退行



その日俺がいつものように文芸部室に行くと、そこには朝比奈さんの姿も長門の姿もなく、どういうわけか男子中学生がひとり、ぽつねんと座っていた。
知らない奴のはずだが、どこかで見たような顔だ。
ハルヒに無理矢理勧誘でもされてきたのだろうか、と俺同様に驚いた顔をしているそいつの顔を凝視する。
……見覚えがある。
と言うかお前、
「古泉か!?」
「やっぱり、お兄さん…!?」
どういうことだ。
四年前の古泉がタイムスリップして来たとでもいうのか?
未来からきたらそれは未来人でいいのだろうが、過去から来た人間のことは過去人と言うのだろうか。
とりあえず、事情を聞いた方がいいだろう。
「お前、なんでこんな所にいるんだ?」
「分かりません。気がついたらここにいて、どうしたらいいのかと思ってたらお兄さんが来たんです」
敬語で話しているのは俺を命の恩人と認識しているからなのだろうが、妙にくすぐったいな。
敬語じゃなくていいぞ。
正直言って、お前の敬語は聞き飽きてるし。
「うん。でも、そんなことより、ここは一体どこなの?」
不安そうに問う子供古泉に、俺はどう答えるべきなんだろうか。
この子供古泉が四年前から来たのだとしたら、こいつにとっての未来である今の情報を伝えるのはまずいと思うんだが。
こういう時に頼りになるはずの長門はどこに行ったんだ?
と、俺が思った時、タイミングを測っていたかのようにドアを開けて入ってきたのは長門だった。
助かった、と思いながら俺は長門に聞く。
「長門、いきなりで悪いが、何がどうなってこうなってるのか、説明してもらえるか?」
長門は俺と子供古泉へ目を向けて、静かに頷いた。
それでも喋りだそうとしないのは、質問を待っているからなのだろう。
俺はとりあえず、一番気になっていたところを聞いてみた。
「この古泉は四年前から来たのか?」
「違う」
と長門は意外にも首を振った。
「彼はこの時間の彼。ただ、涼宮ハルヒによって、記憶、身体などを四年前の状態にまで退行させられている」
…なんだって?
ということは、この子供古泉はいつもの古泉本人ということか?
「そう」
なんてこった。
ハルヒに関しては、本当に貧乏くじを引かされるもんだな、俺も、古泉も。
そう呟いて、俺はため息を吐いた。
わけが分からずにいるらしい古泉は、戸惑うように俺と長門を見つめていたが、
「ここに、あの女がいるの?」
そう嫌がってやるな、と言っても今のこいつには無理だろうな。
「長門、俺は取りあえずこいつをこいつの家に送っていいか? 戻す方法やなんかを検討するにも、今の状態じゃ難しいだろ」
「分かった」
じゃあ古泉、行くぞ。
「…うん」
何かまだ聞きたいことでもあるのか、長門へちらりと目をやった古泉だったが、ハルヒと接触したくないのか、すぐに俺についてきた。
「お兄さん、一体どうなってるんですか?」
歩きながら聞いてくる古泉に、俺は言う。
「俺にもよく分からん。が、今はお前の認識している時間より少し未来ってことらしい」
今年が西暦で何年か言ってやると、古泉は大きく目を見開いた。
「でも、さっきの話だと、僕は別にタイムスリップをしたわけじゃなくて、この時間にいるべき僕、なんだよね?」
そうだ。
退行しても相変わらず飲み込みが早くて助かる。
「飲み込みが早いって言うのかな? 頭の中じゃどうなってるのかわかんなくてぐるぐるしちゃってるんだけど」
と眉を寄せながら苦笑する。
「しかし、わざわざ服や持ち物まで退行してるってのはどういう現象なんだろうな」
呟きながら俺は、学ラン姿の古泉をじっと見つめた。
古泉の学ラン姿を見るのは初めてじゃないが、子供古泉学ランバージョンは初見だ。
俺と会った時より少し育った状態に退行させられているのか、背が少しだけ伸びていた。
「古泉、俺と会ってから、お前の中ではどれくらい時間が経ってるんだ?」
「えっと、大体半年、かな」
