帰省
  最終日(後編)



お昼には、持たせてもらったお弁当を二人で分け合うようにして食べた。
「あんたたち、仲が良すぎるくらい仲良しなんだから、わざわざ二つに分けなくてもいいでしょ?」
と笑ったのはお兄さんのお母様だ。
「実際その通りといえばその通りなんだが、言われると複雑なものがあるのは俺だけか?」
と眉を寄せたお兄さんに、僕は苦笑を返して、
「そうですね。…恥かしいってことじゃないんでしょうか。そうでなければ、皮肉られているように思えるからではないかと」
「そういうもんかね」
呟きながらお兄さんは箸で玉子焼きを抓みあげると、
「ん」
と僕の鼻先に突き出した。
僕はそれがあまりに自然な動作でされたものだから、よくよく考えもせずに、
「ありがとうございます」
と答えて、口の中にそれを迎え入れた。
…よく考えると、やっぱり変ですよね。
「何がだ。主語を省くな」
「いえ、変といいますか……仲が良すぎるくらい、と言われるのも納得できる気がしまして」
「ああ、そういうことか」
お兄さんは小さく声を立てて笑ったかと思うと、
「事実なんだから、別にいいだろ。それとも何か? いい加減、お前も冷静かつ客観的に自分を見れるようになったのか?」
「どういう意味ですか、それ」
「客観的に見て、変だと思ったんじゃないのか?」
「そう…ではありますけど……」
他に含みがあるように感じたのは気のせいだろうか。
お兄さんはにやりと笑い、
「それなら、付き合い方を見直してみたらどうだ?」
「見直すって…嫌ですよ! 今更なに言い出すんですか!?」
思わず声を荒げた僕に、お兄さんは喉を鳴らすようにして笑って見せた。
「分かってる、冗談だ。……俺の方だって、もう突き放せないところまで来てるしな」
「本当ですか?」
「そう見えないか?」
「…見えません。お兄さんには、僕なんていなくても平気なんじゃないかと、思ってばかりですよ」
「こら、一樹」
棘を含んだ声でお兄さんが言い、僕は反射的に身を竦ませた。
叱られるようなことを言ってしまったんだろうか。
「いなくても平気とか、そういうことを言うんじゃないって、何度言えば覚えるんだ? お前、記憶力は悪くないはずだろ。…お前がいないとつまらんから、わざわざ強引に連れてったりしたんだろうが」
眉を寄せ、厳しい声で言っているのに、お兄さんの眼差しは優しい。
「嘘やお世辞じゃありません、よね?」
「当然だ。大体、お前に嘘を吐いたりお世辞を言う必要性自体ないだろ」
「そうでしたね」
僕は唇で弧を描いて、
「ありがとうございます。…嬉しいです」
「お前はそうやって素直にしてりゃいいんだよ」
満足気に言ったお兄さんは、
「ほら、もっと食え」
と言って、僕の口に煮豆を放り込んだ。
「お兄さんも、食べてください」
そんな風に食べさせあったりしながらお弁当を平らげ、少しして電車を乗り換えた。
今度はもう少し乗客も多かったけれど、座れないほどではない。
向かい合わせの席を確保して、また窓の外を眺めながら過ごす。
「お兄さん」
「んー…?」
「宿題、覚えてくれてますか?」
「あー……ああ」
……本当に覚えてくれてたんだろうかと訝しみたくなるような歯切れの悪い返事だ。
「帰ったら、教えてくれるんですよね?」
僕のことをなんだと思っているのかという問いに。
「そうだな…」
眠いとかそういうことじゃないだろうに、よっぽど言い辛い答えを用意してくれているのか、お兄さんは目を合わせようともしてくれない。
そんなに言い辛いなら言わなくていい、と言ってしまいそうになるのは、僕の弱い部分だ。
お兄さんの口から、何か予想外の、僕が思いもしない答えが返ってくるのが怖い。
どんなに大事にされても、僕はやっぱりまだ、お兄さんが僕のことを可愛がってくれるのが理解出来ないらしい。
どうして、と不安に思ってしまう。
そんな僕の気も知らず、お兄さんは少しばかり意地悪な笑みと共に、
「まあ、楽しみにするなり覚悟を決めるなり好きにしろ」
「か、覚悟って何ですか!?」
そんな不安要素を増やさないでくださいよ!
