部室棟へ向かうため、放課後の廊下を歩いていると、前方に古泉の姿を見つけた。 いつも俺より先に行っているはずの古泉がまだ廊下をふらふらしているってのはどうしたことだろうな。 また生徒会か何かと怪しげな陰謀でも巡らせていたんだろうか。 ちなみに俺が今日部室へ行くのが遅くなった理由は単純で、掃除当番だったというだけである。 面白みも何もなくて悪いが、俺はいたって普通の男子高校生だからな。 陰謀を巡らせたり、秘密裏に行動したりする必要は、全く以ってないわけだ。 「古泉」 少し足を速めて追いつきながら声を掛けると、古泉がほっとしたような顔で振り返った。 なんだそのリアクションは。 「その……少し、部室に行き辛くって…」 とため息を吐く。 部室に行き辛いって、理由はなんだ。 昨日長門に醜態をさらしたことがそんなに嫌だったのか? それとも、明らかに泣いてましたと暴露するような顔を朝比奈さんにまで見られたのが堪えたとでも言うつもりか? 「両方です。それに、長門さんにどう接すればいいのか分からないというのも付け加えてください」 面倒な奴だな。 普通にしてればいいだろう。 「じゃあ聞きますけど、あなたなら普通にしていられるんですか?」 どうだろうな。 とりあえず俺は今の状況にそこそこ満足しているんだが、お前と俺では状況が少し違うからな。 それに古泉、お前なら表面上平静を保つことくらい簡単じゃないのか? 「簡単じゃありませんよ」 と古泉はここがどこだか忘れたかのように弱音を吐いた。 「実際、日々神経を張り詰めていて大変なんです。あなたといる間は多少息抜きも出来るようになりましたが、それだって、時と場合によっては不安材料になるんです。あなたといるだけで気を緩めすぎてしまいそうになってしまいますから」 ご苦労なことだな。 そろそろ無理なキャラクター作りは止めた方がいいってことじゃないのか? 「他人事だと思って」 と古泉は唇を尖らせた。 拗ねた素振りは子供っぽくて可愛いんだが、同時にからかってやりたくなる。 うずうずしてくるのを抑えたのは、もうすぐそこが文芸部室だったからだ。 どこかげんなりとした表情の古泉を伴ってノックをした。 返事はない。 朝比奈さんももうお帰りになられたのだろうか。 返事がないということは誰もいないか、いても長門だけだろう。 そう踏んだ俺はドアを開けた。 部屋の中にいたのは、部屋の付属品よろしく座った長門だけだった。 「長門、朝比奈さんとハルヒは?」 長門はじっと俺を見た後、質問には答えずに、 「中に入ってドアを閉めて」 と言った。 「ん? ……ああ、分かった」 自然に笑みが浮かんでくるのを水際で阻止しようとしながら、 「古泉、さっさと中に入れよ」 「は、はぁ。…失礼します」 やけに縮こまった古泉が部室に入り、ドアを閉めた。 俺は荷物を長机の上に放りながら、 「で、朝比奈さんとハルヒはどうしたんだ? 有希」 名前で呼んだのは、昨日の約束を覚えているというアピールだ。 それくらい分かっているだろうに、古泉はいくらかぎょっとした顔をしていた。 長門はどこか満足したような表情で、 「朝比奈みくるは涼宮ハルヒと共に出掛けている。そのまま帰ると言っていた」 「あいつがお前だけ置いてくってのも珍しいな」 いつもなら三人娘ワンセットで出掛けただろうに。 「私が希望した。あなたたちに伝えておくからと」 「そりゃあ悪かったな」 「いい」 と首を振った長門は、ぱたんと本を閉じた。 その目は、いつもの席についていながらもどこか所在なさげな古泉に向けられている。 「一樹」 長門が呼ぶと、古泉はびくっとしたように長門を見た。 「……私は迷惑?」 「そうじゃないんですけど、その……慣れなくて…」 「…慣れない?」 うまく話せないらしい古泉に代わって、俺が答えてやる。 「一樹はお前がそんな風に感情を露わにするなんて思ってもみなかったらしい。だから戸惑ってるだけで、そのうちちゃんと慣れるだろう」 「……そう」 「だからな、」 と俺は笑顔で言ってやった。 「一樹が早く慣れるように、一緒にゲームでもしてやってくれ」 「えっ」 と声を上げたのは言うまでもなく古泉だ。 長門は静かに頷き、立ち上がった。 俺は自分が座っていた椅子を長門に譲り、代わりに団長席に座る。 「俺はパソコンでもいじってるから、ふたりで親交を深めててくれ」 助けを求めるような、縋るような古泉の視線に罪悪感を覚えないでもないが、これも友人を作る練習として必要なことだし、そうやって嗜虐心をあおられると俺としても大変楽しい。 俺の助けが望めないと分かったのだろう。 古泉はため息を吐き、 「えっと……それじゃあ、何をしましょうか、なが…」 じっと長門は古泉を見つめている。 目は口ほどにものを言い、というが実際それ以上に主張することができるのではないだろうか。 横目で見ている俺にも分かる。 長門は今、古泉に「お姉さん」と呼んで欲しくて仕方がないらしい。 むしろ、あのまま「長門さん」と呼んでいたら恐ろしいことになっていたのではなかろうか。 血を見るような事態にこそならないものの、長門の機嫌を取るのに苦労させられただろう。 それを思えばあそこで踏みとどまった古泉をほめてやってもいい。 古泉だって、長門が何を考えているのか分かっているだろう。 それでも口に出来ないのは、羞恥心があるからであり、羞恥心が強く出るのは相手が長門だからだろう。 