お馴染みの客



通い始めて三回目から馴染みになる、とはいえ、本当に馴染みとしてせっせと通ってくるような客となるとやはり限られる。
そうするだけの財力と時間が必要だからだ。
そうして、財力がある奴は時間がなく、時間のある奴は大抵財力がない。
よって、本当に頻繁に通ってくる客は、よっぽど体力があるか、よっぽど優秀な番頭なんかがいる店の主とかだとか、そうでもなければ隠居だとか跡取りのボンボンだとかそういうものに限られる。
「お前はどれだ?」
と俺が言うと、古泉は気を悪くした様子もなく、むしろ面白がるように笑った。
「そうですね、優秀な番頭のいる店の主とボンボンの中間くらいかと」
なるほど。
それで三日とあけずに通ってこられるわけか。
しかもその三日と言うのも、俺が文句を言うからあけてるという匂いがぷんぷんなんだが、気のせいか?
「やはり分かりますか」
悪びれもせずに古泉は答えた。
「通おうと思えば毎日だって通えると思うんですけどね。…でも、僕がそうしたら、あなたは怒るんでしょう?」
「当たり前だ」
そんなことされて堪るか。
「…そんなに、僕と会うのは嫌ですか?」
じっと見つめられて、ぎくりとした。
「…そうじゃ、ない」
「そう言ってるように聞こえますよ? …そりゃあ、あなたは本来見世番で、客の相手なんてするような人ではないのですから、こんなことになって、僕のことを恨んでおられるのかもしれません。それでも、そんな風にされると、切ないものがあります」
そう切々と訴えられて、俺は申し訳なさに似たものを感じてしまいそうになるが、
「恨んではないぞ」
と、これだけは言っておかねばならんだろ。
「本当ですか?」
「ああ。…恨んでどうする。そりゃ、花魁の格好なんてさせられたのは嫌だったが、あれだってやらせたのはお前じゃないし、お前が言ってくれたから、今はちゃんと男物でいいってことになっただろ。それに、お前のおかげで随分楽をさせてもらってるんだ。感謝こそすれ、恨んでなんかない」
「…本当ですか?」
「ああ」
「でも…あなたはもっと、仕事をしていたかったのではありませんか?」
申し訳なさそうに言われて、俺は一瞬躊躇った後、
「まあ、な。雑用とはいえ、動き回ってるのが当然だったから、じっとしてるのは少しばかりなれないが……」
「やっぱり…」
「でもな、」
俺は手を伸ばして、古泉の頭を軽く撫でてやった。
「実はこっそりまだ仕事はさせてもらってるから、気にするな」
「…え?」
「ナイショだけどな」
にやっと笑った俺につられるように、古泉も笑う。
「見世の中で、ですか?」
「おう。それくらいなら、ハルヒも許してくれたからな。せっせと掃除したりしてる。それでも、ほら、手は傷んでないだろ? お前のくれた薬のおかげだ」
そう言って手の平を見せると、古泉はそれをそろりと撫でて確かめておいて、柔らかく微笑み、
「あなたは本当に働きものですね。内助の功も期待できそうです」
「あほか」
全く、凹んだかと思ったらすぐ調子に乗りやがって。
俺は笑いながら古泉の頭を小突き、それからふっと我に返って思った。
「なあ、お前、御内儀はないのか?」
「いませんよ。僕はまだ独り身です。でなければ、こんなに通えませんよ」
ああなるほど。
「じゃあ、お前があまり頻繁に通うのが目に付くようなら、見合いの話でも進めればいいってことか」
「冗談でも勘弁してください」
と古泉は苦笑する。
「まあ、半分くらいは冗談だが、実際どうなんだ? お前もいい年だろ。縁談くらい来るんじゃないか?」
「それは…まあ……」
古泉が言葉を濁らせたということは、実際には相当来ているのだろう。
「断ってんのか?」
「…ええ」
渋い顔だな。
これ以上この話はやめておくか。
そう思いながら、俺が銚子を手に取ったところで、
「あなたに今より更に会えなくなるのは寂しすぎますから」
と切なげに呟かれて、思わず銚子を取り落としそうになった。
「……は?」
驚く俺に、古泉はにこっと笑う。
ああ、冗談か。
そうでなくても、口説いてみて遊んでいるだけなのだろう。
そういう遊びを楽しむ場所だからな、ここは。
「ねえ、お願いですから、せめて二日に一度くらい通わせてくださいよ」
気を抜いたところにそう囁かれて俺は引きつる。
「…何を言い出すんだ、お前は」
「もっとあなたに会いたいんです」
「…会って何をするわけでもないのに、か?」
思わずうつむいてそう呟いた俺に、古泉は笑ったのだろう。
「何かしてほしいってことですか?」
「違うっ!」
変な方向に勘繰るな。
「そう聞こえましたけど……まあ、無理強いするのは好きじゃありませんから」
くすくすと笑って、古泉は杯をこちらに差し向けてくる。
そこに酒を注いで、俺は小さく呟いた。
「道楽が過ぎて、家族や店のもんを苦しめるようなことにはなってくれるなよ?」
「心配してくださるんですか?」
「当たり前だろ」
「…嬉しいものですね」
くすりと笑った古泉は、くっと杯を空けて俺に渡し、逆に俺の手から銚子を取り上げる。
「何が嬉しいって?」
「あなたが心配してくださるのが、ですよ」
「…俺は、お前の心配をしたんじゃなくて、お前の周りの人間の心配をしただけだ。俺と同じく、お前に相当振り回されてるだろうからな」
「そんなこともないと思いますよ。僕の方がよっぽどです」
杯に酒を注ぎながらくっくっと古泉は珍しく喉を鳴らして笑い、
「だからこそ、こうしてあなたに癒してもらいに来るわけですし」
「…どうだか」
「本当ですよ」
「そうかい。だが、」
にやと笑って余計なことを言ったのは、少しくらいやり返してやりたいと思う程度の矜持があったせいだろう。
「休むためだけに来てるなら、これ以上なんて何も要らないな」
「えっ」
…なんだその顔。
「え、いえ……その…」
と口ごもった古泉の顔は赤く、まだ動揺が見て取れる。
そんなに驚くような言葉だったか?
