ハルヒが何と言い出したんだったか、正確には覚えていないが、とりあえず、電車を乗り継いで2時間ばかりも行った山ん中にある寺まで連れて行かれたのは、例の不思議を求めての探索の一環でだった。 電車賃を当然のように俺持ちにされた上、えっちらおっちらと上らされた山道の上にあった寺は、いたって普通というか、ハルヒの満足するものではなかったらしい。 「わざわざこんなところにまで来たのに、全っ然普通じゃない!」 とアヒルの口を作るハルヒを横目に、俺は古泉を小突き、 「今日はなんの仕込みもしなかったのか?」 「ええ。何しろ、ここに来たのも突然のことでしたからね。昨晩のテレビ番組の影響のようですが、流石に今朝言われてすぐに用意できることでもありませんし。それに、それはあなたの望むところではないはずではありませんでしたか?」 そう言われて俺は顔を背けつつ、 「まあな。だが、これでまた閉鎖空間が発生してお前に何かあったりしたら厄介だと思っただけだ」 それも、古泉を心配してではない。 また病院に駆けつけたりするのが面倒なだけだ。 だが、古泉は微笑みながら、 「ありがとうございます。しかし、大丈夫でしょう。口で仰っているほど、涼宮さんは怒っていないようですよ」 言われるまま目を向ければ、ハルヒは朝比奈さんと長門を連れまわし、おみくじだなんだと楽しげにしている。 まったく、身勝手なやつだな。 しかし、「御神籤」と漢字で書いて寺においてあるのはいかがなものだろうか。 「御神籤という時は当て字で、『おみ』は『御』一字でまかなえるような、尊敬や丁寧を表す意味しかないそうですから構わないのではないでしょうか」 人の思考を読んで口出ししてくるな、古泉。 「人を超能力者みたいに言わないでくださいよ」 上手いこと言ったつもりだろうが、全然上手くないぞ。 むしろ、座布団を全部取り上げてやりたいくらいだ。 「深く考えるまでもなく、あなたが感慨深げな顔をしておみくじの箱を睨んでいれば、何を考えているかくらい、誰にだって分かると思いますよ」 それはあれか。 俺が分かりやすく単純な人間だと揶揄してるのか。 「違いますって。今日はやけにつっかかりますね。朝一番に呼び出されたのが、そんなに嫌だったんですか?」 当たり前だろう。 それも、電車賃を5人分、往復で払わされるんだからな。 これで不機嫌にならない人間がいたとしたらそいつは博愛主義者かマゾヒストだ。 お前は嫌じゃなかったのか? 「確かに、いきなり呼び出されたのには参りましたけれど、あなたほど嫌ではありませんね。思いがけず、あなたと会えることになりましたから」 古泉、言っていいか。 「なんでしょう?」 キモイ。 「酷いですね」 と古泉は全く傷ついていない顔でくっくっと笑った。 こいつ、またふてぶてしくなってないか? 打たれ弱いのよりはずっといいが、それにしたって面白くないぞ。 「あなたが本気で言っているのではないと分かるから平気なだけなんですけどね」 だから考えを読むなと言うに。 それにしても、今日は珍しい。 というのは、古泉がハルヒがいても構わずに俺に甘えてきていたからだ。 このところ古泉はハルヒがいないところで俺にべたべたと甘えてくる代わりに、人前では割に大人しくしていたのだ。 今日はそうでなかったところからして、すでに少しおかしくなってたんだろうな。 全く、面倒なやつだ。 長すぎる石段を下り、朝比奈さんはふらふらと、俺はいくらか疲れた足取りで駅へ向かった。 ハルヒの脚はは相変わらずざくざくと力強いし、長門はいつも通り、古泉もいたって普通に歩いているように――とりあえず俺の目には――見えた。 「元気だな」 呆れを込めてハルヒに言ってやると、ハルヒはかえって胸を張り、 「あんたの体力がなさ過ぎるのよ。もうちょっと外に出たらどうなの」 外くらい、俺だって出てるだろ。 人を引きこもりみたいに言うな。 確かに、インドア派かアウトドア派かと問われたら前者であることは否定出来ないのだが。 「体力がないと雑用係だって務まらないんだからもうちょっとしっかりしなさいよ」 そう言われて頑張れる奴がいたらお目にかかりたいもんだな。 俺はそう言ってから古泉に目を向けた。 なんとなくハルヒと話していたが、このパターンは古泉がそこそこ気にするパターンだと、今更思い出したのだ。 古泉に落ち込まれるとかなり面倒でかつ湿っぽくなってしまうことを学習していた俺としては、その前に浮上させなければと義務感にも似た思いを抱いたのだが、古泉はどこか心ここに在らずと言った風体でいた。 歩き続けてはいるし、表面上もいつも通りに見える。 見えるんだが、なんとなく違和感があった。 その違和感を具体的に指摘することが出来ず俺は首を傾げたのだが、 「ちょっと、キョン、聞いてるの!?」 という団長様の一言によって思考は中断させられた。 俺とハルヒの不毛な会話は電車に乗っても続き、乗り換えのために二度目の乗車を終えたところでやっと途切れた。 夕方の混雑が始まりかけているのか、乗り込んだ車両には空席がほとんどなく、このままだとかなりの時間を立ちっ放しになると思った俺が、 「席がないから、俺は他に行くからな」 と言ってやっと、ハルヒが俺の耳にろくに入って来ていなかった演説を止めたのだ。 