今日は古泉がバイトだかなんだかで不在で、部室にいるのは俺と長門、朝比奈さん、そしてハルヒの四人だけだった。 こういうのもなにやら珍しい、と思いながら、ぼんやりと古泉のことを考えていた。 バイトと言っていなくなったが、ハルヒの機嫌は悪くないし、先週辺りから今日の不在のことを話していたから、会議か何かなんだろう。 全く、忙しいこったな。 感心半分、呆れ半分で苦笑していると、 「また思い出し笑いしてる。気持ち悪いわ」 とハルヒに唸られたが、 「放っとけ。今更だろ」 「それもそうね」 ニヤッと笑ったハルヒは、 「で? また古泉くんのことでも考えてたの?」 それは全くその通りだが、 「なんで分かる?」 「あんたがそういう気持ち悪い顔をするのって大抵そうじゃない。それに今日は古泉くんもいないしね」 全く、とハルヒは苦笑めいたものを浮かべた。 「仲良くなったものよね」 「悪いか?」 「悪くないわよ。ただ、前はもっと違ったじゃない? 近づくなって牽制してみたり、距離を置いてみたりしてたのを、忘れたとは言わせないわよ」 遠山左衛門尉景元の決め台詞みたいなことを言ったハルヒにツッコミを入れることはせず、大人しく頷く。 「…そんなこともあったな」 今となってはしみじみと呟ける程度のことになっちまっている。 「古泉くんの方も、すっかりあんたに懐いてるみたいだし」 「俺が甘やかしちまうから懐いたのか、懐いてくるから甘やかしちまうのかがちょっとよく分からんがな」 俺としては後者だと思うのだが異論は一応認めてやる。 俺はどこかの暴君とは違うからな。 「どっちでも同じことでしょ」 とハルヒは愉快そうに言って、 「それにしても、古泉くんも変わったわよね」 「そうか?」 「そうよ。前は本当にきちんとした優等生って感じだったじゃない」 「今も本人はそのつもりだろ」 俺の目にはそれ以上に可愛らしい萌えキャラに見えて堪らんが、自分の目や頭がおかしいことについては重々承知の上なので気にしないでもらおう。 「というかハルヒ、」 「何よ?」 「お前の目にも、今は違って見えるってことか?」 「そうね」 とハルヒは笑った。 「前より隙がある感じがするわね。時々無防備にぼんやりしてたり、あんたが来るとそれだけで嬉しそうになったりするところなんか、前じゃ考えられなかったわ」 だろうな。 「…その隙が可愛い」 ぽそりと呟いたのは長門だった。 全くだな、と頷いた俺に、 「……最近は、油断してつい授業中に居眠りすることも…」 という言葉が聞こえて思わず何か口走りかけたがそれは抑えた。 長門もそれを察したか、 「…あるという噂を聞いた」 と誤魔化したが、実際にはお前、宇宙人的能力を駆使して観察してるだろ。 くそ、羨ましい。 俺だって授業中うっかり居眠りして、それこそヨダレでもたらしてそうな古泉をじっくり観察してやりたいし、後でそれを指摘してやって、恥かしがる古泉をぐりぐりと撫で回してやりたい。 「へー、古泉くんでも居眠りとかしちゃうのね。まあ、うちのレベルなら授業なんてちょっと聞いてなくても問題ないだろうし、逆に退屈で寝ちゃうってのも分かるわ」 そういえばあたしも、と口を開いたのは朝比奈さんだった。 「この前、古泉くんが慌ててるところを見ちゃいました」 とくすくす楽しそうに笑いながら、教えてくれた。 「お昼休みに中庭を見てたら、古泉くんが自動販売機で飲物を買おうとしてたんです。それでお財布をポケットから取り出したら、閉め忘れてたみたいで、小銭をばらまいちゃって。お昼休みだと、ほかにも結構人がいるでしょう? みんなに拾ってもらって、恥かしそうにしてたのはあたしもなんだか可愛いなぁって思いました」 「それはレアなものを見ましたね」 近くに居合わせられなかったのが正直悔しいレベルだ。 