯覚だろうか。
そんな反応は古泉らしくないもので、俺は段々と面白くなってきた。
「古泉」
そう呼ぶと、
「はい」
反射的に振り返った古泉だったが、居心地悪そうに視線をさ迷わせる。
俺はにやりと人の悪い笑みを浮かべながら、
「お前、少しおかしいぞ? 調子でも悪いのか?」
違うと分かっていながらそう言った。
「いえ、そんなことは…ないのですが……」
どうしても目を合わせられないと言わんばかりに目線を伏せた古泉が、しどろもどろになりながらそれだけを言った。
自慢の舌も回らないらしい。
「顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
俺は椅子から立ち上がると、逃げようとした古泉の襟を掴んで引き寄せ、額に触れる。
「熱は……ないな」
あったらびっくりだが。
「……っ、す、すみません涼宮さん、急用を思い出しました!」
そんなことを言いながら古泉は真っ赤な顔で部室を飛び出して行った。
面白い。
笑えるくらい面白いぞ、古泉。
ハルヒは俺に負けないくらい悪辣な笑みを浮かべ、
「あんた、意外な才能があったのね」
「なんだそりゃ」
「とぼけないでよ。古泉くんを手玉に取っちゃって……。可哀相な古泉くん」
そう思うならその笑いを少しくらい引っ込めてやれよ。
「無理ね。面白かったもん」
でも、とハルヒは複雑な表情を見せた。
面白がっているような、残念がるような、どっちつかずの表情だ。
「あんた、本当に綺麗だもん。古泉くんじゃなくても、他の男だってきっと見惚れるわよ」
「それはないだろう」
古泉がおかしいだけだ。
「まだそんなこと言ってるの?」
呆れるように言ったハルヒは、次の瞬間にはその笑みを上機嫌なものに変え、
「じゃあ、試してみるわよ」
と言った。

翌日は土曜日で、ハルヒが久々に設定した市内パトロールの日でもあった。
しかし、今日の主題は不思議探しではなく、実験なのだ。
げんなりしながら、俺がいつもの休日よりより早めの朝食を取っている時に、玄関でチャイムが鳴った。
お袋が出ようとするのを止めてドアを開けると、案の定、ハルヒがスーツケースを持って立っていた。
「おはよ、キョン。お邪魔するわよ」
「…ああ」
だめだって言っても上がるんだろう。
それくらいでやめるなら、昨日俺が散々抵抗した段階でやめたはずだからな。
「まだ飯食ってる途中なんだが」
「いいわよ。あたしはあんたの部屋で色々と準備してるから」
にんまりと笑ったハルヒに背筋が凍る。
小さめのとはいえスーツケースまで用意してきて…一体どんなもんを持ってきやがったんだろうな。
ハルヒを部屋にひとりで放っておくのも心配なので、手早く飯を食い、部屋に入ると、ベッドの上に服が広げられ、机の上には化粧道具が並べてあった。
「さあ、覚悟はいいわね?」
嫌だと言ってやめてくれるのだとしたら、数年前の妹の如く力いっぱい駄々を捏ねてやったっていいんだが。
「うるさいわよ。ぶつぶつ言ってる暇があったらさっさと座りなさい」
やっぱり聞きやしねぇんだよな。
ため息を吐きながら、ハルヒに引っ張られるままにベッドに座る。
広げられた服に目を走らせたが、いたってまともらしい。
黒いズボンとジャケット、それから白いハイネックのシャツくらいだ。
「いきなりスカートは嫌でしょ? 胸も、本当は作りたかったんだけど、今日の実験には合わないし、抵抗されても困るからナシにしたのよ」
それだけ配慮が出来るならもっと前の段階でしてもらいたいね。
「とか何とか言っちゃってるけど、――本当は、結構面白がってるでしょ?」
……ばれたか。
昨日の古泉の反応が面白すぎたのが悪い。
「確かに、あれは面白かったわね」
けらけら笑いながらハルヒは俺に着替えるよう指示をして部屋を出て行った。
仕方なく、俺は女物のそれに袖を通す。
女物と言ったところで、大して違いはない。
男だって着る奴はいるだろうという程度のコーディネートだ。
もっとも、俺が着るようなタイプの服ではないんだが。
「着替えたぞ」
廊下に顔を出すと、ハルヒがいそいそと戻ってきた。
「やっぱりその状態だと男にしか見えないわよね。比較用に写真撮ってもいい?」
「却下だ」
「けち」
言いながらも引き下がる程度には、ハルヒも考えてくれているらしい。
ハルヒは俺をもう一度ベッドに座らせると、俺に化粧を施し始め、俺は黙り込んだ。
刷毛やパフが肌に触れるのがくすぐったい。
化粧品独特の甘ったるい匂いも、むず痒く思える。
それでも、何でだろうな。
