ケンカの理由



超監督涼宮ハルヒがメガホンを取る、映画とも思えないような自主制作映画の撮影中、俺はハルヒとケンカをした。
腹を立てた理由は、朝比奈さんへの憐憫の情、あるいは同情――なんだと思いこもうとしている自分に、余計に自己嫌悪が募るぜ。
その上、今俺の隣りにいる野郎は、目下のところ俺の唯一の恋人であるにもかかわらず、大いに俺を責めたててやりたい気分でいるらしい。
何があっても俺だけを信じろなんつう妄言を吐くつもりはないが、こいつに俺と機関を秤に掛けさせたらどっちが勝るんだろうな。
「聞いてますか?」
聞いてるわけねえだろ。
神社の鳩が真っ白に変わろうが、天動説が実現しようが、俺の生活に大きく変化はない。
そんな瑣末なことで生活まで変わるような奴はそうそういないものさ。
「僕の話を聞いてくださらない、それはそれで構わないでしょう。しかし、聞かせてくださいませんか?」
何をだ。
「あなたがそのように苛立っている本当の理由を、です」
見抜かれてるだろうとは思っていたが、やっぱりか。
俺は窓の外に目を向けながら言った。
「なんのことだ」
「僕の思い違いではないでしょう? あなたがあそこまで頭に血を上らせた理由は、涼宮さんの横暴だけではないはずです。少なくともひとつ、別の理由があるのではないですか?」
無意識のうちに逃げをうつ俺の体を窓際へ追い詰めるように、古泉が狭い車内にもかかわらず詰め寄ってくる。
近いぞ。
「僕にも言えない理由ですか?」
正確に言うならお前にはだ、と思いはしても口には出さない。
むっつりと黙り込んでいると、古泉がちらりと運転手へ目を向けた後、自分の口に人差し指を当てた。
黙っていろ、ということか?
だが何を、と思ったところでいきなりキスされた。
古泉からキスをしてくるなんて珍しい、といつものように余裕でいたら、舌が入ってきた。
ちょっと待てお前、数メートルと離れていない位置に人がいるんだぞ。
「っ…」
思わず上げそうになった声を堪える。
余裕綽々の顔で俺を煽っているが、そのテクニックも俺が教えたんだろうが。
自分で成長しましたみたいな顔してんじゃねえ。
というか、こういう時ばっかりディープキスしてくるんじゃねえよ!
俺を解放して、古泉はふふっと笑った。
「話してくれますよね?」
そうじゃないともっと凄いことを仕掛けるぞと言わんばかりの表情で言った古泉に、俺は白旗を上げさせられたのだった。
それでも、人がいる場所で話すのは嫌で、俺は家からそう遠くない公園に下ろしてもらった。
当然、古泉も一緒だ。
長いこと風雨に耐えながら多くの人間を休ませてきたんだろうベンチに安らぎを求めるが、古泉はそれさえ許さない。
「さあ、話してもらいましょうか」
「その前にひとつ聞かせてくれ。俺が話しているのはSOS団員の古泉一樹か? それとも機関とやらの構成員の古泉一樹か?」
後者なら口を割るつもりはないぞ。
「どちらでも同じことでしょう」
古泉はそう言ったが、そんな答えはマイナス15点だ。
「俺が話したいのはどっちでもない」
「…つまり、恋人としての僕になら話す、ということですか?」
俺は頷いて、ため息をついた。
「ただ、俺としてもあんまり話したいようなことじゃない。お前も、気分が悪くなるかもしれない。……それでもいいか?」
「そう言われて、聞かずにいられると思いますか?」
いーや。
「では、こうしましょう。聞いた話を僕は決して口外しません。機関の方へは適当にでっち上げた話をするとしましょう。それで、いかがです?」
……いいだろう。
俺はお前を信じてやることにしてるからな。
「光栄ですね」
「話す前にもう一度言う。……後悔するなよ」
「おかしなことを言う人ですね」
と古泉はいつもの爽やかな笑みを浮かべた。
「後悔というのは後でするものでしょう。先に後悔をするなと言われても、僕には対処のしようがありません」
混ぜっ返すな。
俺が言いたいのは、覚悟を決めろってことと、出来れば聞かずにそっとしておいてくれということだ。
分からないお前じゃないだろう。
「あなたがそこまで言いたがらない、ということに僕は興味を誘われてなりません。それでもまだ、お聞かせ願えませんか?」
俺はため息を吐き、
「――妬いてたんだ」
「……はい?」
首を傾げる古泉に、鈍いと思いながら俺は説明した。
「映画の撮影中、俺がカメラ回してただろ。そうすると見えるのはお前と朝比奈さんのツーショットが多いんだ。それでだな、俺としては非常に不本意かつ我ながら不条理極まりないと思わないでもないんだが、こう――胸のうちにふつふつと湧きあがるような感情があってだな」
「ちょ、ちょっと待ってください」
何を焦ってるんだ、お前。
「妬いてたって、あなた、どちらに妬いてたんです?」
はあ?
