帰省
  最終日(前編)



虫取りの他に魚釣りもした。
小さい子達と一緒に山を歩きまわったりもした。
そんな風にして毎日本当に楽しく過ごした。
そう出来たのは勿論、お兄さんのおかげだし、赤の他人にすぎない僕を暖かく受け入れてくれた親戚の方々のおかげだと思ってる。
時々、
「本当にキョンくんと付き合ってるんじゃないの?」
なんてからかわれたのには困ったけれど、それだって、本当に悪意を含んでいるわけじゃなくて、ちょっとからかってみたいとかその程度のものだったから苦にもならなかった。
むしろ、僕があんまり普通に、
「違いますよ。友人としてならお付き合いしていただいてますけど」
と返すものだから、
「キョンくんにするみたいにもっと慌てたら可愛いのに」
なんてことを言われてしまったくらいだった。
程ほどの意地悪さは信頼の証のようでくすぐったく、嬉しかった。
僕とお兄さんが先に帰るからと、わざわざ送別会のようなゴチソウをそろえた夕食会までしてくれたのには感激した。
お兄さんに言わせると、
「なんでもいいから口実にして飲んで騒ぎたいだけだろ」
ということだけど、たとえそれが本心だったとしても嬉しい。
「遠慮せずにまたおいで」
と言ってもらえたことも。
勿論僕は約束した。
また必ずお邪魔させてもらうと。
そうして、よく朝早く僕たちは居心地のいい場所を離れた。
駅まで送ってもらった後は、ローカル線を使ってゆっくり帰ることにしているらしい。
「どうせ混雑してるんだし、だったら焦ったって無駄だろ」
というのがお兄さんの言である。
僕としては、お兄さんと過ごせるのであればどんな悪路難路であっても苦にならない自信がある。
「いっそ、途中で止まったって構いませんよ。そうすれば、流石に機関も何も言わないでしょうからね」
僕が言うと、お兄さんもニヤリと笑って、
「そうだな。どこかでがけ崩れか人身事故でも起きてくれるよう祈るか?」
「じょ、冗談ですよ? そんな、危ないこと望めません」
慌ててそう言った僕に、お兄さんは少しだけ柔らか味を増した笑顔で、
「分かってる。からかっただけだ」
言いながら乗り込んだ車内は、思ったほど混んではいなかった。
田舎へ帰省する人の波とは逆の方向に進もうとしているからだろうか。
あっさりと窓際の席を確保することも出来て、僕たちは揃って拍子抜けした。
走り出した電車の中から、流れて行く窓の外の景色を眺めつつ、僕は呟いた。
「本当に、楽しかったです」
「そうかい」
と素っ気無い返事を寄越しながらも、お兄さんはやはりどこか楽しげだ。
「お兄さん」
「うん?」
僕に向けてくれる目も、優しさに満ちている。
「ありがとうございました」
「そりゃどういたしまして」
と言っておいて、お兄さんは目を細め、
「俺の方こそ、ありがとな」
「え? 何がですか?」
「お前が来てくれて、嬉しかった。楽しんでくれたらしいってのもな。…強引に連れて来ちまったからな。正直、反省もしてたんだが」
「しなくていいですよ」
間髪入れずに言った僕へ、お兄さんは少しばかり疑うような眼差しを寄越した。
「本当にそうか? せっかく一週間も休みがあるなら、好きに過ごしたかったとか思わないのか?」
「思いませんね」
むしろ、いきなり一週間も休みをもらったら持て余していたような気がする。
…その前に、何を企んでいるのかと怯えるのが先だろうか。
「全く、」
嬉しそうに言ったお兄さんは手を伸ばすと僕の頭を緩く撫でた。
「お前は本当に可愛いな」
「あ…ありがとうございます?」
って言うところなんだろうか、これ。
それでも、お兄さんに撫でてられ、褒められて悪い気はしない。
「帰ったら、どうしましょうか」
僕が言うと、お兄さんはにやにや笑いながら、
「お前が決めろよ。俺はどっちでもいいからな。俺ん家で過ごそうとお前ん家で過ごそうと」
そこに別々に過ごすという選択肢が入れられないことを僕は愉快に感じながら、
「お姉さんに怒られてしまいそうですね」
と余計なことを嘯くように言って見た。
それに対するお兄さんの反応はと言うと、
「……それもそうか」
といういたって真剣な呟きであり、
「有希が文句をつけてくるだろうな。お前のことを一週間も連れ出した上に、更に一週間独占しようとした日には、どれだけ睨まれるか分からん」
「ですから、どうせならお姉さんも誘って、三人で過ごしませんか? 勿論、夜はお姉さんにはちゃんとお引取り願うことになりますけれど」
「……いや、やっぱり嫌だ」
思いがけない強さで言ったお兄さんは、軽く目などそらしつつ、
「一週間連れ出しはしたが、独占には程遠い状況だったからな。有希が向こうから来ない限り、しばらくお前を独占させろ。…それくらい、いいだろ」
「お兄さん…」
全く、困った人だ。
普段はあれだけお兄さんぶるし、実際お兄さんらしいのに、変なところで子供っぽさを発揮して。