…楽しい、なんて思っちまった。
それは女装すること自体よりも、古泉をのけ者にしてハルヒとふざけているということが楽しいんだろう。
いつもなら、何か妙なことが起こった時、のけ者にされるのは古泉ではなくハルヒだったからな。
「楽しいか?」
俺が聞くと、ハルヒは逆転ホームランを決めたバッターみたいないい笑顔で、
「言うまでもないわね」
と答えた。
それなら、少しくらいおもちゃにされたところで構わんさ。
少しして、
「出来た!」
とハルヒが歓声を上げ、俺は閉じていた目を開けた。
渡された手鏡を覗き込むと、この前より数段気合の入った化粧が施されていた。
よくやるぜ、全く。
「後は、安物だけど、これ」
ハルヒがそう言いながら俺の首に、黒真珠を模した大きめのネックレスをかけた。
重くはないが違和感がある。
「それじゃ、そろそろ時間だし、行くわよ」
言い放ったハルヒは、ちゃっかり用意してきていたらしい黒のショルダーバッグに俺の荷物をまとめさせると、俺を連れて家を出た。
お袋に見られるんじゃないかとか、近所のおばさんに見咎められるんじゃないかとかいう心配も出来ないほど、素早く。
おかげで玄関先で躊躇うということもなく、怖気づくことすらなく、表に出ちまった。
こうなったら堂々と歩くのが一番マシな対応だろう。
「もう少し胸を張って真っ直ぐ歩きなさいよ。だらだら歩いてるとみっともないわよ」
隣りからの突っ込みに、げんなりと肩を落とすことも許されない。
「少し思ったんだが」
「何よ」
「この格好は張り切り過ぎじゃないか?」
このまま高級レストランにでも突っ込めそうな格好に思えるんだが。
「そうね。もう少しラフな格好でもよかったかも。でも、それが一番丁度よかったんだから、別にいいでしょ」
そうかい。
これ以上何を言っても無駄だろう、と俺が諦めたところで、
「それよりキョン、分かってるわよね?」
「ああ」
こんな格好をしている理由やなんかについては特に言及せず、いつも通りに振舞えって言うんだろ。
古泉は機関を通じてハルヒが何をしているのか既に知っている可能性もあるが。
……と俺は思っていたのだが、どうやら古泉は本気で何も知らなかったらしい。
駅前の待ち合わせ場所に、ハルヒと連れ立って現れた俺を見て、遠目にも分かるくらい驚いていた。
大きく目を見開いた古泉の反応に、ハルヒが楽しげに笑う。
「おっはよう、有希、みくるちゃん、古泉くん」
いつものように駆け寄るハルヒに、長門が頷き返し、朝比奈さんが挨拶を返す。
ふたりとも、昨日ハルヒに指示されたことを愚直に守るつもりらしい。
つまり、俺がこんな格好をしていることについて、何も言わず、反応もしないようにしたということだ。
反応しないという意味では長門の右に出る奴がいるはずもないが、朝比奈さんもなかなかうまかった。
少しばかり同情的な眼差しを俺によこしただけで、
「おはよう、キョンくん」
といつも通りに柔らかな笑みを浮かべて言った。
「おはようございます、朝比奈さん。長門も、おはよう」
長門が頷く。
「古泉は何ぼーっとしてんだ?」
理由は分かっているが、あえてそう言ってやると、古泉が慌てて、
「い、いえ、その…」
「まあいい。それよりハルヒ、今日はどうするんだ?」
「とりあえず、喫茶店に入りましょ。今日は余計に歩いちゃったから、のどが渇いたわ。お茶代は勿論――」
はいはい、俺持ちなんだろ。
そうして入った喫茶店は、いつもの店じゃなかった。
いつもの店では俺の顔が割れてるからということらしい。
なにやら聞きたそうにしている古泉を軽くスルーしながら、6人掛けのテーブルに、俺、ハルヒ、朝比奈さんが並び、向かい側に長門と古泉が座った。
店に入った時から視線を感じたが、窓際に座らされたせいで外からも余計に見られている。
まあ、目立つだろうな。
制服姿の長門はともかく、朝比奈さんもハルヒも古泉も、割とカジュアルな格好だっていうのに、俺ひとりこんな格好で、しかも一人だけ化粧をばっちりしてるって、どんな取り合わせだ。
ため息を吐きながら、コーヒーを一口すすった。
白いカップに口紅の痕が残る。
それが面映ゆく、指先で拭うと、ハルヒが隣りからチェックを入れた。
「指が汚れるでしょ。拭きたいんだったらハンカチかナプキンで拭きなさい」
面倒だな。
軽く顔を顰めると、何故かハルヒが笑った。
一体なんだ。
「別に。あんた、そうやって不貞腐れた顔しても綺麗に見えるから、面白いと思ったのよ」
自分じゃ分からんものを指摘されてもな。
「あんただって、自分で綺麗だと思わないの?
