それは、古泉と付き合いはじめて一月が経つか経たないかという頃のことだったように記憶しているのだが、何しろ日々妙な出来事に巻き込まれ、あるいは分かりやすく青春を謳歌しようとする自分の頭及び体の暴走によって俺の時間間隔も大分狂って来ているから、実際はもっと早い時期だったかも知れないし、遅かったかもしれない。 重要なのはその時俺と古泉が既にこそこそと人目を忍ぶ付き合いをはじめていたということと、俺が古泉への嫌になるほど強い執着心を抱いていなかった、ないし、自覚していなかった頃だということである。 もう暦の上では秋になって久しいと言うのにまだまだ冷え込むという言葉には程遠い気温が続いていた。 季節までがハルヒのお気楽脳天気に合わせちまったか、はたまたハルヒのとんでも能力で調子を崩されたに違いない。 何しろ、長門による天候操作でさえ数百年から一万年という範囲に後遺症を残すとかなんとか言われたってのに、あいつのやったことと言えば、天候操作の比じゃないからな。 地球だって調子を崩すさ。 まあしかし、暖房設備の一切ない部室で寒さに凍えるよりはずっとマシなので、とりあえずはいつまで続くか分からないこのささやかな好適環境を満喫させてもらおう。 などと俺がくだらないことを考えていても、古泉は俺に勝てないらしい。 ほい、チェックメイト。 「また負けてしまいましたね」 というか、お前、本当に勝つ気があるのか? 「ありますよ、もちろん」 確かに、少し前に「負けたら勝った方の言うことを何でも聞く」という賭けをやった時も、いつもと同じ調子で、というよりもむしろ、妙に張り切ったからなのか、いつもより酷い負けを喫した古泉だから、その言葉に偽りはないんだろう。 もう少し強くなってくれないと、こっちも面白くないんだがな。 「すみません」 かすかに落ち込んだ気配を見せる古泉に、嗜虐心が煽られる。 古泉は可愛いとかそう言う言葉は似あわないのだが、なんとなく、虐めたくなるような奴だ。 一度ぼろぼろに泣かせてみたいと思っているんだが、どうやったらいいんだろうな。 泣いて懇願するまで焦らせばいいんだろうか。 「うーむ」 俺が腕を組んで考え込むと、古泉がぶるっと身を震わせた。 「どうかしたのか?」 「いえ、急に寒気が……」 勘のいい奴め、と内心で毒づきながら、 「風邪じゃないのか? このところの天候は少しおかしいからな」 「そうかもしれませんね」 なんにせよ、体は大事にしろよ。 ただでさえ無理してるんだからな。 ――と口に出さなかったのは、不穏な気配を感じたからだ。 強烈な視線、これはまず間違いなく、 「ハルヒ」 俺は団長席でパソコンを弄っていたはずのハルヒに目を向けながら言った。 ハルヒは、むー、とか、じー、とかそういう音が似合いそうな目で俺を見ていた。 正確に言うなら、俺と古泉を、だろうか。 まさか気取られたわけじゃないよな。 「何か用か?」 「用があるわけじゃないけど、なんとなく納得してるだけ」 何にだ。 「あんた、自分が噂されてるって知ってる?」 どういうことだろうな。 俺がSOS団の怪しげな仲間たちの一員として噂されているのはあらためて言われるまでもない周知の事実だと思うのだが、ハルヒが言いたいのはそういうことではないだろう。 俺個人でされる噂……となると、あれだろうか。 考えながら、俺は言った。 「知らんな。そもそも噂なんてものは本人のいないところでされるから、なかなか耳には入らないものだろう」 「そうかもね」 「それで、どんな噂なんだ?」 ハルヒは少し考えた後、 「――あんたがゲイだって噂」 その言葉に古泉は笑顔のまま硬直した。 全く、何をやってるんだろうな。 ポーカーフェイスがウリじゃなかったのか? 俺の方がよっぽど得意じゃないか、と思いながら俺は平然と、嫌悪感丸出しの顔をした。 「誰が何だって?」 「あんたがゲイだって」 「アホか」 吐き捨てて、俺はハルヒを睨んだ。 