公休日



年が明けた第一日目、元旦は吉原の公休日である。
この日ばかりはどの見世も閉められ、女の子たちもゆっくり休める。
しかし、何かにつけて型破りな太夫が好き勝手するうちの見世ではゆっくりというよりもむしろ騒ぐためにあるような日だ。
何しろ、よその女の子や通りすがりの人間までとっ捕まえて座敷に上げて酒を飲ませたり、歌ったり踊ったりの乱痴気騒ぎになるんだからな。
見世の人間は言うまでもない。
当主のくせしてこれを許容し、にこにこしながら見てる国木田も相当のもんだが、調子に乗るハルヒも凄い。
俺はというと、仕事がないってのにこの無礼講のせいであっという間に飲まされ、ひん剥かれ、花魁装束をきっちりと着込まされた。
他の女の子たちが正月だからとある程度きちんとした格好ながらも、普段とは違う装いをしてるってのに、どうして俺はこうなるんだろうか。
おまけに、
「キョンくんお酌して〜」
なんて呼びつけられて、酌をさせられるんだから割に合わない。
しかし、あれこれ世話になったりもしている手前、強く出られず、言われるままになっているというわけだ。
「キョンくんも大変ですね」
とほろ酔い加減のふわふわした声で言ったのは、お針子としてうちで仕立てから繕いまであらゆる縫い物を請負ってくれている、朝比奈さんだ。
彼女もまた、年始の挨拶にと顔を出したところでハルヒに捕まり、酒を飲まされた。
この一年ほどの間に、古泉から届く反物を着物に仕立ててもらったり、繕い物をしてもらったりといつも以上に世話になった俺としては、彼女をもてなすのは当然のことであり、そうであれば他の子がある程度遠慮してくれるのがありがたく、彼女の隣りに落ち着いていた。
「キョンくん人気あるから」
「人気…って言うんですかね………?」
ただ単に面白がられているだけという気もするのだが。
「そんなことありませんよ。キョンくん、とっても綺麗ですし、それに、前よりも明るくなったみたい。…あ、前は暗かったとかそういうことじゃないんですよ? 一時は本当に落ち込んでて心配でしたけど……」
と話している朝比奈さんは既に酔っているんだろう。
言っていることがいまいち分かり辛い。
支離滅裂一歩手前と言うところか。
「朝比奈さんが縫ってくださったものをきちんと着こなせているといいんですけどね」
「大丈夫です。自信持って、ね?」
にこにこ笑って、彼女はさり気なく杯をこちらに向ける。
そこに控え目に、しかも少し薄くした酒を注ぐと、彼女は上機嫌でそれを舐めた。
あまり強くないと分かっているから、こちらも最初の一杯以外はさほど勧めていないのだが、めでたい席というのもあって、飲むことを楽しんでいるのだろう。
年にそう何度もないことだから構わないかと、せめて酔いつぶれないようにと見守りながら少しずつ飲んでいると、
「こーらキョン! あんたも飲みなさい!」
とかなんとか言いながらハルヒに飛びつかれた。
勢いに任せて床に押し倒される、って、
「おい! 酒が零れるだろうが!」
「大丈夫よ。ちゃんと空になってからしたもん」
そういう気の利かせ方が出来るなら、そもそも飛びついたりしないでくれと言いたいのだが、ハルヒに、それも酔っ払ったハルヒにそれを言っても無駄だろう。
思わず嘆息すれば、
「なに新年早々不景気な顔してんのよ」
と文句を言われた。
「ところでキョン、古泉くんは来ないの?」
「来るわけないだろ。正月一日に遊び歩けるような身分じゃないぞあいつは」
あれでも商家の主としてあれこれやらねばならんことがあるに決まっている。
つまりは正月一日なんて大忙しだ。
「当分は来られないんじゃないのか? 年始のあいさつ回りだとか色々あるだろ」
「そ。あんたも寂しくなるわね」
「仕事を放り出して来られるよりはいい」
「…また変な意地張っちゃって……」
とハルヒは笑い、ようやく俺を解放した。
そうして自分も起き上がり、誰が使っていたのかも分からん杯に手を伸ばす。
「ま、あんたがそれでいいなら、あたしは何も言うことはないんだけど」
「…お前の方はどうなんだ?」
「あいつだって、正月は忙しいわよ」
そういう意味で聞いたわけじゃないんだが、それくらいのことはハルヒだって分かっているんだろう。
分かっていてはぐらかされたということはつまり、余計なことは聞かなくてもいいということか。