それ以上に、
「古泉の視線が鬱陶しいと思う」
目を向けると目を逸らすくせに、目を合わせないようにしてやると注視してくるのはなんでだ。
「す、すみません」
慌てて謝った古泉に、ハルヒがにやにや笑いながら、
「古泉くんは悪くないわよ。キョンが綺麗過ぎるのがいけないの」
とフォローなのか何なのかよく分からんことを言った。
「古泉もそんなこと思ってんのか?」
「え」
どういうわけか古泉は微笑みの仮面をつけることさえ忘れちまったような顔で、間抜けにもそう声を上げた。
「俺が悪いと思うのか?」
不貞腐れた時のハルヒを参考に、軽く唇を尖らせてそう言うと、
「そ、そんなことはありませんけど…」
ぶんぶん首を振らないのがかえっておかしく思えるような調子で否定を寄越した。
「けど?」
テーブルの上へ身を乗り出すようにして顔を近づけてやると、仰け反るようにして古泉が逃げた。
「あ、あの、…顔が近い、ですよ?」
「今更だな」
顔を近づける人間と近づけられる人間がいつもと逆だが、だからと言ってどうという違いもないだろう。
少なくとも俺の感覚としてはいつもと変わらん。
うろたえる古泉が面白いという他は。
「そのくらいにしてあげなさい」
笑いながら言ったのはハルヒだった。
「あんまりからかったら可哀相でしょ」
お前が言うのか、と呆れつつ、俺は椅子に座りなおした。
その後は、いつも通りだ。
ハルヒがつまようじにボールペンで印をつけ、組み分けをする。
結果として、俺と朝比奈さんと長門、ハルヒと古泉、という組み合わせになったのは、なんなんだろうな。
どことなく、恣意的なものを感じる組み合わせだ。
ハルヒの無意識のせなせるわざなのか、それとも長門がいつだったかのようにわざとこうしたのか。
まあ、今の自分の格好を忘れてしまえば、両手に花状態という大変ありがたく、かつ喜ばしい状況にひたれるのだから、深く詮索はせず、この幸福な運命を甘受しよう。
喫茶店を出ることにして、俺が伝票を取ろうとしたところで、コンマ数秒の僅差で古泉がそれを掠め取った。
「古泉?」
「ここは僕が支払いますから」
おいおい、お前、そこまで俺の外見の変化に振り回されて大丈夫か?
中身はいつも通りの俺だって分かってんだろ。
「いつも通りにしては、あなたらしくないと思いますよ」
古泉は悲劇の主人公のように嘆かわしげな表情でため息を吐いた。
端正な顔には貼り付けたような笑みよりもそっちの方がよっぽど似合う。
「お願いですから、あまり僕をからかわないでください。このままだと何かとんでもない失態を涼宮さんにお見せして、上から大目玉を喰らいそうなんです」
そうだろうな。
で、からかうのをやめる代償が、ここの茶代か。
「…それだけというわけでもありませんけどね」
何?
