発覚



その日、確かに昼休み前にはそうでなかったはずだというのに、昼休みが終ってどこかから戻ってきたハルヒは恐ろしく不機嫌だった。
閉鎖空間は既に発生しているんだろうか。
はたまた発生しかけているんだろうか。
どちらにせよ、緊急出動となるんだろう古泉に、俺は内心で手を合わせつつ、なんとかハルヒの機嫌が直らないかと試みることにした。
「どうしたんだ? ハルヒ。やけに機嫌が悪いな」
「……あんたたちのせいよ」
「へ?」
何かやらかしたような記憶はないんだが。
それに、あんたたち、というのはどういう意味だ?
昼休みの間に何かあったらしいのに、昼休み中なんの接触もなかった俺のせいにされるというのは合点がいかない。
「うるさいから黙ってて。それから、今日の部活、サボったりしたら死刑だからね!」
久し振りに聞くフレーズだな、おい。
そのまま机に突っ伏して答えなくなったハルヒに首を傾げながら、俺は小さく嘆息した。
部活に来いってことは、その時説明してくれるってことかね?
今すりゃいいのに、と思ったところで教師が入ってきた。
時間がないから、そして長い話になるから、ああ言ったんだろうか。
懸案事項のために、授業に集中出来ないまま授業は終った。
今日は当たらなくてよかった。
当てられていたらさぞかし恥を掻いていたに違いない。
ハルヒは俺の先に立ち、ざくざくとかずかずかとかいった濁音のオノマトペが相応しいような足取りで部室へ向かった。
その音の意味するところは、嫌な予感とか恐怖の気配とかそういったものだろう。
ハルヒの状態から考えると、教室で話さなくて良かったような気がしてくる。
部室なら長門も古泉もいて、助けを求められるからな。
ハルヒは不機嫌オーラを背負ったまま乱暴にドアを開け、怯えたように挨拶する朝比奈さんにすら一瞥も与えず、どっかと団長席に陣取った。
長門はいつも通り窓際にいるが、古泉の姿はない。
やっぱりバイトか、と俺が椅子に腰を下ろしたところで、ドアが開き、古泉が顔をのぞかせた。
「すみません、急にバイトが入ったので、今日はこれで」
…と、言おうとしたのだと思う。
だが、ハルヒが皆まで言わせなかった。
バイトが、まで言ったところでハルヒがそれで人を殺せるんじゃないかというような声で、
「バイトとSOS団どっちが大事なの」
と選べないことを聞いたのだ。
古泉は笑顔のままだが、俺にはその裏にある驚きと焦りが見えたように思えた。
「それは勿論、SOS団ですが、」
僕のバイトの方も急を要してまして、と俺は脳内補完するが、ハルヒは当然そんなことさえしないわけで。
「ならさっさと座って。古泉くんとキョンに聞きたいことがあるの」
どうやら緊急事態のようですね。
涼宮さんが機嫌を直さないことには閉鎖空間に行ってもキリがないでしょうし、仕方ありません。
「……分かりました」
少し空いた間に入る言葉さえ思いつく自分がおかしい気がするのだが、退屈しのぎにはいい。
しかし、俺と古泉に聞きたいことってのはなんなんだ。
ハルヒは椅子から立ち上がり長机の側へ来ると、いつものように向かい合わせに座った俺と古泉へじろじろと目を向けた挙句、とんでもない言葉を言い放った。
「キョンと古泉くんが付き合ってるって本当なの?」
一瞬世界が停止したかと思った。
いや、少なくとも俺の世界は止まっていたに違いない。
それから回復するなり思ったことは、単純だ。
古泉も機関も何やってたんだ!
とうとうあのおぞましい噂がハルヒの耳に入っちまったんじゃねえか!
だから馬鹿なことはやめろって言ったのに…!
