古泉が例によって例の如く、バイトを理由に活動を休んだ、とある放課後のことである。 これまで特に疑問を発する様子のなかったはずのハルヒが、唐突に口を開き、 「古泉くんのアルバイトって何なのかしら?」 と呟いた。 それだけならまだしも、 「あんた、何か知ってるんじゃないの?」 と俺に聞くのは勘弁してくれ。 答えようがない。 知らん、と言おうとした俺の声を遮るように、長門が言った。 「サービス業」 ……ある意味、間違ってない。 間違ってないんだが、長門、そういうことを言っちまっていいのか? だが、ハルヒとしてはそんな漠然とした言葉でも、それなりに納得のいくものだったらしい。 「古泉くんなら、コンビニのバイトとか簡単に出来そうよね。ファーストフードでもいいけど」 古泉はほぼ常に0円スマイルだからな。 「でも、それなら何で不定期に呼び出されたりするのかしら? シフトとか決まってるんじゃないの?」 「身内の店か何かなんじゃないか?」 俺は無責任に適当なことを言った。 「それなら、人手が足りない時に呼びつけられたりするだろ」 「…あんた、古泉くんと仲良くしてるのに、バイト先もちゃんと知らないの?」 呆れたように言ったハルヒには、 「興味がないからな」 と答えてやる。 これは半分以上本当だ。 古泉がバイトでどんなことをしてようと、どんな目に遭ってようと、俺にはあまり関係がない以上、興味はない。 そりゃあ、いつだったかのように大怪我をして病院に担ぎ込まれたり、死線をさ迷うようなことになりでもすれば、大いに心配もするし、一体なんてことさせてやがるんだと、子猫を取り上げた親猫並みの剣幕で機関などという俺の手には余ることこの上ないほどデカイであろうものに立ち向かってやるくらいの覚悟はあるんだが、そうじゃないなら口出しはしない。 出来ないとも言うが、古泉の意思で辞めたりすることが出来ない以上、仕方のない部分もあるからな。 俺に出来ることは精々、ほんの少しばかりでもあいつを労ってやることくらいのもんだ。 古泉もどうやら、それで構わないようだし。 「興味ないってなんで? お店に顔見に行ったりしないの?」 お前はどこのバカ親だ。 「あいつがどこでどう働いてようが、どうせあのへらへらした営業スマイルを振りまいてるだけだろ。そんなもんに興味はない。あいつが忙しくしてることさえ分かってりゃ十分だ」 「……やっぱり忙しいのね」 ハルヒはどこか気に病むような様子で呟いた。 ……まさかとは思うのだが、古泉のことを心配しているのだろうか。 あるいは、貴重な休息時間をわけの分からない活動で奪ってしまっていることに気が咎めたのか? ないとは言い切れない。 ハルヒもどうやら、出会ったばかりの頃と比べると、随分と丸くなっているからな。 だから俺は、 「忙しかったのは以前の話で、最近はそうでもないらしいぞ」 と言った。 「本当に?」 「ああ」 「…そう、よかった」 ぽつりと呟いたハルヒだったが、きっと俺を睨むと、 「変な勘違いしないでよ? あたしはただ、大事な副団長が心配ってだけなんだからね」 と言った。 それは何に対するフォローだ。 俺は首を捻りながら、 「分かってる。まああいつは、お前が心配してるって知ったらそれだけで恐縮しそうだけどな」 「なんでよ?」 「団長閣下を煩わせたくないらしいからな」 「あんたもあたしにそれくらいの敬意を払いなさいよ」 嫌なこった。 どこかむくれながらハルヒは顔を背けたが、まだその表情は晴れなかった。 閉鎖空間が発生するほどではないと信じたいが、どうなんだろうな。 俺の不用意な発言が元で閉鎖空間が発生し、古泉が怪我でもしたら、俺が長門に報復される気がする。 どうしたものか、と思っていると、 「…そんな風に一生懸命働いて、古泉くんはどうしたいのかしら」 とハルヒがまたもや呟いた。 「何か欲しいものでもあるの?」 