自由研究



自由研究と題するなら、まず研究動機から語るべきなんだろう。
研究動機はシンプルな疑問だ。
どうして古泉の歯はいつもつるつるなんだろうか。
いつキスをしても、古泉の歯はつるつるとして舌ざわりがいい。
それどころか、食べ物の匂いや味がしたこともほとんどない。
よっぽどこまめにハミガキをしているんだろう。
うちの妹にも見習わせたい。
しかし、いくらマメに歯を磨いていても、ああもつるつるした状態を維持できるとは思えないんだが、そうでもないんだろうか。
そのところを調べてみたくなった。
調べ方も単純だ。
油断してそうな時を適当に狙って、キスしてみる。
それで分かるだろう。

昼休みに廊下を歩いていると、古泉の姿が見えた。
「よう」
と声を掛けると、
「どうも」
と軽く頭を下げた。
他人行儀だな。
まあ、人目を忍ぶ身の上としては正しいんだが、ちょっとつれないだろう。
俺は少しだけ苛立ちつつ、
「今暇か?」
「ええ、時間は空いていますが……何か?」
「じゃあ、ちょっと付き合え」
と俺は古泉をつれて歩きだした。
どこに向かうと考えていたわけじゃない。
人気の無さそうなところを探しただけだ。
階段を下りた行き止まり、階段下の埃っぽいスペースは人目のないいい場所だったが、声を上げると響くのが難点だった。
まあ、それくらいは耐えてもらうとしよう。
「こんなところで何をするつもりなんですか?」
古泉の問いには行動で答えてやる。
抱きしめて、腕を首に回し、引き寄せてキスをする。
古泉の認識では俺はすっかりキス魔扱いであるらしく、一瞬驚いたものの、大して抵抗もせずに古泉はキスを受け入れた。
歯列をなぞると、つるつるとした触感がある。
すでに歯磨き済みなんだろう、ミントの味がほんのりとした。
調べ始めて一発目で疑問解決と行くとは思わなかったから、仕方ないと諦めて、素直にキスを貪った。
このところ古泉もキスがうまくなったななどと考えながら。

次はまた別の日の放課後だった。
朝比奈さんのお茶を頂戴し、二人で将棋など指しつつ、少し時間を潰す。
一局終えた後、俺は椅子から立ち上がり、古泉に言った。
「古泉、行くぞ」
「どこへでしょう?」
「いいから来い」
古泉は大仰に肩を竦めると、並べなおそうとしていた駒を置いて立ち上がった。
「どうしたんです?」
歩きながら問われ、俺は答えた。
「キスしたくなったんだ」
古泉は軽く眉を上げて見せ、
「本当にお好きですね」
と笑った。
五月蝿い。
確かにキスは好きだがこれは純粋な好奇心もあってのことなんだ。
「いいから、キスしろ」
部室棟の人気のないトイレに古泉を連れこみ、キスをした。
くどくどと描写はしないでおく。
どうせ大して変わらないからな。
そこ、マンネリとか言うな。
結論を言おう。
――つるつるだった。
ついでに言うなら無味。
誰かこいつの使ってる歯ブラシや歯磨き粉について調べてみたいやつはいないか?

三度目の正直、と思ったわけじゃない。
正確に言うなら、調査を始めて以来三度目のキスでもなかったしな。
じゃあ何がどう三度目かと言うと、意図的に油断していそうな時を狙って、というのが三度目だったわけだ。
時間帯は朝。
普通なら朝食をとっているかどうかという時間帯に、俺は古泉の部屋を訪ねたのだ。
ドアホンも鳴らさず、渡されていた合鍵でドアを開けて忍びこむ。
極力音を立てないようにと慎重に足を進めて、ダイニングに入ると、古泉がテレビのニュースを見ながらコーヒーを飲んでいた。
「おはよう」
俺が言うと、古泉は飛び上がらんばかりに驚いて、
「なっ、ど、どうしたんですか!?」
「別に、来たくなったから来ただけだ」
「それにしたって、何もこれから登校するって時に来なくても…」
「うるさい、黙ってろ」
と俺は古泉に口づけた。
コーヒーの味がする。
さりげなくいいの飲んでるな、お前。
「どうせなら、」
と古泉が笑った。
「休日の朝にいらっしゃいませんか? それならそのままベッドへ運んで差し上げますよ」
どうせならそのまま床かテーブルに押し倒すくらいの気概を持てよ。
俺は遅刻しても構わんぞ。
「遠慮しておきましょう。あなたともども遅刻したということが涼宮さんの耳に入ったら怖いですから」
意気地なしめ。
毒づいた俺を他所に、古泉は椅子から立ち上がり、
「着替えてきます。コーヒーがいるようでしたらご自由にどうぞ。まだ1杯はあるはずです」
と言い残してダイニングを出て行った。
淡白な奴だな。
俺は古泉が飲み残したコーヒーをすすりながら、古泉が支度を整え終るのを待った。
「それでは、参りましょうか」
お前は水戸黄門か。
とつっこみかけたのを寸でのところで止め、俺は古泉にキスした。
ミント味だった。

