目を覚まし、体を起こすと、頭に違和感があった。 髪が長くて頭が重い。 同時に、このパターンには覚えもある。 怖々と胸に手を当てると、ふにゃりと頼りない感触があった。 俺は盛大にため息を吐き、 「……またかよ、ハルヒ」 といつもよりいくらか高い声で呟いた。 女体化、とでも言えばいいのだろうか、そんな状況になるのはこれで二度目だ。 前回はハルヒが妙なことを考えたせいだったのだが、また何かあったんだろうか、と思いながら長門に電話を掛ける。 「もしもし、長門か?」 繋がっても無言のままの相手へそう言葉を投げかけると、 『……そう』 といつだったかのように低い声が返ってきた。 「またか」 『また』 「今度も前と同じようにすればいいのか?」 前はハルヒが不機嫌になるように、とにかくハルヒの気に障ることをしまくったんだが。 『今度は必要ない。何もしなくても一日で元に戻る』 「前とは違うのか」 『…そう』 何にせよ、確実に一日で戻ると分かってるなら気が楽だな。 問題は今日登校するかどうかだが、 『登校してきて』 妙に強い口調で長門が言った。 「どうかしたのか?」 『……』 沈黙に感じたのは躊躇いの色だ。 何か妙なことでもあったと言うのだろうか。 だが、俺の予想は外れた。 それがいいのかどうかは分からないが。 長門は、言い辛そうにしながらも、はっきりと言ったのだ。 『…私が見たいから』 「……見たいって……」 『女性化したあなたはとても可愛らしい。……見せては、もらえない?』 「…まあ、それくらい構わんが……」 長門がそんなことを言うとは思ってもみなかった。 長門が可愛いと思うのは古泉だけかと思っていたんだが、違ったのか。 『あなたも可愛い』 断言されちまった。 しかしまあ、俺が長門の頼みを断れるはずがなく、俺は前よりも手早く女子の制服に着替え、頭をポニーテールにして、家を出たのだった。 何せ、二度目だからな。 しかし、この世に掃いて捨てるほど大勢の人間がいたとしても、二度も女体化しちまうなんて経験をするのは、俺と古泉くらいのものだろうな。 全く、ハルヒといると退屈するという、ありふれているはずのことが他の何よりも貴重で贅沢なものにさえ思えてくるぜ。 そんなことを思いながらチャリを漕ぎ、いつもの場所に置いたところで、 「おはようございます」 と涼やかな声が掛けられた。 声だけでも美人と断定できるような、愛らしく、かつ気立てのよさが滲み出るような声だったのだが、振り返った先に立っていたのは、残念ながら古泉だった。 「そんな、嫌そうな顔をしないでくださいよ」 「お前、こんなところで何やってるんだ」 「あなたを――お姉さんを、お待ちしてたんです」 「わざわざ言い換えるな」 「いいじゃありませんか。今のあなたは間違いなく女性なのですから。長門さんが男性化しているのでしたら、長門さんをお兄さんと呼びますよ。兄が二人では呼び辛い、と仰っていたのはあなたでしょう?」 ふふっと笑った顔がいつもほど不快じゃないのは、古泉が今は女だからだろう。 残念ながらと思ったのは早計だったか。 「そんなことより、」 と、前回には思わず、つまりは口にもしなかったことを、仕返し代わりに投げてやる。 「一樹、可愛いぞ」 古泉はぽっと顔を染めた後、 「あなたの方こそ、愛らしいですよ」 お前に言われてもな。 というか、 「お前、また髪結んでないじゃないか」 「難しいんですよ。お姉さんが結んでくださいますか?」 「……じゃあ、ツインテールにしてやる」 意趣返しの意味もこめてそう言ったのだが、古泉には通用しないらしく、 「お願いします」 と言われてしまった。 そんな風に話をしながら、ゆっくり歩いて高校へ向かう。 いつもより少し早めに家を出たから、余裕もある。 周りにいる人間が特にこちらへ気を配っていないのをいいことに、 「一樹、今日はどうするんだ?」 と声を掛けると、それだけで古泉が嬉しそうにするのが分かった。 