宿題



帰省先から古泉の部屋に帰った。
それはつまり、一週間という長いのか短いのかよく分からない帰省旅行が終るということでもある。
遠足でも何でも、帰るまで終らないものだからな。
そして、それは同時に、俺が古泉への宿題を終らせなければならない時が来るということでもあった。
古泉としては本当に何気なく聞いたんだろう問いかけ。
『僕のこと、何だと思ってるんですか?』
それが、数日を経た今も、俺の頭の中でぐるぐると渦を描くように響き続けている。
古泉のことをどう思っているのかと言われても、正直、困る。
嫌いじゃない。
憎いはずもない。
そりゃ、時には憎らしいと思わないでもないのだが、それもひっくるめて可愛いと思うし、愛しいと思う。
不器用さすら、美点に変わるというのはどうしたことなのかね。
それが古泉の特技ならいいのだが、どちらかというと俺の目や脳に問題があるのが原因らしいのが困りものだ。
そう、俺は古泉が愛しい。
盲目的と言ってもいいほどに。
あばたもえくぼとはよく言ったもので、古泉のすることなら大抵のことは許容してしまえそうなほどなのだ。
そこにある種の愛情があることはもはや否定のしようもない。
しかし、その愛情が一体どの種のものなのかということが最大の問題なのだ。
古泉は、肉親のように愛しいから、あるいはそれは家族愛のようなものでもあるんだろう。
時には肉親以上に大事で、愛おしくて、好きで、だからこそいじめてみたくなったり、獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすという事実無根のたとえのごとく、古泉のことを思うがゆえに突き放そうとしたくなったりもするのだ。
友人として、古泉のことを好きでいることも、ある意味で間違っていない。
だから、古泉に、俺以外の親しい友人がいたらと思うとなにやらもやもやと悔しい気持ちが込み上げてきたりもするのである。
逆にこれが彼女が出来たとかなら、そこまで悔しがらず、むしろ古泉にそういった余裕が出来たことなんかを寿ぎたくなるだろう自分が、我ながらよく分からなくもあるのだが。
田舎で過ごしながら、また、帰りの電車の中でまで、俺はずっとそんなようなことを考えていた。
だが、考えても考えてもよく分からないのだ。
これじゃ宿題をうまく果たせねえなと苦笑しつつ、俺はリビングのソファに落ち着いた。
古泉はと言うと、手慣れた様子で実に見事なまでに俺好みの味へと調節されたコーヒーを運んでくる。
「お疲れ様でした」
と言ってコーヒーを差し出す笑顔が眩しいくらいだ。
「お前もな」
「僕は、本当に寛がせていただきましたから」
その声の調子と表情から、本音だと分かる。
「…本当に……僕なんて部外者のはずなのに、あんなによくしていただいて、よかったんでしょうか」
「悪けりゃそういう顔をするに決まってるだろ。そう難しく考えるなよ」
「……そうですね。お兄さんのご親戚の方々ですからね」
こら、それはどういう意味だ。
「優しいってことですよ」
と楽しげに笑った古泉だったが、ふとその表情に躊躇いらしきものを滲ませた。
いよいよ来るか、と思った俺は間違いじゃなかったらしく、古泉は言い辛そうに視線を伏せつつ、
「…で……あの、帰っていきなりこんなことを聞くのもなんですが、その……」
「分かってる。…宿題をちゃんと果たせってことだろ」
こくんと頷いたのさえ可愛く見えた。
「一樹、」
と俺は殊更にそんな風に呼んだ。
込められる限りの愛しさを込めて。
「日頃の言動を見てりゃ分かると思うが、俺はお前が可愛くて、愛しくてしょうがないんだよ。だから、お前のことをなんだと思ってるかって聞かれたら、大事なものだと思ってるとでも答えるしかないんだと思う。だが、それじゃ足りないとも思うんだ。それで、うまい言葉が見つからんなんて中途半端なことを言っちまった」
「そう…だったんですか」