「とにかく、ここは僕が支払います。あなたは涼宮さんたちと一緒に、先に店を出ていてください」
おごってくれると言うならありがたく受け入れるとしよう。
俺の財布もいつもいつも吐き出させられるばかりじゃ哀れだしな。
…古泉のおごりになるんだったら、もう少しいいものを頼めばよかったか。
などと思いながら俺が店を出ると、
「あれ? 古泉くんは?」
とハルヒに聞かれた。
「まだレジだ」
「あんた古泉くんに払わせてんの?」
「あいつが払うって聞かないんだからしょうがないだろ」
「ふぅん…」
なにやら意味ありげにハルヒが呟いた。
面白がるべきか、それとも非難すべきかと悩むような、曖昧な表情で。
どうかしたのか、と俺が聞くより早く、
「お待たせしました」
と言いながら古泉が出てきた。
するとハルヒはぱっといつも通りの明るい表情になって、
「古泉くん、お茶くらいキョンにおごらせればいいのに」
「すみません。でも、いつも彼におごっていただいてますから、たまにはと思いまして」
申し訳なさそうではあるが、それでも微笑みに分類されるであろう表情を浮かべて言った古泉に、ハルヒは悪戯っぽく、
「本当にそれだけ?」
と追及したが、古泉は曖昧に笑っただけだった。
否定も肯定もせずに。
どこか釈然としないものを抱えたまま、俺たちはくじ引き通りに分かれて歩きだした。
俺の左に長門、長門の更に左手側に朝比奈さんがいらっしゃる。
手を繋いだりはしていないのだが、なんとなく並び方がおかしい気がした。
長門が満足げに、
「…両手に花……」
と呟いていたところからして、くじ引きに何かやらかしたのは長門なのかもしれないと思った。
くじ引きに、誰かが何かをしたと仮定しての話ではあるが。
「今日はどうしましょうか」
俺が聞くと、朝比奈さんは困ったように、
「えっと、今日は何をしてもいいんですよね? 涼宮さんも、今日は不思議を探すんじゃなくて、キョンくんにその格好で街を歩かせたいって言ってましたし」
だから多分、あいつは古泉を連れて、どこかから俺たちの様子を見てるんだろうな。
そんなに楽しいことかね。
服装にしても化粧にしても、時間が経てば違和感もなくなって、特に気にならなくなる。
鏡やガラスに映りこんだ姿さえ見なければ、俺としてはいつも通りみたいなもんだ。
ただひとつ違っていることがあるとすれば、妙に視線を向けられることだが、それくらいのことなら、朝比奈さんや長門と一緒に歩いていればないわけではない。
「でも多分、」
穏やかながらも笑いを含んだ声で、朝比奈さんが言った。
「今日、こうやって見られるのは、キョンくんが綺麗だからだと思いますよ」
「悪目立ちしてるだけですよ。この辺りは、こんなフォーマルっぽい格好でぶらつくような場所じゃありませんから」
「ううん、そのせいだけじゃないと思います」
意外にも強い口調でそう言った朝比奈さんは、何かいいことを思いついたように手を打ち合わせ、
「あ」
と呟いた。
「どうかしましたか?」
「あたし、お洋服を見に行きたいです。行ってもいいですか?」
「俺は構いませんよ。…長門はどうだ?」
長門が静かに頷き、俺たちは朝比奈さんの案内で進路を決めた。
そうして連れていかれたのは、朝比奈さんのイメージからするとなかなか懸け離れた店だった。
モノトーンの斬新ですっきりした内装の店は、ディスプレイされた商品も同様のイメージを与える。
「あたし、こういうお洋服も好きなんです。でも、あたしじゃどうしたって似合わないでしょう?」
「似合わないということもないとは思いますけど、確かに朝比奈さんとはイメージが少し違いますね」
俺が言うと、朝比奈さんは、
「ありがと」
と小さく笑って、
「いつもお店の外から見てるだけだったんです。あたしが一人で入ったらいけないような気がしちゃって。でも、キョンくんなら似合いそうだと思って。一人でも似合いそうな人がいてくれたら、一緒に入りやすいでしょ?」
それが、俺を連れてきた理由であるらしい。
似合いそうと言うのは褒めてくださっているのだろう。
だが、この店の商品が全て女物であることを考えると、なんとも言いがたい。
俺は言葉を濁しながら、朝比奈さんについて回った。
長門は時々足を止めながら、興味深げに服を見つめている。
これで長門が多少は服装に興味を持ってくれるといいのだが、と俺が兄のような心持ちで考えていると、長門が一着の服を指差して言った。
「…試着して」
「……なんだって?」
「これを着て欲しい」
言い方を変えても内容は同じだ。
ちなみに長門が示したのは長袖シャツを思いっきり長くしたような白いワンピースだ。
今俺が着ている服と比べて、あからさまに女物だ。
流石にこれは、と渋る俺に、
「……その上からでいい」
と長門が譲歩した。
……というかそれは譲歩なのか?