偶然でもなければ見れないものだからこそ余計に羨ましい。 ああくそ、 「古泉の寝起きを襲撃してやりたくなった」 「あんたね…」 呆れた声で言ったハルヒだったが、 「寝起きの古泉くんなら、さぞかし無防備なんでしょうね」 と笑った。 「分かるか?」 「分かるわよ。あんたといる時だって結構無防備になってるのに、それ以上なんでしょ」 「そうだな…」 特に俺が泊り込んでたり、あいつが俺の部屋に泊まってたりする時の無防備さは犯罪レベルだと思うが流石にこれは黙っておくか。 「あ、あと、」 とハルヒは何か思いついたように言った。 「古泉くんって、あんたといる時もあの口調なの?」 「そうだな…割とそうだが、たまには崩れるな。お前も、あの敬語は胡散臭いと思うか?」 「胡散臭いとまでは言わないけど、もうちょっと楽にしてもいいのにとは思うわね。ああでも、そういうきっちりしたところはいいと思うわよ、勿論。だから、古泉くんのしたいようにしてくれていいと思うのよね。無理して敬語なんて使ってるんだったら、やめてもらっていいわ」 「だろうな。だが、多分、あいつはあれで自然になってるんじゃないか? もうずっとあの口調で喋ってるし、それにあいつは、こう言うとそれこそ胡散臭いが、お前のことを尊敬もしてるらしいからな。それなら、敬語を使ってもおかしくないだろ」 「勿論よ。キョンも古泉くんを見習って、少しはあたしに対してもうちょっと尊敬とか畏怖ってもんを示したらどう?」 畏怖でいいのかお前は。 それくらいでいいならいくらでも献上してやってもいいが、 「お前は俺にそんなもんを示してほしいのか?」 呆れながら尋ね返すと、ハルヒは少しの間黙り込んでいたが、 「……気持ち悪いわね」 「だろ」 「うーん…でも、あんたはもっと、自分がこのSOS団の団員であることを喜びなさい!」 高飛車に言ってのけるのはいいが、 「そんなもん、いつも思ってるさ」 そうでなければ朝比奈さんのお茶を頂戴することもなく、長門と古泉の話で盛り上がることもなく、古泉の可愛さを知ることもなかっただろうからな。 それだけでも、ハルヒには感謝を捧げてもいい。 「ほんとにあんたは」 ハルヒは苦笑によく似た笑みを浮かべながら、 「あたしもいつか見てみたいわ。完全に無防備な古泉くんを」 「それはあれか? 遠回しな恋愛感情の告白か?」 「何言ってんのよ」 ハルヒは目を瞬かせながら心外そうに言った。 「あたしが古泉くんに恋愛感情なんてつまらない思いを向ける訳がないじゃない。SOS団の絆ってのはもっと強くて丈夫で絶対的なのよ!」 言っている意味は分からんでもない。 俺は苦笑しつつ、 「それなら、いつか見れるんじゃないか?」 「いつかなの? 古泉くんのエキスパートのあんたでも、いつになるかは分からないってわけ?」 「ちょっと分からんな」 エキスパートってところは否定しないのね、というハルヒの呟きは聞かなかったことにして、真面目ぶった顔で答えてやる。 「まあ、何年かすればあいつももっとボロを出すんじゃないか? それか、一度思い切り醜態をさらすとかな」 そんなことを言うと、ハルヒのことだ、そうしてやろうじゃないのとかなんとか言って、古泉が醜態をさらさざるを得ない状態に持ち込む可能性もあるかとは思った。 それこそ、1年の時のハルヒならそれくらいのことは簡単にやってのけていたことだろう。 だが、今のハルヒは少し違う。 「だったら、待ってあげるわ。いつそうなるか楽しみにしてるって、古泉くんに伝えてもらうのはまずいかしら?」 「いや、悪くないんじゃないか?」 「じゃ、よろしくね」 そう笑ったハルヒは、ちょっとないくらいの美少女に見えた。 