ほっとしたように呟いたところ悪いが、話はまだ続いてるんだぞ。
「…だが、いい機会だと思ったからな。改めて、お前のことを何だと思ってるのか、考えてみた」
最初は、本当にいけ好かないやつだと思ってた。
それが段々不器用で面倒なやつだと思うようになってきた。
いつの頃からか、頼られたりすることを無性に嬉しく感じるようになってきて、気がつけば周囲の目なんかどうでもよくなるくらい、愛しく思うようになった。
近づかれるだけでも文句を言ってたのが嘘みたいに、俺から近づきたいと思うようになったし、触れたり、抱きしめたりしたいと思うようになった。
実際、そうしたしな。
「というか……あー……その…」
「どうなさったんですか?」
きょとんとした可愛い顔で聞いてくる古泉に、俺は覚悟を決める。
「ずっと、黙ってたんだが……お前に謝らなきゃならんことが、ひとつ、ある」
「なんです?」
訝しげに眉を寄せる古泉に、俺は正直に答えた。
「…前に、」
「はい」
「………ここに来たら、お前が寝てて……寝言で、俺じゃない人を呼んだんだ」
「え……?」
「いや、そこはいいんだ。むしろ当然だと思ったくらいだからな。だが、その…謝らなきゃならんというのはだな、つまり、そのー……」
覚悟を決めたんだろ、さっさとはっきり言えよ。
「――その時、お前にキスしちまったんだ。すまん」
「えええ!?」
「本当に悪いと思ってる。寝てる相手にんなことするなんて…」
「って、あの、そういう風に謝るってことは、いつもしてくださるみたいに、頬とかにということではないんですよね?」
「…口に……。ほんと、すまん」
と言うかだな、そこまで言わせないでもらいたかったんだが。
「ど、どうしてですか…」
「悪かった」
「いえ、あの、謝っていただかなくていいんです。その必要性は自分でも驚くくらい感じてませんから。それより、理由を聞かせてください」
微妙におかしな日本語を聞きながら、俺はしばし考え込んだ。
前に長門にも聞かれたな、などと思いながら、同じように答えるしかない。
「…分からん」
「分からないって……」
「お前のことが好きなんだとは思う。それは間違いない。だが…それは家族としてだと、思うんだ」
あるいはただ、この愛しいという思いを、抱きしめてキスをするという行為で伝えたかっただけなのかもしれない。
言葉では足りなくて。
だが、抱き締めるだけでも足りなくて、それ以上の行動に出ちまったとでも言うのがしっくりする気がした。
「…ごめん」
何度も繰り返し謝る俺の顔を、古泉は戸惑いの滲んだ表情で覗き込みながら、
「どうして、謝るんです?」
「気持ち悪いだろ。男にキスされたなんて……」
いくら、日頃頬だの頭だのにはされ慣れてても、口になんて。
「…分かりません」
「は?」
と今度は俺がそんな奇声を発する番だった。
分かりませんって、お前な。
「だって、分からないんです。僕はその時眠っていたわけでしょう? そうなると、その時にも何も感じなかったと思うんです。ましてや、それから月日が過ぎて、あなたの口からそういうことがあったと伝えられただけでは、どう判断していいのかも分かりませんよ。ですから、」
と言った古泉が続けたのはとんでもないと言っていいような一言だった。
「…試してみて、いいですか」
「試すって……」
「試したら、気持ち悪いと思うのかどうか、分かるでしょう? もう一度、キス、してみてくれませんか」
「……本気か?」
「冗談で言えると思いますか?」
と言う言葉の通り、古泉はどこからどう見ても真剣だった。
「その時の状況を再現した方がいいでしょうか?」
「…ああ、そうだな」
逃げるのは無理だろうし、大体逃げると言う選択肢自体、自分が選べないことも分かっていた俺は大人しくそう言って、古泉と共に寝室に入った。
「僕は寝てたんですよね? 仰向けで、でしたか?」
「ああ」