こういうところは、お兄さんの方が絶対可愛い。
「お姉さんに怒られてもいいんですか?」
意地悪に言えば、お兄さんは涼宮さんがするように唇を尖らせて、
「だから、少しくらいいいだろ。ハルヒに帰って来てるって知られたら、どうせまたあれこれ振り回されるんだ。それまでだけでも、独り占めさせろ」
「…仰せのままに」
と返す他ない。
居心地悪そうに顔を赤らめ、目を合わせないようにする様すら、愛らしい。
お兄さん、可愛らし過ぎますよ。
――と言ってしまわないよう、僕は話題をそらす。
「涼宮さんといえば、今頃何をなさっているんでしょうね」
「あいつも帰省くらいするんじゃないのか?」
「どうでしょうね」
とりあえず今どうしているのかは全く分からない。
機関は本当に僕に休暇をくれたらしく、お兄さんと一緒に帰省している間、一度も連絡が来なかった。
閉鎖空間が発生しなかったからというのも理由ではあるのだろうけれど、本当に全く連絡が来なかったことがいっそ不可思議にすら思えるくらい、僕はあの組織に馴染んでいたらしい。
帰ったら、自分から帰ったことを伝えてみようか。
森さんがどんな反応をしてくれるかが、少しだけ楽しみだ。
そう思っていると、
「なに企んでるんだ?」
とお兄さんに聞かれてしまった。
「企んでなんて、」
「企んでただろ」
「…お見通しですか」
「俺を甘く見るなよ」
と笑ったお兄さんに、僕は苦笑するしかない。
「ちょっと、考えてただけです。具体的にお話しすると、お兄さんの機嫌を損ねそうなのですが…聞きたいですか?」
「そうだな…」
お兄さんはしばらく黙り込んでむっつりと考え込んでいたかと思うと、
「…つうか、お前、俺が目の前にいるってのに、俺が不快になるようなことを企むな」
と叱られてしまった。
「すみません」
謝った後は、二人して黙り込んだ。
話したいことがなかったわけでもないのに、どうしてそんなことになったのか。
理由は簡単だ。
ただ、二人、向かい合って座っているだけで、なんだか嬉しいような温かいような、心地好い感覚に包まれてしまっただけで。
側から見たら、どういう二人連れに見えるんだろう。
向かい合って座っているけれど、それぞれ視線は窓の外に向けてしまっているし、会話もない。
ただ乗り合わせただけの他人に見えるんだろうか。
もし本当に、僕とお兄さんが、人生のほんの一瞬擦れ違っただけの、他人だったら。
そんな風に空想して何が楽しい、とお兄さんなら言いそうだけれど、僕は何故だか、自分でも笑ってしまいそうなほどの、根拠のない自信と共に思う。
一瞬擦れ違うだけ、同じ電車に乗り合わせるだけであっても、僕はお兄さんを見つけ出しただろうと。
浜辺に落とした小さな小石を探すわけじゃない。
空に輝く星々の中からひとつを探すわけでもない。
お兄さんは、そんなちっぽけな存在じゃないから。
ある一時期、僕は、お兄さんのことを月のような人だと思っていた。
涼宮さんのような個性的な人のそばにいるからこそ際立って見えるのであり、自ら輝くような人ではないのだと。
でも、やがて僕は、それは大きな間違いなのだと気がついた。
お兄さんはきっと、太陽なのだ。
でも、涼宮さんとは少し違う。
たとえるなら、春先の、黄砂で霞んだ彼方にぼんやりと見える太陽。
本当なら捉えられないはずの輪郭まで見せてくれる、柔らかな光を放つもの。
お兄さんはそれによく似ている。
ふふ、と自然に込み上げてくるまま笑みを漏らすと、お兄さんが僕に視線を戻した。
そうして、靴の先で軽く僕の足を小突く。
なんだよ、と聞いているらしい。
なんでもありませんよ、と僕は笑みだけを返す。
そうしたらガツンと音がするくらい足を蹴られた。
「っ、流石に痛いですよ」
「お前が悪いんだろ」
くそ、面白くない――なんて呟くお兄さんに、僕は笑顔で答える。
「お兄さんになら、どこか別の場所で出会っていたとしても、きっと今のようになっていただろうなって、思ったんですよ」
「……そう、だな」
戸惑うようにお兄さんは呟いておいて、そのくせ、それからやっと僕の言葉を理解したとでも言うように顔を赤らめた。
「…お前、そういう恥ずかしいこと、よく堂々と言えるよな」
「恥かしいですか? どこが、どういう風に?」
僕としては、そうは思わないんだけれど。
「恥かしいだろ。そういうのは恋人に言ってやれ」
「いませんからね」
今のところ、欲しいとも思っていない。
「それは分かるが…」
「お兄さんは、どうです? そろそろ、彼女が欲しい、なんて思うようになってきました?」
悪戯っぽく問うと、お兄さんは思い切り顔をしかめ、
「今度こそ本気で蹴っ飛ばすぞ」
「すみません、それは勘弁してください」
慌てて降参すれば、お兄さんも眉間の皺を伸ばして、
「分かればいいんだ」
と言った。