とても素直で可愛くて



「お前は本当に間が悪い」
開口一番そう言った彼はなんだか不機嫌で、気のせいでなければこちらを睨んでいるように見えた。
思わず、
「すみません」
と謝ってしまったけれど、
「……僕、何もしてませんよ…?」
と反論する。
言われるままじゃ主導権を取り戻せないと思ったのだ。
しかし、
「それが悪いんだろ」
と睨まれ、たじろぐ。
「ええ?」
「お前が…」
と彼は僕を思い切り睨み付け、そのくせ、くしゃりと顔を歪めた。
「お前が…来ない、から……」
「え?」
僕が戸惑っている間に、彼の眉間にはしわが寄り、目にはじわりと涙が滲む。
「なんで一番会いたい時に限って来ないくせに、人がもうどうでも良くなって、お前なんか知るかと怒り心頭状態になると来るんだ。……そんなだから、いつもいつも割を食うんだぞ」
お説教するみたいに言いながら、彼はぼろぼろ涙をこぼす。
それがとても綺麗で、嬉しくて、僕は思わず彼を抱き締めたのだが、
「やめろばか! 俺は怒ってるんだからな!」
ときついボディーブローを食らう。
呻くほどに重くて痛い一発だったけれど、だからといって彼を離す訳にはいかない。
どんなに抵抗されても、離したくなかった。
「すみませんでした」
今度こそ真剣に謝りながら、彼の背中に回した腕に力を込める。
「あなたに寂しい思いをさせてしまったんですね」
「……そうだ」
膨れつつもそう答えてくれることが嬉しい。
「…それなら呼びつけてくださってよかったんですよ?」
出来る限り優しく背中を撫で擦り、そっと囁いた僕に、彼は苦く呟く。
「迷惑かけたくない…」
「迷惑なんかじゃありませんよ」
「俺が嫌なんだ」
と強く首を振る。
…が、この歯切れの悪さと彼らしからぬぐずついた態度は何度か見た覚えがある。
僕は努めて柔らかく、
「…もしかして、過去にそんなことを言われて傷ついたことでも……?」
びくりと体を震わせた彼が、不安に青ざめた顔で僕を見つめる。
「大丈夫ですよ。僕はそんな酷いことはしませんから。…出来る訳ないでしょう? こんなにあなたが好きなのに」
言い聞かせるように囁けば、すがるようにシャツを握られた。
「俺は…本当に男運がなかったんだ」
ぐずぐずと泣きながら彼は呟く。
「そのようですね」
「……だが、だからこそお前と付き合えて、嬉しい…」
いつになく素直な言葉にどぎまぎしつつ、
「ありがとうございます。僕の方こそ、あなたには悪いですが、あなたがフリーでよかったと思います」
「……俺のこと、好き…だよな…?」
「勿論です」
「……だったら、なんでもっと執着してくれないんだ…!」
なんてことを恨めしげに言うから、僕は苦笑して、
「してますよ。…もっとしていいんですか?」
「…っ、しろ……!」
泣き濡れた瞳が僕を捕える。
「…じゃあ、」
と僕は口を開き、
「ひとりで寂しがったりしないでください。泣くなら僕の腕の中だけで泣きなさい。…いいですね?」
「は……?」
ぽかんとした彼は、数拍遅れて怒りに頬を染め、
「それのどこが…!」
と怒鳴るから、
「だって僕は、たとえあなたが見せたくないとしても、あなたの涙を見れないのは嫌ですし、僕が見れないようなあなたの姿を僕以外が見るなんて嫌です。――これで足りないなら、オナ禁でもします?」
冗談めかして付け加えた言葉に、彼はさっきとは違う意味で顔を赤くし、
「あほか!」
と僕を罵り、そのくせ可愛く、
「…そんなことしたら、お前を抱き壊しかねん……」
なんて言うものだから、僕は場所柄もわきまえず、彼を押し倒しそうになった。
「やめろ、あほ! どこだと思ってんだ! 玄関先だぞ!?」
「すみません、つい……」
「今日はみんな出かけてるからまだいいが……そもそも、珍しくないか? お前がうちに来るなんて」
彼が訝るのも無理はない。
経済的に自立してもいない同性愛者の僕らが堂々と交際しているはずもなく、僕らの関係はひた隠しにしているのだ。
当然、家族と暮らす彼の家を訪ねることなど滅多にない。
なのにどうして僕がこうしていきなり訪問したか。
「…実はご相談がありまして…」
「なんだ? 別れ話と金の話以外なら聞くし、俺に出来ることなら協力するぞ」
「ありがとうございます。力強いですよ」
「…なんだか知らんが話辛そうだな。…俺の部屋でいいか? それとも外か?」
