酔狂にもほどがある



元々、この街には良くも悪くも酔狂を好む客が多いとは思う。
そりゃ勿論、肉欲と言うか何と言うかに塗れた奴だって多いが、そういうのは金も余裕もない奴が多いので、うちの見世みたいな高級なところにはまず来ない。
それに、金はあっても教養や余裕がないのに、見栄を張ってうちの見世に来るような奴は長続きしない。
金をむしり取られた挙句、笑いものにされるのがオチだからだ。
結果、高級な見世にはそれなりに教養があり、余裕があり、花魁としっぽり語り明かして帰るようなのも少なからずいる。
勿論、その前には宴なんて催して賑やかにするのだが、それでも乱れることのないのを見ると見事だと感心するし、逆に乱してみたくなって女の子たちやら裏方の若い衆連中も一緒になって盛り上げようとしたりもする。
だから、酔狂なのには慣れてるつもりだったのだが、それにしたってこいつは酷い、と俺は差し向かいで酒を飲んでいる男を見た。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃ、ないでしょう」
「何がです?」
そう首を傾げているが、分からないわけじゃないはずだ。
「なんでまた来たりしたんです?」
「何かおかしいですかね。…相方に会いに来るのは当然でしょう?」
「何が相方ですか。俺は男で、ただの見世番です。仕事は見世の中の雑用をこなしたり使い走りに使われるだけであって、本来こんなところで飲んでたりしてていいようなもんじゃありません」
「僕がお願いしたいんです。…それとも、何かご不満でもありましたか?」
「ええ、ありますとも。…ただでさえ、あれ以来あなたの相方呼ばわりされてからかわれてるもんですからね。これ以上噂を広めるような真似はやめていただきたい」
「僕としては、それで構いませんけどね」
「……は?」
なんだと?
「どうやら、ここを含め、他の見世でも僕の相手をしてくださるような方はいらっしゃらないようですし、それならあなたと飲んでいた方がずっと楽しそうです」
「…お前、いや、ええと……」
「言葉はどうぞお好きになさってください」
薄く微笑んで古泉は言った。
「敬語はあまりお好きではないようですし、僕としても畏まった喋り方はあまり好ましく思いませんから」
「…そう言う自分は敬語なのに、か?」
「これはそう躾けられたものですから」
そうにっこりと微笑み、追及を拒むくせして、
「あなたは、ずっとここで?」
と俺のことは追及してくる。
しかし、まあ、隠すようなことでもあるまい。
「ああ。…死んだお袋がここで勤めてた。…つっても、飯炊きだけどな」
「では、ここにも詳しいのでしょうね」
「だからって、内情をばらすような真似はせんぞ? 仮にも恩義があるからな」
「恩義とはまた…二本差しのようなことを仰るんですね」
そう笑って、
「でも、嫌いではありません。そういう義理堅い方は」
「……なあ、」
俺は居心地の悪いむず痒さを感じながら、頼まれてもいないことを口にする。
「そんなに女遊びがしたいなら、なんとか伝手を頼って紹介してやってもいいし、うちの女の子がいいなら、説得してもいい。だから、俺を呼ぶのはこれっきりにしてくれ」
「どうしてです?」
真っ直ぐに問われ、俺の方が惑わされる。
「どうして…って……」
「僕に会うのはお嫌ですか?」
そう上目遣いに見つめられて、思わず目をそらす。
お前はどこの子供だ、と言いたくなるような目が心に痛い。
「や、そういうわけじゃないんだが……。お前だって、女目当てで吉原に来てんだろ? だったら、」
「僕は、」
意外なまでの強さで俺の言葉を遮った古泉は、笑顔ではなく真摯な顔で俺を見つめて、
「今夜、あなたに会いたくて来たつもりですよ」
「……すまん…。なんていうか、その……慣れてないんだ。俺は幇間でもないから、こんなところで飲むなんてこと、ないし…、だから、気が利かなくて、お前が楽しいとも思えんし……、それで、その……」
ああもう、俺は何を言ってるんだ。
「とにかくっ、俺なんかがいるより他の女の子でもいた方がいいんじゃないかと思っただけなんだよ、悪かったな!」
ようやくそう叫んだところで、古泉がぷっと音を立てて噴出し、そのまま声を上げて笑い出した。
俺はと言うと、この上品ぶった奴がそんな風に笑うなんて想像だにしていなかったわけで、つまりは呆然とそれを見るほかなくなる。
楽しげに声を上げ、ひとしきり笑い転げたかと思うと、古泉は、
「いや、失礼しました」
と言いながらなんとか笑いを抑え込み、
「あまりにも可愛らしいことを仰られるから、つい…」
「何がだよ」
「拗ねないでください」
そう言って、俺の機嫌を取るように酒を勧めてくる。
勧められるまま飲み干して、俺は酒臭い息を吐く。
「うん、やっぱりあなたがいいです」
何を納得したのか、そんなことを呟く古泉に、
「何がだ?」
ともう一度問うと、
「相方、ですよ」
と柔らかな笑みと共に返される。
「……は?」
「あなたと話して、飲んで、……とても楽しいんです。この街に通い始めて、いえ、それ以前と比べてもいいです。こんなに楽しいのは初めてだと言いたいくらいに」
