日常



俺の向かいの席に座ってる男――古泉一樹――は、不思議な奴だと思う。
頭がいいらしいのに、変なところ間抜けだし、そうかと思うと妙な多才さを発揮し、何でも卒なくこなしてみせたりする。
よく分からない理屈を捏ね回すのが好きなくせに、大事なことは滅多に言わない。
何よりおかしいのは、こいつが高校一年生だってことだ。
どこにこんな落ち着きのある高校一年生がいるんだ?
女の子と騒いで日々をちゃらく楽しく過ごしている三年生もいるってのに。
あれもこれも全て、ハルヒが望んだからなのかね?
とりあえず俺は、古泉がまだ十六歳ということを疑っている。
「今日は何を考えていらっしゃるんですか?」
ふいに、古泉が口を開いた。
「別に、何も」
素っ気無く答えて、俺は盤上に多数ある交点のひとつに白い碁石を置いた。
「この世の真理でも追及しているような顔でしたよ」
からかうな。
「碁盤の上には世界があるといった話があります。我々がこの盤上の小さな碁石であるなら、差し詰め涼宮さんはゲームのプレイヤーなのでしょうか。それとも勝手に動き出す碁石でしょうか」
あいつがまともに囲碁なんかすると思うか?
大人しく碁石になってるはずもない。
あいつなら箱に入れられている間にとっとと逃げ出すだろうよ。
だからあいつは多分、横から手を出して碁石をぶちまけていく、猫か子供みたいなもんだな。
「なるほど、猫か子供ですか」
俺の話などくだらない上いい加減だと言うのに、古泉はさも深い意味のある述懐を聞いたとでもいわんばかりに大仰に頷いて見せた。
「どちらも、あなたから見れば可愛いものですね。あなたがお好きで、勝てないものでのあります」
あいつは可愛くないがな。
「そうですか? 十分気に入っておられるように思いますけど」
「はぁ?」
何を言い出すんだお前は。
俺は以前言った通り、女に興味はないぞ。
「興味がない、というよりも恋愛感情が起こらないと言うべきでしょう。あなたの場合」
含みのある言い方だな。
「違いますか? 長門さんにも涼宮さんにもそこそこ愛着があり、朝比奈さんに対しては憧憬にも似た感情を抱いているように見えますが」
それは否定しない。
長門は顔も態度も可愛いし、ハルヒも大人しくしていれば美少女だ。
朝比奈さんは言うまでもない。
「それでよく女性に興味がないと言えますね。十分興味津々じゃありませんか」
なら、お前は思わないのか?
「多少は思いますけど、あなたのは異常でしょう。……あるいは、一般人として正常とでも言うべきかも知れませんが」
「古泉」
と俺は常々思っていたことを口にする。
「世の全ての可愛い女の子はありとあらゆる人間にわがままを言う権利があると思わないか?」
「はい?」
「つまりだな、性格的に、あるいは外見的に、または総合的に可愛い女の子はある程度わがままを言って周囲を振り回す権利があると思う。で、その中でも、男は特に振り回される義務があるんじゃないだろうか。そのために、女の子というものは可愛いんだと思わないか?」
古泉は困ったように頬を掻きながら、
「……と言われても僕は困るんですが…。なんとなく、あなたが涼宮さんにつき従ったり、長門さんの世話を焼いたり、あるいは妹さんを可愛がる、その理由が分かった気がします」
古泉の物言いがなんとなく気になった俺は率直に、
「お前は女嫌いなのか?」
「はぁ、まあ……と言いますか…苦手、ですね。必要以上に身構えてしまうので…」
「へえ、そうは見えないのにな」
「僕としても、涼宮さんの期待に添えるよう必死ですから」
そう言いながら古泉が碁石を置いた。
「イツキ、そこは置けないぞ。ルールを教えたのはお前なのに何やってんだ?」
「えっ!?」
声が裏返ってるが、何にそこまで驚いたんだ?
「い、今、あなた、僕のことをなんと呼びましたか…?」
らしくもなく焦るな、気色悪い。
俺がお前を何と呼んだだと?
そんなもの、一々覚えているわけがない。
いつも通り古泉と呼んだんじゃないのか?
