僕が部室に行くと、すでに涼宮さんがいた。 それも、 「あ! 古泉くん、丁度よかった」 なんて、満面の笑みを浮かべて言うなんて、一体何事だろう。 「どうかしましたか?」 「古泉くんに頼みたいことがあるの」 そう笑った涼宮さんに、何故か背筋を寒いものが伝った。 なんだろう。 何か嫌な予感がする。 「ね、古泉くん、あたしの頼み、聞いてくれるわよね?」 「え、ええ、それは勿論……」 答えながら顔が引き攣ったことは咎めないで欲しい。 本当なら、さっさと逃げ出したいくらいだったんだから。 黒いワンピースは長袖のくせにスカートだけはとんでもなく短かった。 エプロンドレスの白いレースやフリルが目に痛い。 黒いリボンとのコントラストも。 ガーターベルトは少し痛むくらいきつくて、コルセットやニーソックス、エナメルの固い靴もご同様。 女性ってなんて我慢強いんだろうと思うと共に、男の僕がそんな格好してるからこそこんなに大変なんじゃないかとも思った。 「うーん……古泉くんって思ったより体格がいいのよねー」 不満そうに呟く涼宮さんに言えるのであれば、声を大にして言いたい。 それなら女装なんて、しかもこんなデザインなんて、やめてください、と。 いや、デザインがこうじゃなかったらいいって言うんじゃなくて、まだマシなものだってあるだろうということだ。 なんでよりによって、ここまで見苦しくなれるものを選ぶのかが分からない。 以前彼女を、その特殊能力を除けば極普通の少女、と形容したような気がするけれど、全力で前言撤回させてもらいたい。 普通じゃない。 全然普通じゃないよ、この感覚は。 「思ったより似合わなくって残念だわ」 ……って、似合う可能性があると思って着せてたんですか! 愕然とする僕を見ながら彼女はまだ何かぶつぶつ言っている。 何を言っているんだろう、と思った僕に、 「でもまあ、少々似合わない方が女装は面白いわよね!」 といい笑顔で言い放ってくれた。 …なんかもう、僕、泣いていいですか。 本気で脱力しかかっていると、コンコンとノックの音が響いた。 「どーぞっ!」 と涼宮さんは上機嫌に応じたけれど、やめてもらいたい。 今ドアを開けたら精神的ブラクラもいいところだから。 相手にも僕にも。 ああ、ドア、壊れててくれないかな。 そうなったら涼宮さんと二人、部室に閉じ込められることになってしまうけれど、この醜態を人に見られるよりはずっとマシだ。 それなのに、突発的な故障という名の奇跡は起こってくれなかったらしい。 きっと少し音を立てながらドアが開き、 「……古泉?」 驚きに、お兄さんが目を見開いたのが見えた。 …なんかもう、死にたくなってきた。 よりによってお兄さんに見られるなんて! 気持ち悪いって言われる。 絶対、言われる。 せめてお姉さんならよかったのに。 たとえどう思ったところで、お姉さんなら表情にも出さないだろうし、余計なことは言わないでいてくれるに違いない。 でも、お兄さんなら話は別だ。 涼宮さんだって感想を言わせようとするに違いない。 その結果お兄さんが口にする言葉はおそらく、涼宮さんの前で言っても不自然じゃないような内容だろうから、かなり辛辣な言葉が来ると思ってまず間違いはない。 そうなったら……、ああもう、本当に死なせてください。 いっそ殺して。 「……ハルヒ、お前、何やってんだ?」 お兄さんは涼宮さんに向かって言い、涼宮さんはニンマリと、 「古泉くんと遊んでたのよ。どう? 結構面白い出来でしょ」 「面白いと言うか……」 はい、ここで絶対気色悪いって言う! 「…可愛いな」 ……何だって? 耳と脳が防衛本能を働かせて、お兄さんの発言を歪めて聞き取ったんだろうかと思ったのだが、涼宮さんの凍りついた表情からしてどうも違うらしい。 ぽんと荷物を放ったお兄さんはいつになく素早く僕に近づいてくると、ぺたぺたと顔や頭に触りながら、 「うん、可愛いな。これ、化粧とかしてないんだろ?」 