今回の捏造は(比較的)控え目です
翌朝、僕は自分の携帯が震える音で目を覚ました。 アラームを設定したものの、一緒の部屋で眠る他の人を起こしたくはなくて、マナーモードに設定しておいたのだ。 目を閉じたまま手探りで携帯を止めると、目を開く。 すぐ近くで、お兄さんがすやすやと眠っていた。 いつもいつも僕のことばかりを可愛い可愛いと言うお兄さんだけど、寝顔なら絶対にお兄さんの方が可愛いと思う。 体を起こして、そっと部屋の中を見回す。 子供たちはひとまとめ、ということで甥っ子さんも姪っ子さんも妹さんも、皆でひとつの部屋に布団を敷き詰めて雑魚寝したのだけれど、すでに起き出した人もいるようで、人数が足りない。 まだ7時にもなっていないのに、早起きだなと感心しながら、僕はお兄さんを揺り起こす。 「お兄さん、」 小さくそう呼んで。 「起きてくださいよ。ねえ」 「ぅ……んん…」 かすかに声を上げたお兄さんが身動ぎする。 「ほら、今日は一緒に山に出かけるんでしょう?」 「…んー……ぅ…」 お兄さんは寝返りを打って僕の方に頭を寄せてきたかと思うと、 「…もうちょっと可愛く起こせよ…」 「知りませんよ。ほら、目は覚めてるんでしょう? 起きてください」 呆れて笑いながらそう言えば、お兄さんはのそのそと体を起こした。 「……可愛くない…」 寝起きの時特有の不機嫌な顔でいつもとは真逆のことを言うお兄さんに僕は小さく声を立てて笑い、 「それはどうもありがとうございます」 と言い返せば、黙ったままきつく抱きしめられて布団の上に引き倒された。 「うあっ!?」 「あの可愛かったいっちゃんを返せ…」 怨みがましく言いながらお兄さんは僕の脇腹をくすぐり始める。 「うわ、や、やめ…っ、あっ、は、っく…!」 他の子たちも起きちゃいますよ!? …と、思った僕はどうやら間違ってなかったらしい。 むにゃむにゃ言いながら起き出した子供たちは、くすぐられ、のた打ち回っている僕を見ると、我も我もと僕に飛びついてきて、お兄さんと一緒になってくすぐりだしたのだ。 それこそ、笑い死にするかと思ったくらい、酷い目に遭ったのだけれど、自分以外の人が僕にちょっかいを掛けるのは面白くないらしいお兄さんによって早々に救出されて、事なきを得た。 それでもぐったりしている僕に、 「大丈夫か?」 と甲斐甲斐しく聞きながら背中を擦ってくれるのは嬉しいんだけど、すみません、向かい合わせに抱きあった体勢でそれはやめませんか。 「ん? ……ああ、そうだな」 言われてやっと気が付いたらしいお兄さんが体勢を変え、うつ伏せに寝転がった僕の背中を撫で擦ってくれる。 「なんとかして回復しろよ。山に行くんだろ?」 「そうですね…」 疲れたのは誰のせいだろうと思いながらも、従順にそう返した。 「キョンくん、お山に行くのー?」 「いっちゃんも? ずるーい」 妹さんや姪っ子さんにそう文句を言われながらも、お兄さんはきっぱりと、 「お前らはまた別の時に連れてってやるし、遊んでもやるから、今日は古泉と二人で行かせてくれ」 と言っていた。 嬉しいな、と思うと共に、そんな言葉だけで元気が出る自分を少し笑った。 それでもやっぱり文句を言っている妹さんたちのブーイングを受けながら、僕とお兄さんは大急ぎで朝ごはんを食べて、家を飛び出した。 手に手を取って駆け出す様は、下手すると駆け落ちか何かみたいだったかもしれない。 それにしては、持たされたお弁当の包みが微笑ましすぎるだろうけど。 逃げ込むようにして山に這い登り、林の中に紛れる。 子供の頃はとても大きく思えた林が、そうでもないことを感じ、不思議の国の国に迷い込んだ彼の有名な少女のような気分になる。 「こんなに小さな林だったんですね」 「そうだな。あの頃は物凄く大きな森みたいに思ってたもんだが」 お兄さんはそう返しながら、僕の手を握ったまま放さない。 いいんだろうか、と目で伺うと、 「あの時も、ずっと手を繋いでただろ」 と返された。 「そう……でしたっけ」 「…本当に、覚えてないんだな」 詰まらなさそうに呟いたお兄さんに、反射的に謝りそうになる。 でもお兄さんは僕の口を押さえて言葉を封じると、 「謝るなって言っただろうが。……これだけ経ってるんだから、忘れてたってしょうがないだろ。むしろ、それでもお前に再会出来て、あのことを覚えてもないのにここまで親しくなれたことが嬉しくてならないんだ」 照れ臭そうに、でもはっきりと言ってくれた。 「お兄さん……」 嬉しいです、と抱きつこうとした僕の手は、あえなく空振りした。 「お、見ろよ一樹」 と言ったお兄さんが鋭角に方向転換を図り、しかもしゃがみこんだからだ。 