まあ、ハルヒのことだから、誰かに何か言ってしまいたくなったら、遠慮の欠片もなくあれこれぶちまけてくれるんだろうが。
「あたしって本当に仕事熱心だわ」
不貞腐れた顔でそう言って、ハルヒは杯を空ける。
俺はさり気なくそこに酒を注ぎ足しながら、
「どうした?」
「だって、客が来ないとなると暇なんだもの」
「…ああ、そりゃ仕事熱心だな」
「明日からの仕事が楽しみだわ」
皮肉っぽくもなくそんなことを言ったハルヒは、俺にも酒を勧め、二人して変なところで朴念仁で変なところで調子に乗る相方についてあれこれ愚痴りあうことになった。
普段、古泉と一緒でもなければあまり飲んだりしないのだが、ついつい調子に乗って飲み過ぎたと思った時には遅く、俺はどうやら完全に酔っ払っちまったらしい。
それで、どこかで寝てたとかいうことならまだいいと思うのだが、何がどうなったものか。
はっと我に返ると、俺はハルヒの部屋で正座し、見知らぬ男の頭を膝に乗せてやっていた。
……一体何がどうしてこうなったのか、全く分からん。
というか、こいつは一体誰なんだ。
飲み過ぎてずきずき痛む頭にうんざりしながら、じっと男を見つめる。
年は多分、古泉と同じくらい。
端正な顔には眼鏡が乗っているが、若いのに眼鏡をしているのは珍しい。
大抵、年を取った隠居やなんかが、目が悪くなって掛けるものだとばかり思っていたのだが、そうでもないんだろうか。
男の服装は、一言で言ってしまえば華美なのだが、よく見れば見覚えのある柄の女物で、誰か女の子に借りた女物を恥ずかしげもなくまとっているようだった。
今時珍しく傾いてるということだろうか。
それにしては年が行き過ぎているような気もするが。
しかし、紅でも差せば似合いそうにも見える、綺麗な顔の男だ。
古泉の方がよっぽど美形だと思うが、微妙に方向性が違う。
さて、こいつは誰だろうか。
というか、膝から放り出して逃亡を図ってもいいだろうか。
考えながら、とりあえず起こしてみるかと、
「もし、」
と声を掛けながら揺さぶってみると、
「……う………」
とかすかに声を上げて男が身動ぎし、薄っすらと目を開けた。
少しばかり寝起きが悪いのか、そのまましばらく目を閉じたり開けたりしていたものの、やがて軽く伸びをしたかと思うと、にやりと笑った。
「おはよう」
「……おはようございます」
「…ふむ、お前、酔うと記憶が飛ぶのか?」
いきなり言い当てられ、ぎょっとする俺に、そいつは得意そうに鼻を鳴らした。
「敬語でなくて構わん。そもそも、お前の方からいきなり敬語でなく話しかけて来たんだからな」
「…そりゃ…失礼」
酔っていたにしても酷い、と呆れながらそんなことを呟くと、
「久しぶりに愉快だった」
という感想を寄越した。
「………そうかい」
「…俺が誰か、分かるか?」
分かってないということが分かっていてそういうことを聞いているんだろう。
意地の悪い笑みを見下ろしながら、
「知らん」
とぶっきらぼうに返すと、そいつはますます愉快そうに笑った。
「俺は、」
と言いかけたくせに言葉を途切れさせたそいつは、ただ間を持たせたいという様子ではなく、何かを考えている様子だった。
何を言い出すつもりかと思えば案の定、
「――前に、お前に振られた男だ」
という謎掛けのようなことを口にした。
「はぁ?」
「忘れたか?」
「…忘れたも何も……」
そんな覚えはない、と言い掛けて、ふと思い出したのは、前にあった、別な客を取るかどうかという話だった。
「まさか……」
「…ん? なんだ、覚えていたのか」
忘れていたらもっといじってやろうと思ったのに、となにやら不穏なことを言いながら、男はようやく俺の膝から退いた。
「ようやく会えたな」
そう小さく笑ったそいつは、
「相変わらず、旦那一筋か?」
と挑発するように言ったが、
「ああ、悪いがこれまでもこの先も、あいつ以外の客を取るつもりはない」
「一途なもんだな」
「放っとけ。……そんな奴、つまらんだろ」
「いや、」
とそいつは唇で弧を描き、
「面白い」
「……は?」
「お前の旦那は、確か古泉だったな」
「…そうだが……」
「それなら、その内、旦那同席の上で改めて飲もう。今日はお前はすっかり出来上がってて、飲ませるどころじゃなかったからな」
不敵なことを言ってのけ、そいつは呆然としている俺をおいて部屋を出て行った。
そいつの名前を聞き忘れたことに気がついたのは、それから随分経ってからのことだった。