「体力をつけたいんでしょ。立ってれば?」 誰もそんなことは言ってないし、ちゃっかり座ってるお前に言われたくもない。 この時間帯ならまだ端の方の車両に行けば空いてるだろうから、行ってくる。 古泉、お前も来い。 「え? あ、はい」 まだどこかぼんやりしていた古泉の腕を引っ掴み、ハルヒが周りの迷惑も考えずに喚いているのへ背を向けた俺は、逃げるように隣りの車両へ向かった。 そのまま歩いていくと、一番後方の車両にはまだ余裕があった。 と言っても、優先座席が少し空いているだけだ。 健常者の分際で優先座席に腰掛けるのは胸が痛まないでもないのだが、正当な利用者が近くにいるようにも見えないし、今日も俺たちは神様とやらの機嫌を取ったんだからこれくらいのわがままは認めてもらえるだろう。 「ほら、さっさと座れよ」 古泉に言うと、古泉は大人しく腰を下ろした。 俺はため息を吐き、 「昨日もまた閉鎖空間か?」 「いえ、昨日は違いますが……どうしてそう思われたんです?」 そりゃ、お前がそれだけ疲れてりゃな。 「疲れて……ますか、僕」 気付いてないのかよ。 まあ、俺も今頃になってやっと気付いたんだが、それでも自分のことなんだから分かっておけよ。 少なくとも、睡眠が足りてるようには思えんぞ。 ぼんやりしてたのも、眠かったからなんだろ。 だからとっとと寝ろ。 「けど…」 着いたら起こすし、ハルヒが来そうになっても起こす。 それなら安心だろ。 「……すみません」 そう力なく笑った古泉が目を閉じる。 少ししただけで、その呼吸が眠っている特有のものに変わった。 しかし、古泉ともあろう者がどうしてここまで眠そうだったんだ? 神人退治でなかったとしたら、機関への報告か何かで長時間拘束でもされてたんだろうか。 だとしたら気疲れしていたとしても不思議はないだろう。 今日ハルヒに呼び出されると予想していなかったらしいから、あり得ないことでもない。 だとしたら、文句のひとつでも言ってやりたくなるな。 自分のところの人間、それも必要な人材だと見なしているなら、もう少し心身を労わってやればいいものを。 それとも、あれだろうか。 いつだったかのように悪い夢でも見てうなされてたんだろうか。 不眠症みたいになっているんだとしたら、古泉がここまで弱っていても不思議じゃないかもしれない。 ……それにしたって、なんで俺がここまで心配してやらなきゃならんのだろうな。 全く面倒な奴だ。 と、俺がため息を吐いた時だった。 コツン、と軽い衝撃と共に体に体重が掛けられたのは。 「…おい」 唸ってみたが返事はない。 どうやら、完全に眠っているらしい。 何も俺にもたれて寝る必要はないと思うんだが、寝てしまっている人間にそんなことを言ったところで無駄なんだろう。 耐えられないほどの重さではないし、我慢してやるか。 俺がそう思うのを待っていたわけではないだろうが、古泉の手がもぞりと動き、膝の上においてあった俺の手を握りこんだ。 「……古泉、お前本当に寝てんだろうな…」 電車内のため小声で言うが、反応はない。 というか、それ以上に向かいの席からの視線が痛いぞ。 居た堪れないとはこういう気持ちを言うんだろうな、この野郎。 「放せって」 言いながら振り解こうとすると、 「ぅう……ん…」 と唸られた。 顔は見えないが、おそらく眉を寄せるくらいはしてるんだろう。 握られた手に込められる力も強くなっちまったんじゃあ、逆効果でもある。 「くそっ」 小さく声を上げて、俺は目を瞑った。 こうなったら寝たフリだ。 ハルヒが来ようが構うもんか。 すべての責任は古泉にある。 その責め苦のような時間が終るまで、俺は目を閉じ続けた。 その終了を告げる車内放送が流されると、俺はやっと解放される喜びから、いくらか余計な力を込めつつ、文字通り古泉を叩き起こした。 ごつっといい音が響く。 「下りるぞ」 「っ! …って、痛いんですけど」 抗議の声を上げた古泉に白い目を向けつつ、俺は握られたままの手を古泉に見えるよう持ち上げてやった。 「何か言うことはあるか?」 「…えぇっと……その、…すみません……」 うな垂れた古泉の手を掴み直し、引き起こす。 「さっさと行くぞ」 ドアが開くまでがもどかしくさえあったが、下りる間際、窓に薄っすらと映った古泉の顔に向かって、俺は極力抑えた声で怒鳴った。 「にやにや笑うな!」 駅前でハルヒたちと別れた帰り道、 「それで、結局なんで寝不足だったんだ?」 と俺が聞くと古泉は苦笑して、 「それがですね、昨日の夜、寝る前にと読み始めた本が予想に反してホラーだったものですから、読み終わるまで眠れなかったんですよ」 ……なんだと? 「読み終わったら怖くないと思って読んでたんですけど、流石にハードカバーで上下巻、各巻300ページ以上もある物を一晩で読むのは大変でした」 ……古泉。 「はい…っ!?」 「一発殴らせろ」 「…な、殴ってから言わないでください…」 古泉の頭蓋骨のおかげでいささか痛む手を振りながら、俺はふんと鼻を鳴らした。 深刻な理由でなくてよかったと思ってやってるだけ、マシだと思え。 |