「今回は、特に涼宮さんを刺激しなくていいと長門さんに聞きました」 ああ、やっぱりお前も連絡したのか。 「当然でしょう。こういった現象については、僕は全くの門外漢ですからね。専門家に助力を請うのは当然のことです。……ただ、気になったのは…」 どうかしたのか? 「…長門さん、嬉しそうだったんですよね……」 ……嬉しそうって、電話越しで分かるくらいにか? 「ええ。僕が頼っていったのがどうも嬉しかったようでして…」 「……長門がなぁ…」 まあ、日頃長門が見せる古泉への溺愛っぷりを見れば、それももっともな反応かもしれないが、やはり想像するのは難しかった。 「僕の勝手な考えですけれど――もしかすると、この現象は長門さんによるものではないかと思うんです」 黙り込んだ俺に、古泉は小さく笑った。 「否定されないんですね」 「…ちょっと、思い当たる節があってな」 長門は女になった俺の姿を見たいと言った。 俺の容姿を褒めるようなことまで言っていた。 それはつまり、そういうことなんじゃないだろうか。 「可能性が少し高まりましたね」 「まあ、いいさ」 と言いつつ、俺は小さく息を吐いた。 「いつぞやみたいに世界レベルで変化させられるよりはずっといい。それに、これくらいのわがままなら付き合ってやったって構わないだろ」 「そうですね。少々の不自由さえ気にしなければ」 とため息を吐いた古泉には、同意してやる。 「……女の体ってのも不自由だからな」 生理現象を催すたびに妙な緊張を覚えることだけでも、なんとかならないものだろうか。 着替えはまだマシなんだが。 「諦めるしかないのでしょう」 「……朝比奈さんとか、どうしてるんだろうな」 ぽつ、と呟いた言葉に対する返事は、 「セクハラですよ。間違ってもご本人には言わないでくださいね」 というものだった。 お前、俺がそんなことをすると思うのか? 「思いませんけど、聞かれたらどうするんです?」 まあそれはそうだが。 「では、軽率な発言は控えてください。SOS団唯一の常識人、なんでしょう?」 誰がそんな肩書きを俺に付けたんだ? 俺としてはハルヒの奇行に付き合えるだけで十分常識なんてなくしちまってると思っていたんだがな。 「ご冗談を。あなたはちゃんと常識をわきまえて、絶妙なバランスで非常識な僕らと一般社会を結びつけてくださってますよ」 「……どうでもいいがな、」 俺はため息を吐きつつ言った。 「一樹じゃなくて古泉になってるぞ」 発言が。 「すみません」 と古泉は苦笑し、 「やっぱり、明確に線引きをするべきですね。お兄さんと話しているとどうしても曖昧にしてしまっていけません。かと言って、お兄さん以外に話したい相手は余りいないのですが」 「長門がいるだろうが」 「そうですね。長門さんとも、もう少しちゃんと話せるようになりたいです」 「それだって、お前の心がけ次第だろ」 「……はい」 少ししょげたような返事をした古泉の頭を軽く撫でてやった。 そのまま古泉が黙っていたのは、ハイキングもどきの坂道に差し掛かったためであり、俺が厳しいことを言い過ぎたからではないと思いたい。 下駄箱に靴を放り込んだ後も、古泉と行動を共にする。 行き先は俺のクラスだ。 自分の椅子に古泉を座らせ、ハルヒがまだ来ていないのを確認した俺は、ハルヒの椅子を無断拝借すると、自分の椅子と並べた。 カバンから取り出したブラシで古泉の髪を梳くと、古泉も一応髪を梳くぐらいのことはしていたらしく、前よりもずっとスムーズにブラシが通った。 本当にツインテールにしちまっていいんだろうか。 あの髪型はもろにむき出しになったうなじが見ていて結構危ないのだが。 「…なあ、古泉」 「はい? なんでしょうか」 「お前、今、席一番後ろだったりしないよな?」 「ええ、一番後ろではありませんが…それがどうかしましたか?」 それならやっぱりツインテールは却下だな。 