「…さあな。ただ、」 この発言はかなりのギリギリ境界線ラインだと思いながらも、俺は止められなかった。 ハルヒにも、これくらいのことは言っても構わないだろう。 「やらなきゃならんからやってるだけじゃないか? あいつはああ見えて責任感も強いみたいだし、逆に、物欲は薄いからな」 もう少し、色んなもんに執着してもいいと思うんだがな。 「古泉くんが倒れたりしないよう、ちゃんと気をつけてあげなさいよ」 「何で俺に言う」 「あんたが一番仲がいいんでしょうが」 当然のように言い放ったハルヒに、俺は思わず笑った。 どうやらこれがハルヒなりの労わり方であるらしい。 素直じゃないと言うか、不器用と言うか…全く、困った奴だ。 だがまあ、せっかくのお墨付きを貰ったんだ。 精々労ってやるとしよう。 「分かった」 と答えた俺は、晩飯の献立を考え始めた。 活動終了後、俺は長門を伴ってスーパーマーケットに寄った。 三人分の材料にしてはいくらか多目の食材を、カートに載せたカゴの中へ放り込んでいく。 余った分は冷凍してやれば構わないだろうという判断だ。 晩飯は古泉の好きなものに決めたのだが、そうなると子供向けになるので、いっそのこと思い切りお子様ランチにしてやろう。 ハンバーグとチキンライス、ポテトサラダ、スープは少し面倒だが古泉に野菜を食べさせるべく、ミネストローネを作るとするか。 お子様ランチと言うならば、そこに揚げた鳥やイモのふたつみっつは付け加えたいのだが、流石にそこまでするのは時間的にも設備的にも難しいだろう。 古泉の部屋には最低限度の調理器具および設備しかそろっていないことは以前に確認済みだ。 電子レンジがオーブン機能さえ備えていないものだったばかりか、揚げ物と焼き物を平行できるほどフライパンも鍋もなかったはずだからな。 ……いっそのこと、百均で鍋でも買っていくべきだろうか。 いや、家主の了解もなしに勝手に設備投資をするのは流石にまずいだろう。 これまでに持ち込んだあれやこれやは一応古泉の了解を得てから持ち込んでたしな。 今日は妥協して、冷凍食品を利用するとしよう。 「長門、あと足りないものはあるか?」 外なので長門と呼んだのだが、長門にはちゃんと通じたらしい。 特に不機嫌になる様子もなく、 「デザート」 と答えられた。 「デザートか」 お子様ランチの定番はプリンやアイスクリームだが、何がいいか…。 「長門は何がいい?」 デザート類の並んだコーナーに足を向けながら俺が聞くと、長門は驚いたように軽く目を開いた。 何がそんなに驚きなんだ。 俺は小さく笑いながら、 「別に、俺がお前に希望を聞いたっておかしくないだろ」 「……ありがとう」 ぽつっと呟いた長門が、俺の制服の裾を抓んだ。 控え目な仕草が可愛くて、頭を撫でてやると、古泉とは違う髪の感触にくすぐったさが増大した。 「で、何がいいんだ?」 誤魔化すように聞くと、長門は棚に目を走らせた後、 「……これ」 と大きなプリンを指差した。 でかくて安い代わりに味は、というタイプだな。 「これでいいのか?」 「いい」 「んじゃ、これを3つだな」 俺はプリンを3つカゴに放り込み、ざっと中身を確かめた。 もう足りないものはないだろう。 俺は長門とともにレジに向かった。 それから、2つに分けた袋を長門とそれぞれ持ち、ふたりして古泉の部屋に向かった。 いつだったかにやったように、夕食を作って古泉を迎えてやろうと。 ――したまでは、よかったんだがな。 「え、あ、あれっ? どうしたんですか、ふたり揃って……」 驚く古泉に、反対に迎えられちまった。 読みが甘かったか。 ――というか長門、お前なら古泉が帰ってるかどうかくらい分かったんじゃないのか? 一瞬、そう聞こうとして俺はやめた。 長門が日常の、宇宙人としての力が必要のない時に、その力を使わずにいるのなら、それはそれでいいことだろうからな。 