「大袈裟なやつだな」
呆れる俺にも構わず、古泉はにこやかな表情を崩さない。
「本当ですよ。…ねえ、だめですか?」
「だめ、って……何が」
「僕の相方になるのは、お嫌ですか? あなたも他の方たちと同様に、袖にします?」
男でも目眩がしそうなほどの流し目に体が竦む。
「……んな、こと…言って、お前はいいのかよ……」
「あなたがいいです。…本来、僕はこちらに寛ぎたくて来ていたんですから。生憎、なかなかそうは出来ませんでしたけど、ね」
そう苦笑した古泉に、
「それで、この前もさっさと眠っちまったのか?」
と聞けば、古泉は困ったような笑みを深めて、
「お気を悪くしたならすみません。あの日は少し疲れていたようです」
「それなら家で寝りゃいいのに」
「…そうですね」
小さく頷いて、古泉は杯を置くと、
「一眠りしませんか?」
「そうしてまた朝帰りか?」
「いいじゃないですか。先日いただいた朝粥、美味しかったですよ」
「そうかい」
しかし布団の用意がないんだがな。
「手配は頼んでおいたんですけどね。…いくらあなたに会いたかったからとはいえ、いくらなんでも来るのが早すぎましたか」
「……は?」
手配って…お前……。
「当然のことでしょう? 花魁と寝るなら」
くすくすと笑うから、また冗談だろうと思った。
「本当ですよ」
「…お前は…、酔狂でよくそれだけ浪費出来るな」
あは、と軽い笑い声を立てた古泉は、
「それをあなたが仰るんですか」
「いや、まあ…そりゃそうだけどな」
しかし、
「よっぽどお前のところの身代はでかいんだな」
「そうですね、そのようです」
曖昧な返事を寄越した古泉に、
「…まだそう寒くない季節だ。綿入れでいいか?」
「あなたが隣りにいてくださったら十分ですよ」
「いくら吉原でも口のうますぎる男は逆にもてないって覚えとけよ、阿呆」
そう言い捨てて部屋を出、自由に使える衣装なんかの中から暖かそうな綿入れをふたつばかり選んで戻ると、古泉が律儀に膳を廊下に出してくれていた。
「それくらい俺がするのに」
「それも待てないくらいだったんですよ」
「あほか」
そう言いながら部屋に入り、次の間に入る。
そこは本来大きな布団を敷くところだが、男二人でそれも寒いだろう。
いや、添い寝してやるだけでも十分お寒いんだがな。
「要するにお前は、安眠のために人肌が欲しいってことか?」
抱き締められ、畳の上に引き倒されながら俺が尋ねると、古泉は小さく声を立てて笑った。
「そうかも知れませんね」
「いや、そうだろ。…男なんて抱いて寝たところで、寝心地がいいとも思えんがな……」
「あなたの体温は心地いいですよ」
そう言って、古泉は更にきつく抱き締めてくる。
そればかりか、人がわざわざ背中を向けてたってのに、器用に俺の体を反転させ、向かい合わせにする。
「…男のつまらん顔なんて見てて寝れるか?」
「眠れますよ。…あなたがお嫌なら我慢しますけど」
「いや? お前くらい綺麗な顔なら別に嫌じゃないさ」
「おや、では僕はこの顔に感謝しなくてはいけないようですね。…普段はそう好きでもないんですけど」
「イヤミかそれは」
「違いますよ。…本当に、邪魔なものですから」
そう言ってかすかにため息を吐いた古泉に、
「…だからって、傷をつけたりすんなよ」
と言ってみると、笑い声が聞こえた。
部屋の中は暗いが、障子越しに差し込む表の光で、薄っすらとではあるものの、その顔は見えている。
だが、笑っているようには見えなかった。
俺は思わず眉を寄せ、
「笑いたくないのに笑うのも止めちまえ。少なくとも、…ここではな」
「……ありがとうございます」
縋るように抱き締められる。
その背中を、子供にしてやるように撫でてやる。
俺に出来ることなんてそんなもんだろ。
そうして――どうやら、これで本格的に気に入られちまったらしい。
翌日には言っていた通り布団が届けられ、そればかりか、具体的にいくらか聞くのも怖いくらいの支度金が届けられちまったらしい。
ただの雑用係に過ぎない俺に部屋が用意され、袖を通したこともないような上等な着物を渡されるくらいだ。
「だからあいつはどんだけ酔狂なんだ……」
呆れて頭を抱える俺に、ハルヒは冷笑を向ける。
「あんただって十分酔狂でしょ。というか、キョン、あんたも悪いんじゃないの?」
「は?」
「いくら男衆だからって、このあたしが目をかけてやってるってのに、ほいほい通い始めたばかりの客と一緒に寝たりして。恥かしくないわけ?」
「寝たつっても、ぐーすか大人しく寝ただけだろ。誤解を招くような言い方をするな」
「それでも他から見れば同じことよ!」
そう言い放ったハルヒは、
「こうなったら、こっちも意地だわ。あんな酔狂気取りのボンボンをいい気にさせるだけだなんて面白くないし、やり返してやろうじゃないの」
「そりゃ勝手だが…あんまりいじめてやるなよ」
「あんた次第ね」
ニヤリと、これが本当に当代随一といわれる太夫の笑みかといいたくなるような悪辣な笑みを見せたハルヒに、ぞっとしたが既に遅かった。
どうしてこんなことに巻き込まれるのかと、ため息を吐いても始らない。
うっかり情けをかけちまったのが運の尽きだったと諦め……られるか!