引き続き捏造してます





































帰省
  一日目(後編)



遅めの昼食を取った僕たちは、甥っ子さんたちにせがまれるまま、川へ水遊びに出かけることになった。
流石というか何と言うか、お兄さんは本当に用意周到で、
「水着も日焼け止めも日除けのパーカーも全部荷物に突っ込んであるから」
の一言で僕に何一つ文句も言わせず、川遊びの準備を整えてしまった。
文句を言うつもりじゃなかったけれど、それにしたってこれは、
「ちょっと……」
「嬉し過ぎるのか?」
当たりです、と頷けば、
「アホか」
と眩しい笑顔と共にデコピンを食らわされた。
急かされながら水着に着替えさせられ、日焼け止めを塗ったりした上で連れ出される。
両手を引っ張るのは妹さんと姪っ子さんだ。
お兄さんは何が面白くないのか、難しい顔をしながら嘆かわしげに僕に言った。
「お前は本当に守備範囲が広いな」
「しゅ、守備範囲って何ですか!」
用途が間違ってると思うんですけど!
「じゃあ、年下にも年上にも受けがいいよな」
「それは…否定しませんけど、でも、それはあなたも同じでしょう?」
「どこがだ」
吐き捨てるように言ったお兄さんは、面白くないと思っているのを吹き飛ばそうとでもするかのように、
「お前ら、川まで走るぞ!」
と甥っ子さんたちに声を掛けて走り出した。
「待ってくださいよ」
「キョンくん待ってよー!」
なんて叫びながら、僕たちも慌てて追いかける。
街中よりずっとマシとは言え、酷く暑いのにそんな風にして走ったものだから、余計に汗が流れ出る。
それだけに、冷たすぎるくらい冷たい川の水が気持ちよかった。
「お前も汗くらいかくんだよな」
しげしげと人の額を見ながら言ったお兄さんに、僕は苦笑するしかない。
「かかないとでも思ってたんですか?」
「いや、会ったばかりの頃なんかはやっかみ半分でそれくらいのことは思ってたけどな。最近は流石に思ってないぞ。風邪引いて熱出して汗まみれになってんのも見たし、その汗を拭いてやったりもしたしな」
「その節は、大変お世話になりました」
深々と頭を下げると、その頭に軽く手刀を入れられた。
「当然のことをしただけだろ。お前は一々大袈裟なんだよ」
「そう照れなくても」
「照れとらん」
僕がくすくす笑っている間に、お兄さんは眉を寄せながらも、子供たちに呼ばれるまま、泳ぎに行ってしまった。
残された僕は、一応柔軟などしてから水に足をつける。
冷ややかな水の感触が気持ちよくて、体には悪いと思いつつも、そのまま一気に水に入った。
子供たちの様子を伺いながら体が少し冷えるくらいまでひと泳ぎして岸に戻ると、お兄さんのハトコだという、僕たちとそう変わらない年頃の女の子が二人ほど来ていた。
泳ぐつもりはないらしく、水着に着替えてはないようだけれど、ワンピースとショートパンツからのぞく白い脚が目に眩しい。
はっきり言うと、顔の作りは涼宮さんや朝比奈さん、お姉さんの方が整っていて可愛らしいと思う。
でも、彼女らはお兄さんに少しだけれど似ていて、少しだけだけれど、どきりとした。
お兄さんが女の子になった時もこんな感じだったな、と思いつつ、挨拶代わりに軽く愛想笑いをして頭を下げる。
それから、冷えた体を温めようと、日の当たる場所に腰を下ろすと、彼女たちは僕に近づいてきた。
「古泉くん、楽しんでる?」
お姉さんの方にそう聞かれ、僕は笑顔のまま、
「ええ」
と短く返した。
妹さんの方は、少しばかり恥かしがっているのか、ちらちらとこちらを見てくるのに目をあわそうとはしない。
僕は別にそう緊張されるような人間でもないんだけどな。
「キョンが強引に連れてきたんだって?」
「ええ、まあ、そうですね。強引といえば強引でした。何しろ、いきなり起こされて、連れ出されましたからね」
笑みに苦いものを滲ませた僕に、彼女は明るく笑って、
「でも、そういうのって凄く珍しいのよ? キョンって、自分から何かしようとするタイプじゃないから」
