確信



放課後になったというのに、俺は部室へは向かわず、屋上へと向かっていた。
どうでもいいが、校舎によって屋上への鍵がかかっていたりいなかったりするのはどういうわけだろうな。
まあおかげで人に聞かれたくない話をする時には重宝するわけだが、それがために昼休みに映画撮影をやらされたことを思うとそう喜ばしいこととも思えない。
それはさておき、俺が屋上に向かった理由はただひとつ。
――古泉に呼び出されたからだ。
なんとなく予感はしていたが、こうもはっきりと態度で示されるとなんとも言いがたいものがある。
しかもこれからそれをさらに明確化されるんだろう?
一瞬、引き返そうかとさえ思ったね。
それくらい、俺は古泉と長門と過ごすのが心地よくなっていたからな。
だが、逃げるわけにはいかないだろう。
契約は履行されてはじめて契約の名に相応しいものとなるはずであり、履行されなければ無意味どころか詐欺行為だ。
だから、俺は屋上への階段を這うような心持ちで上り、ドアを開けた。
明るい日差しのそそぐその場所に、古泉はいた。
いつになく暗い表情をしているのは、これから俺に話さなければならないことがあり、かつ、それが笑顔で言い辛いものだからだろう。
別に、満面の笑みで言ってくれてもいいんだが。
それくらい、歓迎すべきことだからな。
……本来なら。
だが俺はどうにも言いがたい気持ちにならざるを得なかった。
人間の感情というものは恐ろしく複雑で、当人でさえ掴みかねたりするものだ。
今の俺も、自分の感情を量りかねていた。
喜ばしい気持ちと、嫉妬心、それから残念に思う気持ちもいくらかあることだけは確かだが、それ以外にも判然としない様々なものが混ざりに混ざって、俺の胃の腑の辺りで、もやもやした塊になっていた。
古泉は作り笑いも浮かべずに言った。
「来てくださったんですね」
「呼ばれたからな」
素っ気無くなるくらいは許してくれよ、と思いながら俺が言うと、古泉は小さく苦笑した。
「…言わなくても、分かってるんでしょうね」
「……大体のところは」
それでも、言ってくれ。
そうする約束だっただろ。
「……ええ、そうですね」
古泉は躊躇うように黙り込んでいたが、ぱっと俺に向かって頭を下げると、
「すみません。他に――好きな人が、出来ました」
やっぱりな。
はっきり言われるのを怖がっていたはずなんだが、言われるとかえってすっきりした。
もしかして、隠されてたのが嫌だったのだろうか。
「よかったな」
笑顔で言うと、古泉は怖々と顔を上げ、
「…怒らないんですね……」
「別に、怒る筋合いはないだろ。ただ、隠してたことは腹が立つが」
「隠してたも何も、僕も自覚したのはついこの前のことですよ」
……鈍いな。
それは前々から思っていたことではあるが、それにしたって鈍すぎるだろう。
「酷いですね。あなただって、人のことは言えないでしょうに」
俺が何だって?
「ほら、やっぱり分かっておられない」
と古泉は肩を竦めたが、すぐに真顔に戻ると、
「……それで、あの約束のことなんですけれど」
「ああ、あの時決めた通り、これでチャラだな。…だからって、変に気兼ねすんなよ? 友人付き合いはこれまで通りなんだからな」
「そうですね」
やっと落ち着いたのか、ほっとしたように笑った古泉の肩を小突き、
「お前のことだから心配要らないだろうが、うまくやれよ? だめだったらその時は愚痴くらい聞いてやるから」
「はい、その時はお願いしますね、お兄さん」
そこでやっと、古泉は俺をそう呼んだ。