俺が答えると、古泉はその通りベッドに横たわった。
あの時古泉は幸せそうに眠っていた。
俺はあの時のように手を伸ばし、古泉の鼻筋を撫で上げる。
そうして、古泉の顔の側に手をついて、その顔を、閉じられた目を、覗き込む。
あの時のように、ベッドが揺れる。
それに構わず、俺は古泉を抱きしめ、そっと、触れるだけのキスをした。
慌てて体を離した俺より、ワンテンポ遅れて古泉が目を開け、体を起こす。
いつになく感情の読み取れない目が俺を映す。
緊張に耐えられなくなりそうだ、と思いながら、
「…ほら、やっぱり気持ち悪かっただろ」
「……すみません、もう一度…」
「んなっ…!?」
戸惑う俺を、ベッドから下りた古泉が抱きしめる。
その端正な顔が近づき、ピントが合わなくなる。
何をされているかなんてことは言うまでもない。
俺だってよく分かっているとも。
それなのに――本当に俺は自分で自分が分からん――、唇に触れた柔らかな感触を、気持ちいいなんて思っちまった。
古泉は名残惜しげに顔を離すと、
「…気持ち悪い、ですか?」
と怯えるような上目遣いで聞いてきた。
「……いや…」
隠すことすら思いつかず、正直に答えた俺に、古泉も苦笑を浮かべる。
「僕もなんです。むしろ…気持ちよくて……」
我慢出来なくなったとでも言うように、古泉がもう一度顔を近づけてくる。
キスされると分かっていて、俺は目を閉じる。
しかも、キスしやすいように軽く角度まで調節して。
「…僕……やっぱりおかしいんでしょうか」
「…お前がおかしいなら俺もおかしいに決まってる」
いっそ吐き捨てるように言って、今度はまた俺からキスをした。
そのまま何度もキスを繰り返す。
それこそ、数え切れないほど。
「お兄さん……好きです…」
「ん…俺も、好きだぞ」
今更言う必要のない言葉にすら思えた。
それくらい、キスで伝わってる。
愛しいという気持ちも、大切にしたいという思いも。
言葉では伝えられない、微妙な感覚すら。
それなのに、恋愛特有と言っていいだろう浮ついたような、ときめきらしきものが欠片もないのが、不思議に思えるほどだった。
こんなにも愛しい。
だが、それでもやっぱり、
「恋愛感情ではない、よな」
「ですよね」
残念がる様子も、戸惑う様子もなくそう頷いたってことは、こいつもやっぱりそう思ったってことなんだろう。
全く、
「変だな」
「変ですね」
二人して顔を見合わせて笑った。
笑ってまたキスをする。
全部伝わったと思いながら、確認をするように俺は正直な気持ちを口にした。
「俺は、今でも、お前に彼女とかが出来たらいいと思ってる。彼女じゃなくて、俺以外の友人でもな。…友人の場合、俺より親しくしたら多少どころかかなり悔しく思うんだろうが」
「僕も、似たようなものですね。お兄さんに僕以上仲のいいご友人が出来たりしたら、寂しくなります。でも、お兄さんはやっぱり、涼宮さんやお姉さんとお似合いだと思いますし、僕としてもそのお二方は大好きな方々ですからね。お兄さんがどちらかとお付き合いしてくださったら嬉しく感じると思います」
「それは却下だ」
何でお前はそう俺をハルヒや長門とくっつけたがるんだ。
「またそんな風に意地を張ったりして」
くすくすと意地の悪い笑い声を立てた古泉は、
「…本当は分かってるんでしょう? 涼宮さんがお兄さんのことをどう思っているかなんてことくらい」
「知らんな」
また小さく笑った古泉が、俺を抱きしめなおしてキスをする。
「困った人たちですね。周りで見守っている人間の気も知らないで」
「お前らが勝手に言ってるだけだろ」
「さて、それはどうでしょうね」
そう笑った古泉に感じるのは、これまで以上に打ち解けたというようなことだ。
胸の中に暖かさを感じながら、俺はもう一度キスをする。
愛しい……弟分という言葉でも足りないような不思議な存在であるところの、ハルヒが望んだがゆえに付加された属性なんかとは無関係な、古泉一樹に。