万が一後ろの席の奴が男だった場合、血迷った行動に出ないとも限らん。 ……もっとも、万が一にもそんなことになったらその時は、俺と長門がただじゃ置かないのだが。 女になった古泉は、かなり清楚な印象の美少女だから、三つ編みがやっぱり似合うかもしれない。 よし、前と同じで芸がないが、三つ編みにしよう。 「髪型、三つ編みにしてもいいよな?」 「ええ、構いませんよ。お好きになさってください」 古泉の了承を得て、いそいそと髪を編んでいると、谷口のにやついた視線に気がついた。 なんのつもりだ、気分が悪い。 「いや、女の子がふたりで髪をいじってんのも絵になると思ってなぁ。キョンも、そうしてたらちゃんと女の子に見えるぜ」 やかましい。 そうしてたらも何も、俺は今のところちゃんと女だぞ。 「そういう話し方でよく言うぜ」 じゃあ聞くが、俺がちゃんと女言葉で話したらどう思うんだ。 「……気持ち悪いな」 「だろう」 憤然として俺が言うと、何故か古泉が笑った。 なんだよ。 「すみません。ただ、勝ち誇って言うセリフじゃないように思いまして」 まあ、それもそうだ。 そう俺が苦笑した瞬間、谷口が吹っ飛ばされた。 誰に? 言うまでもないだろ。 「うちの大事な団員に何やってんだ!」 と怒鳴り散らすのは、やけにワイルドに仕上がった男的ハルヒだ。 「セクハラで訴えるぞ、てめえ!」 がくんがくんと、気絶している谷口の肩を乱暴に揺さぶるハルヒに、 「ハルヒ、多分もう聞こえてないから止めてやれ」 と俺が言うと、 「で、キョンは何やってんだよ」 「見て分からんか?」 「……古泉さんとじゃれてる?」 「…それもまあ、当たりと言えば当たりか」 俺の言葉で、ぱっと赤くなった古泉に、俺が相好を崩し、ハルヒも、 「あーもう! 古泉さんも可愛いなぁっ! 一樹ちゃんって呼んでもいい?」 「えええ!?」 流石のイエスマン古泉も、それは遠慮したいらしい。 困ったように声を上げた古泉に、ハルヒが机越しに顔を近づける。 「うん、キョンも可愛いけど古泉さんもやっぱり可愛い。今度ふたりでコスプレしろよ。何かいい衣装見つけてきてやる」 「え、遠慮します…」 消え入るような声で言った古泉に、俺も、 「俺も要らん」 「なんだよ、つまんねーな」 ぷぅっとむくれながらも、それ以上強要しようとしないハルヒにほっとする。 なんだかんだ言いながら、こいつも結構円くなってるよな。 そのまま三人で喋りながら、完成させた三つ編みに、ハルヒがちょこちょことリボンを飾り付けて、古泉の頭は余計に華やかなことになったが、これくらいなら許容範囲だろう。 「十分恥ずかしいんですけど…」 と頬を染める古泉に、ハルヒが、 「なに言ってんだよ。可愛い女の子は可愛らしく装う権利と義務があるんだから、もっと胸張って、可愛く笑ってなって」 「うぅ…」 助けを求めるようにこちらを見つめてくる古泉には、笑みを浮かべ、頭を軽く撫でてやる。 「本当に、可愛いぞ」 「そんなこと言われても、あんまり嬉しくないですよ…」 「可愛くないって言われるよりはいいだろ」 「それはそうですけど……」 「ほら、そろそろホームルームだろ。そろそろ教室に戻った方がいいんじゃないのか?」 「…そうですね」 ため息を吐きつつ立ち上がった古泉に、 「また休み時間にでも来いよ」 と言ってやると、 「はい」 と笑顔で答えられた。 その笑顔がまた可愛らしかったことは、もう言わなくていいだろう。 昼になって、俺は作ってきた弁当をカバンから引っ張り出した。 それがひとり分にしては大き過ぎるのは、それがひとり分ではないせいだ。 何しろ、古泉と長門の分も入ってるからな。 長門は健啖家だから、かなり多めにしてあるし。 それを持って教室を出ようとしたところで、古泉が顔を出した。 「荷物、お持ちしますよ」 と言うので、弁当を渡してやる。 「今日は何ですか?」 嬉しそうに聞いてくるのへ、 「開けたら分かるんだから、それまで楽しみにしてろ」 と言っておいた。 