別れ話



夜中にいきなり携帯が鳴った。
掛けてきたのは古泉だったが、さてこの古泉はどういう意図で電話なんて掛けてきたんだろうなと、携帯を開きもしないまま考える。
ハルヒが何かやらかしたので、「超能力者」または「機関の構成員」として電話を掛けてきたのか、それとも「同じSOS団の仲間」として掛けてきたのか、はたまた、「恋人」としての電話なのか。
後ろ二つならとってもいいんだが、一番最初のならあまり出たくはないな。
しかし、どれにしても同一人物である以上、電話に出なければどれかは分からない。
仕方なく、俺は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『もしもし、僕です』
聞こえた声に、どこか違和感があった。
今にも泣き出しそうな声、子供が涙を堪えている時の声に似ているような気がしたが、古泉に限ってそれはないだろう。
「何かあったのか?」
『…お願いが、あるんです』
小さな声が聞こえた。
よく聞こえん、と苛立ちながら耳に携帯を押し当てると、
『別れて、ください…』
「………は?」
いきなりなんだ。
冗談だとしてもあまりに笑えん。
そして、笑ってしまうにはあまりにも本気に聞こえる声だった。
『冗談じゃ、ないんです』
嗚咽にも似た小さなノイズが混ざる。
「それならそれで論理的な説明をしろ」
俺の声が不機嫌になったことを誰が責められようか。
あれやこれやの紆余曲折を経て、やっと付き合えるようになったばかりだぞ。
それなのになんで、そんなことを言われねばならんのだ。
機関の命令だったりした日には全力で却下した上、機関のお偉方に直談判くらいしてやる。
『嫌、なんです。あなたと、いると、僕は僕で、……古泉、一樹で、いられなく、なってしまうから…』
なんだそれは。
理由を思いつかないにしてももう少しマシないいわけくらいあるだろう。
「古泉、意味が全く分からん」
『ですから…っ』
完全にしゃくり上げながら、古泉は告げた。
『もう、嫌なんです。あなたの、ことを考えたり、あなたに少しつれなくされただけで、自分でも見苦しくてどうしようもないくらいに嫉妬して、不安して、胸の中どころか体中を全てみっともない感情でいっぱいにしてしまうことも、それで日常に支障が出てしまうことも、嫌なんです。苦しいんです。僕を、この苦しみから、解放してください……』
「……えぇと、古泉」
俺は熱くなってきた頬を押さえながら古泉に尋ねた。
『は、い…っ?』
「俺は今、別れ話をされてるんだよな?」
『そう…ですよ……?』
「……どう聞いても、激烈な愛の告白にしか聞こえないんだが?」
『それは…だって、僕は、あなたが好きなんです。愛してるんです。……でもっ、だから、こそ、あなたと一緒に、いたくないんです。あなたと恋人なんて言う言葉で繋がっていたくないんです…』
「それが分からん。好きだって言うならなんで別れなきゃならんのだ」
『だから、さっきから言ってるじゃありませんか…!』
一際大きく古泉がしゃくり上げるのが聞こえた。
『怖いんです…。僕といない時にあなたが誰といるのかと考えてしまったり、携帯に掛けてもあなたが出られない時に何があったのかと不安になったりしてしまうことが、嫌なんです。あなたを縛り付けてしまいそうな、自分が、恐ろしくて、怖くて…どうしても、…っく、とめ、られなく、なりそうで……』
だから別れたいって、お前はそれでいいのか?