「…それは、勿論驚きますよ」
拗ねた子供のように古泉は言った。
「あなたがそんなことを口にすることにも驚かされましたし、そんな、期待すればいいのか嘆けばいいのか分からないことを言われたら、変な顔にもなります」
「……思ったより初心なんだな」
「初心って…」
驚いた顔をする古泉には、
「そうだろ?」
「……そうですか?」
「何人も女の子を泣かせたって聞いた時にはなんて奴だと思ったが、その理由も俺に言うことも、あれこれ一々初心すぎるだろ。人を好いてみたいなんて、いい年してよく言えるな」
そう言った俺に、古泉は不満げに唇を尖らせて、
「…あなたも、僕と同じくらいの年でしょう? あなたはそう思わないんですか?」
「……思えんな」
と俺は小さくため息を吐く。
「…人を本気で好いたって、いいことがあるとは思えん。この街で本気で好いた相手が出来るってことは、苦しみばかり増えることでしかないからな。……好いた相手が出来て、それで幸せになれた奴なんて、俺は知らん」
「僕なら、」
気がつくと、古泉は驚くほど真っ直ぐに俺を見つめていた。
それこそ、俺の方が尻込みしそうなほどの強い眼差しに、怖いほど真剣な瞳に、体が竦んだようにさえ思えた。
「好いた人を不幸になんてさせません」
そう断言した言葉がいかにも青臭くて、むしろ微笑ましい気持ちになった。
「…そうかい」
「ええ」
「お前を好きになった女の子は不幸なことになっちまったのに?」
「それは……」
顔を青くして口ごもる古泉に、俺は小さく声を立てて笑った。
「悪い、いじめすぎたな」
「…いえ……。僕も申し訳のないことをしたと思っています…」
そうしょげ返った古泉だったが、そっと俺を見つめたかと思うと、
「…ちゃんとしたいと思います」
とよく分からんことを言った。
「ちゃんとって……」
「きちんと考えて、いいようにしたいと思いますから、今はお話し出来ません」
すみません、と謝る古泉に、
「…まあ、しっかりしろよ」
「ええ」
頷いた古泉の笑顔に、俺も少しばかりほっとした。
古泉の「ちゃんとする」というのがどういうことか知ったのは、それから数日後のことだった。
「キョン!」
と俺の部屋にまたずかずかとやってきたハルヒは、えらく上機嫌だった。
「どうした」
「あんたの旦那、やるじゃない」
「旦那って…古泉のことか」
「他にいないでしょ」
これまでボンボンとかなんとか呼んでたくせに、どういう風の吹き回しだ?
にまにましながら俺の隣りに腰を下ろしたハルヒは、
「聞いたわよ。これまで迷惑掛けまくった見世という見世に詫びのために顔を出して、お詫びにお金も置いてったって」
「へぇ……」
なるほど、そういうことか。
「金で解決しようってのがちょっと気に食わないけど、これまでのことからしたらずっといいわ。ようやく面目を施したってところかしらね」
「そうかい」
ハルヒがそれだけ言うならもう許したも同然だろう。
「じゃあ、これからは女の子とか幇間があいつの相手をしてもいいってことだな?」
ほっとするとともに、一抹の寂しさらしきものを感じつつ呟いた俺に、ハルヒはきょとんとした顔で、
「は? なんの話?」
「って、おい!」
許したんじゃなかったのか?