「あたしも見てみたいです」
朝比奈さんも、どうせなら止めてください。
しかしながら、俺がこのふたりの頼みを断れるなどということがあろうはずもなく、俺は仕方なくジャケットを脱ぎ、その代わりにそのワンピースを着た。
着たというより、被ったという表現の方が相応しいかもしれない。
膝までの長さがあるそれは、下にズボンをはいたままだから特にスカートとして意識することはないのだが、ゆったりと作られた、まるで振袖か何かのような袖が不思議な感じだった。
「素敵です!」
朝比奈さんが邪気の欠片もない天使のような笑みでそう言い、長門も淡々とながら、
「…よく似合う」
と言ったが、これは喜ぶべきなのか嘆くべきなのか、それさえもはやよく分からなくなってくる。
店員まで一緒になって、
「大変よくお似合いですよ」
と褒めて来るんだが、俺が男だと本気で気付いてないんだろうか。
俺はもごもごと適当にごまかしながらワンピースを元に戻し、まだ物足りなさそうな朝比奈さんと長門をつれて店を出た。
あれ以上居座って、買わざるを得ない状況になることだけは避けたかったのだ。
万が一にも買ってしまったら、もう後戻りができなくなることだけは間違いない。
「今度はどこに行こうか」
気を抜くと挙動不審になりそうな精神状態を誤魔化すように、長門にそう聞いた時だった。
「お姉さんたち暇?」
と聞き覚えのない声が掛けられたのは。
まさかそれが自分たちに向かって放たれたものだとは思わず、そのまま行き過ぎようとしたところへ、
「シカトしなくてもいいんじゃねぇの?」
とかいう言葉と共に、肩に手を掛けられた。
驚いて振り向くと、同年代らしい野郎がふたり立っていた。
それも、出来ればお近づきになりたくないようなタイプだ。
俺は思わず眉を寄せながら、
「まさかとは思うが俺に言ってるのか?」
と問い返した。
念のため言っておくが、俺は別に声を作ったりはせず、普段通りに、つまりは明らかに男の声で喋った。
だが、そいつらは少しも気にしなかったらしい。
「そう。お姉さんたち、せっかくの土曜だってのに女の子だけで過ごさなくてもいいんじゃないの? 俺たちと一緒にカラオケでも行こうぜ」
へらへらと笑いながら、ひとりが手を伸ばした。
一口にへらへらと言っても、古泉の笑いとは違う、妙に気の抜けた、そのくせ危険な匂いのする笑みに、俺は警戒心を余計に強めながら、その手が朝比奈さんの腕を掴む前に叩き落した。
「やめろ」
「お姉さん怖いなぁ」
誰がお姉さんだこの野郎。
だが、ここで男だと暴露して、オカマだと騒がれるのも面倒だろう。
俺は無理矢理話を打ち切ってこの場を離れようと、
「とにかく、お前らと一緒に行ったりはしない。悪いが、」
他を当たってくれ、と俺が言うより早く、
「間に合ってますから」
と耳慣れた声がした。
見れば、古泉がそいつらの腕を掴み上げていた。
「古泉…」
驚く俺には何も言わず、古泉はいつもながらのにこやかな表情のまま、ただし明らかに怒った様子で、
「これ以上付きまとうようでしたら、警察に突き出してさしあげますけど、それでよろしいですか?」
などと言っている。
傍目には腕を掴んでいるだけにしか見えないというのに、それだけのことでそいつらは完全に動きを封じられているらしい。
古泉、お前本当に得体が知れないな。
そこへ、駆け寄ってきたハルヒが、
「そんなまどろっこしいことしなくてもいいわよ。今ここで、痛い目見せてあげなさい」
と命じた。
古泉は酷薄な形に唇を歪めながら、
「団長の命令ですので、すみません」
その言葉のひとかけら分ほども悪いと思っていないだろう涼しい表情で、大の男ふたりを痛みに呻かせるなんて、古泉は本当に一体何者なんだ。
超能力者なのは時間空間限定じゃなかったのか?
唖然としている俺を他所に、
「次はありません」
と言いながらそいつらを放り出した古泉が、ため息を吐いて俺を見た。
「全く……どうして助けを求めないんです?」
「別に、必要なかっただろ」
それとも何か。
俺は自分の性別が何であるか、あらためて説明してやらねばならんのか?