『いいです…。付き合ってなければ、こんな独占欲なんて、抱きません…。以前はあなたが誰と会ってても、平気でした。付き合い、始めてから、僕はもう、だめなんです…!』
「あー……古泉少年、そう泣くな」
今頃あのハンサムな面がどれだけ崩れてしまっているのかと思うといささか愉快な気分にならないでもないのだが、その前に、こうも素直に泣かれると流石に困る。
本当にこいつはいくつなんだろうか。
年上だとしか思えない時もあるのだが、こんな時には、それとは逆の意味で、本当に俺と同い年かどうかすら疑わしくなる。
『あ、なただって、い、嫌、でしょう…? こんな、こと、言われたら…気持ち悪いと、…ひっく、思う、でしょう……?』
「……まあ、全く思わないといえば嘘にはなるな」
『…っう、だ、だったら…』
「だが、……悪くは、ない、かもな」
俺までしどろもどろになりながら、そう言うと、古泉が沈黙した。
「お前、分かり辛いんだよ。嫉妬してんのかとか、不満があるのかとか、そんなのが全然分からん。いつも笑顔で、何考えてるのか分からんせいではあるんだろうが、だから、……その、そうやって正直に言われると、……嬉しいとも、思う…ぞ……」
『……本当、ですか…?』
「ああ」
『…すみません』
「…って、なんで謝るんだ?」
『あなたに、気を遣わせてしまって、すみません。…僕、なんて、そうしてもらえるだけの、価値もないような、人間で、こうやって、言ったら、あなたが引き止めてくれると思って、不躾にも、夜中に電話なんて、してしまって、僕は、最低なんです…っ』
……お前は鬱か。
ハルヒの憂鬱なんて比べ物にならん。
鬱病患者としか思えんぞ。
俺は深い深いため息を吐くと、
「古泉」
『…はい……』
「……愛してるぞ」
『…っ…!?』
携帯の向こうで古泉が息を呑むのが聞こえ、俺は小さく笑った。
「愛してる」
『な、なんなんですかいきなり…!』
「お前の言うことに一々反論したところで、今の状態ならネガティブな発想に繋がるだけだと思ってな。そう出来ないような言葉を考えたら、それくらいしか思いつかなかったんだが、不満か?」
『不満だなんて…そんなことはありませんけど……』
うろたえているらしい古泉を想像すると可愛く思える。
「お前に会いたい」
『…え……』
「抱きしめたい」
今抱きしめたら俺の肩まで濡れたりするんだろうか。
それとも、流石にそこまで泣いてはいないか?
どちらにしろ、思い切り抱きしめてやりたい。
『か、からかってるんでしょう…っ?』
声にまた泣き声が混ざる。
だからどうしてそこまでマイナス思考なんだ。
いつも笑顔でいる反動でも来たのか?
『あなたに、嫌われたくないんです…っ。でも、今のままだと、嫌われてしまうような、ことしか、出来ない、ように、思えて…、……嫌、なんです…! だから、お願いですから…』
「古泉、」
俺は苦笑しながら言った。
「それで別れて、お前は満足なのか?」
『そうじゃ、なかったら…自分から、こんなこと、言えませんよ…』
「……それなら、考えてやらんこともないではないが、」
言いながら胸が軋むように痛むのを感じた。
ああくそ、口先だけだって分かってるんだろう。
それなのになんでこんなに痛むんだ。
「その場合、俺はしばらく休むからな」
『…あの、それはどういう意味でしょうか……?』
「とりあえず、三日は泣き暮らす。それから、そうだな、お前になんらかの制裁を与えるための調べ物や制裁の準備をするのにもう数日要るか。で、さらに一週間くらいは失恋の痛手から回復するために昼夜逆転生活を送り、夜中にその辺の盛り場に繰り出すだろうから、半月は顔を合わせないと思ってくれ」
『それ、学校も休むってことですよね…?』
「ほかにどこを休むって言うんだ」
そりゃ、SOS団も当然休んでやるが。
『そんなことをされたら…』
「困るだろ?」
『あなただって困るでしょう?』
「俺? まあ、それはそうだろうな。出席日数が足りなくなるほどではないにしろ、受験の時に不利になるのは確実だろう」
『それなのに、そうするって言うんですか』
「ああ。言っておくが、脅しじゃないぞ? 有言不実行は好きじゃないからな」
それが嫌なら、と俺は唇をいびつな笑みの形に歪めると、
「別れるなんてバカなこと、言うなよ」
『……あなたという人は…』
「少々のストーキング行為や拘束プレイくらいなら、許容してやるから、あまり思い詰めるなよ」
『な、なんでストーキング行為とか拘束なんて話になるんですか!?』
「あん? したいんじゃなかったのか?」
『そんなこと言ってません!』
「そういう意味に聞こえたんだが……まあ、それはいい。とにかく、分かったな?」
『……はい』
うな垂れた古泉の姿が見えるようだ、と思いながら、俺は一応満足し、
「それじゃ、また明日、学校でな」
『はい…』
「……帰りにはお前の部屋に寄るから、部屋、片付けてそれなりに準備しておけよ」
『え、あの、それって…』
「分かりきったことを聞くな」
と言い捨てて、俺は通話を断ち切った。
そこまで親切に説明してやる義理はない。
当面の問題は、この軽い興奮をいかに冷まして眠りにつくかということ、ただそれだけだ。

なお、後日になって、古泉のそういった鬱的症状は定期的に発生する、奴の持病であるらしいことが判明した。
……とっとと病院に行ってくれ、頼むから。
その度毎に苦労する俺の心臓のためにも。