「そうですね」
それだけに、今回のことは嬉しくてならない。
思わず緩んだ笑みを浮かべそうになるのを堪えていると、
「ねえ、古泉くんって彼女とかいるんでしょ?」
と唐突に聞かれた。
僕は苦笑して、
「いませんよ」
必要性も感じてないけど。
「そうなの? もてそうなのに」
「それほどでもありませんよ」
「嘘吐き」
くすっとからかうように笑った唇の形が、お兄さんそっくりだった。
「謙遜なんてしなくていいってば。告白とかされたことあるんでしょ?」
「……まあ、ないとは言いませんけど…」
「やっぱり」
笑って手を叩いた彼女は、
「キョンにひがまれたりしてない? あいつ、ああ見えてひがみっぽいところあるから、足引っ張られたりしないようにね?」
「そんなことはあり得ませんよ」
笑ってそう否定すると、
「意外とあっさり言うのね。そんなに仲良くしてるんだ?」
「ええ、とてもよくしていただいてます」
「ふぅん」
彼女がそう意味ありげに呟いたところで、
「おーい、古泉ーっ!」
とお兄さんに呼ばれた。
見れば、川の一段と深そうな場所へと張り出した大きな岩の上に立って、手を振っている。
岩から水面までは3mくらいはありそうだ。
まさか飛び込むつもりだろうかと、手を振り返しながら見ていると、お兄さんは勢いよく水に飛び込んだ。
上がった水飛沫の高さに目を奪われそうになるし、大丈夫だろうと思ってはいても、僕の目は自然とお兄さんの姿を探す。
もし何かあったらすぐにでも飛び込んで探しに行けるようにと思い、知らず知らずのうちに腰を浮かしながらお兄さんの姿を探していると、お兄さんが自ら顔を出してもう一度手を振って笑った。
ほっとしている僕に、お兄さんが近づいてくる。
水から上がったお兄さんは、ご機嫌な笑顔で、
「見てたか?」
「ええ、ドキドキさせられましたよ」
「お前、ほんと変なところで怖がりだよな」
そう笑ったお兄さんが僕の手を引っ張る。
「お前もやってみろよ」
「僕もですか?」
「大丈夫だって。深さもあるし、腹打ちにさえ気をつけりゃ、痛くもない」
言いながらお兄さんは僕を川の中へと引っ張り込む。
そうしておいて、僕の肩を引き寄せて、更に頭も寄せたお兄さんは、
「あいつら、どうだ?」
あいつらというのは彼女たちのことだろうと思いながら、
「どう、とは?」
「決まってんだろ。気に入りそうか?」
「……って、何言い出すんですか!?」
本気で意味が分かりません!
「あいつらじゃなくてもいいぞ? 気に入ったのがいたら言えよ」
「は、発言の意図が分かりません…!」
びっくりしながら言うと、お兄さんはにやりと笑って、
「出来ればお前を本当に身内として取り込みたいくらいの愛着はあるからな。が、うちの妹じゃ年が離れてるだろ? だから他に年の近いので気に入るのがいたらと思ったんだ」
「お気持ちはありがたいんですけど、」
と僕は顔を赤らめながらお兄さんにストップをかける。
「正直、勘弁してください。まだ高校生なんですよ、僕も、あなたも」
「早いうちに唾付けとかないと、どこか別のやつにお前をかっさらわれるだろうが」
「何言ってるんですか」
「そうだろうが。もてるくせに」
そう言ったお兄さんは、
「出来ればうちの身内か長門とくっついてくれりゃいいんだがな」
と独り言みたいに呟いた。
…お兄さんは、どこまで本気か分からないのが怖いと思う。
川から反対側の岸に上がって、岩によじ登る。
下からは、妹さんや他の子たちに、
「いっちゃーん、頑張ってー!」
なんて声を掛けられるから逃げることも出来やしない。
「飛び込みくらい出来るだろ」
とお兄さんはどうやらレクチャーもしてくれないつもりらしい。
僕は嘆息しながら、
「プールでならしたことはありますけどね。こういう場所では初めてです」
「要領は変わらねえよ。飛ぶのも高いところも得意だろ、超能力者」
悪戯っぽく言ったお兄さんに、僕は抵抗を諦めて岩の端に立つ。
