定着



人の噂も七十五日、昔の人は言っていた。
まさに至言じゃなかろうか。
俺と古泉に関する不本意かつ不条理極まりない噂は、ハルヒが次から次に騒動を巻き起こしてくれるおかげか、ことわざの通り時間が経ったからか、沈静化しつつあるらしい。
廊下を歩いているだけで後ろ指さされることも、くすくすと笑いながら女子に噂されることもなくなってきた。
こういう時ばかりはハルヒを神と拝んでやってもいい気になるね。
ありがたい。
これでなんら人目を気にすることなく、普通の友人付き合いが出来るというものだ。

そんな安心感を持っていたその日、久し振りにと自分で弁当を作った俺は、うっかりと作るおかずの量を間違えた。
明らかにひとり分多い。
妹の分まで作ってやる時のノリで作ってしまったらしい。
この余るひとり分をどうするか、と考えた時に頭をよぎったのが、いつぞや古泉に弁当を持って行ってやった時の嬉しそうな顔だった。
こう言うと誤解を招きそうだが、俺は古泉のことをかわいいと思っている。
最近特に気に入っているのはゲームに夢中になっている時、次の手に悩んでうんうん唸っている姿だったりするのだが、作り笑顔ではない笑顔も結構好きだ。
あの笑顔を見るために弁当を持って行ってやるのもいいかもしれない。
俺は弁当を持って行く旨だけを書いたメールを古泉に送りつけ、返事も待たずに詰め始めた。
ほとんど間を置かずに届いた返事は「楽しみにしています」というタイトルだけ見て開封しなかった。
後はどうせ長々と謝辞が続くだけに決まっているからな。
男子高校生ひとり分の弁当というのはそれだけでそこそこ重量感が増すものだが、俺は大して気にせず、いつも通りに家を出た。
流石に、坂を上る時になっていくらか後悔したが、小型のとはいえストーブを抱えて上った時と比べればマシと言うものだ。
教室に着いてから、ずっと放ってあった古泉からのメールを確認すると、昼休みに弁当を取りに来るということが書いてあった。
律儀な奴だな、と思っていると、谷口が、
「楽しそうだなキョン、何かいいことでもあったのか?」
楽しそう?
特に楽しいと思うようなことがあった記憶はないから、お前の気のせいだろう。
「そうか? 俺はまたてっきりカ……」
何か言いかけた谷口が途中で言葉を飲み込んだ。
「カ」ってなんだ。
どう続くんだ。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
なんでもないとは思えないような複雑な表情を浮かべていた谷口は、結局理由を白状しなかった。
一体何なんだ?
しかし、谷口の言動に意味を求めたところで無駄だろう。
突然関係ないことを思いだして、今言いかけたことを忘れてしまったという可能性もないわけではない。
そうして俺はいつもの通り適当に授業を受け、昼休みが来るとふたつの弁当包みを取り出した。
国木田がそれを見つけ、
「あれ、キョン、今日はお弁当二つ用意して来たの?」
「作りすぎたんだ。余らせても勿体無いからな」
そう言っている間に、いつもながら異常に移動が早い古泉が教室のドアに姿を現した。
来い来いと手招きしてやると、谷口が妙な顔をしていた。
朝からどうしたんだ、こいつは。
古泉は俺から弁当を受け取ると、既に開けてあった俺の弁当箱をのぞきこみ、
「ああ、卵焼きもハンバーグも入ってるんですね。前に頂いた時に気に入っていたので嬉しいです」
「それならそう言えよ。どっちも微妙に余って冷蔵庫行きになったんだ」
そうと知ってたら無理矢理にでも詰め込んでやったのに。
「すみません。わがままを言ってはご迷惑かと思いまして」
お前に関しては迷惑を掛けられるばかりだから今更だろう。
「それを言われると痛いですが」
それよりお前、早く教室に戻るなりなんなりして食べ始めないとまずいんじゃないのか?
「そうですね。では」
と踵を返そうとした古泉を止めたのは国木田だった。
「古泉くんもここで一緒に食べていったら?」
「ばっ…」
奇声を発した谷口を無視して、古泉が微笑む。
「よろしいんですか?」
「もちろんいいよ。ね、キョン」
俺は構わないが、谷口が挙動不審だぞ、国木田。
「そう? 気がつかなかったな」
……国木田お前、もしかすると古泉と同じくらい、いい性格をしてるんじゃないのか?
まあとにかく、そういうことでがたがたと机椅子を動かして古泉のためのスペースを作ってやったわけだが、谷口が妙に無口なのが気になった。
本当に今日はどうしたんだ?
