俺はぼんやりと人波を眺めていた。
珍しくハルヒが、
「今日の活動は休止! みんな帰ってもいいわよ」
と怒鳴ってどこかへ飛び出していったせいで、まだ早い時間だというのに俺は高校の外にいる。
家に帰らずにこうして道端の花壇に腰を下ろして缶ジュースを飲んでいるのは、物足りないからだ。
物足りないのは、古泉がいないから。
俺のこの依存っぷりもいい加減危ないな。
古泉なしじゃ生きていけない、なんて、陳腐な恋愛小説のセリフ染みたことを考えてしまいそうになる。
人の流れをこうやって見ているのも、久し振りだ。
中学の頃にも時々こうしてたっけな。
そうして、通りかかる人間の顔や仕草を品定めして、好みだと思ったりしてたはずなんだが、今じゃそれさえ出来やしねえ。
それくらい、古泉に夢中という事実が恥ずかしいが、ある意味正しいことだろう。
目の前を通り過ぎていく、ちょっと俺好みの外見をした四十絡みのサラリーマン風の男を目で追いながら思うことも、古泉が年取ったらあんな感じになってくれねえかな、とかそういうことで。
つまりは、この先何十年も一緒にいたいと思っちまってるってことだ。
ここまでひとりに夢中になって、ずっと先まで考えるようになったのは、古泉が初めてだった。
それまでは、いつ捨てられるかとびくびくしていたし、刹那的な恋愛でも十分だと思っていた。
だから、古泉に大事に扱われ、この先もずっとと言葉にされるたび、本当にそれでいいのかと問いたくなる。
無理していないのか。
俺に遠慮してるんじゃないのか。
そんなことを思うことも多い。
実際尋ねると、古泉はいつものように笑いながら、
「無理なんてしてません。満足もしています」
と言うのだ。
最近は、あいつも調子に乗ってきたのか、それとも俺に毒されたとでも言うのか、
「不満があるとしたら、あなたが積極的過ぎてついていけない時くらいのものですね」
などと付け足したりもしてくるようになっているが。
憎らしい、と思うのに、それくらい自己主張をしてくれた方が安心だとも思う。
古泉は、もっとわがままになっていい。
出来れば、俺だけにわがままになってほしいと思うのは、独占欲というやつなんだろうか。
うーん、と考え込んだところで、
「珍しいですね」
と古泉の声がして。
驚いて振り返ると、
「あなたがこんなところにいらっしゃるとは」
「あ、ああ…」
少しばかり挙動不審になったのは、今の今まで考えていた相手がいきなり登場したせいだ。
「お前、バイトは終ったのか?」
「ええ、終りました」
五時間目の途中に教室を出て行ったというような話を聞いていたから、大体二時間以上はかかっている計算になる。
ご苦労様だ。
「あなたは、お暇なんですか?」
「ああ、ハルヒが今日は休みだって言うんでな」
「では、うちへいらっしゃいませんか?」
「構わないが……」
どうしたんだ。
古泉が、らしくもなく強引に思えた。
あるいは、性急に。
「実はですね、」
と古泉は俺の耳元へ唇を寄せ、
「…凄く、シたいんです」
俺は一瞬ぽかんとして、古泉を見た。
古泉の頬がかすかに赤い。
俺はニッと笑い、
「お前にしては珍しいが、悪くはない提案だな」
と言いながら、俺は腰を上げた。

歩いて古泉のマンションへ向かい、エレベーターに乗り込む。
ドアが閉まるのを待つことさえ惜しむかのように、古泉が俺にキスをした。
触れるだけじゃない、濃厚なキス。
下りるべきフロアーへの到着を告げる音が鳴るまで、それは続き、俺は濡れた唇を軽く指で押さえながら、
「何かあったのか?」
と聞いた。
どう考えても、古泉らしくない。
そうなるだけの理由があるはずだ。
だが古泉は笑って答えなかった。
いつになく焦れた様子は、部屋に入ってからも続き、玄関に施錠するなり抱きしめられ、キスされた。
「ちょ、古泉…待てって…」
求められるのは嬉しいが、おかしすぎる。
それに、制服が汚れるとまずいからさっさと脱ぎたい。
「待てません」
いつになく強い口調と、ギラついた目にぞくりとした。
せめて目だけでも見なけりゃ良かったと思うくらい、欲情を誘う目だった。
「…っ、制服、汚れたら…乾燥機とアイロン貸せよ…!」
「僕が洗濯もします。だから、……ね」
頷く代わりにキスをした。
舌を絡めて、口腔を探って、歯列をなぞって、どこからどこまでが自分の体で、どこから先が古泉なのか分からなくなるほどに。