「さ、されてません、けど…」 「なのに可愛いってお前、凄いな」 美形ってのは得だよなーなんてのんびり呟きながら、 「これ、胸ってパッドとか入れてあんのか?」 と胸を触るのもやめてもらいたい。 「そうですよ、でも、あの…」 「髪が短いのが残念だな。ポニーテールが似合いそうなのに」 「あの、ちょっと…」 「ゴスロリって初めて間近で見たけど、意外といけるな、うん」 なんて納得してるとこ悪いんですけど、ちょっとくらい僕の話も聞いてくれませんかぁっ!? あと、脚触るのもやめてください。 「すいません、ちょっと、あの…」 「ん? なんだ?」 「…本気で言ってます?」 僕としては今のところ、今日は本当はエイプリルフールだったとか、あなたが突然、たちが悪いまでの冗談好きになったとか、そういう選択肢が頭に浮かんでるんですけど。 「本気だぞ。嘘言ってどうすんだよ」 真顔で言わないでほしい。 というか、 「顔、近いんですけど…!」 なんとかそう訴えると、お兄さんはにやっと笑い、 「これでどうだ?」 と言いながら僕を抱きしめた。 ひーっ! 本当に何事なんですか、これは! どういう事態なんですか。 誰か説明してください。 僕にはもう理解出来ません。 驚きと混乱でもはや言葉も出ない僕に、 「可愛い」 と、またいつになくイイ声で囁いたお兄さんは、ドアが開いたのに気がついて振り向いた。 ……僕を抱きしめたまま。 どうせなら離してくださいよ…。 「ああ、長門か」 お姉さんはいつも通りの平坦な視線をこちらに向けた後、ほんの少し――それこそ、ナノレベルの変化じゃないかと思うくらい少しだけ――眉を寄せた。 そうしてこちらに来ると、 「離して」 とお兄さんに言った。 「ああ、悪い」 言いながらお兄さんが手を離し、僕はそのまま床に崩れ落ちた。 もう耐えられない。 早く着替えさせて欲しい。 そう思う僕を、しゃがみこんだお姉さんがきゅっと抱きしめる。 「…えぇと……長門さん…?」 「…可愛い」 ――うん、この人たち本当に兄弟だ。 血の繋がりもないのに、行動パターンと発言が似過ぎてる。 目眩を起こしそうになる僕の目に、涼宮さんが映る。 呆れ果て、かつ、ドンビキしてるのが手に取るように分かる。 もう一押しで閉鎖空間発生だ。 でも、今日はそうなってもいいかもしれない。 バイトです、と言えば逃げられるだろうから。 上機嫌に僕とお姉さんを見ているお兄さんに、 「キョン」 と涼宮さんが声を掛けた。 「何だ?」 途端に不機嫌になるお兄さんはある意味とても分かりやすい。 分かりやすいけど、同時に、非常に理解し難い。 どうなってるんだろう、この人の頭の中は。 「あんた、本当に古泉くんのこと、可愛いと思ってるの?」 「俺は前々から言ってるだろ」 「それはそうだけど、そうじゃなくて、……あの女装、似合ってると思う?」 「ああ」 さらりと言ったよ。 誰だよお兄さんのことを常識人とかSOS団唯一の良心とか言った奴。 お姉さんはお姉さんで、気がついたら僕の胸の辺りに頬ずりしてるし。 偽乳がそんなにお好きなんですか。 「多少見苦しさがあると言えなくもないが、十分可愛いと思うぞ」 見苦しいと思っているならそれを前面に押し出してくれた方がずっと親切だったと思う。 「あんたって……変わってるわよね」 涼宮さんの意見に、全力で同意したい。 僕がイエスマンだからとかそういうのでなく。 「俺のどこが変わってるって?」 顔を顰めて言うのは勝手だけど、無自覚って言うのが一番怖いんだよ。 自分の感覚が既におかしくなってるってことを分かってほしい。 それにしても、いっそからかわれた方がずっと良かった気がする。 まさかここまでお兄さんがおかしくなってるなんて。 お姉さんにも、メンテナンスだかメディカルチェックだかを受けることをおすすめしたい。 それよりも、誰か早くこの痛過ぎる女装を解除させてくださいっ!!! |