目を覚まして、間近に古泉の顔があることに安堵した。 疲れたせいか、ぐっすり眠り込んでいるその顔も、どこか幸せそうに見える。 愛しい、と素直に思えた。 何より、そう思う通りに動いていいというのが、嬉しくてならなかった。 俺はそろりと体を起こすと、古泉の唇に自分のそれを近づけ、ちょっと触れられるだけ触れさせた。 くすぐったいとも思いながら、ただそれだけのことが酷く幸せに思える。 「…好きだぞ」 そう囁いてもう一度、触れるだけの口付けを落とす。 そのまま悪戯でもするように古泉の胸元へ指を滑り込ませつつ、何度も唇を触れさせていると、古泉が目を薄く開き、微笑した。 「…おはようございます」 「ん…おはよ……」 ぎゅっと抱きしめられ、深く口づけてくる。 「ぁ……んん…、んっ…!」 ぐっと押し返して、 「起きぬけから何して来るんだ、お前は……」 と文句を言えば、古泉は楽しげに、 「あなたからしたんじゃないですか」 「朝からそこまで深いことはしたくない。…大体、今だって、腰とか結構だるいんだからな」 とふて腐れて見せた俺に、古泉は喉を鳴らした。 おいこら。 「しょうがないじゃないですか。……ずっと我慢してたんですから」 言いながら俺を抱きしめ直し、 「…ねえ、今日は帰りたくないんです。まだ、あなたの側から離れたくない……」 「…それは、居続けをしたいってことか?」 「そうです。……だめ、ですか?」 「…いいや」 と俺は自分から古泉の背に腕を回し、 「お前が言わなかったら、俺から言い出してただろうな」 「なら、」 とまた押し倒そうとしてくる古泉を跳ね退け、 「だからってそうべたべたしてられるか。せめて昼見世までは大人しくしてろ!」 「はい」 案外素直に頷いた古泉は、子供みたいな顔をしていた。 くそ、可愛いんだよお前。 「とりあえず身支度を整えて、飯にでもしないか?」 「そうですね」 よし、と立ち上がろうとしたところで、がくりと腰が砕けた。 「うぁっ…!」 慌てて駆け寄ってきた古泉が俺を支え、 「だ、大丈夫ですか?」 「…くそ……、思ったより足腰に来てるな…」 「……では、あなたはもう少し休んでいてください。僕が取ってきますから」 「…は……?」 って、お前は客だろ。 「僕がお客として普通でないのはいつものことでしょう?」 面白がるように笑った古泉は、俺を布団に寝かせ、 「朝粥とお湯の支度をしましょう」 「ん……」 古泉の立てる物音さえ愛しく思える。 うれしさににまにまと顔を緩めながら、布団の中で丸くなる。 古泉の匂いがする、まだ暖かい布団。 幸せ、と、言っちまっていいんだよな? これをそう言わずして何をそうと呼べというのか。 俺はどうにも締まりのない、それこそハルヒに見られたら呆れ返るばかりか罵倒され、谷口なんかには馬鹿にされた上に不気味がられそうな、そういう顔で古泉の戻るのを待つ。 しばらくかかって、 「ただいま帰りました」 と古泉の声がして、襖の開け閉めの音がした。 そうして、ひょこりと顔を見せた古泉が、 「ただいま帰りましたよ」 と改めて言うから、 「おかえり」 と俺も返す。 「戻った、じゃなくて帰った、なんだな」 くすぐったさを感じながらそう呟けば、 「もちろんです」 と当然のように頷かれた。 「これからは、そう言っていいでしょう?」 そう嬉しそうに言うから、俺もつい、 「お前がそうしたいならすればいいだろ。……そっちの方が、俺も嬉しい、し……」 「ありがとうございます」 にこにこしながら、古泉は朝粥の器を引き寄せ、 「起き上がれますか?」 「ん、大丈夫だろ」 そう応じて、起き上がろうとした俺に、古泉はすかさず手を貸してくれる。 なんとか起き上がり、座り直した俺に、安堵した古泉は、それこそ世話女房みたいな熱心さでもって、粥を吹き冷まし、さじで食わせてくれた。 俺は自分で食えると言ったのだが、聞かなかったのだ。 「あなたとこう出来ることが、とても嬉しいんです。だから、いいでしょう?」 なんて言われて、俺が抗えるはずもなく、子供みたいに食わせてもらう破目になった訳だ。 「お疲れなんですから、ゆっくりしていてください」 という言葉に甘えて、そのままだらだらと過ごす。 古泉は甲斐甲斐しく、片づけをしたり茶の用意をしてくれたりしているが、うちの見世はどうなってるんだ。 いくら常連で、色んな意味で特別扱いだからとはいえ、客がここまで好きに裏方まで入り込んであれこれやってて何も言わないのか。 「声は掛けていただきましたよ?」 と古泉は楽しそうに笑って言った。 「手を貸すとも言っていただきましたが、僕の方で丁重にお断りをさせていただきました」 「そうなのか?」 「ええ。…せっかくあなたと二人きりでいられるばかりか、あなたの世話を焼けるなんて滅多にない機会なんです。誰かを呼ぶようなことなんてしませんよ」 その瞳に宿るどこか獣染みた光に、思いがけないほどの独占欲の強さを感じて、くすぐったくも嬉しくなった。 「お前って、そんなに独占欲強かったんだな」 「……お嫌ですか?」 不安そうに問うのには、はっきりと首を振る。 