「どちらでも構いませんよ」
「じゃあ上だな。先上がってろ。茶くらい淹れてやる」
「どうぞお気遣いなく」
と返し、僕は靴を脱ぎ揃えて二階に上がる。
彼の部屋は相変わらず綺麗に片付いていて、それでも神経質にぴかぴかしているわけでないところが落ち着く。
落ち着いてる場合じゃないんだけど、と自分を戒めながら、僕はそっと息を吐く。
恋人の家を訪ねるだけなのに、どうしてあんなに気を遣って、慎重に振舞わなければならないのか。
…いえ、理由は分かっているんですけどね。
そしてそれがどうにもならないということも。
けれど、時にはこの境遇を嘆きたくもなる。
もっと堂々と付き合えたらな、なんて思いながら、彼の戻るのを待っていると、
「お待たせ」
と声がして、彼がドアを開けた。
律儀にお茶とお菓子を持ってきてくれる辺り、彼の育ちのよさというか、しつけのよさがあらわれていると思う。
「で、どうしたんだ?」
お茶をすすって一息ついたところで、彼の方からそう切り出してくれた。
僕は少し眉がよってくるのを感じつつも、それを抑えきれず、
「実は……涼宮さんに、気付かれたかも知れないんです」
「何を……って、まさか……」
彼の顔から血の気が引く。
「ええ、僕たちのお付き合いのことを、です」
「…マジか?」
「こんな冗談を言うためにわざわざやってくるなんてことはしませんよ」
「だろうな。お前と来たら、俺と会うためにも来ないような奴だからな」
とどうやらまだ根に持っているらしい彼が言うのには苦笑を返すほかない。
「しかし、ハルヒが気付いてるなんてなんで思ったんだ?」
「…本当に気付いてないんですか?」
「は?」
……気付いていないらしい。
このところ彼女が僕たちを観察するように見ていたり、彼を見る目が前とは少し違ってきているのに。
同性愛者であることを見事に隠しおおせる注意力はあるのに、どうして彼女に関しては残酷なまでに鈍感になれるのかと呆れもする。
もっとも、下手に彼女を意識されたならそれはそれで、気が気でなくなるのは目に見えているのだけれど。
説明した僕に、彼は首をひねり、
「……お前の気のせいじゃないか?」
なんて言う。
どこまで信用されてないんだろう……。
「いや、あいつなら何か気付いたらそのまま言うかどうかするだろ」
「涼宮さんはそこまで無神経な人ではありませんよ」
僕がため息混じりに呟くと、彼はむっと眉を寄せ、黙り込んでしまった。
「……あの…?」
「随分あいつのことを分かってるらしいな」
「え?」
「いや、お前の立場だのなんだのを考えれば分からなくもないんだがな。……それでも、そんな話を聞かされて、俺が面白いと思うか?」
そう、まだ拗ねた顔で言うから、
「なんで今日はそんなに可愛いんですか」
ぎゅうっと強めに抱きしめても、突き飛ばされない。
「お前のせいだ」
「すみません。…可愛いです。大好きです」
馬鹿の一つ覚えみたいに囁きながら、彼の耳に唇を寄せ、ちゅっと音を立てると、むず痒そうに体をよじる彼も可愛くて愛しい。
「…誤魔化す気か?」
「違いますよ。僕が我慢出来ないだけなんです。叱りたいならいくらだってそうしてください。あなたに叱られるなら、僕はそれだって嬉しいです」
「…叱るくらい、いくらだってしてやる」
そう言って彼はきつく僕の肩に噛み付いてくる。
「お前ときたら、ハルヒのことはいくらだって考えるし、推し量ろうとするくせに、なんで俺のことについてはそうじゃないんだ」
「そうしようとするまでもなく、あなたのことを考えているばかりだと思うんですけどね。考え過ぎて、空回りしてしまっているような気さえしますよ」
「嘘吐け」
「本当ですよ」
「…たとえば?」
「…どうしたらあなたをもっと幸せに出来るのかと考えたり」
「それにしちゃ、つれないな」
「僕は外堀から埋めておきたいタイプなんです」
冗談めかして呟いたけれど、それは本音だ。
「あなたと堂々と会うにはどうしたらいいだろうとか、あなたに迷惑をかけないようにしながら、あなたを守りながら、あなたともっと一緒にいるにはどうしたらいいんだろうとか、そんなことばかり考えてます」
「…んなもん……」
「構わない、と言ってくださいますか? …でも、あなたがいいと言っても、それでもし、誰かに僕たちのことが知られ、咎められ、引き離されたらと思うと、想像するだけで気が狂いそうなほどに思えるんです。たとえ不自由でも、あなたと逢瀬を交わせる幸せがあるならそちらの方がマシだと思ってしまうんですよ」