お前、ちゃんと話聞いてたのか?
「聞いてましたけど…」
俺は、お前が朝比奈さんと一緒にいる姿を見て、妬いたんだぞ?
「ええ、ですからどちらに…」
「どちらって、お前、なに考えてるんだ?」
まさか、俺がお前に妬くと思ってるのか?
確かに、あの朝比奈さんを抱えあげたり、肩を抱いたり、押し倒す寸前までいった時は俺もお前に幾許かの殺意を覚えないでもなかったが、俺としてはそれ以前に、お前と二人でいて一幅の絵か何かのようにしっくりくる朝比奈さんに、更に言うならそんな映像を俺に撮らせるハルヒに、苛立ってたんだぞ。
「もしかして……それが、あなたが涼宮さんに手を上げそうになるほど怒った理由ですか?」
…呆れられたか?
呆れられるくらいならまだしも、ドンビキされてんだったら俺はどうすりゃいいんだ?
映画の撮影だって分かってるのに、しかも朝比奈さんは被害者でしかないのに、そんな朝比奈さんの性別や姿みたいな、朝比奈さんにはどうしようもないことに対して嫉妬を感じたり、その結果として女に手を上げようとするなんて、嫌われるよな。
…やっぱり言うんじゃなかった。
そう思った瞬間、古泉に抱きしめられた。
「お前、ここ、どこか分かってんのか?」
「人はいないでしょう? それよりも、あなたを抱きしめる方が大事です」
なんでだよ。
最後に、とかだったら泣くぞ。
恥も外聞もなく泣くぞ。
実際一度、付き合ってた奴に捨てられた時に、翌日学校に行けなくなるくらい泣き明かしたことがあるんだからな、俺は。
「ごめんなさい」
耳元で聞こえたのは幻聴か?
「幻聴なんかじゃありませんよ。…あなたを不安にさせて、すみません。あなたの不安に気づけなくて、すみません。それから――あなたが苦しい思いをしていたと知ったのに、嬉しくて堪らなくて、ごめんなさい」
「嬉しいって……」
「あなたは僕のことをポーカーフェイスだと言いますけど、あなたの方がよっぽどそうですよ。少しも気がつきませんでした。あなたはいつも通りで、ただ、少し疲れていて、イライラしているばかりだと思っていました」
そりゃあ、俺だって自分が世間的に認められないものだと分かってるから隠すに決まってるだろ。
「それでも、僕にくらい、もう少しさらけだしてくれても、いいじゃないですか。それとも、僕では頼りになりませんか?」
頼りになるとも言い切れないんだが、確かに、古泉の言うことも一理ある気がした。
少なくともこいつは、今までに俺が付き合った奴よりはずっと俺の生活の中に踏み込んできていて、俺もこいつの生活の中に踏み込んでいる。
取繕わない姿を見せたところで、大してショックはないのかもしれない。
それに、俺だって思っていたじゃないか。
古泉の胡散臭い仕草が嫌だと、本当のことを言ってくれないのが嫌だと。
そのくせ自分の都合の悪いところを隠すのはフェアじゃない。
俺は、古泉の言葉に頷いて、思いきって口にした。
「じゃあ、頼みがあるんだ」
「なんでしょうか?」
大きな声で言えることじゃない。
俺は古泉の耳に口を寄せ、出来るだけ小さな声で言った。
「俺が、嫉妬しなくていいくらい、……抱いてくれ」
言っておいてなんだが、恥ずかしい。
恥ずかしいことこの上ない。
それでもそれが、今の俺にとって必要だと思ったから、口にした。
しかし古泉は、電池の切れたロボットみたいにピクリとも動かない。
「…おい?」
「……すみません」
なんでかまた謝られた。
「移動時間も惜しいんですけど、ここで押し倒すのはまずいですよね?」
当たり前だろ!?
突然何を言い出すんだこいつは。
「好きな人に、それも恋人にあんなことを囁かれて平気でいられるような男がいると思うんですか、あなたは。少なくとも僕は平気じゃいられません。それより、この近くにホテルとかありましたっけ?」
落ち着け、頼むからもう少し落ち着いてくれ。
「無理です」
いい笑顔で言いきった。

まあ、結局……ハルヒにあんなことを言えたのも、昨日の古泉とのあれこれのおかげと言えばおかげなんだろうな。
古泉の声に責めるような色がなかったのも、昨日のあれやこれやのせいなのかもしれない。
痛む腰を押さえながら、俺は季節外れにもほどがある、満開の桜並木を嘆かわしい思いで見上げたのだった。