指折り数えて古泉はそう答えた。
半年あれば、多少変化もあるだろう。
どんな風に過ごしたのか、興味がある。
「古泉、俺にしてもお前にしても久し振りらしいから、今日は色々話でもするか?」
そう俺が言うと古泉はぱっと顔を輝かせ、
「うん!」
と嬉しそうに答えた。
思わず俺も笑みを浮かべてしまうほど素直なリアクションが、いかにも子供らしかった。
「あっれー、キョンくんじゃあないかっ! その子はどうしたんだい?」
振り向かなくても分かる、鶴屋さんだ。
鶴屋さんは軽やかに、校庭を歩いていた俺たちの前に回ると、
「中学生かな。キョンくんのお友達なのかい?」
「ええ、そうですけど、」
やっぱり中学生が高校を歩いているのは目立つか。
これが古泉だと気付かれないといいのだが。
いや、鶴屋さんなら気付いても黙っていてくれるだろう。
鶴屋さんにじぃっと見つめられ、古泉は居心地悪そうに、あるいは人見知りをするように後退り、俺の背後に隠れてしまった。
鶴屋さんはニンマリと笑い、
「嫌われちゃったかな。でもまあ、仲良きことは美しきことだよっ!」
と分かるような分からないようなことを言って去ってしまった。
やれやれ、ハラハラさせられたな。
古泉は俺の腕を心細げに掴んだまま、俺を見上げた。
「今の人は…?」
「鶴屋さんだ。悪い人じゃないし、何かあったら力になってくれると思うから、覚えておいた方がいいぞ」
「……うん」
しかし、古泉について人に聞かれるとまずいな。
何かうまい口実でも考えておくべきだろうか。
俺の親戚説よりは古泉の親戚説の方がいいだろうし、長期化するようなら、古泉が欠席し、かつハルヒが見舞いに行くと主張したりしないような言い訳も必要になるだろう。
どうするべきかな。
「…あの、お兄さん」
どうかしたか?
視線を再び落とすと、古泉が不安そうな面持ちを隠そうともせず、追い詰められた小動物のようにびくびくと俺を見ていた。
「ごめんなさい」
なんで謝るんだ?
わけが分からないぞ。
「だって、こんな、迷惑かけちゃって……」
別に、これくらいいつものことだからな。
言いながら頭を撫でてやると、古泉はくすぐったそうに目を細めた。
「じゃあ、怒ってないの?」
なんで怒ってると思うんだよ。
「難しそうな顔して黙っちゃうから…」
恥ずかしそうに言った古泉について、俺は的確な表現をすることが出来ない。
月並みというよりもむしろ言葉も頭も足りていない表現しか、俺には出来ない。
――何、この生き物。
中学時代の可愛くないことこの上ない自分の言動その他を思い出すと、余計にこの純粋培養されたような子供古泉が可愛くて堪らん。
俺はホモでもなければショタでもないはずなんだが、それでも可愛いと思う。
普段の数倍増の可愛さだ。
ぐりぐり撫で回して抱きしめてやりてぇ。
が、道端、それもまだ高校から数メートルと離れていないような位置でそれをやらかすほど、俺の理性は壊されちゃいなかった。
ぐっと堪え、軽く頭を撫でるだけで我慢だ。
俺は余計なことを口走ったり、また黙り込み過ぎたりして古泉を不安にさせないよう気をつけながら、古泉と共に古泉のマンションへ上がりこんだ。
俺がポケットから取り出した小さな鍵束の中のひとつで部屋の鍵を開けたことに、古泉は目を大きくして驚いていた。
「ここ、僕の部屋なんだよね?」
「ああ、そうだ」
「なのに、どうしてお兄さんが鍵を持ってるの?」
「それを説明すると長くなるんだが、いいか?」
古泉はこっくりと頷いた。
それじゃあとりあえず長話の準備として、とっとと部屋に入って、ソファにでも座れ。
俺の言葉に、古泉は警戒するように部屋へ足を踏み入れた。
きょろきょろと辺りを見回す古泉を先導して、俺も部屋に上がりこむ。
リビングダイニングに置かれたソファに古泉を座らせ、冷蔵庫を開けると、未開封のスポーツ飲料があったのでそれを取り出す。