それにひっぱられて体のバランスを崩しかけた僕は、何とかバランスを保ちながら、 「な、なんですか?」 と聞きつつ、お兄さんと一緒にしゃがんだ。 腐葉土の柔らかな地面の上に見えるのは、白っぽくまるいキノコの群れだ。 「これ、知ってるか?」 「いえ…あいにく、キノコについてはあまり詳しくないものですから」 「そうか。じゃあ、見てろよ?」 そう言ったお兄さんが手の平で僕を呼び寄せるので、僕は素直に顔を近づけた。 と、それを狙っていたんだろう、お兄さんがそのキノコのかさをつついた。 途端に、白い細かな胞子が飛び散り、僕は驚いて飛び退いた。 げほげほと咳き込む僕に、お兄さんは明るく笑って、 「涙目になってかわいいな」 なんて悠長なことを言ってるけど、死んだらどうするつもりなんですか。 「これくらいで死にゃしないだろ。ただのケムリダケだぞ。それに、昔お前が俺に同じようなことをしてくれたからな」 「え、そうだったんですか?」 「つってもあの時は、『これ何でしょうか』とか言いながら突っついてみたら胞子が飛び散って、結果俺がむせたんだがな」 「はあ、それは失礼しました…」 どうして、僕は全然覚えてないんだろう。 お兄さんはこんなにも鮮明に覚えていてくれているのに。 「こっちにはまた別のキノコがあるぞ」 僕がまた暗く沈みそうになっていたからだろうか。 お兄さんは僕の手を引っ張って少し向こうの朽ちた木の方へと進む。 そこでは、目にも鮮やかなオレンジ色のキノコが胸を張るように生えていた。 「これ、食えるかな」 「…あの、多分毒キノコだと思うんで、やめてくださいね。というか、そんな毒々しい色のキノコ、食べたいんですか?」 「食べれたら面白いと思わないか?」 からかうでなくそう聞いてくるお兄さんに、僕は脱力しそうになる。 「後、何したんだったかな…」 頭をかきかき立ち上がったお兄さんの目が辺りを見回し、そして一点で止まった。 「お兄さん?」 お兄さんは黙ったまま僕の手首を掴みなおして歩きだしたかと思うと、今度は白い花の前で膝をついた。 「…まだ、咲いてたんだな」 そう言って大切そうに見つめるから、その花に何か思い出があり、大切にしているんだろうと思ったのに、いきなり手を伸ばして躊躇いもなくぶっちぎったお兄さんに僕は驚かされた。 「い、いいんですか!?」 「何がだ?」 驚く僕に対してけろりとした顔で言ったお兄さんは、優しい笑みを見せて僕の服の胸ポケットに、その花を差し込んだ。 「……え、ぇと……あの……?」 「お前はすっかり忘れちまってるみたいだけどな、この花、俺からお前にやったんだよ。…ただの、機嫌取りのためだったけどな」 そう恥かしそうに笑ったお兄さんは、 「うん、よく似合ってて可愛いぞ」 そんな風に言われてしまっては、僕としては払い落としたりすることも出来ず、 「も、もうお花が似合うような年でもないんですけど…」 と言いながら、赤くなって恥かしがるしかない。 というか、似合ってるとか可愛いとか、からかうために言っているならまだ分かるのに、本気で言っているのが恐ろしい。 それも、褒め殺しにしてやろうとかそういうことでなく、素で、思ったままを口にしているだけだというのが、怖いくらいだ。 真っ赤になったまま、 「ほんとに、可愛いぞ」 などと言われるまま恥らっていると、お兄さんは不意に携帯を取り出して、 「せっかくだから、写真撮っとくか」 「えええええ!? なっ、なんでですか!?」 「有希だって見たいだろうからな。俺も、今度こそ証拠写真を撮っておきたいし。……それとも、だめか?」 「う……」 じっと上目遣いに見つめてくるなんてずる過ぎます。 口ごもる僕に、お兄さんは更に言う。 「有希にしか見せないって約束するから。それなら、いいだろ?」 僕はため息を吐きながら、 「い……一枚だけ、ですよ?」 「ああ、一枚だけでいい。その代わり、可愛い顔しろよ?」 可愛い顔と言われてもどうしようもない。 しくしくと泣き出しそうになりながら、僕はお兄さんに言われるままポーズを取らされる。 どんなポーズかは聞かないでもらいたい。 思い出したくもないから。 お兄さんは、花の位置を結局ポケットから僕の耳の横へと移動させた後で、やっと写真を撮った。 「本当は、全身と顔のアップと二枚欲しいんだけどな」 言いながらちらりと僕を横目で伺ってくるけれど、 「だめです。一枚って約束でしょう?」 「しょうがねえな」 どっちがしょうがないんですか。 思わず眉を寄せる僕の目の前でお兄さんはその写真をお姉さんに送信した。 すぐさま返って来た返事は、 「可愛い」 というもので、たったの一言ながら僕の羞恥を煽るには十分すぎるほどだった。 