「十分危なかったでしょう」
呆れているにしては妙に眉間の皺を増やしながら、古泉は慨嘆した。
「お願いですから、もう少し危機意識を持ってください。ご自分に対する評価が控え目なのは悪いことではないかも知れませんが、そのために状況を見誤っては元も子もないでしょう」
なんだそれは。
というかお前は俺のなんだと言うのだ。
くそ、腹立たしい。
いくら化粧をされて一応女装中とはいえ、男にナンパされた挙句古泉に助けられるなんて事態のおかげで、俺のプライドはいい加減木っ端微塵になりそうだというのに、それに拍車をかけなくてもいいだろう。
どう文句を言ってやろうかと俺が口を開きかけたところで、ハルヒが、
「それでキョン、どうだった?」
と空気を読みもせずに言った。
いや、それともこれは険悪な空気を読み、それを打ち消すためにあえて口にしたのか?
……ないな、ない。
ハルヒに限ってそんなことはないだろう。
「どうって何がだ」
俺が聞き返すと、
「決まってるでしょ。女装して歩いてみて、どうだった? ナンパされた感想でもいいわよ」
ナンパに関しては最悪だとしか言いようがない。
口をきいた時点で男と気付いたっていいだろうに、なんで気がつかなかったんだあの馬鹿共は。
「そうね。どうせならもうちょっとまともなのがよかったとあたしも思ったわ」
まともだろうが何だろうが、ナンパされても嬉しくない。
「じゃあ、女装自体は? 普通に歩いてるだけでも注目されてるって、いくら鈍いあんたでも分かったでしょ?」
そう聞かれて、俺は口ごもった。
なんと答えるべきなんだろうな。
注目されていた――あるいは現在進行形で注目されている――ことはもはや疑いようもない事実であるらしい。
今も、視線を向けてくる人間へ目を向けると、ぱっとそらされるからな。
要するに、見られているということなんだろう。
そうして注目されるくらいには、ハルヒの化粧がうまいと認めてもいいのかも知れない。
更に言うなら、この服装があからさまに女装じゃないのがまた厄介なのだ。
これがスカートだの、何かのコスプレだのといった、分かりやすい女装なら抵抗だってあるだろうに、この服装ときたら、男物と違うのは首に掛けられたネックレスと、ボタンの付き方くらいのものなのだ。
俺はハルヒが痺れを切らすぎりぎりまで思い悩んだ挙句、正直に言った。
「……クセになりそうで困る」
考えても見ろ、俺は本来平々凡々とした人間であり、注目されることなどSOS団での活動を除けばほとんどないのだ。
その俺が、曲がりなりにも好意的な視線を不特定多数から向けられて気持ちいいとうっかり思っちまうことを咎められるなら咎めてみろ。
付け加えると、ハルヒのおかげで出来上がったこの顔が、ナルシシズムな欲目を差っ引いたところで扱き下ろすことが出来ないくらいには、人目を引く出来だということも大きい。
ああ、俺は面食いだとも。
それが自分に対してまで発揮されるとは思ってもみなかったがな。
「別にクセになってもいいんじゃないの?」
面白がっている様子を隠しもしない無責任な笑顔でハルヒは言った。
「買い物くらいなら付き合ってあげるし、化粧の仕方も教えてあげるわよ」
その言葉を即刻却下出来ないと言うことはつまり、やりたいと思っちまってるんだろうな。
おいこらハルヒ、どうしてくれるんだ。
人をアブノーマルな道に引き込まないでくれ。
そんなことを思う反対側では、このまま頷いてしまっていいのかと悩んでいる自分がいる。
脳内人格会議も真っ二つで役に立ちやしねぇ。
そんなわけで黙り込んでいる俺に、朝比奈さんが、
「あたしもお買い物とか付き合います」
と笑顔で名乗りをあげ、長門も、
「付き合う」
と簡潔ながらも明確な意思表示をした。
なんというか、何のかんのと言いながらも、このふたりもハルヒと同じ穴のムジナだったんだな。
それとも、類は友を呼ぶというやつなんだろうか。
呆れて言葉もない俺に代わって口を開いたのは、古泉だった。
「止めてください。朝比奈さんも長門さんも、煽ってどうするんです」
笑みを浮かべる余裕さえなくしたのか、苦虫を噛み潰したような顔で、古泉は言った。
「彼を一体どうしようって言うんです? それに、またさっきのようなことがあったらどうするんですか。近頃は物騒な手合いも多いですし、いつもいつも無事でいられるとは限らないんですよ」