それも俺の好きなやつってのがまた健気だな、おい。
勝手知ったる他人の家、遠慮は要らん。
俺は俺と古泉がそれぞれ愛用しているグラスを取り出すとそれにスポーツ飲料を注いで、所在なさげにしている古泉にグラスを渡した。
「ありがとうございます」
と言っているが、古泉は戸惑っているようだった。
聞きたいことが山積に違いない。
いつものように古泉の隣りに腰を下ろし、体を古泉の方へ向けると、俺は言った。
「飲まないのか?」
「飲むけど…」
どうやら、よっぽど気になっているらしい。
「説明が先か」
「…そうして欲しいな」
「分かった」
俺が何故この部屋の鍵を持っているのか。
理由は簡単だ。
古泉からもぎ取ったからである。
長いのはそこに至るまでの経緯の方だ。
あれは確か二月くらい前だっただろうか。
俺の家に来る約束をしていた古泉が、朝一番に断りの電話を入れてきたのだ。
バイトが入ったのかと思ったのだが、
「ただの風邪です。情けないですが」
と古泉はいくらか掠れた声で答えた。
風邪ならそう心配することもないかもしれないが、古泉は一人暮らしをしており、かつ我が家の女性陣のお気に入りである。
そんなわけで、俺はお袋の命令により、桃缶とりんご、それから風邪薬に冷却シートなど、風邪用の看病セット一式と共に家を出た。
そうして古泉の住むマンションまで行ったのはよかったのだが、部屋にはきっちりと鍵が掛けられており、インターホンをしつこいほど鳴らし、ドアを叩き、携帯を鳴らし続けても応答がなかった。
心配になった俺は、管理人室へ駆け込み、顔を覚えていてもらったこともあって、鍵を開けてもらったわけだ。
ちなみに古泉は単純に熟睡していただけで、大事はなかったのだが、今後二度と似たようなことが起こらないとは限らなかった。
そこで俺は古泉に粥を食わせて薬を飲ませ、部屋の鍵を奪い取ると合鍵を作製してもらったというわけだ。
ちなみに鍵を作ることに関してはちゃんと了解はもらったからな。
「……なんか」
子供古泉は呆れたような目で俺を見ながら言った。
「お兄さんって、見た目によらずけっこう強引で熱いよね。僕のこと助けてくれた時も思ったけど」
ほっとけ。
「意外だけど、別にいいと思うよ。それに、僕のこと、心配してくれるのは嬉しいな」
そう笑って、古泉はやっとグラスに口をつけた。
「お兄さんはよくここに来るの?」
まあ、そうだな。
他の奴の所よりはよっぽど来る。
泊まることも多いし……ああそうだ。
「古泉、今日、ここに泊まっていった方がいいか?」
俺が聞くと古泉は困ったように、
「どうしたらいいのか分からないから、いてくれると嬉しいけど、でも、あんまり迷惑は…」
今更だな。
俺は携帯を取り出すとお袋に電話を掛ける。
古泉の部屋に泊まると言えばすぐに了解される。
古泉くんの所に泊まるんだったら一々言わなくてもいいわよ、ってなんだそりゃ。
やれやれ、よっぽど気に入ってんだな。
肩を竦める俺を見る古泉の目は真ん丸い。
「なんだか、信じられないや」
何がだ?
「僕に、こんな風に親切にしてくれる友達がいて、それもそれがお兄さんだなんて」
親切と言うよりはお節介だと自分では思うんだがな。
「お節介だなんてこと、ないよ。嬉しいし、…今の僕には分からないけど、多分、本来ここにいるべき僕も、嬉しいと思ってるんじゃないかな」
だといいが。
…というか、そうだな、多分、お前の言う通りだ。
あれだけ甘えておいて実は俺のことをうざがってたりした日にゃあ殴るだけじゃ済まさんぞ。
「ねえ」
と子供古泉は言う。
「今の僕はお兄さんから見て四年前の僕かも知れないけど、僕がタイムスリップしてきたわけじゃないんだよね?」
長門はそう言ってたな。
そして、長門が言うなら間違いはないんだろう。
「じゃあ、僕にとっての未来を、前よりもっと詳しく聞いても問題ないんだよね?」
多分な。
なんだ、聞きたかったのか?