俺相手なら恥ずかしげもなく「お兄さん」と呼びながら、でかい図体で尻尾を振ってくるくせにな。 古泉は困ったような顔や考え込むような顔をひとしきり見せてくれた後、観念したように口を開いた。 それでもそのまま口には出来ないのか、一度は開いた口が閉じられる。 それを何度か繰り返した後、古泉はやっと、 「お、お………お姉さん」 と言った。 呼ぶだけにどんだけかけてんだよ、おい。 「あなたが考えるよりずっと恥ずかしいですよ、これは」 ため息を吐きながら机に突っ伏した古泉の頭を、長門が撫でる。 「よく言えました。……一樹」 「…ありがとうございます。お姉さん」 へにゃりと間の抜けた、しかしだからこそ可愛い笑みを古泉が長門に向けた。 仲良きことは美しきかな。 全く、微笑ましいね。 ……などと思いつつも、どうにも面白くないのはやっぱり、俺が古泉を気に入ってるからなんだろうな。 勿論、長門のことも可愛いと思う。 自分が可愛いと思っているもの同士が仲良くしているのならそれで満足すればいいものを、そうならない辺り、俺もハルヒに似てきているのかもしれない。 そら恐ろしいことだが。 三人で出来ることってのを探す必要があるな。 それも早急に。 などと考えながら俺はネットの海をさ迷うことにした。 古泉と長門はまだぎこちなく、 「えぇっと、それで、何かしたいゲームはありますか?」 「何でもいい。一樹の好きなゲームを」 「僕の好きなゲーム、ですか」 うーん、と考え込む仕草に子供っぽさが滲む。 口ではあんなことを言いつつも、実は長門に気に入られて嬉しいんだろうか。 しかし、長門やハルヒがいてもうっかりと子供っぽいところを見せてしまうことはこれまでもあったから、俺の考えすぎかもしれないな。 「じゃあ、オセロをしましょう。ルールも簡単ですし、オセロならご存知ですよね?」 「以前お兄さんに教わった」 「…お兄さんにですか」 ちらっと古泉が俺を見た。 何だその目は。 言っておくがそれは、お前が転校してきたその日一回こっきりの話であり、しかも俺は有希と朝比奈さんが対戦しているのを横で見ていただけだぞ。 「いえ、別に」 言いながら面白く無さそうな顔をした。 嫉妬深さに拍車が掛かってないか? 「そうだとしたら、」 オセロのコマを初期位置に配置しながら古泉は言った。 「お兄さんのせいですよ」 何でもかんでも俺のせいにするな。 そのうち電信柱の高さや郵便ポストの色まで俺のせいにし始めるんじゃないのか。 「しませんよ。ただ、僕や…お姉さん、に生じる変化の大半はお兄さんのせいだと思いますよ」 ね、と古泉は長門に同意を求めた。 長門はこくんと頷いた。 「有希、お前まで…」 ブルータスに裏切られたジュリアス・シーザーの気分だ。 「悪いことではない」 と長門は言った。 「お兄さんは私や一樹にいい影響を与え続けてくれている。私が人の感情に似たものを萌芽させているのも、お兄さんのおかげ。一樹が人として必要な精神の安定を取り戻しているのも、お兄さんのおかげ。だから、お兄さんはそれを誇るべき」 「そうですよ」 と古泉は笑顔で頷き、 「お兄さんがいてくれて、僕たちを変えてくれたからこそ、今こうしていられるんです」 嬉しそうにそう言った。 長門も古泉も、何でこんなに可愛いんだろうな、と思いながら俺は立ち上がり、ふたりに近づいた。 そのまま、疑問をストレートに口にする。 「何でお前等はそんな風に可愛いんだよ」 いちゃもんをつけるように言って、長門を抱きしめた。 長門のまとう空気が嬉しそうに緩む。 「それも、お兄さんのおかげ」 そうかい。 それならまあ、悪くはないかもしれないな。 「…お姉さんばっかりずるいです」 不貞腐れたように言った古泉に、俺はにやっと笑い、 「抱きしめて欲しかったらお前も来いよ」 と手招きした。 ぱっと椅子から立ち上がった古泉が飛びついてくるのを抱きとめてやりながら、俺は長門に聞いた。 「有希も一樹を抱きしめるか?」 頷いた長門を抱きしめていた手を緩めると、立ち上がった長門が古泉を抱きしめた。 身長差のせいで長門が古泉に抱きついているようにしか見えないが、本人がよければ構わないだろう。 よいしょっ、と俺は少し体の位置をずらし、長門と古泉をいっぺんに抱きしめられるようにした。 これでいい、満足だ。 そんなことを思っているから、自然に顔が緩んでいたんだろう。 じっと俺の顔を見上げた長門がぽつりと、 「お兄さんの笑顔、好き」 と呟いた。 驚いた俺を他所に、古泉までもが、 「僕も、お兄さんの笑ってる顔は大好きです。もちろん、不機嫌な顔も好きですが」 といい笑顔で言った。 こんな時、なんて返せばいいんだろうな。 嬉しいんだが、くすぐったい。 俺が可愛いというたびに古泉と長門もこんな気分になったんだろうか。 とりあえず、なんとか言葉を返そうと思った俺が、 「…ありがとな」 と顔を赤らめながら言うと、二人同時に、力を込めて抱きしめ返された。 いっそ暑いくらい体温を感じるんだが、不思議とそれが心地よくて、俺たちはしばらくの間、馬鹿みたいにじっと抱き合っていた。 わざわざ付け加えるまでもなく、古泉は長門にオセロで惨敗した。 しかも古泉の手詰まりで終了という不甲斐無さだ。 ため息をつきながら頷いた古泉に、俺は笑いながら、 「今度三人で出来るゲームを買いに行こうな」 と言ってやった。 |