口に出して叫ぶことも出来ず、のた打ち回りたい気分になる俺とは逆に、古泉はあくまで穏やかに、
「以前もそんなことを仰いましたね。あの時、ちゃんと納得していただけたのではありませんでしたか?」
「あの時はあたしも古泉くんの言うとおりかなって思ったわよ。でも、今日の昼休み、女の子たちが話してるのを聞いたのよ。古泉くんとキョンはもう長いこと付き合ってるんだって」
「噂というものは無責任に面白がるものですからね。ありもしないことを言われるものですよ」
「じゃあ、どうしてキョンが古泉くんのお弁当作ってきたりしてるの」
「僕は料理が不得手でして、いつも学食のお世話になっていることは涼宮さんもご存知のことでしょう? 彼と彼のお母様がそんな僕の食生活に同情してくださっただけのことです」
「…キョンのお母さんに会ったの?」
しまった、という表情が一瞬古泉の顔に浮かんだ。
俺も呆れるしかない。
「というか、なんで俺と古泉が噂になったことでハルヒがそんなに不機嫌になるんだ。お前も弁当が食べたかったのか?」
それなら今度作ってきてもいいぞ。
「あたしはそういうことを言いたいんじゃないの!」
癇癪を起こすようにそう言ったハルヒは俺に問う。
「少し前まで、古泉くんが朝、キョンを迎えに行ってたっていうのは本当?」
嘘じゃないが、世間一般が考えているような理由じゃないぞ。
こいつはうちの朝飯目当てだからな。
「……本当に、朝ご飯のためにそんなことすると思うの?」
他に何がある。
「キョンに聞いても無駄ね」
聞いといてそれか。
「古泉くん、どういうつもりだったの? 古泉くんがキョンと朝帰りしてたとかいう噂もあったけど」
ちょっと待て、やっぱり見られてたのかとも思うが、誰だそういう誤解されるような言い回しで噂を撒いているバカは。
有効活用するとかのたまわった俺の目の前にいるバカだった場合、情け容赦もなしに切り捨てるぞ、今度こそ。
「彼の家に遊びに行った時に、つい長居してしまって、帰るのが翌朝になってしまったことがあるだけのことですよ。見た人が誤解したのでしょう」
淀みなく答える古泉はいくらか頼もしいが、いくらか不安でさえある。
ハルヒは考え込んだ後、
「古泉くんを巡ってキョンが上級生の女子と刃傷沙汰になったっていうのも、何かの誤解?」
見てたやつがいたのか、それともあの中にいた誰かが言っちまったのかどっちだ。
いや、どっちでも構わん。
今更それを解明したところで遅いし、この状況は変わらん。
古泉はいくらか青褪めた顔で考え込んでいたが、静かに言った。
「誤解といえば誤解ですね。僕と彼が付き合っていると勘違いした人たちが、彼に危害を加えようとしたわけですから」
そうやってひとつひとつ否定しても、ハルヒの不機嫌さは変わらない。
どうすりゃいいんだ、と思ったところで古泉が言った。
「正直、僕としても困っているんです。ゲイ扱いをされていては、彼と普通に友情を育もうと思っても難しいでしょう?」
噂すら利用しようとしていた奴がどの口で言いやがるんだこの野郎。
俺が睨みつけても古泉はあっさりとした笑みでかわしながら、
「ですから、もし涼宮さんさえよろしければ、噂を払拭するためにご協力願えませんか?」
「あたしが?」
ハルヒに何をさせるつもりなんだ古泉。
「彼、あるいは僕に、付き合っている女性がいると分かれば、もうゲイ扱いはされないでしょう? カモフラージュのためとはいえ、女性にそのような噂が立つのは決して名誉なこととは言えませんから、これまではお願いしかねていたのですが、この際だから、お願いしたいんです。どうでしょうか」
「…そうね……」
考え込んだハルヒだったが、すぐさまアンニュイな表情を振り捨てたかのような笑顔になると、溌剌とした声で言った。
「そうね! 秋の次回作の宣伝もかねて、やっちゃいましょう!」
次回作の宣伝、ということはあれか。
長門ユキの逆襲とかいうふざけたタイトルだけ決まってるあれのことか。
ということは前回の映画撮影時のように、朝比奈さんが古泉のために弁当を持ってきたり、長門と古泉が腕を組んで歩いたりというのを、今度はカメラなしでやると言うのか?
