あまいもの
  お題:素直 キャンディ 閉鎖空間



閉鎖空間から現実に帰還した僕は、習慣的にポケットから取り出したキャンディを口に放り込んだ。
ただ甘いだけのシンプルな味わいだけれど、それが僕に現実への帰還を実感させてくれる。
ころころと舌の上で転がしながら、その形を確かめる。
それが段々小さくなっていくのに合わせて、濃い紅茶色をしていたそれが少しずつ薄いベッコウ色になり、やがては透明になって消えていく様を想像する。
この口の中にありながら、一人では見ることも出来ず、味わえても掴み所のないところなんて、どこかしら彼と似ている。
一応、恋人になったはずなのに、僕は彼の個人的な事柄についてあまり知らないままだ。
彼自身に打ち明けてもらったことなんてほとんどない。
彼にとって、自分のことというのはひけらかすようなものではないのかもしれないけれど、僕はどんな些細なことであっても知りたいと思う。
彼のことを知るということだけでも喜びになると、彼は分かってくれないのだろうか。
僕が彼の過去に腹を立てるとでも思うのかな。
そんなことがありえない、とは言いきれないけれど、でも、僕が怒るとしたら、それは彼に対してではなく、彼を傷つけたりした人間にだろう。
彼が大胆なくせに臆病で、自分のことを恋人である僕に話そうとしないのは、それが普通だと思っているからじゃないだろうか。
つまり、そんな付き合い方しか彼は知らないということだ。
それではあまりに悲しすぎる。
同じように、彼は僕のことを聞こうとすることも滅多にない。
僕の、機関に所属する超能力者という面倒なポジションに気を遣ってくれているだけなのかもしれないけれど、それにしたってあまりにも無関心じゃないかと思えそうにもなる。
そうではなくて、人のことについてあまり詮索するものではないという教育を彼が受け、なおかつ、恋人であっても明かせないことが多いような相手とばかり付き合ってきたからなんだろうと知ってから、僕は安心していいのかそれとも嘆くところなのか迷わされてばかりだ。
僕が聞いてほしいと言えば、彼は聞いてくれるのだろうか。
聞いて、信じてくれるのだろうか。
あるいは僕が、彼の恋愛遍歴や家庭のことなどについて聞いたなら、彼は答えてくれるのだろうか。
もし、躊躇う様子を見せられたら、ただでさえ脆い、彼に愛されているという自信が簡単に崩れてしまいそうで、僕は立ち尽くしているままだ。
もう少し、彼が歩み寄ってくれたら、と思うのは僕のわがままだ。
僕からもっと歩み寄りたい。
そのための勇気がほしい、と思いながら、僕は二個目の飴玉を口に入れた。
こうして飴を舐めるようになったきっかけは、僕が今日のように閉鎖空間に通うようになった、その始まりの頃にある。
慣れない役目にへとへとになった僕に、森さんが一掴みのキャンディを差し出して、
「疲れたでしょう? 手っ取り早く糖分とカロリーを摂取しなさい」
と言ったのだ。
とは言っても、森さんからもらったのはその一度きり。
それからは自分で持ち歩くようになった。
いつ閉鎖空間が発生するか分からないから、僕は制服のポケットにも学校の鞄にもキャンディを入れてある。
いい年してそんなものを持ち歩いているというのは少しばかり気恥ずかしくて、そんなことを人に言ったりはしないのだけれど、今日の放課後、彼と会えた時に、
「…腹減った」
とぶつぶつ言う彼に、少しでも空腹感がごまかせるならと思って、ポケットから取り出したキャンディをみっつばかりあげたのだけれど、
「お前、飴なんか持ち歩いてるのか?」
「え? なにかいけませんでしたか?」
「…いや……」
と言っておいて、彼はどこか不機嫌に、聞こえないほどの小声で文句を言っていた。
でも、首を傾げた僕に言ったのは、
「つうか、お前は糖尿病患者か?」
なんて言葉で。
彼の意地っ張りなところにも慣れてきたし、何よりも、そんなところさえ可愛いのだけれど、つい、笑ってしまった。
「実はそうなんですよ。血糖値が急激に低下してしまった時の応急措置のために、いつも持ち歩いているというわけです」
なんて、明らかに冗談だと分かる調子で言えば、彼も笑ってくれた。
「あほか」
毒づく声も愛しい。
僕よりほんの少し年上で、実際頼り甲斐があって、でも、とても子供っぽいところもある彼が何よりも好きだ。
彼のことを思うだけで、顔がにやけてしまう。
俯き加減になる程度で隠せているのか、甚だ疑問だけれど、何も言われないから僕からも言わないでおく。
そうして、やっとタクシーが僕の住むマンションの前に着き、僕はタクシーを下りながら携帯の電源を入れ、メールを確認した。
途端に響く、メールの着信を知らせる音。