だから、俺は開いた口に軌道修正を求め、 「お前に夕飯を作ってやろうかと思ったんだが……どうやら、遅かったらしいな」 室内から漂うのは、美味しそうなおでんの匂いだ。 ……若干、季節感が狂うような気もしたが、そこには目を瞑ろう。 ぴくっと長門が反応したからな。 そのことに、古泉も気がついたらしい。 嬉しそうに笑って、 「よろしければ、一緒に食べてくださいませんか? ひとりで食事をするのはわびしいものですし、おでんはたっぷり作りましたから」 長門は許可を求めるように俺を見上げた。 そんなもん、一々俺に聞かなくてもいいんだぞ。 俺は唇を緩めながら軽く長門の頭を撫で、 「悪いが、食わせてくれ。お前のところで食うってもう家に連絡しちまったんでな」 「ああ、そうでしたか。それならなおさらですね。どうぞ上がって下さい。…ただし、おでんの味については、保証いたしかねますが」 お前の料理だからな。 さぞかし大雑把な見映え及び味なのだろう。 「仰るとおりです」 そう笑う古泉に、俺は軽く頭を叩き、 「そこで笑ってどうする」 少しは怒れ。 「僕だって、本気で馬鹿にされたりしたら怒りますよ。でも、そうじゃないでしょう?」 だからと言って嬉しがるのもどうかと思うが。 「…っと」 いかん、忘れるところだった。 俺は長門の手からスーパーのビニール袋を取り上げると、 「古泉、これ、冷蔵庫に仕舞ってくれ」 「え、仕舞うって……入れておくだけじゃないんですか?」 「ああ。うちに持って帰っても仕方がないからな。お前が食え」 「ありがとうございます。代金はおいくらだったのでしょうか?」 俺としては別に構わんと言ってやりたいところなのだが、古泉がこういうところで非常に融通が利かないことは解っている。 それに、古泉がそうなのは俺がいつもハルヒに奢らされ、財布の軽さについて嘆いていることを知っているからだということもな。 それなら大人しく、支払わせた方が話が早く、無駄な時間を過ごすこともないだろう。 俺は諦めとともにレシートを突き出し、古泉から金を受け取った。 つり銭をきっちりと返そうとすると、 「別に構いませんよ?」 と言われたが、俺は当然断った。 「手間賃代わりのつもりか何か知らんが、金銭に関してきっちりしておくことは人間関係を良好な状態で長期的に保つために重要だと言うことくらい覚えておけ」 「はい、肝に銘じておきましょう」 嬉しそうに笑った古泉の頭に俺は手を伸ばした。 「よし、いい返事だ」 と言いながら、頭を撫でてやったことは言うまでもない。 「それにしても、」 古泉が口を開いたのは、長門がここにある鍋のうち最大の大鍋を半分ばかり空にし、残り半分のうち4分の1ほどを俺と古泉がふたりして食べた辺りだった。 即ち、鍋の残りは4分の1、俺たちの腹はほぼ満タンとなった頃だ。 食後のコーヒーでも、いややっぱり入らんからいい、と思っていた俺に、古泉が言ったのだ。 「今日はどうなさったんです? 突然いらっしゃるので驚きましたよ」 「いや…」 語尾を濁したのはあれだ。 ハルヒが心配していたからだと素直に言っちまっていいものかと悩んだせいだ。 そんなことを言って、古泉がちゃんと納得するか、妙な懸念を抱くのではないかと思ったのだが、まあ、言っても大丈夫だろう。 ハルヒが古泉のことも仲間だと認識していることくらい、分かっているはずでもある。 「――ハルヒが、」 「涼宮さんが?」 寛ぎモードもどこへやら、真剣な表情になって身を乗り出してきた古泉に、俺は慌てて続きを言った。 早とちりするんじゃねえぞ。 「ハルヒがどうかしたって言うんじゃない。ただ、あいつに、お前が倒れたりしないようちゃんと気をつけてやれって言われたんでな。団長命令を大義名分として、こうして買い出しに行ってきたというわけだ」 「……涼宮さんが、ですか」 ぽかんとした表情を浮かべた古泉の鼻先を、軽く指で弾いてやる。 