「だって、お兄さんってば前に仄めかすようなことばっかり言っていなくなったんだもん。気になってるよ」
俺としてはお前の半年間を聞いてみたかったんだが、まあいいだろう。
俺は古泉とのことだけでなく、SOS団の活動に関しても色々と話し、子供が眠る時間を過ぎても話し続けた。
やがて、日付が変わる頃になって、古泉が大きなあくびをし、いい加減眠ろうということになったのだが、そこで俺は重大なことに気がついてしまった。
明日は土曜日で高校は休みなのだが、SOS団全員での市内探索が待っている。
そこに古泉が来ないのは不自然だろう。
俺は古泉を寝かしつけた後、慌てて長門に助けを求めたのだった。
夜中にいきなり電話を掛けても、長門はすんなりと出てくれた。
用件も、予想済みであったらしい。
俺が明日どうするべきか聞くと、
『明日、彼を連れてくればいい。本来来るべき古泉一樹は急なアルバイトで来れないとでも言えば大丈夫。それよりも涼宮ハルヒは彼に興味を持つ』
一人の人間を呼ぶのに彼とフルネームの使い分けというのもどうかと思うんだが。
「あいつのことをどう説明するんだ? 偽名でも考えてやればいいのか?」
『本名を名乗ったので構わない』
「親戚だと言い張るにしてもそれはおかしくないか?」
『許容範囲内』
あいつも結構いい加減だな。
「本当に大丈夫なのか?」
重ねて俺が問うと、長門は何やら複雑なものを感じさせる沈黙の後、淡々と答えた。
『あなたが彼を慮る気持ちは分かる。でも、彼を元に戻すために必要なこと』
なんだって?
『涼宮ハルヒは古泉一樹の幼少期を見たいと思った』
だから古泉がああなったって言うのか?
だが、それにしては古泉の縮み方は中途半端だろう。
その考えで行くと、もっと小さくなってもよかったはずだ。
小学生とか、幼稚園児位に。
そうならなかったのは何でだ?
『私が干渉したから』
思わず絶句した。
長門がハルヒの力に干渉した、というのもいくらか衝撃でもあるが、それ以上に、何故そんな風に干渉するのかが分からない。
まさか中学生の頃の古泉を見たかったわけでもないだろうに。
『超能力を得る以前の彼であると、閉鎖空間が発生した場合に問題が生じかねない。しかし、力を得たばかりの彼では涼宮ハルヒとの接触は望むべくもない。今の状態がもっとも都合がよかった』
なるほどね。
しかし、こいつをハルヒと接触させるのも不安があるんだが…。
『彼を説得するのは、あなたの役目。あなたの本意ではないだろうけれど……お願い』
俺はため息を一つ吐く。
「分かった。やってみる」
『ありがとう』
礼は何もかも終ってから……いや、違うな。
お前にも面倒を掛けてるんだ。
あいこってことでなしにしてくれ。

翌朝、土曜だと言うのに早くから起き出した俺と古泉は二人して朝食の準備にとりかかった。
一人暮らしを始めてやっと半年くらいだと言う古泉に料理を教えてやったのは、それが無駄だということさえ忘れていたからだ。
このままでもいいんじゃないかというような血迷ったことを一瞬本気で思ってしまったくらい、子供古泉は素直で健気だった。
可愛いのは言うまでもない。
だが、そうもいかないんだよな。
食後にコーヒーを飲みながら俺がため息を吐くと、古泉は俺の顔色を伺うように言った。
「お兄さん、どうかしたの…?」
ちょっとな。
さて、どう切りだしたものか。
集合時間を考えると、三十分以内に話をつけなければならないだろう。
迷っている暇はない。
「実は、今日は予定が入ってたんだ」
「予定? …あ、誰かとデートとか?」
残念ながらお兄さんにはデートしてくれるような相手はおりません。
あんまり俺を理想化してくれるな、子供古泉よ。
「SOS団の活動の一環でな、市街地の探索というかなんというか……まあ、言ってみれば散策みたいなものをやるんだ。で、それに俺は参加しなければならないんだが」
「じゃあ、僕はひとりでお留守番だね」
寂しそうに顔を伏せているのに言い辛いが、現実はもっと悪いんだ。
「お前にも、来てもらいたいんだ」
「え」
戸惑いに眉を寄せて、古泉は黙り込んだ。
SOS団のことは昨日話してあったから、そこにハルヒがくるということも予想出来たんだろう。
騙まし討ちのように黙って連れて行くべきだったかとも思ったが、それでは余計に俺の心証を悪くするだけだろう。
これでよかったはずだ。
あくまでもはずだが。
「そうしないと、お前は元に戻れないんだ」
俺が言うと、古泉は困ったように考え込み、それから小さな声で言った。
「…僕、戻れなくてもいい」
何を言い出すんだ、こいつは。
「お兄さんといられるなら今のままでいい」
……中身は古泉(大)も(小)も同じかよ。
頼むからその上目遣いはやめてくれ。
「そういうわけにはいかないだろ」
分かってくれ。
「どうして」
というか、分かってんだろ、古泉。
このままじゃまずいってことは。
どう言ったらこいつは動くんだ?
