古泉とアイコンタクトで会話を成立させるってのは俺の特権だったと思っていたんだが、どうやら違ったらしい。 古泉とのやけに親しげに見える態度と長門への攻撃的な発言、加えて俺の学力にまでいちゃもんをつけてきたことで、俺は一気に生徒会長への好感度を下げた。 顔と声だけならそこそこ好みだったんだがな。 むかつくのは古泉の態度もだ。 こいつ、絶対俺に何か隠してる。 古泉のくせに生意気だ。 後でなんとしてでもとっちめてやる。 俺はハルヒと会長の遣り取りを、苛立ちながら見遣った。 ――とまあ、そんな感じだったから、会長と古泉が結託していることを聞かされても俺は大して驚かなかった。 かわりにわきあがってきたのは、胃のムカつきに似た感覚だ。 まあしかし、いくら俺でも校内で古泉を締め上げるわけにはいかないので、大人しく、しかし静かに怒りを燃やした。 結局、古泉を問い詰めることが出来たのは、ハルヒの命令による不毛、かつ、どうしようもないような作業がとりあえず終了し、その足で古泉の部屋に上がりこんでからだった。 ソファに押し倒した古泉に馬乗りになって、 「説明してもらおうか」 と機嫌の悪さを隠しもせずに言うと古泉は、 「先ほどの説明では不十分でしたか?」 ああ、不十分だね。 あの野郎を見つけてきたのも説得したのも、お前なのか? 「ええ、そうですけど、それが何か?」 ぎりりと音がするほど唇を噛み締めた。 胸に開いた穴から、理不尽な苛立ちだけが吹き出してくる。 そう、理不尽だと分かっている。 分かっているのに、止まらない。 「あの…?」 困惑しながら俺を見上げる古泉を睨みつけると、古泉はぎょっとしたような顔をした。 俺はよっぽど凶悪な顔でもしてたんだろうか。 怒りに任せて、俺は古泉の唇に噛み付いた。 戸惑う舌を絡めとって、歯を立てる。 この舌が憎らしい。 甘ったるい言葉を囁いて、同じように嘘をも吐くこの舌が。 俺は突き放すように唇を放し、 「どうやって説得したんだ?」 「どう、って…」 この憎たらしい舌先三寸で引っ掛けたのか? それとも、俺が教えてやったことも使ったのかよ。 「な、何を言い出すんですか!?」 古泉が本気で驚き、何とか誤解を解こうとしているのが分かった。 それでも、止められない。 どす黒い感情に何もかもを塗り替えられたような気分だ。 俺は我ながら残酷だと思わずにいられないような言葉を吐く。 「キスくらいしてやったのか?」 「そんなこと、するわけないでしょう!?」 「どうだかな。お前は結局、俺よりも機関が大事で、機関のためならなんだってするんだろ」 恋人に仕事と自分どっちが大事なのか聞くような、最低な人間になった気分だ。 古泉が俺より機関を取るのは当然で、仕方がないことだと分かっているのに。 同時に、それを言われた古泉が黙り込むしかないことも、理解しているくせに。 ――吐き気がする。 思わず顰めた顔に、古泉の指が触れた。 大きいくせに白くて綺麗な指先が、俺の頬をなぞる。 何をしてるんだ、と俺が思った時、古泉が言った。 「…泣かないでください」 怖々視線を落とすと、古泉の服のあちこちに水滴の跡がついていた。 ――待て、俺は一体いつから泣いてたんだ。 「僕を押し倒して少しした時からです」 そう言った古泉の腕が、俺の腰に回され、俺は古泉の上に倒れこんだ。 「すみません」 俺の方がよっぽど不条理に怒り狂っていたのに、何故か古泉が謝った。 う、と喉が嫌な音を立てたかと思うと、堰を切ったように涙が溢れ出して止まらなくなった。 恥ずかしげもなく声を上げて泣く俺を、古泉は優しく抱きしめていてくれた。 普段の古泉を見ていれば、今のこの態度を見れば、生徒会長に妬くのはお門違いだと分かるし、古泉にキレたのも間違いだと分かる。 それでもあんなに見っとも無く当り散らした俺を、古泉は嗤いもせずにただ慰めた。 だが、このことで俺は痛感した。 俺は、こんなにも古泉のことが好きだったんだと。 最初は正直言って、ちょっとした興味と悪ふざけでちょっかいを掛けただけだった。 だから、いつ離れられても構わないと思った。 実際、一度は諦めて、俺の方から離れようと思ったくらいだしな。 それなのに、気がつくと本気になっていた。 古泉にはどうしようもないはずの状況で嫉妬したことは、これが初めてじゃない。 古泉を疑ったことも。 その度に、見苦しいとしか言いようのない醜悪な姿をさらす俺に、いい加減愛想を尽かしたっていいだろうに、古泉はそうしないでいてくれる。 最初その外見やなんかに興味を持ったんだとしたら、今の俺は古泉が見せてくれる優しさやなんかにすっかり惚れ込んでしまっているんだろう。 たとえ古泉が傷を負い、その端整な顔立ちを歪められても、五体満足でなくなってさえも、俺の気持ちは変わらないに違いない。 