しかし、本当にいつ襲撃したら、あの歯はつるつるしてないんだ。
当初の目的からは微妙に外れたことを考えていた俺は、一つのことに気がついた。
単純につるつるしてない状態が知りたいなら、歯磨きが出来ない状況に持ち込めばいいんじゃないか、と。
というわけで、明日は休みだという日の夜、俺は古泉の部屋を訪ねた。
今回はちゃんと事前に報せて、食事の約束もしていた。
つまりは泊まるのもセットとみなされる状況というわけだ。
ま、それで間違いはないんだが。
俺が作った夕食を食べた後、古泉が行儀よく、
「ごちそうさまでした」
と手を合わせたのを見て、俺は椅子から立ち上がった。
皿を片付ける、と見せかけて、古泉の膝へ座る。
「えっと……」
どういうつもりか分かっているくせに、戸惑いの声を上げる古泉に、俺は我ながら悪役臭いと思うような笑みを浮かべ、
「いただきます」
とキスした。
同じ物を食べたからか、特に味は感じない。
つるりとした歯を舌でなぞり、淫らがましい音を立てて舌を絡める。
「今日はやけに性急ですね」
「んっ……そうか…?」
自分でも、とろんとした目で古泉を見ているのは分かったが、どうしようもないんだから仕方ない。
「お前のキスが巧くなったからだろ」
そう言うと、古泉は嬉しそうに笑った。
「あなたをもっとよくしてさしあげたくて、僕も必死なんですよ」
その努力は見事に実ってるな。
いつか古泉に翻弄されてどうしようもなくなる日が来るんだろうか。
それが楽しみなような、怖いような、複雑な気分だ。
ただ、その言葉でなんとなく分かったのは、どうして俺の昔の男が、ああして俺に色々と教え込んでくれたのかということだ。
初心で、技術のない奴に、人前では口にも出来ないようなことを教え込んでいく背徳的と言ってもいいような行為は、教える側にとっても楽しいのだ。
ましてや、その結果として相手の技術が向上すれば言うことはない。
もっと色々教えてやりたくなる。
考えるだけでぞくぞくした。
だが、まだ主導権はやれないな、と思いながら、俺は古泉に言う。
「ベッドに行くぞ…」
「仰せのままに」
恭しい仕草を作って、古泉が俺を抱え上げる。
その首に掴まりながら、ちろりと耳を舐めると、古泉が奇声を上げた。
奇声というか、嬌声か?
やっぱり、まだ主導権はやれないらしい。

思う存分体を動かして、そのままずぶずぶと眠ってしまいたくなるのを堪えながら、俺は古泉にキスした。
今日何度目か分からないようなキス。
そのせいで、いくらかあっさりしたものになったが、古泉に言わせれば十分と言うんだろう。
「このところ、どうしたんです?」
古泉に聞かれ、俺は言った。
「お前、実はロボットだろ」
「……なんでそうなるんですか」
「いつキスしても歯がつるつるしてるから。これはもう人間じゃないんだろうと」
考えて見れば、顔がよくて頭がよくてしかも運動能力も抜群なんて生き物が現実に存在するとは思えない。
だから古泉はロボットに違いない。
しかも長門以上に人間社会に適応したタイプの。
「冗談はやめてくださいよ。ピロートークに相応しいとも思えませんよ?」
「じゃあ、なんでなのか説明しろ」
「そりゃあ、」
と古泉はにやけた顔をして、
「あなたみたいに、いつ何時キスをしてくるか分からない恋人がいるんですから、いつされてもいいように、マメに磨いているだけですよ。あなたを不快にしたくはありませんから」
「……ばか」
毒づきながら、部屋が暗くてよかったと思った。
ニヤケ古泉の馬鹿みたいな発言に、顔が赤くなるほど喜んでるなんて、知られたくないからな。
俺は古泉の体に自分の体をすり寄せると、抱き枕を抱えるように抱きしめて、目を閉じた。
「おやすみなさい」
聞こえてきた古泉の言葉にも答えられないほど、眠たかった。

朝になって、目を覚ました俺は、至ってスッキリした気分の自分に呆れながらも、忘れ掛けていた目的を果たすべく、眠りこけている古泉にキスした。
当然の如く、深く。
口付けて数秒で古泉が戸惑うように目を開け、赤くなったのが見えたが、気にせずに唇を割り、歯列をなぞる。
昨日は俺が古泉を抱えて眠ったせいで歯を磨きにも行けなかったんだろう。
少しだけついた歯垢を舐めとると、ほんの少し苦い味がした。
「よかったな、人間の証明が出来て」
俺が言ってやっと、古泉は昨晩の俺の発言を思い出したらしく、更に赤くなって、恥ずかしがった。
その姿を見ていると余計に虐めてやりたくなると、こいつは気がついているんだろうか。
俺はニヤリと笑って、もう一度深くキスをしてやった。