そんな風に古泉の話で盛り上がった後、俺は長門を伴って古泉の部屋に向かっていた。 当然、古泉の許可は取ってある。 『多少帰りが遅くなるかもしれませんが、それでよければ』ということだが、勿論問題などあるはずがない。 むしろ、その方がいい面もあるので、夕食を食べて帰ったりしないようにとの返事をして、長門と二人でスーパーに寄り、買出しも済ませて来た次第だ。 今日の夕食はハンバーグに決めた。 もちろん、付け合せの野菜も用意してある。 「多めに作っておくから、いくらか持って帰って食えよ」 と言うと、長門はこくりと頷いた。 長門もよく食べるから、大量にこしらえよう。 そんな訳で安売りのひき肉を大量に仕入れて、古泉の部屋に入った。 古泉は当然のようにまだ帰ってきておらず、俺は合鍵を使ってドアを開いた。 「邪魔するぞー」 「お邪魔…」 無人の部屋に声だけ掛けて、ずかずかと上がりこむ。 部屋の中は特に散らかってもないし、荒んだ様子もない。 とりあえず、悪い状況ではなさそうだと安堵しながら、勝手知ったる弟分の家なので、遠慮なくキッチンに踏み込み冷蔵庫をチェックする。 空っぽと言うわけでもないが、ちょっとばかり空間が目立つ状態だ。 買出ししてきて正解だったな。 いや一応、買出しの前に許可も取ったから大丈夫だろうとは思っていたんだが。 あるいはあいつも、今日がバイトだと分かっていたから、俺の方から押しかけることを予想していたのかも知れない。 これで好きにやれると思いながら、とりあえずはと、 「有希、玉ねぎとにんじんのみじん切りを頼めるか? 玉ねぎから先に頼む」 「了解した」 こういう作業は長門が得意かつ確実にやってくれるからな。 俺は玉ねぎとにんじんを長門に任せ、小さめのボウルの中で卵を溶き、牛乳と混ぜる。 そこにパン粉を放り込んでしばらく置いて、しっとりさせてる間には、長門の作業も終るだろう。 玉ねぎのみじん切りがあっという間に終っていたので、今度はそれを炒め始める。 別にオニオンスープを作ったりするわけじゃないから、弱火でじっくりしなくても、程ほどの火でざっといためるだけで十分だ。 ちょっと透き通るくらいになってきたら、火を止めてしばらく冷ます。 それからようやくひき肉に取り掛かるわけだ。 軽く塩コショウをした合いびき肉をよく混ぜると粘りが出てくるから、そこに玉子液ごとパン粉を投入し、更ににんじんと玉ねぎも混ぜてやる。 よく混ざったら生地は完成だ。 これをいくらかに等分してから形を作るのが本当なんだが、面倒だし、大きさにこだわりはないので、作りやすい量を手にとって、適当に丸くする。 まん丸よりは小判型の方がそれっぽいので、そうなるようにちょっと工夫して、形を大体作っておいてから、両手の間でキャッチボールをするようにして空気抜き。 「なんのため?」 見よう見まねで作業していた長門が聞いてくるのは少し意外だったが、 「中に空気が入ってると焼いた時に膨張してそこからひびが入ったりするんだ。だから、それを防ぐために空気を抜く。…まあ、おまじないみたいなもんだな」 「覚えておく」 「ああ、そうしろ」 微笑ましく思いながら作業を続ける。 空気抜きの終ったやつの形を整え、少しだけ真ん中をへこませてやったら、成形は終了だ。 肉の入っていたトレーやら何枚かの皿いっぱいに生のハンバーグが並んで行く。 一面のそれはなかなか壮観だ。 「それじゃ、焼くぞ」 フライパンを火に掛け、よく温めてやる。 カンカンにあったまったところで薄く油を敷き、そこへ慎重にハンバーグを並べて焼くだけだ。 弱めの中火で片面をざっと焼き、きれいな焼き色を付けたらひっくり返して、今度は弱火にして蓋をしてじっくり焼く。 