「……新川さんって、渋くてかっこいいよな」 突然彼がそんなことを言いだし、僕は言葉もなく、ただ彼を見つめた。 僕の部屋のソファに我が物顔で寝そべる彼は、テレビ画面に視線を投げ掛けながらも特に興味もないような顔をしていた。 さっきの言葉は僕の聞き間違い、いや、空耳だったのだろうか。 混乱する僕の方に、彼はどこか濁ったような、どこを見ているんだかさっぱり分からない目を向けてきた。 目が合っているはずなのに、なんだか視線がどこか遠くに突き抜けていくかのようだ。 「なあ、返事は?」 そう催促されて、やっぱりさっきのは聞き間違いじゃなかったのかと思った。 「え、ええと……」 「新川さんって、渋くてかっこいいよな」 違うか? と僕を睨む彼に、 「ええ、そう……です、ね」 ととりあえず同意を示すと、彼は軽く眉を寄せた。 なんだろう、僕の返事が気に食わなかったんだろうか。 でもだとしたら、何でこんな風に僕は詰問されるんだ? 「多丸さんたちも……啓一さんと裕さんじゃ雰囲気が違うけど、いい男だし。特に裕さんなんか、爽やかな好青年って感じだよな」 「そう…です……ね」 ざわざわと嫌な予感がしてくる。 彼には全部伝えていないけれど、僕は実は、何度か彼の昔の男に会ったことがある。 そのどれもが彼より年上で、大人らしい人ばかりだった。 余裕があったり、雰囲気からして度量の大きそうな、ちゃんとリードしそうな人だ。 言ってみれば、僕とは全くと言っていいほど逆で、新川さんたちとはどことなく雰囲気が似てないこともないではない。 彼の好みがそういうタイプなんだとしたら、……なんて仮定は多分必要ない。 彼の好みはそういうタイプなんだ、本来は。 「…なあ、古泉、聞いてんのか?」 痺れを切らしたように問うて来る彼に、僕は声を絞り出すようにして尋ねた。 「新川さんや裕さんが、…好みなんですか?」 「……まあ、好みと言えば好みだが、それで言うなら会長の方が好みのタイプだな」 あまりにあっさり答えられたことに加え、生徒会長を付け足されてどん底に突き落とされた気分になった。 やっぱり、これはあれだろうか。 僕が彼に飽きられてしまったということでは…。 それだけならまだしも、紹介しろとか言われたらどうしよう。 考えるだけで泣きたくなってくる。 頭を強打されたかのようにぐわんぐわんと視界が揺れる。 それくらい、ショックで。 ふらつきそうな僕に、彼は詰まらなさそうな声で言った。 「お前はどうなんだよ」 「何がです…?」 我ながら生気のない声が出たが、彼はそれに対して何も言わず、 「好みだ」 「……そう、ですね…」 僕はそう答えてから考え込む。 どう答えたらいいんだろう。 だって、僕の好みは彼そのものだ。 今それをストレートに伝えても、彼に顔をしかめられてしまいそうで怖い。 だから、と僕はあえて婉曲な方法を取ることにした。 急がば回れ、とも言うし。 「僕の好みは……優しい人、ですね。僕のダメなところをそうと注意してくれながらも僕を愛してくれるような、懐の大きい人が好みです。勿論、一途に僕を思ってくれる人でなければ嫌ですね。……身体的特徴で言うなら、髪は長いより短い方が好きです。体は細い方が。でも抱き心地は悪くないくらい、というのが理想でしょうか。声なら少し低めで落ち着きがあって、でも時には甘い声を聞かせてもらえると、嬉しいでしょうね」 そんなことをつらつらと並べ立てながら思い描くのは当然彼の姿だ。 艶かしくて、綺麗で、放ってなんて置けないほど魅力的な人。 こんな僕に好きだと言ってくれ、随分とつれなくもしたのにそれでも思い続けてくれたほど、一途で情熱的な人。 普段はストイックすぎるほどストイックなくせに、二人きりになるとその情熱のまま僕を惑わしてくれる。 憎らしいくらい、愛おしい人。 思い浮かべる姿を目の前の彼に重ねようとして、気がついた。 彼の顔が今にも泣き出しそうに歪んでいることに。 その薄い唇が開かれる。 そうして飛び出してきたのは、 「じゃ、じゃあ、なんで俺なんかと付き合ってんだよ…!」 という泣き声染みた声で。 目を丸くした僕とは反対に、ぎゅっと閉じられた目の端から、涙が次から次へと零れ落ちてゆく。 「なんで…泣くんですか…!?」 「だ、って、そう、だろ…」 子供のように泣きじゃくりながら彼が言葉を無理に紡ぐ。 「俺なんか、全然、お前の好みと違うじゃ、ないか…! それに、…ひっく……、今の、言い方…は…具体的に誰か、好きなやつがいて、言ってんだろ…!? 違うとは、……言わせねぇぞ…!」 「……それは確かに、違いませんけど」 びくりと彼の体が竦む。 竦んだ体を抱きしめて、僕は出来るだけ優しい声で言った。 「…僕は、あなたのことを言ったんですよ?」 「ふ…え……?」 