いつものように、という言葉が、古泉の部屋に泊まるという行動に係るのもどうかと思うのだが、事実なんだから仕方がない。 気がつけば古泉の部屋に、部屋着と外出着の区別までつけて、着替えを置いている状態だ。 我ながらどうかと思うね。 二人きりの気安さからか、古泉はいつもの三割増に輝く笑顔でいそいそと布団を敷いている。 俺が自分で敷くと主張したのだが、 「お兄さんはお客様ですから」 と笑顔で封じられてしまった。 他に誰もいない、誰にも聞かれない状況でなら俺のことを「お兄さん」と呼んでもいいと許可したのは、よかったんだろうか悪かったんだろうか。 古泉の精神状態は目に見えて落ち着いているから、その面ではよかったんだろう。 しかし、何だ。 この妙なくすぐったさはやっぱり、自分よりデカイ野郎がそうやって尻尾振って懐いてくることからきてるんだろうか。 俺は犬と猫なら猫の方が好きだと思っていたのだが、古泉はどちらかというと犬っぽく見える。 それに懐かれて結構嬉しいと言うことは、俺も犬好きになる素質は持っているようだな。 「何を考えているんですか?」 几帳面に、シーツの端を敷布団の下に敷きこみながら見上げてきた古泉の顔が、子供古泉の顔となんとなくダブった。 「いや、なんでもない」 本当にどうでもいいことだったしな。 俺はぽふぽふと古泉の頭を撫でて誤魔化した。 俺のベッドよりもふかふかした、やけに高級な客用布団に俺は潜りこみ、古泉は隣りのベッドに入った。 「お兄さん、おやすみなさい」 電気を消しているからその表情は見えなかったのだが、にこにことやけに嬉しそうに笑っているのは間違いないだろう。 それを想像して、思わず相好を崩しながら、 「おやすみ、一樹」 と言ってやると、古泉がますます嬉しそうにするのが分かった。 ――とまあそれもまた、いつも通りだったわけだ。 健全な男子高校生としてどうなんだと思うような俺の思考回路も、古泉の子供染みた反応も。 しかし、いつも通りであればわざわざ俺が思い返すような必要もなく、夏休みのグダグダ感溢れる絵日記のごとく、「古泉の家に泊まった。以上」なんて感じで済んだだろう。 そうじゃなかったのは、いつもと違うことがあったからに他ならない。 と言って、気を持たせるほどのことでもないのかもしれないが。 夜中に目が覚めた。 それは、我ながら寝汚いと思う俺にしては珍しいことだった。 しかも、寝足りたために目が覚めたのならともかく、俺の体にはまだ眠気がたっぷりと残っていた。 何の呪いだ、と吐き捨てようとした時、 「…ぅ……ん……」 と妙に悩ましい声が聞こえた。 これが野郎の声でなく、朝比奈さんの声だったらなぁ、とそれは朝比奈さんに対する冒涜だな。 今のはナシだ。 すみません、朝比奈さん。 眠い体を理性で起こし、隣りを見ると、古泉が額に汗を浮かべ、苦悶の表情を浮かべていた。 引き結んだ口から時々、唸るような声が漏れている。 どうやら、俺はこれに眠りを妨げられたらしい。 「古泉、大丈夫か?」 と声を掛けながら額に触れたのは、古泉が熱でも出しているんだろうと思ったからだ。 しかし、額は別に熱くなかった。 となると、悪い夢でも見ているんだろうか。 起こそうか、と考え掛けて躊躇ったのは、起こしてしまうことで古泉が夢を鮮明に覚えた状態で目を覚ますのが不憫だったからだ。 さて、ここでまた講釈を垂れるのもどうかと思うのだが、人間は一晩の間にいくつもの夢を見るのだそうだ。 しかし、その全てを覚えているわけではない。 基本的に、起きる直前に見ていたものを覚えていればいい方で、全てを忘れてしまうことも決して珍しくはない。 俺は人並に夢を見る方だが、悪夢を見て夜中に目が覚めると、その後寝直したところで悪夢を忘れることは出来ない。 