「もし失敗して溺れたりでもしたら、見捨てずに助けてくださいね」
「人工呼吸まできっちり面倒見てやるよ」
そうお兄さんが笑ったので、僕もニヤリと笑い返し、
「濃厚なのをお願いします。約束ですよ」
と言って飛び込んだ。
頭から水面に飛び込み、音も皮膚感覚も何もかもを一瞬水に支配される。
そうしてざばりと水面から顔を出せば、妹さんたちの歓声に迎えられた。
お兄さんは褒めてくれもせずに、
「古泉、邪魔だから避けてろよ」
なんて言っている。
僕は苦笑しながら飛び込み地点から離れ、お兄さんが飛び込んでくるのを待つ。
お兄さんは笑って、勢いよく飛び込んだ。
あまり離れていなかったせいでまともに水飛沫を被ってしまったが、それはまだよかった。
よくなかったのは、その後、飛び込んだまま潜ったお兄さんに、脚を引っ張られたことだ。
いきなりのことに驚き、素直に水中に引きずり込まれた僕に、お兄さんは意地悪な笑みを浮かべて、
「望み通り足を引っ張ってやったが、感想は?」
「そんなこと希望してませんよ」
「そうか? 足を引っ張られるのなんのと話してたように思うんだがな」
地獄耳ですか。
「悪い話は耳に届きやすいんだよ。あと、お前の顔に書いてあった」
そう笑っているけれども、お兄さんはまだ少し怒っているように見えた。
全くもう、結局何なんですか。
「さっきはあんなこと言ってたくせに、本当は僕を取られるのは、たとえ身内でも寂しいんじゃないですか?」
僕が小声で聞くと、お兄さんは一瞬真顔で僕を見た。
考えていることどころか、表情さえ読めない、全くの無表情に、つついてはいけないところをつついてしまったかと焦った。
しかし、それは一瞬のことで、お兄さんはまたすぐに笑みを見せて、
「そうだ、…って言ったらどうする?」
「喜びましょうか」
にっと笑って言えば、
「なんでだよ」
と眉を寄せて聞かれる。
「理由の説明が必要ですか?」
「ああ、必要だね。理解し難い」
「簡単ですよ。…お兄さんに、そこまで好かれているなら、とても嬉しいので喜ぶ、ただそれだけのことですから」
「そうかい。じゃあ、」
とお兄さんは僕をもう一度水の中に引きずり込んだ。
何をするのかと驚く僕を一瞬だけ抱きしめて、水の中で器用に笑う。
水から上がる瞬間の音に紛れて、
「寂しいってことにしておいてやる」
と聞こえたのは、きっと空耳じゃない。

たっぷり遊んで疲れたから、夕食がとても美味しかった。
その頃には、最初は人見知りをしていた子たちも慣れてきて、僕はいっちゃんだとか古泉くんだとか呼ばれながら子供たちに振り回されるようになっていたけれど、それはそれでとても楽しかった。
お兄さんも同様の状況で、そこから察せられるのは、どうやらこういった時に小さな子たちの面倒を見るのは、お兄さんに一任されているらしいということだった。
道理で、人の世話を焼くのに慣れているはずだ。
自分も同じ扱いなのかと思うと少しばかり複雑なものもあったけれど――だって僕はお兄さんと同い年であって、年下でもなければ小さな子供ですらないのだから――、それすら悪くないと思えた。
そうして後はお風呂に入って寝るだけかと思ったら、
「古泉、まだ体力は残ってるよな?」
とお兄さんに聞かれた。
「ええ、大丈夫ですが…今からお出かけですか?」
小さく頷いたお兄さんは、
「まだ蛍が見れるらしいから、見にいかないか? もう終りかけてるから大して量はいないとは思うんだが、蛍自体結構珍しいだろ?」
「そうですね。見られるようでしたら是非」
「よし、なら行くか」
心なしか嬉しそうに見えた笑みに、やっと二人になれることを喜んでいるような色が滲んで見えて、僕も笑顔になる。
付いて行きたいと声を上げる妹さんたちに、
「足場が悪いからお前らはやめとけ」
と言って説得を試みて、結局恨まれながらもお兄さんは結局僕と二人だけで家を出た。
その時、ハトコの女の子が、
「キョン、古泉くんとデート?」
とからかってきたけれど、これまたお兄さんは軽く、