「お前、その反応は、たとえ相手がハルヒであっても、失礼だぞ」 「すみません。…余りにも意外だったものですから……」 まだ驚きの表情を消せないらしい古泉に、俺は盛大にため息を吐き、 「お前なぁ…」 「ああ、お兄さんが言わんとすることは分かっています。…頭では、分かっているのですが……」 感情がついて行かないってことか。 やれやれ、面倒な奴だな。 気持ちは分からんでもないが、これまでにだって何度もハルヒが古泉を心配していたことはあるし、そうでなくても、あいつが古泉のことも気に掛けてることに間違いはないだろう。 人のことを鈍いとかなんとか言う前に、自分のことも反省しろ。 「…ええ、全くですね」 そう、小さく声を立てて笑った古泉は、じっと俺を見つめると、 「お兄さんも、心配してくれたんですよね?」 「そうじゃなかったらわざわざ来ないだろ」 「お姉さんも」 長門が当然のように頷いた。 当然のよう? いや、間違いなく、それは当然のことだな。 俺は呆れながら言ってやった。 「一樹、お前な、人のことをお兄さんだのお姉さんだのと呼ぶなら、ちゃんと自分の立場も分かってろよ。俺がお前の兄で有希がお前の姉なら、お前は俺たちの弟なんだぞ? 弟を心配しない兄や姉がいるか?」 いや、いるにはいるだろうが、少なくとも俺たちは違う。 だから、 「そんな風に不安になる必要は全く以ってない。時間とエネルギーの浪費にしかならんから、無駄なことは止めろ」 古泉は軽く目を見開いて驚きを表すと、すぐにふわりと微笑んだ。 「はい。ありがとうございます」 「遠慮も止めろよ。俺も遠慮なくこうやって飯をご馳走になるし、お前も俺の家に食いに来たり長門のところに行ったりしてりゃいいだろ。世の中持ちつ持たれつだ」 「…そうですね。ところで、」 古泉は悪戯っぽく笑った。 ああ、この笑顔は結構好きだな。 「今日、本当は何を作ってくださるつもりだったんですか?」 「ハンバーグとチキンライス、ポテトサラダ、ミネストローネ・スープに冷食のから揚げといも、それからプリン」 「ハンバーグですか」 目を輝かせる古泉は、本当に子供っぽく見えた。 可愛いなあ畜生。 お子様ランチがぴったりって顔だ。 「食べたいか?」 「是非ともご相伴に与りたいですね」 ご相伴どころか、お前が正客だ。 俺は自分の機嫌が古泉のこんな反応程度で大きく上昇するのを感じ、思わず笑いながら、 「なら、明日も来ていいか?」 「えっ?」 「有希はいいよな?」 「…いい」 「よし」 俺は椅子から立ち上がると、汚れた皿を重ねて流しへ運びながら、 「有希、明日のために下拵えしておくぞ」 「……手伝う」 長門も椅子から立ち上がり、やってくる。 古泉は戸惑うようにきょろきょろしていたが、 「えっと、あの、それってつまり…」 「明日の夕食は俺と有希で作ってやるって話だ。お前は……そうだな、どこかで時間を潰して帰ってくるってのはどうだ? お前が帰ってきた時には、夕食が出来てて、俺と有希が迎えてやるってことで」 「いいんですか?」 喜んでいいのかそれとも固辞すべきなのか悩むような表情で言った古泉に、俺は声を上げて笑い、 「悪けりゃ言わんだろ」 「……ありがとうございます」 その言葉も、一体今日何回目だ? 「それを言うなら、お兄さんとお姉さんこそ、何回僕を喜ばせたら満足してくれるんです?」 笑いながらそんな風に言い返してきた古泉だったが、俺が返す言葉を考えている間に、 「それから、出来れば明日は、僕もご一緒させてください。帰宅した時にお兄さんとお姉さんが僕を出迎えてくださる、というのも大変魅力的な提案ではあるのですが、それ以上に、お兄さんとお姉さんと一緒に料理をすることの方がもっとずっと楽しそうですから」 本当に、可愛い弟だよ。 俺は口元が緩むのを感じながら長門と目を合わせ、互いに頷きあったのだった。 |