「…油……」 ハンバーグから出てきた油が気になるらしい長門がぽつりと呟いたので、 「取っとくか?」 と声を掛けて、キッチンペーパーを千切り取る。 そいつをフライパンの中に落として、余分な油をざっと拭き取ったらすぐに取り出してやると、フライパンの中がすっきりした。 蓋を被せなおして、火が通るまで焼く。 ちょっと穴を開けてみて、濁った肉汁が出なければ火は通ってる。 もし、焼き色はいいのに肉汁が濁っていても気にするな。 電子レンジと言う文明の機器がいる。 ちょっと加熱したら火の通りの問題はなくなるだろ。 そんな調子で片っ端から焼いてやる。 大皿にどんどん焼きあがったハンバーグが積み重なって行くのはなかなかの眺めだ。 気分よく眺めておいて、俺は少し考える。 「有希、照り焼きと普通のケチャップ系のソースならどっちがいい?」 「………」 長門は困ったように考え込んでいたが、 「……照り焼き」 と答を寄越したので、 「了解」 と答えて醤油と砂糖を引っ張り出す。 あとみりんもいるな。 ここで俺が料理をしたりするようになって、古泉も料理に興味を持つようになって買うようになったらみりんを取り出し、適当にフライパンに広げて行く。 ちょっと味見して、好みの甘辛さなら十分だ。 それを弱火で加熱しながら、焼きあがっているハンバーグをいくつか放り込み、全体にタレを絡めてやれば、ほい出来上がりと。 「後のはケチャップでも大根おろしと酢醤油でも好きなものを掛けて食えばいい。あらびき胡椒を追加するのも悪くないな」 古泉はまだ帰ってこないらしいので、付け合せもきちんと作ることにする。 にんじんのグラッセとゆでじゃがいもくらいでいいか。 じゃがいもが茹で上がってもまだ帰って来なかったらサラダにしてやる。 来てすぐにセットしておいた米も炊飯器のおかげで問題なく炊きあがっているし、腹の空き具合も丁度いい。 そろそろ帰って来いよ、と思いながらいもをつぶし始めたところで、玄関が開く音がした。 すたた、と長門が歩いていき、 「ただいま帰りました」 という古泉の声がした。 これならサラダにしている時間はないな。 つぶしたいもはそのまま薄く塩コショウを振るだけに留め、適当に盛り付ける。 「お帰り」 と声を掛けると、顔をのぞかせた古泉は嬉しそうに、 「ただいま帰りました。おいしそうですね」 と目を輝かせる。 この山盛りのハンバーグに引かないってことは相当腹が減ってるな。 「早く着替えて来いよ」 「はい」 嬉しそうに答えて、古泉はいそいそと自室に向かう。 急いで着替えて戻ってきた古泉は、ラフなTシャツスタイルで食卓につく。 その頃には夕食の準備も完璧だ。 俺はこんもりと飯をよそってやった茶碗を長門と古泉に渡してやり、自分も席につく。 誰からともなく手を合わせ、 「いただきます」 と唱和するのがなんだか無性にくすぐったいが楽しい。 ぱくりとハンバーグに食いついた古泉が、嬉しそうに目を細める。 「お兄さん、凄くおいしいです」 「そんなもん、みてりゃ分かるからしっかり食え。今日もお疲れさん」 「これで疲れも吹き飛びますよ」 尻尾があったならぱったぱた振ってるんだろう笑顔で言われて、俺も気分がいい。 ある程度食べて落ち着いたのか、ついでやったお茶を一口飲んだ古泉は、 「今日の団活はいかがでしたか?」 と聞いてくる。 そのせいで今日の会話を思い出し、ついにやけた俺に、 「え、な、何があったんですか?」 と身を乗り出してくる古泉に、さて、俺は正直に今日の会話を教えてやるべきなのかね? 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