最近、古泉の野郎がどうにも調子に乗っているような気がする。 気がするなんてもんじゃなく、まず間違いないだろう。 俺がせっかく人目を忍んで会いに来てやっているというのに、 「すみません、ちょっと今手が離せないんです」 の一言とキスだけで人のことを放り出しやがったり、延々二時間以上も待たせてくれたりしやがるからな。 心底苛立ちながらも、たまにしかまともに逢瀬を交わすことも出来ないせいで、ついつい待っちまう俺も悪いのかも知れん。 しかし、だからと言って俺の忍耐力や好意の上に胡坐をかくような古泉の態度は許しがたいものがある。 だが、一体どうやって古泉を懲らしめてやればいいんだろうな。 徹底的にやり過ぎて、古泉に嫌われるなんて事態は避けたい。 かといって、余りにも手ぬるいんじゃ意味がない。 どれくらいが丁度いいんだろうか、と考えている矢先のことだった。 古泉がそれを持ち出してきたのは。 「これを着て見てくれませんか?」 僕がそう言って差し出したのは、淡いグリーンのナース服だった。 リアルな色なのは、それがリアルにナース服だからである。 どこからどうやって手に入れたのか、なんてことは聞いてはいけない。 僕にもちょっとしたコネがあるという、至極単純な理由だから。 それを見た途端、彼は本気で嫌そうに顔をしかめた。 バリバリのネコで、その欲求の強さとそれを素直に見せてくれる奔放さには、僕さえ戸惑うくらいのだけど、彼には別に女装癖はない。 むしろ、女装なんて好きじゃないと言い切るような人だ。 それを分かっていて、僕がこんなものを持ち出したのは、彼がどこまで許してくれるのか、測ってみたい気持ちがあったからに相違ない。 いつも文句を言ったり、僕を振り回してくれたりしながらも、結局は僕に甘くて優しい彼。 しかし、その優しさは僕のみに与えられるものではなく、他の女性陣にも遺憾なく発揮されている。 だから僕は怖いのだ。 本当は彼にとって僕は特別なものではなく、ただ都合がいいだけの存在なのではないかと思ってしまいそうになるから。 ワガママを言ってみるのは、彼がそれを許してくれることが、彼にとって僕が特別であるという証のように思えるからだ。 他の誰にも許さないくらいのことでも、僕には許してくれるなら。 女装は、前に涼宮さんが頼んで却下されていた。 僕が頼んだことも一度くらいはあるけれど、その時は彼がたまたま知人に押し付けられて持ってきたものだったから、許されたという気もする。 僕が率先して用意してきたら、彼はどうするんだろう。 それが知りたかった。 許してくれるのか、はたまた呆れ果ててお説教を始めるのか。 どちらにしても僕は嬉しいのだろう。 「…俺に女装趣味はないぞ」 そう恨めしげに言う彼に、僕はいつも通りにこにこ笑いながら、 「ええ、知ってますよ。でも、着てもらいたいんです。…だめですか?」 「ぅ……」 俺は思わず言葉を詰まらせた。 というか古泉、年下の特権か何か知らんが、その上目遣いでの懇願は非常に危険だ。 体がでかかろうが何だろうが可愛く見えて、押し倒してやりたくなるぞ。 出来もしないことを考えながら、俺はもう一度ちらりとそのナース服を見た。 何でよりによってこんな丈の短いナース服なんだ。 しかもこれ、リアルに病院で使われてそうだぞ。 こんな短い丈の服を採用するような病院の院長はむっつりスケベで間違いあるまい。 いや、院長が制服を決定するのかどうかは知らんがな。 逃避のように余計なことも考えながら、必要なことも考える。 どうするべきだ。 ここで一発、ガツンと跳ね除けてやるべきか? しかしそれじゃああんまり堪えないだろう。 こいつも、普通に断られるくらいは予想の範疇だろうからな。 それじゃ仕返しにも何もならん。 仕返しというなら、もっと屈辱的な――。 思わず口元がニヤリと悪辣にゆがみそうになるのを堪えた。 よし、こうしてやろう。 恨むなら、ナース服なんて持ち出してきた自分を恨めよ。 などと思いながら俺は、 「いいぞ。…着てやろうじゃないか」 「本当ですか?」 僕が嬉しくて、声にも喜色を滲ませながら確認を求めると、 「ああ」 と頷かれた。 本当に、いいんだろうか。 予想以上の快諾に、何か裏でもあるんじゃないかと勘繰りたくなる。 でも彼は、いつも通りの、どこか不貞腐れたような表情で、 「お前がしたいんだろ。……まあ、俺も、時々妙なプレイに付き合わせちまってる自覚くらい、あるからな。これくらいなら…」 「ありがとうございます」 「それじゃ、着替えてくるから」 流石にこの場で着替えてはくれないらしい。 僕としても、そこまで強要するつもりにはならない。 これだけ許してくれるだけでも嬉しいことだ。 「はい、待ってますね」 「…ばか」 目元をほんのり赤くしながらそう毒づいた彼が服を持って寝室に消えた後、僕はそわそわしながら彼が着替え終わるのを待った。 