――と、考えるまでもなく分かるほど、こいつの思考パターンに慣れてる自分が嫌だな。
「そうしたら、お前の四年間はどうなるんだ? 全部なしか? 俺と一緒にやったことやなんかもか?」
黙り込んだ古泉にたたみ掛けるように言う。
「俺が忘れてて、お前しか覚えていないこととか、お前しか知らないようなこととかもあるんだぞ。それも全部、なかったことにしていいのか?」
手を伸ばし、頭を軽く撫でてやる。
「俺は嫌だぞ。そんな勿体無いこと出来るか」
「……っでも」
泣きそうな声で言うな。
男の子だろ。
「まあ、もしお前がそのままでいたいって言うなら何とか出来ないでもないんだろうが、そうなると確実に学校は別になって、これまでよりも会う時間は減るん…」
「僕行く! ちゃんと戻りたい!」
勢いよく立ち上がった古泉に、俺は声を上げて笑った。
古泉は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていたが、それを隠すように、
「わ、笑わないでよ」
「すまん」
だが、笑うしかないだろう。
分かり易すぎるぞ、古泉。
さて、それから俺たちは支度を整えて古泉の部屋を出た。
鍵を掛ける俺の横に立っている古泉の服装は昨日と同じ学ラン姿だ。
ちなみに何故俺が着替えているかと言うと、古泉の部屋に寝巻きともども数着の服を置いているからという単純な理由による。
余計なことを言うなら、俺の部屋にも古泉の服が置いてあったりするのだが……って本当に余計な情報だな。
意外に準備に手間取ったせいもあって、待ち合わせに間に合うか微妙なところだ。
俺は古泉のチャリ――鍵は部屋に置いてあった――を拝借し、二人乗りで駅前へ急いだ。
二人乗りの経験がなかったのか、古泉がびくつきながら俺の腰の辺りにしがみついてきていたが、子供古泉じゃなかったら振り落とすところだな。
「おっそーい!」
カバンを乱暴に振り回しながらハルヒが怒鳴る。
だが、確かにその通りだ。
今日は本当に遅刻になっちまった。
あそこの交差点で信号に捕まったのが敗因だな。
「すまん」
チャリを置いてから走ってきた俺が息を切らしながら言うと、ハルヒはぶすっとした顔で言った。
「何やってんのよ、キョンのくせに。古泉くんもこないしっ」
「そのことなんだがな」
と俺は俺の背後に隠れていた古泉の手を引いてハルヒの前へ突き出すと、
「誰?」
ハルヒがでかい目でじろじろと古泉を見つめるので、俺は古泉が逃げ出さないかとはらはらさせられながら見ていたのだが、やはり古泉は古泉なのか、愛想笑いを作って、
「古泉一樹です」
「古泉くん!?」
驚くハルヒへ、俺が付け足す。
「古泉の従弟だ。急にバイトが入ったんであいつは来れなくなったんだが、その代わりにこいつを寄越したんだ」
「従兄弟同士で同じ名前なの?」
「らしい。文句があるならあいつの身内に言ってくれ」
「へー、面白いわね」
長門が言っていた通り、単純にもハルヒは納得したらしい。
「あたしは涼宮ハルヒ。SOS団の団長よ」
「涼宮さんですね。お兄さんから、伺ってます」
「お兄さんって古泉くんのこと?」
「いえ」
と古泉が俺を見た。
それにつられるように、ハルヒも俺を見る。
「キョンのこと?」
「そうです」
「なんで古泉くんの従弟くんがキョンのことをお兄さんって呼ぶのよ」
それには俺が答える。
「古泉と一緒に遊びに来てたりしたんだ。それで、俺に懐いてるとまあ、そういうことだ」
「まあ、どうでもいいわ」