いつもならハルヒの暴走を加速させこそすれ、止めようとすることなどないだろう古泉が、そんな風に真っ向からハルヒに反対するようなことを言うことに驚いていると、矛先が俺にまで向けられた。
「あなたも、否定しなくていいんですか? このまま女装を続けたいわけではないでしょうに。第一、あなたはそういうことを好むような人ではないでしょう」
決め付けるような物言いに、カチンときたのはさっきの腹立たしさがまだどこかでくすぶっていたせいだろう。
冷静に考えれば古泉がそんな風に水を向けたことを利用して、女装などしないとハルヒに言ってしまうのが一番の良策だったはずだ。
だが、感情的になった俺の口から出たのは、
「…とか何とか言いながら、お前も好きなんだろ。俺の女装姿」
という言葉だった。
自分でそう考えるのもどうかと思うのだが、綺麗なものを見て嫌な思いをする奴なんてそういないんだから、という感覚で、俺はそう言ったのだ。
それ以上の意味はない。
だが、古泉は一瞬の間を置いて、真っ赤になった。
それこそ手を叩きたくなるくらい見事に。
「え」
と呟いて絶句したのは俺だ。
なんでそこで赤くなるんだ。
おかしいだろう。
それじゃあまるで――。
「どうやら、」
と笑いを帯びた声で言ったのはハルヒだった。
「ふたりで話し合った方がいいみたいね」
機嫌の悪さなどどこにも見当たらない。
あるのはただ、面白がっているような、からかうような笑みだけだ。
「今日はもう解散! みくるちゃんと有希はあたしと一緒にどこか行きましょ。キョンは古泉くんとじっくり話し合うこと。いいわね!?」
そう言った後、ハルヒは俺たちの返事も聞かず、朝比奈さんと長門を連れてどこかへ行っちまった。
残された俺は呆然としながらまだ赤い顔をしている古泉を見た。
古泉は困惑も露わに俺を見ると、小さく、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「どこか、喫茶店にでも入りましょうか」
という古泉の言葉に従って、近くの喫茶店に入った。
店内には適度な音量で古いフォークソングが流れ、こそこそと話をするには丁度いい店のようだった。
多少コーヒーが温かったが。
「……なあ」
俺から口を開いたのは、古泉がなかなか口をきかなかったせいだ。
どう言えばいいのかと迷うような様子で黙っていた古泉に耐えかねて、俺が会話の口火を切ったというわけだ。
「なんであれだけのことで赤くなったんだ?」
「……あなたが、好きだからですよ」
思ったよりも穏やかに、古泉は答えた。
「好きな人に、いきなりあんな風に言われたら、誰だって慌てるか赤くなるかすると思いますけど」
「俺が好きって……」
それは予想していた答えではあったが、戸惑いは隠せない。
「俺がこんな格好してるせいで、何か勘違いしてるんじゃないのか?」
古泉は静かに首を振り、
「涼宮さんも、僕があなたを意識しているのは、あなたが女装しているせいだとお考えになったようですけれど、少し違うんです。あなたをこんなに意識してしまったきっかけは確かに、あなたがそうして化粧をしたせいです。でもきっと、あなたが今日、いつも通りの姿で現れても、僕の態度は変わらなかったと思いますよ。だから、あなたが今日そんな姿をしてきたことは、かえってよかったのかも知れません」
僕は、と古泉は自嘲するように笑って言った。
「もうずっと、あなたに対して抱いている感情が何なのか、自分でも量りかねていたんです。SOS団の仲間として、あるいは友人として、あなたを好きなんだろうと思いながら、どこか違うとも思っていました。友情や仲間意識にしては、あなたが涼宮さんと一緒にいるところや、長門さんと親しく話をしているところを見るのが辛かったものですから。――昨日のあなたの姿は、あなたを恋愛対象として意識するのに、十分過ぎるほどでしたよ。それくらい綺麗で、心惹かれました。今も、あなたとこうして向かい合わせで座っているだけで、どうしようもなくドキドキしてるんです」
そう告げる古泉に対して、男として嫌悪感を抱いたってよかっただろう。
悪し様に罵ったところで、古泉は黙ってそれを受け入れる気がする。
それなのに、俺が取った行動は自分でもおかしなものだった。