慌ただしくシャツのボタンを外され、ブレザーも床に落ちる。
その床の上へ、俺自身も押し倒された。
玄関先で古泉を押し倒したことは数回あるが逆は初めてだな、と思う余裕もすぐに掻き消される。
赤く、敏感になった乳首に吸い付かれ、歯を立てられて、思わず声を上げた。
「んぁっ…古泉…?」
本当にどうしたんだお前、という問いを含んだ声にも、返事はなかった。
気味が悪いくらい、古泉は無口だった。
それくらい、目の前の快楽を貪るのに必死だった。
何があったか聞くのは、後で出来るだろうが、本当にそれでいいんだろうか。
迷いながらも、古泉を突き放せないのは、こんなにもあからさまに求められるのが初めてだからだろう。
古泉に限った話ではなく、本当に、生まれて初めてだった。
それだけに、不安になる。
体を繋ぐ行為自体に変わりはないのに、何かが違っているように思えた。
古泉の指が中へ入り込んだ段階で、違和感の正体に気がついた。
古泉が服を脱いでいないのだ。
いつも俺が脱がしていたせいか、大抵古泉は自分も服を脱ぐ。
まるで、素肌を合わせること自体に意味を持たせたいかのように。
それなのに今日はボタンのひとつどころかネクタイさえ外していなかった。
一方的に、俺だけ脱がせて、乱れさせている。
――もしかすると、俺がまた何かやらかしてしまったんだろうか。
古泉に、嫌われるようなことを。
それで、古泉はもう俺と肌を合わせたくないとでも思ったんだろうか。
体だけ繋いで、快感を貪るだけだと、思われたんだろうか。
「…ゃ、だ……」
情けない声と共に、涙がこぼれた。
古泉が動きを止め、やっと俺を見る。
「ど、どうしたんですか!?」
「…頼む、から、……嫌いに、ならない、で、くれ…」
ぼろぼろとこぼれていく涙の下からそう訴えると、古泉が驚いた顔をした。
「なんでそんな話になってるんですか!?」
「だ、って、俺が、何かしたんだろ、だから、怒って、そんな、…怖い顔で、服を脱ぎもしないで、一方的に、してんだろ…」
「違います!」
心底慌てた様子で、古泉が言った。
「すみません、誤解させてしまって。服を脱がなかったのは、そういうことじゃなくってですね、その…」
困ったように言いながら古泉は指を引き抜き、自由になった手でネクタイを外し、ブレザーとシャツを脱ぎ捨てた。
露わになったのは、白い包帯を巻かれた体で。
「お前、どうしたんだよ、それ!」
今まで泣いていたことも忘れて俺が問うと、
「バイトでちょっと怪我をしまして、包帯を巻かれているので見た目は凄いですけど、実際の傷はそうでもないんです」
「それにしたって…そんな怪我してんのに何で……」
「怪我をしているからこそ、でしょう」
自嘲するように古泉は笑った。
「怪我をした瞬間は、本当にこれで最期かと覚悟しましたしね。そうであればこそ、あなたを見たら我慢出来なくなりました。今、生きてあなたに会えることが嬉しくて、あなたが欲しくて堪らなくなったんです。それに、人間も動物ですからね。命の危機に際したり、大きな怪我を負ったりすると、種族保存の欲求が働いて、性欲が高まるものなんです。それで、余計に我慢が効かなくてですね…」
「…口をきく間も惜しんだってことか」
「すみません」
「……全く、」
と俺は笑いながら、
「種族保存と言ったところで、俺の中に出しても俺は孕めないぞ」
「それが残念なところですね。僕とあなたの子供なら、いい子が育つと思いません?」
「かもな」
笑いながら、俺は心底驚いていた。
俺は今までずっと、男として男が好きで、女の代わり扱いをされるのも、女のように扱われるのも嫌いだったはずだ。
それなのに、古泉が相手なら、産めるものなら産みたいとさえ考えている。
そのことが不思議で、驚きだった。
同時にそれが嬉しくもあり、
「ハルヒが気まぐれを起こして、男でも孕めるようにしてくれてるかもしれないから、試してみないか?」
と囁くと、古泉が苦笑しながら言った。
「明日、辛くなったらすみません。今日は本当に、止まれそうにないんです」
「それでいいから、気にするな」
むしろ、その方がよっぽど嬉しい。
それだけ愛されてる証だと思えるからな。
俺は、古泉に痛みを与えないように気を遣いながらも、その体を強く抱きしめた。
込められるだけの愛しさを込めて。