「誰から聞いたんだ? お前のことだから噂の出所くらい突き止めてるんだろ?」 「まあね。…あんたと同じ中学だったって言う、二年の女子よ」 その言葉に、俺は大仰にため息を吐いてみせた。 「…またか」 と。 ハルヒはその言葉に身を乗り出し、 「また? またって何よ」 「たまにそう言う噂を流されるんだよ。大抵いつも同じ先輩でな。かといって、噂なんてものの責任を取らせるのは難しいだろ。いつも放っておけばそのうちなくなるから、無視するんだが…どうしたものかな」 「あんた、その人に何かしたの?」 「何かしたって記憶もないんだがな」 と、これは嘘だ。 本当は、その先輩が過去に付き合ってた男と俺が一時期付き合ってたためであり、よりを戻そうとした先輩が男に、俺を理由に断られたのを根に持っているらしいのだ。 まったく、女ってのはそういうところが怖いよな。 ちなみに既に二年ばかり前の話である。 なお、俺は物証を握らせるようなヘマなどしていないので、噂になってもそのうち収まるというわけだ。 真実も知らないで、ハルヒはしたり顔で言う。 「いるのよね、そういう陰険なの」 「俺のどこを見ればホモに見えるって言うんだろうな」 「本当よねー。ゲイならあんな風にみくるちゃんに鼻の下伸ばしたりしないはずだもん」 まだ根に持ってんのがここにもいたか。 視界の端に、呆れ切って言葉もない古泉の姿が映っていた。 「全く、今日はハラハラしました」 帰り道、ハルヒたちと別れ二人になってから、古泉がそんなことを言った。 「それはこっちのセリフだ。堂々としてたらいいのに、何でああいう時ばっかり顔色を変えるんだ、お前は」 と古泉が平然としていられなかったことを咎めると、古泉は苦笑して、 「すみません。いきなりだったものですから。でも、あなたは本当に上手く誤魔化しましたね。惚れ惚れしましたよ」 呆れていたようにしか見えなかったんだが、それはまあいいだろう。 それより古泉、お前だって分かってるんだろう。 図星をさされて素直に反応してたらばれるんだから、堂々としてりゃいいってことくらい。 俺はいつもそうやって誤魔化してきたぞ。 コツは物証をつかませないことだな。 「その通りでしょうね。それをあなたは実行しているということですか」 そうだ。 だから、当分お前と二人では会わないからな。 「何でですか!?」 お前、頭悪くなってないか? 俺の噂の再燃はどう考えても、女子に人気のある古泉と一緒にいるからだろう。 古泉は女嫌いだかなんだか知らんが、SOS団やハルヒの前以外では女子に冷たい。 もしかすると、ハルヒの耳に入ってないだけで、古泉のゲイ疑惑も流れてるのではないだろうか。 その状況下で古泉と一緒にいれば、噂を助長するだけだろう。 付き合いはじめてそう経ってもいないのにまともに会えなくなるのは残念だが、一応団員としては会えるんだし、身を守るためには少々の犠牲は必要なものだ。 「とにかく、しばらくはただの団員同士ってことだ」 俺が言うと、古泉はすねたようにそっぽを向きながら、 「……僕が浮気しても責めないでくださいね」 俺はふんと鼻で笑い、 「出来るもんならやってみろよ」 「そういうことを言うんですか」 古泉の顔が泣きそうになってか、はたまた悔しさにか歪むのを見ながら、 「その時はお前のモノが二度と役に立たなくなるように噛み切ってやる」 と、半ば本気で言ってしまった。 それが半ばで済んだのは、この時の俺がまだ今ほど古泉に入れ込んでいなかったためと、古泉にそんな度胸があると思っていなかったからだ。 今、同じことを言われたら、どうするんだろうな。 そのままどこか物陰に連れ込んで泣かす気がするが、こればっかりはそうなってみないと分からない。 我ながらテレビの悪役張りの顔でそんなことを言った俺に、古泉はどことなく嬉しそうに、 「はいっ」 と返事をしていた。 その笑顔を見て、虐めてやりたい、と思ったことは口が裂けても古泉には言えないな。 |