そう口に出してしまわないよう、僕は無理矢理口をつぐむしかなかった。
答えはどうせ今日のうちに聞けるはずなんだから、と。

電車を乗り継ぐうちに、車内も混雑してきた。
それでも向かい合わせの席に座って寛いでいたのだけれど、少しばかり大きな駅を出た辺りで、
「すみません、隣空いてますか?」
と声を掛けられた。
声を掛けて来たのは茶髪でショートカットの女の子と、黒髪を三つ編みにした女の子の二人連れだった。
年頃は、僕たちと同じか、少し上くらいだろうか。
本当に席に座りたいというだけで声を掛けて来たのか怪しい、と思いつつも、お伺いを立てるつもりでお兄さんに目配せすると、当然のように頷かれたので、
「ええ、構いませんよ」
そう答えて僕は席から立ち上がると、お兄さんの隣りに移動した。
お兄さんは満足気に頷いたけれど、逆に、女の子達が少しばかり残念そうな顔をしたように見えたのは僕の見間違いでも自意識過剰の賜物でもないだろう。
「あたしたち、旅行の途中なんですけど、あなたたちは?」
聞いてもないことを言ってそう聞いてきた茶髪の人はどうやら、旅の楽しみとして見知らぬ人との語らいを求めるタイプか何かのようだ。
僕は対外仕様の余所行き顔を作りつつ、
「僕たちは、帰省先からの帰りなんです」
「えー? でも、今が帰省ラッシュのシーズンですよね?」
「ラッシュに巻き込まれたくなかったので、早く行って、早く戻るところなんですよ」
ね、と言えば、お兄さんは小さく頷いた。
…なんていうか、お姉さんと話してるような気分になってくるんですが、そんなにほかの人と話したくなかったんですか。
お兄さんは僕を見つめていたかと思うと、かすかに頷いた。
……どうやら、通じたらしい。
仕方なく、ひとりで応対していたものの、そもそも女性とお近づきになることに対してまったくと言っていいほど興味がない僕である。
あっと言う間に飽きてきた。
さて、いかにしてこの状況から逃げ出すべきか、なんてことを考えていると、お兄さんがため息を吐いて、
「古泉、お前眠いんだろ? 肩貸してやるから、寝ろ」
といきなり言ってきた。
どうやら、お兄さんなりの助け舟らしい。
眠くはないのだけれど、その厚意を受け取ることにして、
「すみません、お借りしますね」
遠慮なくお兄さんの肩にもたれて目を閉じた。
それでも、彼女らは少しばかり戸惑いを見せただけで、今度はお兄さんに話しかけ始めた。
「兄弟なんですか?」
「そんなところです」
「そんなところって、なんですか? もう、意地悪ね」
なんて笑っているけれど、「実際そんなところなんだからそうとしか答えようがない」というのがお兄さんの正直な気持ちだろう。
「どこに住んでるんですか?」
「高校生? 今何年生ですか?」
などとあれこれ聞いてくる彼女らの好奇心に不躾なものを感じつつも、お兄さんはやっぱりもてるんだなぁ、なんて思っていると、お兄さんが会話の流れをぶった切るようにして僕に話しかけてきた。
「肩じゃやっぱり寝辛いか?」
「…えぇと……少しだけですが」
「じゃあ、」
と言って、お兄さんが手を伸ばす。
伸ばされた手が僕の肩にかかり、そのままお兄さんの膝へと引き倒された……って、えええええ!?
これっていわゆる膝枕ってやつだと思うんですが、どういうことですか。
「こっちの方がまだ寝やすいだろ」
「それは…そうかもしれませんけど…」
いいから黙って寝ろ、とばかりに見つめられて、僕は女の子達の変化に気がついた。
驚きすぎているからだろうか。
さっきまでのかしましさなどどこへやら、すっかり黙り込んでしまっている。
どうやら、お兄さんはこれを狙ったらしい。
仕方ありませんね、と苦笑して、僕は目を閉じた。
寝たふりをするだけのつもりで。
……なのに、ぐっすりと眠り込んでしまったのはやっぱり、お兄さんの体温が心地好すぎたからだろう。
「乗り換えるぞ」
と言ってお兄さんに起こされた時には、女の子達の姿などどこにも見えず、変わりに全然違う人が座っていた。
ということは、それなりにやりとりもあっただろうし、その間に通った人などには僕のこの恥かしい姿も見られたということであり、ええとあの、
「さ…流石に恥ずかしくなりました……」
「旅の恥はかき捨てって言うだろ。諦めろ」
そう言うお兄さんの顔も少しだけ赤い。
ついでに、
「…大体、こっちの方が恥かしいんだっつうに」
なんてぶつぶつ言っている。
まあ、そうですよね。
男の頭を膝に乗せて長時間の電車の旅、なんて普通なら黒歴史もいいところに違いない。
「でも、おかげでよく眠れました」
日頃よく利用している電車に乗り込んで、落ち着いてからそう呟いた僕に、お兄さんはニヤリと笑って、
「あれだけ眠ったらそうだろうな。そんなに寝心地がよかったか?」
「よ過ぎましたね」
「…そこは否定してくれてよかったんだが」
「どうしてですか? 事実ですよ」
「…そうかい」
諦めるように呟いたお兄さんだったけれど、
「…今晩は眠れなくなりそうだな」
「全くですね」
どうしたものか、と呟く僕に、
「ゲームでもして過ごすか?」
「え? でも、お兄さんは……」
「俺も結構寝たからな。あっちじゃかなり健康的に過ごしたことだし、久々に夜通しゲームってのも、いいんじゃないのか?」
「そうですね」
お兄さんと一緒なら、きっと何でも楽しいに違いないと思いながら僕は頷く。
そうしておいて、幸せすぎることに不安が首をもたげそうになるのは、僕が酷い貧乏性だからに違いない。
それを見透かしたんだろう。
お兄さんは軽く僕の額にデコピンを食らわせて、
「だから、素直に喜んでろっていつも言ってるだろ」
と笑顔で叱ってくれた。
そんなことさえ、嬉しくて、幸せでならない。
それなのに、もう一週間もお兄さんと一緒に過ごせるかと思うと、幸せ過ぎてどうにかなってしまいそうだと思った。
久しぶりに下りた駅は夕暮れに染まっていて、どこか悲しい風景だったのに、そんな感傷にも浸っていられないくらいには、幸せだ。
「夕食はどうしましょうか」
「お前ん家で作って食えばいいだろ」
あ、僕の家に行くことは決定済みなんですね。
「…悪いか?」
じろりと僕を見たお兄さんに、僕は慌てて首を振り、
「いえ、そんなことはありませんよ。ただ、疲れているでしょうから、ご自宅の方が寛げるのではないかと思っただけで……」
「正直、自分の家よりもお前の家の方が寛げるんだよ。だから、邪魔させろ」
と、これまた僕を喜ばせるようなことを言って、お兄さんは笑って見せた。