「……ばか」
そう言って彼は僕の頬を引っ張り、
「お前は変に慎重すぎるんだよ。…お前が俺の家に来るだけで誰が勘繰るってんだ? それだけでおかしく思われるほど、ゲイはメジャーな存在じゃないだろ。ただの友達って顔して来たらいいだけの話だ。覚えとけ」
「……そうですね。そう出来るなら…友人としてでもあなたに会いに来たいですし、同じようにあなたが僕のところに来てくださるととても嬉しいです」
「じゃあ、そうしろ。……今度俺のことを寂しがらせたりしたら、学校だろうがどこだろうが構わず襲うからな?」
冗談のつもりなんだろうけれど、口調や声がやけに本気でうそ寒いものを感じてしまった……なんて、彼に知られたら、どんなに怒られるかと思うと余計に肝が冷えた。
「肝に銘じておきます」
「よし」
そう言って妖艶に微笑した彼が僕の唇を奪うようにキスをしてくれた。
そのままどさりと床に押し倒される。
ただし、いつご家族が帰ってくるか分からない状況だから、僕たちに出来たのは、精々唇を軽く合わせる程度のもので、それでも幸せを感じられた。
「それにしても、どうしましょうかね…」
僕の胸に頬を寄せるように抱きついている彼の背中を撫で下ろしながら呟くと、
「何が?」
とどこかとろんとした声で言われた。
寝ないでくださいよ?
「寝ねぇよ。で、何がなんだって?」
「涼宮さんのことですよ」
「……」
また難しい顔になった彼は、ずりずりと這い登ってくると、僕の唇を軽く塞ぐ。
「ん……? どうしました?」
「なんでもない。…続きは?」
「ええ、ですから、涼宮さんに気付かれたんだとしたら、どうしたものかと思いまして」
「ほう」
と言いながらもう一度キスされる。
…一体なんなんだろう。
甘えているにしては不機嫌な顔だ。
「素知らぬふりを続けますか? それとも…いっそのこと明かしてしまいます?」
「何を」
「…あなたと僕のことを」
「ハルヒに?」
「涼宮さんに」
ちゅっともう一度音を立ててキスされる。
そうしておいて、
「あいつにばらしていいってのか?」
「あくまでも可能性の話ですよ。一種の賭けでもありますね。それで世界が崩壊するか、僕が消えるか、何かを失うか……それは分かりません」
「あいつが面白がる可能性も大いにあるだろうな」
そう言って、彼は僕を見つめ、
「悪いが、それは反対させろ」
「そう…ですか?」
「ああ。…いや、別にあいつが何かすると思ってるわけじゃない。ただ、面白くないだけだ」
「は…?」
「あいつに明かして、それであいつが許したとしたら、お前のことだ、今以上に油断するんだろ」
「…ええと……」
「そうしたら、」
どうなるって言うんだろう、と思いながら彼を見つめ返すと、
「お前の可愛いところを俺が独占出来なくなるだろ」
「……え?」
「そんな面白くない話はない」
そう睨む彼に、
「…まさか……涼宮さんに妬くんですか…?」
僕が真性のゲイだって知ってるはずなのに、と驚く僕に、彼はもう一度噛み付くようなキスを寄越す。
「ああ、妬くとも。いくらだって妬いてやる」
「…ねえ、さっきからもしかして、僕が『涼宮さん』と言うのに反応してキスし……んっ…!」
ちゅう、と吸い付くようなキスをされる。
当たりだったらしい。
「…もう……」
僕は苦笑を浮かべて、彼をきつく抱きしめる。
「僕が好きなのはあなただけですよ。そんな可愛らしいことをしたりして……」
「やかましい」
そう言って今度こそ唇に噛み付かれたけれど、それさえ嬉しくて、お返しに深く口付ける。
「素直なあなたも大好きです」
「やかましいって言ってんだろ」
「すみません」
「…余計なことは言わなくていいから」
その先は何も言ってくれないけれど、抱きついてくる腕の強さが何よりも彼の気持ちを教えてくれる。
「…もっと頻繁にあなたに会いに来ますね」
「ん」
頷いた彼がもう一度キスをして、このままもっと、と思ったのだけれどだめだった。
どうしてって、
「ただいまーっ!」
という妹さんの声が聞こえてきたからだ。
慌てて体を離し、なんでもないように座り直した彼が、
「…俺の方からお前の家に押しかけた方がよさそうだな」
なんて呟いたのには、心の底から同意したい。