古泉が年をとっても、俺のことを忘れてしまっても、――古泉が消えてしまっても、俺は変わらずこいつを思い続けてしまうんだろう。 そこまで好きになってしまったことが恐ろしくてたまらない。 俺は古泉を抱きしめて言った。 「俺のことを嫌いになったら、いっそのこと、殺してくれ」 何か言い掛けた古泉を遮って、俺は情けなく涙に滲んだ声で続ける。 「俺は、もう、お前なしじゃいられない。だから、お前に迷惑を掛ける前に……殺して」 直接手を下せとは言わない。 お前が俺に死ねと言えば、俺は悦んで死ぬ。 お前の言葉で死ねることを、心の底から悦んで。 「何を言い出すんです」 驚いている古泉に、俺は作り笑いでも自嘲の笑みでもない笑顔を見せた。 「愛してる」 そして今度こそ、その思いの丈を込めたキスをした。 「すみません」 と古泉がもう一度言ったのは、俺がそろそろ帰ろうかと思った時だった。 「何を謝ってるんだ?」 俺が問うと、古泉は非常に曖昧な笑みを浮かべた。 どう形容すれば伝わるんだろうな、これは。 嬉しさと困惑、それからこれから叱り飛ばされるのを覚悟しているとでも言うような諦観を混ぜればこうなるんじゃないだろうか。 「実は、ですね」 と古泉は言い辛そうに視線をさ迷わせながら言った。 さっさと言え。 俺は帰って飯を食うんだ。 「――本当は、もっと前に、あなたにお伝えしておいてもよかったんです」 それは、会長のことか? 「ええ、そうです。あなたが演技が下手だというならともかく、これまでに自分の性癖を隠し遂せてきたような方ですからね。あえてああするまでもなく、涼宮さんたちに不審がらない程度には話を合わせ、ご自分の立場に相応しい態度をとってくださったでしょう。だからこそ、彼が協力者であることも明かしたわけですし」 つまり、何だ? もっと前に、例えば会長が決まった時や、長門を呼び出す前にでも俺に伝えていても構わなかったのに、お前はそれをしなかったということか。 「その通りです」 「何だってそんなことをしたんだよ」 知ってりゃ、俺がここまで醜態をさらすこともなかっただろうに、と言った俺に、古泉は口元を隠した。 にやにやしそうになるのを隠してるつもりだろうが、意味がないぞ。 「その、あなたが醜態と仰る姿を見たかったんです」 ……なんだと。 「僕はあなたより年下で、頼り甲斐もないでしょう? あなたが以前に付き合っていたのは年上ばかりだと聞いていましたし、あなたは僕以上に色々と……その…本当に色々とご存知で、僕なんかでどうして満足していられるのか、いえむしろ、満足してくれているのかも分からなくて、不安だったんです」 だからわざと俺を嫉妬させたってことか。 「すみません」 笑顔で言われても、謝られた気になれないぞ。 しかし――そういうことなら、俺のあの見っとも無いことこの上ない姿に満足したのか? 「予想以上でしたね。あなたがそんなにも僕のことを愛してくださるなんて、思ってもみなかったもので。てっきり、僕のことは面白い玩具か何かと思っているのだとばかり、思っていました」 確かにお前に色々と教え込むのは楽しいし、いつまで経っても初心なところなんかはかなり面白がっているから間違いではない。 俺自身、ここまでとは思ってなかったしな。 「ですから、嬉しかったですよ。あなたがあそこまで言ってくれて」 言うな。 我ながらドンビキするしかないようなことをやっちまったと思ってるんだ。 幻滅されてないのは嬉しいが。 「僕の方こそ、あなたをまた騙してしまったわけですから、幻滅されてないかとひやひやしてるんですけどね」 これで幻滅出来るくらいなら、まだよかったんだろうけどな。 自分でもどうしようもないほど、好きで仕方がないんだからしょうがないだろ。 それに、古泉になら、騙されるのも楽しいから許してやる。 「ありがとうございます」 だから、機関とのことやなんかを変に気に病むなよ。 さっきは勢いでああ言っちまったけど、ちゃんと分かってるつもりだから。 「つもり、なんですね」 小さく笑った古泉に、俺は不貞腐れるしかない。 分かってるはずだったのにキレてしまった以上、何を言ったって無駄だろう。 「出来るだけ、あなたを不安にしないようにします。ふたりきりで会える時間を増やして、もっと色々な話をしたりしましょう。……それくらいしか、僕には出来ません。…すみま……」 古泉の唇を封じて、俺は笑った。 「それで十分だ」 「…ありがとうございます」 そう言って微笑んだ古泉を、本当に愛しいと思いながら、俺はもう一度その身体を抱きしめた。 いつまでも一緒にいたい。 離れるくらいなら死んだ方がマシだ。 そう思うほど、誰かを好きになったのは生まれて初めてなんだと、俺は古泉にどうやって伝えてやるべきだろうな。 |