真っ赤になっている僕に、お兄さんは勝ち誇ったような様子で、 「ほら、俺が言った通りだろ」 と得意げになっている。 ところが、携帯をポケットに仕舞ったお兄さんは不意に真剣な表情になって、こう言ったのだ。 「…いっちゃん」 と。 そんな呼び方は、本当にこれまで何があろうとしてくれなかったようなもので、胸がどうしようもないほどにドキドキと脈打った。 「な、なん、ですか…?」 答えの代わりに、強く抱きしめられる。 そうして囁かれた言葉は、 「やっと…約束を果たしてくれたんだな…」 というもので、自分が思っていた以上に、お兄さんが僕のことをずっと忘れず、それどころか強く気に掛けていてくれたのだと分かり、嬉しいのかそれとも罪悪感でいっぱいなのか分からないような状態になった。 「会いたかったんだ…。ずっと、何年も……」 「…すみませんでした。果たせずにいて…」 おまけに、こんな風にお兄さんに連れてきてもらってやっと果たせた約束なんて、それで本当に約束を果たしたと言えるのか疑問に思えてくるくらいだ。 「謝らなくていい、って言っただろ。お前はちゃんと約束を果たしてくれたんだからな」 そう言いながらも、お兄さんはどこか瞳を潤ませながら、 「…本当にな、ずっと、会いたかったんだ。お前に会えるかもしれないと思って、ここに来るたび、何度も何度もこの先の展望台まで上がってみたりして、お前のことを探してた。会いたくて……会いたくて…」 ぽつぽつと落とされる言葉のひとつひとつに、胸が締め付けられるように痛んだ。 ごめんなさいと謝れるものなら謝って、楽になってしまいたいのに、お兄さんはそれを許してくれない。 だから僕に出来るのは、じっと耐えることだけだ。 しかし、それはさして長い間ではなかった。 お兄さんは、 「…少しは、俺の気持ちも分かったか?」 と言って意地悪な笑みを作ると、 「悪いと思ってるなら、これからは出来る限り来いよ。ゴールデンウィークでも、今の季節でもいい。ここに、来てくれ」 「約束します」 考えるより先にそう請負っていた。 と言っても、軽い気持ちではない。 心の底から、真剣に誓っていた。 「たとえ、ここには来られなかったとしても、お兄さんには何があっても会いに来ますから」 そう言った僕に、お兄さんは一瞬唖然とした表情を見せた。 その眉が寄せられ、真剣に見つめられる。 「お前、どこかに行っちまうつもりなのか!?」 ほとんど問い詰めるような調子で聞かれ、僕は慌てて言った。 「いえ、今のところそんなつもりはありません。でも……今後、進学や就職をすることを考えたら、どうしても離れ離れになってしまったりするかもしれないでしょう? 何年も先の話とは言っても……僕は、何年も先のことでも、ちゃんとお約束しておきたいんです」 「……そうか…。お前も、そうやって将来のことなんか考えられるようになったんだな」 お兄さんはほっとしたようにそう笑ってくれた。 祝福の笑み、と言ってもいいかもしれないというような笑みだった。 優しくて、あったかくて、幸せな気持ちになるような笑みだ。 でも、お兄さんはその笑みをすぐに消して、悲しげに目を伏せると、すっと僕から体を離した。 その表情を僕に見せたくないとでも言うように顔を背け、ぽつりと呟く。 「…だが……お前が側にいなくなったら、寂しい、な…」 「お兄さん…っ」 感激して、つい勢いに任せて抱きつくと、 「う、わっ…!?」 と声を上げたお兄さんがバランスを崩して倒れこんだ。 当然、僕も一緒に腐葉土の上に倒れる。 「お前な、力も体格も俺より上なんだから、加減しろよ、ばか…!」 お兄さんはそう言ったけれど、僕はそれに返事をするような余裕もなく、ぎゅうぎゅうとお兄さんを抱きしめて、 「お兄さんと、ずっと一緒にいたいです…っ。出来る限り、一緒にいたいんです。離れたくなんか、ないです。僕も、寂しいですから…! お兄さんと、一緒に、いて、いいん、です…よね……?」 「――ああ、俺の方こそ、いさせてくれ。けど、これだけは守れよ。俺と一緒にいたいからなんて理由で進路選択したり、みすみすチャンスを逃したりはするな。…いいな?」 「はいっ」 元気よく返事をした僕の頭を、お兄さんは優しく撫でてくれる。 でも僕は、その行為よりもむしろ、そんな風にして先々まで僕のことを心配してくれるお兄さんの気持ちが嬉しくてならなかった。 お兄さんも、何かしら嬉しかったのだろうか。 全身どろどろに汚れてしまったことを怒りもしないで、そのまま展望台までふざけあいながら上がった。 その間中、ずっと浮かべていてくれた笑顔がまた、嬉しかった。 |