「幇間くらいはいいわよ。鳴り物なんかも許してあげるから、やりたいならぱーっとやったらいいわ。でも、女の子ってのは何よ」
「何って……」
「あんたの旦那でしょ? それとも何? あんたは自分の男に別の女を差し向けるようなことをしたいわけ?」
「いや、だって、俺は女の子が相手を出来ないからその代わりをしてただけなんじゃないのか?」
「……こんっの、あほんだらげ!!」
というのがハルヒの返事だった。
ついでに頭にゲンコツを喰らい悶絶する。
「いってぇだろうが! 何しやがる!」
あまりの痛みに涙目になりながら怒鳴り返せば、
「あんたがあんまりにもアホだからいけないんでしょうが! 古泉くんが誰のためにそんなことをしたと思ってんのよ?」
「はぁ?」
「…まさか、本気でわかんないの?」
「分かるか」
ハルヒは本気で呆れた顔をして、
「……鈍い鈍いとは思ってたけど、ここまでだったなんて…。あんまりにもあんまりだわ…」
「なんだよ」
そうも嘆かれると俺の方が悪いみたいな気分になってくるだろうが。
「あんたが悪いんでしょうが!」
と言っておいて、ハルヒはもう一発俺の頭を叩き、
「今日は古泉くんが来る日なんでしょ?」
「…ああ、まあ、そうだな」
いつも通りなら、だが。
「じゃあ、聞いてみたらいいんじゃない? どうして今更そんなことをしたのかって」
「お前は分かってるんじゃないのか? なのにあいつに聞けって?」
「あたしが教えたんじゃ意味ないでしょ。それに、あんたがどれだけ鈍いのかってことを古泉くんに学習させた方がいいってもんだわ」
そう言ってハルヒは来た時よりも不機嫌な足音を残して出て行った。
…仕事しろ。
その晩、やはりやってきた古泉が、いくらか酒を飲んだところで、俺は話を切り出した。
「これまでに袖にした女の子に詫びをしたってな」
「はい、ちゃんとしなければいけないと思ったものですから」
「ハルヒも見直したって言ってたぞ。それで、今度から、お前がそうしたいなら幇間だとか鳴り物なんかも頼めることになった」
「ああ、それはいいですね。たまには騒ぐのも悪くありませんから」
「よく分からんが、女の子の方はまだだめらしいがな」
「それで結構ですよ。…僕にはあなたがいてくださるんでしょう?」
「……俺でいいのか?」
思わず眉を寄せた俺に、
「あなたでなければ嫌です」
そう笑った古泉に、
「それで、なんだが…」
と問いながら、じりじりと近づき、古泉の隣りに移動する。
「…なんで、今頃になってああいうことをしたのか、聞いてもいいか?」
「……分かりませんか?」
問い返す古泉には、残念がっているような様子はない。
「…悪いがさっぱりだ」
「そうですか」
にこにこ笑いながら、古泉はそっと俺を手招きで呼び寄せ、その腕の中に抱き竦める。
「おい…」
「あなたは、」
と古泉は抗議しようとした俺の言葉を封じ、俺を強く抱き締める。
「女性の味方でしょう? このままでは悪い印象をいつまでも残しそうだと思いまして。…あなたに嫌われるような要素は、少しでも排除したいくらい、僕はあなたに夢中なんですよ」
「夢中って……」
「他の方が侍ってくださらないのは一向に構いません。むしろ、必要ありませんからこちらから丁重にお断りします。ましてや、それを理由にあなたが僕の前に出てこなくなる、なんて事態があり得ないわけではない以上、そのようなことは望みません。僕が側にいて欲しいのは他のどんな女性でもなく、あなたなんですから」
「なっ、は、恥かしいこと言うな…!」
思わず赤くなった俺に、古泉は嬉しそうに笑ったばかりか、
「ねえ、少しは見直してくれました?」
「見直し、って…」
「いけませんか? あれくらいではお詫びにもなりませんでした?」
「いや、別に…、その、お前と会って話すまでは色々思ってたが、事情は聞いたから、そもそもさほど見下してもなかったんだが……」
「そうだったんですか?」
「ああ。…いや、だが、ちゃんとけじめをつけたのはいいと思うぞ」
「褒めてくれます?」
子供みたいに言う古泉がどこか可愛く見えて、つまり俺は油断をしたのだろう。
「ああ」
「じゃあ、ご褒美をください」
と言った瞬間、強引に頭を引き寄せられ、唇に何かが触れた。
何って……そりゃ、古泉のそれなんだろうなぁ。
驚いた俺が暴れだすより先に俺を解放した古泉は、柔らかく微笑んで、
「初めてでした?」
なんて言いやがったので、
「…っ、んなわけあるか!」
と軽く殴り飛ばしておいた。
全く、油断も隙もない。
ごしごしと唇を袖で拭いながら、自分の席に戻った俺に、古泉は楽しそうに声を立てて笑った。
「あなたが好きですよ」
「ああそうかい、ありがとよ」
返しながら、俺は少しばかり不貞腐れて、
「どうせお前はそういう言葉を安売りし過ぎて、泣きをみたんだろうけどな」
「そんなことはありませんよ」
「嘘吐け」
「本当ですってば。…他の誰にも、そんなことは言ってませんよ」
よく、女の子なんかがそういうことを言って客を騙くらかすが、こいつのもそれと同じくらい信用ならん。
そう思ってるはずだってのに、
「あなただけです」
なんて言葉がどうしてこうも心地好く響くんだろうな。
俺はそっとため息を吐き、
「そういうことにしておいてやるよ」
と言って顔を背け、赤くなったそれをぱたぱたと扇いだ。