うまく行ったと古泉が喜色を浮かべて俺に報告したのは、それから一ヶ月と経たないうちだった。
それから古泉の足は部室からいくらか遠のいた。
完全に欠席するのではなく、彼女と三十分ばかり過ごしてから、遅れてやってくるのだ。
ハルヒは、何か行事などがある時はSOS団を優先させるという条件さえ取り付けてしまえば満足だったらしく、それを気にする風もない。
副団長不在でも構わないというのは、SOS団がいかにワンマン運営であるかを示していると言えるんじゃないだろうか。
三十分程度とはいえ、古泉がいないと暇なもので、俺は長門とオセロをしていた。
古泉とやる時より真剣にしなければボロ負けするのだが、なんとなくそんな気にもなれず、俺はだらだらと黒石を盤上に置いていた。
「……わざわざ買いに行ったのに、三人用のゲームが無駄になったな」
朝比奈さんもハルヒもいない部屋の中に、俺の呟きがぽつりと響いた。
長門は少し躊躇った後、
「……お兄さんは寂しくないの?」
「当然、寂しい」
と俺は正直に答えた。
「だが、満足してもいるな。古泉が人を好きになったってことはつまり、そう出来るだけの心の余裕があいつに生まれたっていうことだろ」
それに、と俺は付け加えた。
「古泉はいなくなったんじゃないし、遅れて、とはいえここにも顔を出すだろ」
「……一樹」
咎めるように訂正を求めてきた長門に苦笑しつつ、
「すまん」
と謝っておいた。
長門は、俺以上に古泉の背反に憤っているらしい。
背反、と表現したものの、彼女が出来て友人との付き合いが疎かになるのは自然なことだから、構わないと思う。
だが、長門は古泉に苛立ち、よって、古泉が来るとゲームをやめる。
だから、いくつかのゲームが埃をかぶることになってしまってるわけだ。
今度、古泉抜きで、長門と一緒にどこかへ出かけようか。
少しでも長門の気分が晴れるように。
俺も少し気晴らしがしたい。
古泉の予定を聞き、絶対に彼女とのデートにかち合わないように予定を組んでやろう。
……古泉の彼女を、彼女と一緒にいる古泉を、見たくないと思う程度には、俺は古泉が気に入っていたらしい。

その、次の休日だ。
俺が自室でごろごろしていると、
「こんにちは」
と古泉が顔を出した。
「おう、来たのか」
よっ、と体を起こすと、古泉が俺の了解を得ようともしないで、ベッドに腰を下ろした。
こいつも慣れたな。
俺はニヤニヤ笑いながら、
「今日はデートじゃなかったのか?」
「彼女の都合がつかなかったものですから」
と笑いながら古泉はこてんとベッドに横になった。
「疲れてんのか?」
「ええ。……機関の上の方がちょっとやかましくってですね…」
「もしかして、彼女が出来たからか?」
「そうです」
と、古泉はため息を吐き、
「あなたならともかく、僕に彼女が出来たり、それによって活動が疎かになったところで涼宮さんはそんなに機嫌を損ねたりしないんですから、もう少し放っておいてくれたっていいと思うんですけどね」
「まあ、それくらいどうってことないレベルの障害だろ」
「そうですね」
笑った古泉の髪を軽く撫でる。
気持ち良さそうに目を細める古泉に、俺も表情を緩めつつ、
「長門が寂しがってたぞ」
と言ってやった。
「ええ、分かってます。怒ってもいますよね」
「だな」
「どうしましょうかねぇ…」
と呟いた古泉は、ちらりと俺へ視線を寄越すと、
「……あなたは、どうなんです?」
「俺?」
「ええ、……寂しいとか、思ってくださいますか」
「……ああ、寂しいな。だが、満足もしてる」
短くそう答えれば、ちゃんと通じたらしい。
「…大好きです」
と言われ、腰に抱きつかれた。
俺は苦笑しつつその頭を撫で、
「彼女とは別の方向で一番好きってか?」
「その通りです。彼女を別にしたら、あなたが一番好きですよ」
嬉しそうに笑った顔を軽く引っ張ってやりながら、
「ま、悩んだりしたらいつでも来いよ。そうじゃなくても、――いつでも、待っててやるからな」
「はい」
古泉の笑顔に、満たされたような気持ちになった。




目が覚めて、俺は腕組みしながら考えた。
こんな夢を見て、しかも夢の内容に納得がいくということはつまり、俺が古泉に対して抱いている感情は恋愛感情じゃないってことなんだろう。
古泉と過ごせなくなることを残念に思う気持ちはあっても、それ以上に古泉が人を好きになれたということに喜んでいたからな。
恋愛感情なら、そうはいかないだろう。
……多分。
この夢の話は古泉にも誰にもしないでおこうと思いつつ、俺は小さくつぶやいた。

「……せめて、古泉より先に、彼女が出来るといいんだがな」