くっそ、羨ましい。
「有希とみくるちゃんが古泉くんの担当ね。映画とのこと考えたらそれがいいでしょ。で、残ったあたしが不本意だけどキョンと付き合ってるフリをするわ。それでいい…」
「ちょっと待て!」
ハルヒの発言はほとんど聞かずに脳内に描いた古泉の羨ましすぎる姿に苛立っていた俺はタイミングさえ読まずにそう言った。
「これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないだろ。長門も朝比奈さんも、当然お前だって、男と噂が立っていいことなんかないんだから、軽々しくそんなことをするんじゃない」
「じゃあ何? あんたは自分がゲイ扱いされてたのでもいいって言うつもりなの?」
ああ、別に構わんな。
友人との関係に亀裂が入ることも今のところないし、ましてや、俺が誰か女子に告白されるなんてことも悲しいかなありえないわけなんだから、世間的に俺がホモ扱いされていようがいまいが俺には大した影響はない。
何より、俺がホモ扱いされて困るのは、お前に誤解されることだけだからな。
「…それ、どう言う意味よ」
そのまんまの意味だ。
もう誤解はとけたんだろ?
「…うん、そうだけど、でも……」
それならそれでいい。
噂だってそのうち収まるだろう。
放っときゃ静かになるさ。
――っておい、古泉?
どこへ行くんだ?
「お邪魔かと思いまして」
はぁ?
突然何を言い出すんだろうね。
朝比奈さんも長門も一緒になって部屋を出て行こうとするなんて、どう言うことだ?
「じゃ、邪魔なんかじゃないわよ。変な風に気を回さなくてもいいの!」
どういうわけかトマト並に赤い顔をしてそう言ったハルヒは、どうやら機嫌を完全に直したらしい。
それでも閉鎖空間は勝手に収束してはくれないからか、古泉はカバンを取り、
「それでは僕はバイトへ行きますね」
とハルヒに断りを入れた。
ハルヒは、
「うん、悪かったわね、引き止めて変なこと言ったりして」
「構いませんよ。それでは、」
と言った古泉が俺へ目配せする。
俺はそれを受けて立ち上がり、
「ちょっとトイレ行ってくる」
と適当なことを言って古泉と共に部屋を出た。
部室から少し離れたところで古泉が、
「あなたという人は、無自覚に凄い人ですね」
どういう意味だ。
「人が欲しいと思う言葉を難なく口にするものですから。僕に対してもそうですが、さっきの言葉は涼宮さんにはよく効いたと思いますよ」
さっき?
古泉はふふっと楽しげに笑い、
「涼宮さんは、あなたが自分に好意を持っていると思いましたよ」
なんだと?
「よく思い返してみてください。あなたがさっき言った言葉を」
古泉はわざわざ俺の声を真似て言った。
「『何より、俺がホモ扱いされて困るのは、お前に誤解されることだけだ』と仰ったではありませんか」
……って、まさか、おい、
「どう聞いても、涼宮さん以外の誰にどう思われても構わないくらい、涼宮さんが好きだという意味になりますよね」
あれはそういう意味ではなくてだな、俺はただ単にあいつが俺とお前をホモ認定したら本当にそうなりそうで嫌だっただけであって、
「そう真剣に抗弁なさらなくても、僕には分かっていますよ。ただ、涼宮さんはそう思ったであろうということを、僕は言っているだけですから」
だとしても嫌だ。
ああ、なんでこうなっちまうんだろうな。
後悔の海にずぶずぶと沈みこみながら、俺はこれまでで一番じゃなかろうかと思うような、深いため息を吐いたのだった。