古泉に、確認したのだ。
「…本気で言ってるのか?」
「ええ。…あなたが好きです。あなたがあんな品位の欠片もない人間にナンパされているのを見た時は、本気で頭に血が上りましたよ。涼宮さんがいなければ、もっと酷い目にあわせたでしょうね。あれでも、手首の関節は外してやったんですけど」
空恐ろしい奴だ。
平然とした顔でなんてことを言いやがる。
「僕を好きになってくださいとは言いません。あなたとお付き合いしたいとも、言わないでおきます。あなたはあくまでもノーマルな嗜好の方ですからね。でも、お願いですから、女装も化粧も金輪際止めてください」
お願いします、と頭を下げた古泉から目を逸らしながら、俺は言った。
「……自分でも意外なんだがな、俺はどうやらお前が思っているほどノーマルな人間じゃないらしいぞ」
「…はい?」
らしくもなく、ワンテンポ遅れて返事をした古泉に、不貞腐れたような表情を作って言う。
「ハマりそうなんだ」
「……女装に、ですか」
こっくりと頷きながら窓の外を見る。
さっきのワンピース、値段くらい見てくりゃよかったかな、などと思考を分散させながら、
「だが、ナンパされたりするのはもう嫌なんだ」
「だったら、」
止めてください、と続けようとしたんだろう古泉の言葉を遮り、
「だから、」
聞き返されないよう、大きめの声で言う。
「女装して、街を歩く時は、お前が付き合え」
「……え」
「男連れならナンパなんてされないだろ」
「……あの、それって、どういう…」
「頼むから皆まで言わせるな。察してくれ」
そう言った自分の顔が赤くなってきているのが分かる。
繰り返しになるが、俺はかなりの面食いで、古泉の顔は嫌いじゃないどころかそこそこ好きな部類に入るんだよ。
で、古泉自体も嫌いじゃない。
性格も外見も嫌いじゃないような相手に、明らかに好意を向けられて、それも真摯に思いを伝えられて、全力でお断り出来るような人間には出来てないんだ、俺は。
「…そんな風に言われたら、都合のいいように解釈しますよ? あなたが思っている以上に、僕は身勝手な人間ですからね」
嬉しそうな声でそう言った古泉は、さっきまでとは一転して、明るくにこやかな笑みを湛えていた。
「好きにしろよ」
俺は出来るだけ平然とそう言ったが、果たしてうまく出来ていたのかと問われると、頷ける自信は欠片もない。
古泉は小さく声を上げて笑い、
「涼宮さんに感謝しなくてはなりませんね」
「…ハルヒといえば、大丈夫なのか? お前等の主張を信じると、俺に……あー…交際相手が出来るとまずいみたいな話になってただろ」
「そうですね」
頷いた古泉が笑ったのは、俺の逡巡の理由が恋人だの彼女だのといった言葉を使うのを躊躇ったからだと見抜いたせいだろう。
忌々しい。
「それについては、重要な前提条件があったでしょう? 彼女があなたを好きであるという条件です。これは疑う余地などなく、成立していましたよ。少なくとも、少し前までは確かに」
「どういうことだ?」
「あなたのことですからお気づきでしょうけれど、あなたが朝比奈さんと長門さんと一緒に歩いていた時、僕と涼宮さんはあなた方の後をついて回ってたんですよ。その時、彼女が言っていたんです。『自分より綺麗な彼氏なんて欲しくない』とね」
「……つまり、どういうことだ?」
「彼女はあなたに化粧を施し、女装をさせるという楽しみと引き換えに、確かに抱いていたはずの恋愛感情を失ってしまったんですよ」
目を細めながら、古泉は言った。
「不思議なものですね。彼女があなたに化粧を施すなんてことを思いつかなければ、僕があなたに対して恋愛感情を抱いているということを知覚するにはもっと時間がかかったでしょう。あるいは、一生気付かないままだったかもしれません。逆に彼女は、あなたに対して恋愛感情を抱き続けたはずです。でも今は、まるで僕と彼女の感情が逆転してしまったかのように、彼女はあなたに対して友情を感じ、僕はあなたを恋い慕っている。彼女のちょっとした思い付きだけで、それも、こんな短い期間で、こんなにも変わってしまったんですよ。面白いと思いませんか?」
本気で面白がっているらしい古泉に、俺は半ば呆れながら、その変わってしまったものとやらに、俺の嗜好も加えるよう言ってみるべきかと考え込んだのだった。