どうでもいいなら最初から気にするな。
「古泉くんが事前の連絡もなしに欠席したのは、本当なら許せないところだけど、代わりに従弟くんが来たならいいわ。許してあげる。それじゃあ今日もいつも通り行くわよ。当然、キョンのおごりね!」
はいはい、もう諦めてるよ。
その日はいつもとメンバーが違うからか、ハルヒはグループわけをしようとはせず、俺たちは5人で街をぶらついた。
普段俺に向かって真面目に探せのなんのと言うハルヒだったが、やってることは俺と大差ない気がした。
それともこれは、子供古泉という部外者がいるからなんだろうか。
どうやらハルヒは子供古泉が気に入ったらしく、ぐいぐいと引きずり回し、あっちの店、こっちの店と連れ歩き、古泉は終始いくらか強張った愛想笑いを消さなかった。
つくづく、不憫な奴だ。
俺は古泉とハルヒを見ながら、長門に聞いてみた。
「これでいいのか?」
「いい」
「いつ元に戻るんだ?」
「明日の朝」
「……分かった」
それなら後は明日の朝まで何事もないように祈るしかないわけだな。
いつも以上に疲れた気がする探索の後、俺は古泉を連れて帰りながら聞いた。
「大丈夫か?」
「え、何が?」
きょとんとした顔で聞き返す古泉に、余計力が抜ける。
「ハルヒと会うの、嫌がってただろ。だから、疲れたんじゃないかと思ったんだが?」
「ああ、」
と古泉は笑い、
「思ったより、平気だったよ。何て言うか……僕の知ってる涼宮さんとは違ってたから、かな」
「ならよかった」
ところが、大丈夫じゃなかったんだな、これが。
古泉の部屋へ行き、ドアを開けると、古泉が小声で、
「ただいま」
と言ったので、俺は思わず微笑ましいような気持ちになりながら、
「お帰り」
と言ってやった。
古泉は嬉しそうに笑っていた。
顔が赤くなってる……って、何か変じゃないか?
俺は背を屈めると、古泉の額に自分の額を押し当てた。
「お、お兄さん!?」
「…お前、熱あるぞ」
「…え?」
無自覚かよ。
「さっさとベッドに行け」
体温計はどこだったかな。
ぽかんとしている古泉の横をすり抜けて体温計を探しにいこうとすると、後ろでばたんと音がした。
……ドアが閉まった音じゃないなら、古泉が倒れた音なんだろうなぁ。
全く、面倒な奴だ。
俺が、相変わらず細くて軽い古泉を抱え上げると、
「すみません…」
か細い声がした。
意識はあるのか。
「なんか、腰が抜けちゃったみたいで…」
「緊張したせいで体調がおかしくなったんだろ」
子供にはよくあることだ。
俺はそのまま古泉を寝室へ運んでやり、ベッドに放り込んだ。
学ランのままだが、着替えさせるのも面倒だ。
胸元を寛げておけばいいだろう。
この前持ち込んだ冷却シートがまだ残ってるといいんだが。
これは多分風邪ではなく、知恵熱とかそんなところなんだろう。
溜め込むまで溜め込んで、自覚なしに爆発する辺り、古泉らしいと言えるんだが、どうせならもう少し分かりやすくしてもらいたいところだな。
やれやれ。
「古泉、大人しく寝てろよ」
「…まだ…帰らない、よね…?」
「ああ」
「……ごめんなさい」
謝っているくせに、古泉は嬉しそうな笑顔だった。
結局、俺が熱を出した子供を一人で放っておけるはずもなく、その日も泊まる破目になった。
昨日のこともあって家には連絡も入れなかったんだが、家から電話が入ることもなかった。
これを信用と見るか無関心と見るかで判断が分かれるところだな。
ベッド脇で着信履歴やなんかをチェックして携帯をしまうと、まどろんでいたはずの古泉が目を開けて、俺を見ていた。