「僕の耳がおかしくなったのでなければ、あなたは今、確かに一樹と呼びましたよ」
……ちょっと待てよ。
今記憶を反芻してるからな。
「――お前の聞き間違いだ」
「顔、赤くなってますよ」
誤魔化しきれなかったか。
それはあれだ、ほら、映画の間ずっとそう言ってたから弾みで出ちまっただけだ。
深い意味はない。
全くもってない。
「それでも、嬉しいですよ。レコーダーを仕込んでおかなかったのが残念です。せっかくあなたが僕のことを名前で呼んでくれたのに」
恥ずかしいことを笑顔で言う古泉に、俺は頭を抱え込む。
どうしたらこの恥ずかしさを追い出せる?
とりあえず話題の転換を試みることにした。
「お前、なんで今更ルールを間違えたりするんだ? 教えたのはお前だろ?」
「あなたとの会話が楽しくて、つい失念してしまったんですよ」
「囲碁なんか持ってくるからてっきり得意なのかと思ったのに、違ったのか?」
「四、五年前に多少かじったことがあったのですが、やっぱり忘れてしまいますね」
思いがけず、時間の話が出た。
俺は出来るだけさりげなく聞いた。
「四、五年前って言うと、小学生の頃か? 随分と渋い小学生だな」
「そうですね」
古泉は特に動揺した様子もなく答えた。
「あの頃はまだただの人間だったんですよね…。あの頃からもういくらか大人びていたようにも思いますけど」
「大人びてるというより、年寄り臭いだろお前は」
「酷いですね。でも、その通りかもしれません」
と古泉は笑う。
俺はらしくもなく悪戯心を起こしでもしたのか、すっぱりと聞いてみることにした。
「なあ、古泉、正直に答えろよ」
「なんでしょうか」
「――お前、本当はいくつなんだ? 絶対、十六じゃないだろ」
古泉は目を見開き、それから困ったように笑った。
「困りましたね。やっぱりお分かりになりますか」
俺の目を節穴だと思うなよ。
長門の表情も読めるようになってきているんだ。
お前なんか長門以上に接触も多いのに、どうして分からないって言うんだ?
「そうですね」
笑って相槌打ってないで正直に答えろ。
言っておくが、禁則事項です、と言って許されるのは朝比奈さんだけだからな。
「正直に申し上げるのは構わないのですが、涼宮さんには内緒ですよ? それから、証拠をお見せするのも、ちょっと困ったことになるので、勘弁していただきたいのですが…」
それくらいは認めてやろう。
だから、正直に言えよ。
「信じていただけるといいのですが…僕は実は、」
実は?
「……まだ、十四歳なんです」
――ちょっと待て。
十四?
それはまだ義務教育を受けるべき年齢なんじゃないのか?
なんでお前が高校にいるんだ。
それも理数クラスに。
「僕がここにいる理由は以前お話した通りですよ。ただ、付け加えるべきことがあるとしたならば、僕以外に適任がいなかったということです。何しろ機関も人手不足でして。その上、事情にある程度精通している人間は概ね年齢が僕よりもずっと上なんです。教師として赴任してくる手もあったようなのですが、教師と生徒では自由度が違いますし、僕が辛うじて年齢・外見共に通用しそうだったので、こうしてここにやって来たと言うわけです。理数クラスを選んだのも、ああいうクラスでは少々出席日数が少なくても成績さえよければ何も言われないからです。学力に関しては、機関によって詰め込みに詰め込まれた結果、とでも申し上げましょうか。正直なところ、中途半端な時期に転校と言う形でここに来たのも、いくらか準備に手間取ったからなんです」
分かった、学力に関してはそうなんだろうと思うしかない。
だが、何だお前のその身長は。
俺より高いだろ。
それなのに十四歳って、……マジか。
「大マジです。うちはそういう家系なんですよ。成長期が早いんですね。男でも中学辺りでぐんと伸びて成長が止まるのがほとんどなんです。僕も多分この辺りで伸び止まりでしょうね」
――とりあえず、一応納得した。
同年代に躊躇もなく敬語を使うのも、どこか経験不足感のある詰めの甘いゲーム進行もそのせいだったのか。
「そうですね。ゲームは特に経験が大事でしょう? 思ったよりも二歳の年の差は大きいようです」
ああ、そう言えばこいつはいつまで経ってもキスが初心な感じで………って、ちょっと待て。
こいつが十四歳で、俺より二歳ばかり年下だとすると、つまりあれか?
俺は本来中学生だろう奴に組み伏されて喘がさ……。
しかもこいつ確か前に言ってたよな?
俺が初めてだって、言ってやがったよな。
これは本気で、
「……一生の不覚だ…っ」
思わず呻いた俺を、古泉は不思議そうに見つめ、
「どうかしましたか?」
実年齢を聞いてしまったからか、どこか幼く見える表情で言ったのだった。