「ああ、邪魔するなよ」
なんて笑い返して、僕の手を引っ張って歩き出した。
「いいんですか?」
恐る恐る聞けば、
「冗談だってことくらい、ちゃんと通じてるだろ、多分」
多分なんですね…。
まあ、お兄さんがいいなら僕はいいんだけど。
「それより、」
とお兄さんははにかむように笑って、
「…やっと二人になれたな、一樹」
と僕の名前をわざわざ呼んでくれた。
「はい、お兄さん」
僕が呼び返せば、更にその笑みが深まる。
嬉しそうにくしゃくしゃと僕の頭を撫でて、
「可愛いな」
と恥かしくなるほど心のこもった言葉を囁く。
照れて赤くなっていれば、もう十分暗いというのにそれでも分かるらしく、更に可愛い可愛いと撫で回される。
その手が不意に止まったかと思うと、
「……お前、覚えてたか?」
と聞かれた。
さっきまでの弾んだ声はどこに行ったのかと思うような、真剣な声で。
「どれのことでしょう」
僕が聞き返すと、お兄さんは少しばかり恥ずかしそうにしながら、
「…子供の頃に、ここの山で会ったことを、だ」
「覚えてましたよ。ずっと、楽しい思い出として覚えていました。細部は忘れてしまっても、楽しくてならなかったことだけはずっと覚えてます」
「あん時は沢山遊んだな」
お兄さんはそう笑って、
「あれからまた整備が進んで、多少様変わりしちまってるが、明日にでも山に登ってみるか?」
「いいですね。そうしたら僕も思いだすかもしれませんし」
「それじゃ、明日は早めに起こせよ」
「自分では起きないんですか?」
「お前に起こして欲しいんだよ」
あの時みたいに、とかすかに呟いたお兄さんに、胸が痛くなったのは多分、そのことを僕がちゃんと覚えていないからだ。
自分がどんな風にしてお兄さんを起こしたのか、それさえ僕の記憶には残っていない。
そのことが、寂しい。
せっかくの、お兄さんとの思い出なのに、そして、お兄さんはちゃんと覚えていてくれたというのに、僕は覚えていないということが切なくてならない。
まるで自分が酷い薄情者のようで、お兄さんのことを軽んじているかのようで、申し訳なくなる。
「まあ、気にすんなよ」
そう言ってお兄さんはもう一度優しく僕の頭を撫でた。
反対の手は僕の手を握ってくれているままで、
「忘れられてもしょうがないようなことではあるし、忘れてるならそれはそれで話す楽しみもあったからな。だから、そんな暗い顔するなよ」
「…はい、ありがとうございます」
無理に笑ってそう答えると、今度は頬を抓まれた。
「無理して笑うな」
「…ごめんなさい」
「謝るな」
じゃあ僕にどうしろって言うんだろうか。
「自然に笑えるようになるまで大人しくしてろよ」
そう言ったお兄さんが細い沢の方へと降りていく。
その間も、手は繋がれたままで、ほとんど足元も見えないような薄闇の中、それだけが確かなもののように思えた。
「懐中電灯をちゃんと持ってきときゃよかったな」
ぼやくお兄さんの手を強く握って、
「お兄さん、」
と呼ぶ。
たまらなく不安を感じ、それを打ち消したかった。
「どうした?」
振り返ったお兄さんの表情に安堵する。
「…なんでもないです」
と笑い返した僕に、お兄さんは怪訝な顔をしただけで何も言わずにいてくれた。
沢の淵に立って、乱舞とまではいかないまでもちらほらと漂うように舞う蛍の群れを見つめながら、僕は小さく、独り言のように言った。
「お兄さん、……好きです」
「ん、ありがとな。俺も、好きだぞ」
慣れているからか、さらりと返したお兄さんが、何か思いついたように僕を見る。
そうして、何の予告もなしに僕を引き寄せて抱きしめると、
「…これで少しはマシになったか?」
と聞いた。
理由も分からない不安さえ、見抜かれていたのかと思うとやっぱり恥かしい。
でも、それ以上に嬉しくて、
「…もう少し、抱きしめててくれたら、元気になります」
と言ってみると、お兄さんは怒りもしないでその通りにしてくれた。
その温かさが、優しさが、本当に好きだと思った。