「お兄さん…」
「どうした?」
「…大好き」
「……そりゃあ、ありがとよ」
それにしても唐突な奴だな。
「なんとなく、もう、戻るんだなって感じがするんだ」
「…そうか」
うん、と古泉は笑顔で頷いた。
作り笑いでないのに、どうしてか、痛々しく思った。
「優しくしてくれて、ありがとう。これからも、……僕と、仲良くしてください」
「ああ」
答えながら、俺は苦笑した。
「お前、けっこう強かでずるいよな」
「え、そうかな?」
「俺がお前を突き放せなくなるように言ってる気がする」
「狙っては、ないんだけど…でも、今の感じでいいなら、」
と古泉は俺の袖を軽く摘み、
「最後に、お願いして…いいですか?」
内容を聞く前に頷きたくなるような愛らしさだが、それをぐっと堪える。
「なんだ?」
「…一緒に、寝てくれませんか?」
――なんだって?
「寂しいんです。本当は、昨日も寂しくて…」
「…ってお前、一人暮らししてたんじゃなかったか?」
「誰もいないからひとりでいることと、側に人がいるのにひとりでいることは違いますよ」
それはそうかもしれないが…、いくら中学生でも添い寝はないだろ。
「お願いします」
今にも泣き出しそうな顔をした古泉と見つめあうこと暫し。
「…分かった」
と俺は白旗を上げたのだった。
途端に、古泉は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
そう言って、ベッドの端へ寄り、スペースを空けられて、逃げ出せる奴がいるなら言ってみろ。
俺は諦めて立ち上がると、部屋の明かりを消し、古泉の隣りに潜りこんだ。
寝るにはまだ早い気もしたが、昨日が遅かったし、疲れた分丁度いいだろう。
明日は精々惰眠を貪ってやる。
そう口には出さずに誓う俺の腕に、古泉がしがみつく。
「…古泉?」
「…おやすみなさい」
……おやすみ。
もう何か言う気力もない。
ただ、うさぎ以上に寂しさに弱いらしく、かつそれをおくびにも出さずにいた健気さに免じて、頭を撫でてやった。
そのまま目を閉じると、思ったよりも疲れていたらしい俺は、あっという間に眠りこんでいた。
それこそ夢も見ずに、眠った。
正確に言うなら、見た夢を忘れるほど、と言うべきなんだろうか。
眠っている間は必ず夢を見るものであるらしいからな。
ただ、見たものを覚えていないと、寝ている間の時間経過というのは恐ろしく早い。
目を閉じて、開けたら朝、ということもしばしばだ。
しかし、どうせならもう少し爽やかに目を覚ましたかった、と俺が思うのは、
「うわっ!?」
という奇声で目を覚まさせられたからだ。
それがまだ昨日までの可愛らしいボーイソプラノなら許せたかもしれない。
だがそれはすでにいつもの古泉の、無駄に格好のついた声だったから、俺の不快指数は朝だというのにマックスだ。
「な、なんであなたが僕のベッドで眠ってるんです!?」
やかましい、もう少し寝させろ。
俺は昼まで起きんぞ。
「説明してください!」
薄目を開けると、古泉がいつになくうろたえた表情をしていた。
仕方ない、珍しい物を見せてもらった礼に簡単に説明してやろう。
「…お前が、一緒に寝てくれと言うから寝ただけだ。以上」
「はっ!? あ、あの、それだけですか!?」
まだうだうだ言っている古泉の声を遮断するように布団を被り、目を閉じた。
もう少しくらい、眠ったって許されるはずだ。
俺が振り回された分、お前も振り回されてろ。