こうして三人で昼食をとるのも、もう何度目のことか分からない。 食生活に気を配らないが、喰いっぷりだけはいいふたりのために弁当を作るのは楽しいし、それで少しはふたりの栄養状況が改善されれば本望だからと、三人で過ごすようになって以来、週に一回はこうして弁当を作っている。 今日も、たまたまか、それとも長門がそれを狙ったのか、弁当を作ると約束していた日なので、生真面目に作ってきたというわけだ。 部室に行くと、前回と同じく、どういうわけか長髪に眼鏡姿の美少年になっている長門がお茶を淹れているところだった。 「よう」 と声を掛けながら、室内に入り、ドアを閉める。 「有希、弁当持ってきたぞ」 「ありがとう」 答える声がいくらか低く、その分いつも以上に落ち着いて聞こえた。 古泉が弁当を広げ、長門が湯呑を置いていくのを見ながら、俺は思ったところを聞いてみた。 「有希、もしかして今回のこの現象はお前のせいじゃないのか?」 長門は少しの沈黙の後、 「……そう」 と答えた。 やっぱりな。 俺は古泉に目配せしつつ、 「理由を聞いても構わないか?」 返事は小さな頷きだった。 椅子に座ってから口を開いた長門は、 「……もう一度、見たかった」 見て楽しいものとも思えないんだがな。 特に、俺のは。 「あなたも可愛い。勿論、一樹も」 長門に褒められ、古泉がくすぐったそうな顔をした。 確かに古泉は可愛いな、うん。 「それに、」 と長門は付け足した。 「やってみたいことが、あった」 「やってみたいこと?」 鸚鵡返しに尋ねた俺に、長門は頷き、 「昼食の、後で」 と言った。 古泉が並べ立てる美辞麗句を右から左へと聞き流しつつ、気を抜くと一点集中型の食べ方をする長門に注意しながら弁当を食べた。 卵焼きの塩加減がちょっとまずっていたが、些細な失敗だろう。 弁当自体はまずまずの出来だ。 満足と共に、空になった弁当箱を片付け、お茶で一息吐く。 「で、有希、やってみたいことってのはなんだ?」 問いかけると、長門に手招きされた。 首を傾げつつ、椅子から立ち上がり、長門の前に立つ。 「…一樹も」 と長門が呼ぶ。 古泉もまた軽く小首を傾げながら――これがまた反則的に可愛いんだ――寄ってきた。 俺と並ぶように古泉が立ったところで、長門は椅子から立ち上がり、俺と古泉をいっぺんに抱きしめた。 ちなみに今、身長が一番高いのは長門で、次が古泉、そして俺である。 着やせするタイプなのか、意外と逞しい肩に頭を押し付けられながら、俺は聞いてみた。 「…えーと、これが、やってみたいことか?」 「……そう」 「なんでこんなこと……」 俺の問いに、長門は簡単に答えた。 「両手に花」 その言葉は間違ってはいない。 むしろ正しいくらいなんだが……なんだろうな、この、全力で否定したいような気持ちは。 ちら、と古泉に目をやると、恥ずかしそうに顔を赤くしていた。 ああ、そうか。 この状況が恥ずかしいからか。 俺は小さく笑い、 「まあ、いつもは俺がそんな気分を味わわせてもらってるから、いいか」 と呟いた。 すると古泉が、 「え、僕も思ってましたよ。お兄さんとお姉さんを独り占め出来て幸せだなって」 …それぞれがそれぞれに両手に花とか思ってる状況ってのも、多分珍しいんだろうな。 「有希」 「…何?」 「出来れば今度は一樹だけ女性化させてやってくれ。思い切り連れまわしてやりたい」 「……だめ」 「けちだな」 「けちでいい」 と長門は古泉に軽く頭を寄せ、 「一樹をいじめるのは許さない」 正直に、古泉を独占したいって言えよ、長門。 と思いつつ、口にしなかった俺は賢明だったと思う。 それにつけてもかわいそうなのは、全くのとばっちりでほとんど意味もなく男性化させられた朝比奈さんだな。 長門曰く、前の状況を再現する方が簡単だったためとのことだが、そうなると余計に朝比奈さんに申し訳ない気分になる。 すみません、朝比奈さん。 |