逆に言えば、起きないまま、次の夢に移行してしまえれば、見た悪夢を忘れられるということにもなるんだろう。 現実でさえ大変らしい古泉を、夢のことでまで苦しめてやるのはどうか、と俺は思ったわけだ。 かといって、このまま苦しんでいる古泉を放置するのも心苦しかった。 ベッドの上でうなされる古泉の姿に、既視感を伴って蘇るのは、病院の白いベッドで死んだように眠っていた古泉の姿だ。 あの時感じた恐怖を思い出し、俺は反射的に古泉の手を握った。 すると、古泉の様子が一変した。 すっと眠りが穏やかなものに変わったかのように、呼吸が落ち着いたのだ。 俺は、ほっとすると同時にかなり気が抜け、ため息を吐く。 「…お前、本当に俺のこと大好きだな」 そして俺は、人にここまで好意を露わにされて嫌いになれるような奴ではないわけだ。 ベッドの上と下で手を繋ぎっ放しにするのもしんどいが、俺はまだ眠いので、起きっ放しというのも御免被りたい。 仕方ない、と俺はベッドに足を掛け、 「古泉、もうちょっとそっち寄れ」 と声を掛けながら古泉の体を押し退けた。 野郎二人で寝るには、シングルサイズのベッドはやっぱり小さいな。 こんなことが続くんだったら、いっそのことダブルベッドにでもしたらどうだ。 ……すまん、妄言だ。 俺は古泉の柔らかい髪を撫でてやり、 「…おやすみ、一樹」 ともう一度言って、目を閉じた。 目を覚ますと、今度こそ朝だった。 既に古泉の姿はなかったが、キッチンの方で物音がするし、なにやらいい匂いもしてくるので、朝食でも作ってるんだろう。 俺は腹の虫を宥めすかしながらベッドから下りると、キッチンに向かった。 「おはよう」 と声を掛けると、相変わらずピンクのエプロンを愛用中らしい古泉が振り返り、 「おはようございます」 と笑顔で言った。 随分、機嫌が良さそうに見えるな。 俺の目論みは成功したんだろうか。 「どうぞ」 と古泉が差し出してきたコーヒーを一口すすって、俺は聞いてみた。 「お前、悪い夢とか見たりするのか?」 「そうですね、よく見ますよ」 昨日も思い切りうなされてたぞ。 俺が指摘すると古泉は驚いた表情を見せた。 「気付きませんでした。ああでも、それでだったんですね。あなたが一緒に寝ていたのは」 そう苦笑した古泉は、 「驚きましたよ。目が覚めたらあなたが目の前にいて、しかも僕の手を握ってたんですから。あなたが自発的に僕のベッドに入ってくるなんてありえないと思いましたから、また僕が何かやらかしてしまったんだろうとは思ってましたが」 俺がお前のベッドに上がったのは、ある意味俺の自発的な行動と言えるんだが、そんな細かいところは別にいいだろう。 「ありがとうございました。おかげで、よく眠れましたよ」 そう言う古泉の言葉に偽りはない。 俺が安眠に役立つなら、それもいいさ。 緩みそうになる口元を抑えながら、俺は古泉が作った朝食をテーブルへ運ぶ。 コーヒーの他は、トーストにベーコンエッグ、キャベツのサラダだ。 いつもながら、典型的なホテルや喫茶店の朝食セットって感じだが、これもハルヒの希望通りってやつなのか? 俺が聞くと古泉は苦笑して、 「単純に、僕が朝食はパンで済ませる主義なだけですよ」 なるほど。 俺はキッチンの引き出しからコンソメスープの袋を取り出すと、カップに入れてお湯を注いだ。 当然のように二人分を、古泉の希望を聞きもせずに作る。 こういう、何が欲しいのかがなんとなく分かるというのは便利なことなんだが、気恥ずかしくもあるな。 古泉らしく無個性な味付けの朝食をとりながら、俺は考える。 さて、今日は何をするかな。 何の目的も予定もなく人の家に泊まるのもどうなんだと思いながら。 あるいはこれもまたすでに、いつもと同じ日常と化しているんだろうか。 |