見れば、何通ものメールが入っていた。
それも、彼一人から。
感激に目を疑いたくなる僕に、
「よう」
と声がかけられた。
「…え……!」
顔を上げると、マンションのエントランスの柱に隠れるように、彼が立っていた。
「どうしたんです? こんな夜遅くに……」
「俺がお前の心配をしたら変か?」
拗ねたような口調で、そのくせ珍しいほどストレートな台詞を吐いた彼に、僕は目を見開くしかない。
驚いた。
何かあったのかと本当に聞きたいくらいだ。
そんな風に素直になってくれることなんて、滅多にないのに。
――でも、勿論嬉しい。
だから僕は笑って、彼の問い掛けに答えた。
「――ええ、変です」
「おまっ…!?」
怒るより前にびっくりする彼に、僕はくすくす笑って、
「あなたはいつだって強がりを言って、ひねくれてて、意地悪で、分かり難くて、でも優しさが透けて見えるくらいで丁度いいんです。素直になられたら、調子に乗った僕が何をしてしまうか分かりませんよ?」
「……あほか」
彼は笑って僕を抱きしめると、半ば強引に僕を引き寄せ、ちゅっと軽く触れるだけの可愛らしいキスをくれた。
そのくせ、恥ずかしそうに顔を赤くしたかと思うと、
「ほら、さっさと部屋に行くぞ。寒いんだ」
と僕の手を引っ張る。
そのひんやりした手も愛おしくて、
「はい」
と応えた僕は酷く締まりのない顔しか出来なくなっていた。
手を繋いだまま、僕たちは部屋に転がり込み、慌てて暖房のスイッチを入れた。
まだコートを脱ぐこともままならない室内で、僕は慌ててコーヒーをいれ、彼は寒そうにソファの上で膝を抱えた。
「でも、本当にどうしたんです? こんな時間に突然いらっしゃるなんて……」
テーブルに置いたコーヒーを勧めながら言った僕に、彼は渋い顔をして、
「……お前が、」
僕が?
「…こんなに寒いのに、お前が俺の側にいないからいけないんだ」
え、と思った時には、抱きつかれていた。
思いがけないことに慌てる僕の腰を痛いほどに抱きしめて、彼は心細そうに訴える。
「側にいないだけならまだしも、連絡がつかないから、いけないんだ」
「すみませんでした。でも…」
「お前がどこに行ってたかなんてことは俺にだって分かるさ。だが、いや、だからこそ、心配にもなるし、不安にもなるんだろ」
「……っ…」
夢かと思った。
彼がこんな風に素直に言ってくれるなんて、夢にも思わなかった。
でも、きつく抱き締められた腰は痛いし、彼の腕は暖かい。
「……古泉?」
不安げに見つめられて、僕は顔を真っ赤に染めながら、
「…嬉しいです」
と囁くのがやっとだ。
「っ、な……」
「そんなに思っていただけて、本当に嬉しいんです。愛してます。大好きです」
ぎゅうぎゅうと強く抱きしめ返すと、彼は、
「痛いっつの」
と言いながらも、もがいたりしないで大人しくしていてくれる。
その唇にキスをして、僕は少々子供っぽいだろうかと思いながら、ねだってみることにした。
「ねぇ、今日はこのまま泊まっていかれるんですよね?」
「ん? ああ、そのつもりだ」
「だったら、…このまま、あなたを抱き締めて、眠ってもいいですか?」
「……へ?」
「…だめです? もっと他のことがしたくて来てくれました?」
図星だったのか、恥かしそうに顔を染めながら、
「い、や……というか、お前はそれでいいのか?」
「そうしたいんです。あなたを抱き締めて、このまま、穏やかな気持ちで、ゆっくり過ごしたい……」
「…お前がしたいなら、それでいいさ」
優しく言って、彼は僕にキスをしてくれる。
「お前って、案外甘ったれだったのか?」
「いけませんか?」
「…たまになら、許してやるよ」
意地悪なことを言いながらも、僕の頭を撫でてくれる手つきは優しい。
「…お疲れさん。いつもありがとな」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「は?」
「…あなたがいてくださるから、僕は頑張れるんですよ」
「…ばか。俺がいなくても頑張れよ。世界を守る超能力者なんだろ?」
「あなたがそう仰るなら」
笑ってキスをして抱き締めて。
「…なんだか、本気で眠たくなってきました……」
ふわ、と欠伸を漏らしたら、彼はにやっと笑って、
「お前のそんな顔、初めて見た」
なんて言う。
「そういじめないでくださいよ」
恥かしくなってそう毒づけば、
「俺はこれくらいで丁度いいんだろ?」
と返される。
全く、この人には勝てそうにない。
せめて、と僕はソファに彼を押し倒して、その暖かさに体を預けながら、
「…愛してます」
と囁いて目を閉じた。
「…お休み、古泉」
優しく頭を撫でられて、僕は静かに眠りに落ちた。