いくらか時間がかかりすぎているような気もしたけれど、それはそれで、焦らされているようで悪くはない。 少しして、 「いいぞ」 と声を掛けられた。 そのくせ寝室から出てこないのは、つまり、そういうことだろう。 「入りますよ」 と言ってドアを開けると、ナース服を着た彼がベッドに腰掛けていた。 短すぎるスカートの裾を押さえて座っているのがなんとも言えず可愛い。 「なんでこれ、こんなサイズがぴったりなんだ」 なんてぶつぶつ言ってるのも。 「ここまでとは、僕も思いませんでしたけどね」 それは嘘じゃない。 出来るだけ近いサイズのものをとは思ったけど、本来女性用のそれが彼にぴったり合うとは思わなかった。 少々サイズが合わなくても、彼にはきっとよく似合うと思っていた。 それが、サイズが合うと余計に似合って、ドキドキしてしまう。 「可愛いです。とってもよくお似合いですよ」 「よせ」 恥ずかしそうに言いながら、彼はそっと目をそらし、 「……なあ、この服、汚しても平気なのか?」 「大丈夫です…けど……」 あ、嫌な予感。 全く予想してなかったわけじゃないけれど、彼がそこまでノル事態が発生する可能性は低いと思ってたんだけどな。 「そうか。…なら、気兼ねしなくていいな」 嬉しそうにそう言った彼は、 「さて、お医者さんごっこの定番なら、まずは触診か?」 と滅多に見せないようなイイ笑顔で言い切った。 「しょ、触診って…」 「大人しくしてろよ」 俺はそう言って古泉の頬を手で押さえた。 こつん、と額をくっつけてやると、古泉の顔が赤くなるのが分かって面白い。 こいつも、まだまだ初心だな。 「体温計がないから、熱はこれで、な」 「ぅ……はい…」 観念したか。 潔いのはいいことだぞ。 にんまりとほくそ笑みながら、俺は指を滑らせる。 触れるか触れないかというような軽いタッチで古泉の頬を撫で、あごのラインから耳までを辿ると、古泉がびくりと身動ぎするのが分かった。 「くすぐったかったか?」 そんな訳ないと分かっていながらそう聞けば、古泉が小さく唸るような声を上げた。 いかん、楽しいぞ、これは。 ギリギリまで焦らして、手を引けば、古泉がほっとしているのか物足りないのか分からないような顔をした。 「今度は心音でも聞いてみるか。シャツのボタン外せよ」 「え…」 それを僕に要求するんですか。 「なんだよ。文句でもあるのか?」 いつになく楽しげに笑った彼は、僕が逆らえないと解っているんだろう。 「看護婦さんの言うことは聞かなきゃ、なぁ?」 「か、看護婦さんって…」 「誰がこんな衣装を用意したんだ? ん?」 うわ、分かってしまった。 「あなた…怒ってたん、ですね…」 僕が女装なんてさせるから。 「……俺が怒らないとでも思ったか」 「す、すみません。でも、あの…」 「大体お前なぁ、最近調子に乗りすぎなんだよ。俺が甘い顔ばっか見せると思って、人のこと放っておいたりして……」 「え」 怒ってるのって女装じゃなくて、そっちなんですか? 「…なんだそれは。どういうリアクションだ」 「いえ……あの、もしかして……」 どうしよう、心臓がドキドキしてる。 これを彼に聞かれるのは非常に恥ずかしい。 けれど、今更どうしようもない。 「…寂しかった、ん、ですか…?」 「――っ、」 煩いバカ黙れコノヤロウ! お前なんか古泉のくせに、生意気なんだよ! 真っ赤になって怒鳴ってやりたいのに、うまく言葉が出てきやがらねぇ。 それなのに古泉は心底嬉しそうに笑いながら、 「すみません、気付けなくて。でも……あなたはいつも平気な顔をしてるから、僕がいなくても全然平気なのかと思ってしまっていたんです。そうじゃ、なかったんですね」 「……」 彼はふくれっ面になって黙り込んでしまった。 赤くなったままの顔も、拗ねた仕草も、どうしよう、可愛すぎる。 「あなたの好意に甘えてしまってすみません。あなたが甘やかしてくれるから、つい、甘えてしまうんです。あなたも……僕のこと、頼ってくださいね」 恥ずかしいことでも何でもいい。 今更彼に幻滅なんてしないし、僕だって今更逃げられやしないんだから。 「あなたが好きですよ」 そんな言葉で俺の機嫌を取れると思ってるんだろ。 「違いますよ。僕が言いたいから言うんです。それとも……だめですか?」 「…だめ、じゃ、ない……」 「ありがとうございます」 笑った古泉が可愛くて、腹立たしくて、憎たらしいので、俺は腹いせに古泉の唇に噛みつくようにキスしてやった。 続き? ああ勿論続行してやったに決まってる。 自分でシャツのボタンを外させられたり、胸に耳を押し当てられて赤くなっている古泉は非常に可愛かった。 最終的に、諸々の謝罪とこれからは俺を極力優先させるとの言葉を引き出したから、善しとしてやったが、また俺を邪険にするようなことがあったら、その時はこれくらいじゃ済まんぞ。 |