「いや、自分の鈍さ加減にほとほと呆れてるだけだ」 怪訝そうに古泉が首を傾げるので、俺は苦笑し、ついでに顔も赤く染めながら、 「…今になって思えば、前からそうだったんだなって分かるのに、俺はどうしてもお前が本気で俺を好きでいてくれると思えなくて、お前の独占欲にも気付けなかったんだと思ってな」 「……今は、分かってくださってるんですよね?」 「ん……嬉しくて、泣きそうなくらいだ…」 手を伸ばせば、それだけで察した古泉が俺を抱き締め、口付けてくれる。 夢みたいだ、とさえ言いたくなるが、体のだるさも唇に触れる感触も、夢とは思えないほど鮮明だ。 だからきっと、これが現実なんだ。 「なあ古泉、」 「なんでしょうか?」 「…好きだ」 そう告げると、古泉は驚くような顔をしながら、 「僕も、あなたが好きですよ」 「知ってる」 笑いながらもう一度口づける。 「…ねえ、」 「だめだ」 「なんでですか?」 不満を隠しもしない古泉に、俺は苦笑するしかない。 それだって、自分が思うよりも甘いものになっちまっているに違いない。 「まだ早いだろ。皆寝てるような時間にそんなこと出来るか」 「……じゃあ、お湯を使いませんか?」 「お湯…?」 「ええ。内湯があるでしょう? 特別に僕も使っていいとお許しをいただけたんです」 「…俺だって普段は湯屋に行ってるんだがな」 しかし、この色々と支障のある体の有様と、古泉の相方として有名になっちまっている状況で、恥ずかしげもなく古泉と二人、連れ立って湯屋に行けるような肝の太さは持ち合わせていない。 「せっかくだから、内湯を使うか」 「はい」 嬉しそうに答えた古泉が、いそいそと支度するのはいいが、 「ちょっと待て」 「はい?」 キョトンとした顔でごまかすな。 「まさか、一緒に入るつもりか!?」 「いけませんか? 見世の風呂は広いと聞いたのですが……」 「そりゃ広いがな、だからってお前と二人でとか…」 何をされるか分からん、というよりもむしろ、予想出来過ぎて遠慮したい。 「あなたが嫌なら、大人しくしますよ。一緒に入れなくても構いません。でも、出来ることなら、少しの間もあなたと一緒にいたいんです」 「…だが……」 まだ渋る俺に、古泉は優しく、 「それに、まだ具合が悪いんでしょう? 心配なので付き添わせてください」 と言うが、 「正直、信用ならん」 「えっ、な、なんでですか!?」 被害者面して叫ぶな、欝陶しい。 「当然だろうが。昨日の己の所業を思い出せ」 と睨めば、古泉は首を傾げて、 「何かしましたっけ?」 「お前なぁっ……!」 「え、ちょ、ちょっと待ってください、今考えてますから……」 「だからっ、」 「その、何をしたかは全部事細かに覚えてますよ!? それこそ、あなたがどんな反応をしてくださったかまで、はっきりと覚えていますとも。ただ、どれがそんなに嫌がられたのかが、分からなくて……。だってあなた、どれも本気じゃ嫌がってなかったじゃないですか!」 「なっ、ば…っ、あほ!」 羞恥のあまり顔が真っ赤になる。 「そう、でしょう?」 と聞いてくる古泉が不安げでなければ、思う様罵り、叩きのめしてやるところなのだが、そうするにはあまりにも弱気で、しかも、 「本当に、嫌でしたか? そうだったなら、何が嫌だったのか、教えてくださいませんか? あなたが嫌がることならしたくないんです」 と明らかに本気だと分かる真摯な口調で言われ、返答を求めて見つめられ、俺の顔は余計に赤くなる。 「ねえ…」 「こ、答えられるか、そんなもん…っ!」 真っ赤になって顔を背ける俺に古泉は、 「お願いします」 と頭を下げる。 「嫌だったんですよね…? でも、僕にはどれがそうか分からないんです。……またあなたの嫌がることを繰り返してしまったら、そうして、あなたに嫌われてしまったらと、思うと…、気が気でなくて……」 「…ゃ、じゃ、ない……から……」 死にそうになりながら、そう小さな声で言ったら、 「でも、」 と食い下がられる。 「…っ、だから、嫌いになるほど嫌じゃない。た、ただ、お前、後始末とか言って、…中、したり、しただろ。あれが恥かしかったし、その理屈でまたやりかねんだろ!? だから、一緒に入るのは……」 まくし立てるように言ったところで、古泉に抱き締められた。 「お、おい……?」 「すみません、つい……」 そう嬉しそうに呟いて、ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる。 「…あなたに嫌われたりしたのでなくてよかったです。僕が思いあがっていたのでなかったことも、嬉しいです」 「……そうかい」 くすぐったい、と思いながらも、嬉しくないわけじゃないから抵抗はしないでいたら、 「…ねえ、余計なことはしません。ちゃんと我慢しますから、一緒にお湯を使わせてもらいませんか?」 と囁かれる。 それについ、頷いてしまう程度には、骨抜きにされちまっているんだろうな。 せめて、と俺は眉を寄せ、 「本当に、余計なことはするなよ?」 「はいっ」 子供みたいな返事をした古泉が俺の唇に口付ける。 ……本当に大丈夫なんだろうな? |