怖々と顔を上げた彼に、微笑みかける。 「どうして泣くんです?」 でも、うまく笑みの形にならなかったかもしれない。 なぜなら、 「泣きたいのは僕の方なのに」 そう言った声に泣き出しそうなものを滲ませないようにするのが大変なくらい、泣きたかった。 「なんで…だよ…」 心底不思議そうに彼が呟き、僕を見つめる。 そうしているととても幼い子供のようなのに、実際は違う。 彼は僕より年上で、僕よりずっとしっかりした人だから、こうなっているのは何かの弾みとしか言いようがない。 「だって、そうでしょう? あなたがほかの人を…それも、僕とは全然違う人を褒めたりするから、僕はてっきりもう飽きられてしまって、これから別れ話でも始まるんじゃないかと戦々恐々としていたんですよ」 でも、 「そうじゃないと、思っていいんですよね?」 そうでなければ彼がこんな風に泣くはずがない。 それは思い上がりではないはずだ。 「あ、たり、前…だろ…!」 ばかやろう、と小さく、どこか舌足らずに罵りながら、彼が僕の胸を叩く。 「僕はどうやったって、あなたより年上になんてなれません。声だって多分、もうこれ以上変わりようはないでしょう。僕があなた好みになることは、ほとんど無理に等しいことです。それでもあなたが僕を好きでいてくれる間はいいんです。…そうじゃなくなったら、と思うと僕はいつだって怖くてならないんですよ」 くしゃりと顔を歪めながら言うと、 「大馬鹿野郎…!」 と怒られ、抱きしめられた。 「すみません」 「お前が好みじゃないとか、そんなのはどうでもいいんだよ。そもそも好きになったのだって、お前がお前だったからで、俺だって、驚いたんだからな。全然、好みのタイプじゃなかったから…」 あ、やっぱりそうなんだ。 分かっていたけど、改めて言われてしまうと落ち込むな…。 「だがな、」 と彼は僕を睨みあげた。 まだ目尻に涙が残っているのに、とても強い眼差しに射抜かれるかと思った。 「それでも、好きになったんだ」 そう言って、唇を軽く重ねられる。 「好みじゃないって、思った。自分にも言い聞かせた。お前のことは好きになっちゃならないって、分かってたし、言い聞かせようともした。嫌いになろうとした。でも、…だめだったんだ。それくらい、好きなんだから、」 だから、と彼が僕の耳に震える声で吹き込んだ。 「…好みのタイプじゃないってことは、全く関係ないんだから、気にすんな」 「……と言われてもですね、あなたがあんなことを言い出すから、意識せざるを得ないという部分もあるんですよ?」 「う……わ、悪かったな」 一応謝った彼だったけれど、それだけでは収まりがつかなかったらしい。 「けど、あれはそういうことが言いたかったんじゃなくて、その、」 やけに口ごもるなと思ったら、彼はとんでもないことを言ってくれた。 「…考えてみたらお前のタイプとか知らないし、もしかしたら、新川さんとか多丸さんとかが好みで、俺の知らない間にあれこれあったりしたらいやだと思っただけだ」 「……はい?」 「だから、」 と繰り返そうとする彼に、 「いえ、聞こえなかったわけでも理解しかねているわけでもありませんから繰り返さなくていいですよ」 と言って止める。 二度も三度も言われて堪るか。 ずきずきと痛み出したように思える頭を押さえて、僕は不安そうな彼に告げた。 「それこそ、杞憂としか言いようがありませんね。僕の好みはさっき申し上げた通り、あなたのような方ですし、そもそも新川さんや多丸さん、ましてや会長に対してそういうことを思ったことは一度もありません」 さっきのべた褒めの発言のどこが俺なんだ、と小声で呟きながら彼は、 「本当か?」 と僕に確認を求める。 まだどこか不安を帯びた視線がらしくもなく弱々しくて、もっと強く抱きしめたくなった。 「ええ、本当です。大体、前に言いませんでしたっけ? 僕の好みはあなたのような人だと」 「……そう…だったか?」 「言ったと思いますよ」 「ええ? 何時だ?」 何時だったかは思い出せないけれど、言ったはずだ。 勢いに任せて言ってしまった後、随分と申し訳なく思った記憶があるから。 「聞いてないと仰るなら、何度でも言いますよ。…僕の理想のタイプなんです、あなたは。優しくて、包容力があって、気が利いて、素敵で…」 「寒々しくなってくるからやめろ」 そう言った彼が僕の胸に赤くなった顔を伏せる。 「可愛いところも、好きです。あなたが好きですよ」 「うるさい」 駄々をこねるように首を振る彼を優しく、でも強く抱きしめて、僕は言った。 「あなたを抱きしめているだけで幸せなんです。…愛してます。あなたもそう…ですよね? 飽きたりなんてしてませんよね?」 「………するわけないだろ」 拗ねたようにそう言った唇が、僕のそれに優しく触れた。 |