「美味しそうですね」
隣りに座った古泉が嬉しそうに言った。
「僕もあなたのように見た目からして美味しそうな物を作りたい物ですが、なかなか難しいんですよね」
おだてても何も出ないぞ。
「おだてているつもりじゃないんですが」
と苦笑する顔を見ながら、ここで食べることにしたのは間違いだったなと思った。
これだけ衆目があり、なおかつ国木田、谷口と同席では古泉が素の表情を見せるはずがない。
それ目当てで弁当を持ってきたのに、完全に失敗だったな。
今度からは前みたいに部室で食べることにしよう。
弁当を食べながら俺がそうひとり反省会をしていると、唐突に国木田が言った。
「それにしても、今時男女でもなかなか続かないのに、キョンと古泉くんは長いね」
俺は一瞬何を言われたのか理解できず、俺よりも理解力が高いと思われる古泉は笑顔を凍らせた。
谷口は谷口で、言っちまったみたいな顔をしているのが妙にムカつくんだが。
「国木田、どういう意味だ」
「え? そのままの意味だけど…」
そのままってなんだ、それはまさかあれか、俺と古泉が付き合ってるとでも思ってるのか!?
というかそれはもう大分前に否定しただろう。
「違ったのか!?」
たーにーぐーちー、お前の挙動不審の理由はそれか。
古泉は苦笑しながら、
「全くの誤解ですね。僕と彼の関係はあくまでも友人ですよ。あなた方とご同様にね」
「それにしちゃ、仲がいいよね」
国木田がいつもの穏やかな表情のまま言った。
「キョンがお弁当を持ってくるのも初めてじゃないみたいだし。本当にただの友達なの?」
「ええ」
俺も断言してやる。
こいつと付き合ってるなどと思われてたまるか。
大体なんでそうなるんだ。
古泉、お前まだ酷い振り方してんのか。
「いえ、そもそも、告白されること自体減って……あ、もしかしてそれも、僕があなたと付き合っていると思われているからなんでしょうか」
なんでしょうかも何も、十中八九そうだろうよ。
そういう明らかにおかしいことはもっと早く言え。
「おかしいことと言えば、」
と古泉が思い返すようにしながら言った。
「僕の机の中に入れた覚えのないゲイ雑誌が入っていたことがあるんですが、あれもその関係でしょうかねぇ」
おかしいにもほどがあるだろう!
お前の頭はどうなってるんだ。
「ただの嫌がらせかと思ったんですが」
狭いんだから肩を竦めるな。
「それにしても、何故ここまで噂が定着してしまったんでしょうね」
都合の悪いことは全部お前のせいにしてやりたいんだが構わないか?
「薄情な人ですね」
そのムカつく笑いをすぐさま引っ込めろ、殺意が芽生える。
すると、もぐもぐと卵焼きを食べながら国木田が言った。
「それだけ仲がいいと疑われてもしょうがないんじゃないかなあ」
はっ!?
これが仲がいいって言える状況なのか!?
「夫婦漫才にしか見えん」
谷口は黙ってろ。
国木田、噂が静かになったのはマジにそういう理由なのか?
「皆飽きっぽいし、キョンたちが堂々としてるから余計に噂にもならなくなったみたいだけど、やっぱり時々は聞かれるよ。本当に付き合ってるのかって」
なんて答えてるんだ?
まさか肯定はしてないだろうな。
「分からないって言ってるけど?」
「今度から否定しろ。全身全霊の力を込めて否定しろ」
「そうだね。違うって言うならそうしないと。でも――」
と国木田は首を傾げ、
「そんなに噂されるのが嫌なら、接触するのをやめるものなんじゃないの?」
そりゃ、最初の頃にそう思いはしたが、それだと逆効果になるだろうと思ったんだが?
「まあね。でも、今までみたいにどんどん接触を増やすこともないと思うよ?」
何?
「時々噂がぶり返してるなーと思ったら、休みの日に街をふたりで歩いてたとか、キョンの家の近くで古泉くんを見たとか、キョンがお弁当渡してるのを見たとかいう内容だったから、やっぱり付き合ってるのかなと僕は思ってたんだけど」
ストーカーでもいるのかと思うような詳細ぶりだな、おい。
街を歩いてたってのは多分あれだぞ。
ハルヒの命令で街を歩き回らされただけだ。
古泉がうちに来たこともあるが、それだって普通の友達でもやることだろう。
弁当に関しては……なんとも言い難いところだが。
国木田は不思議そうな顔をして言った。
「休みの日に会って、家に呼んで、お弁当作ったりして、それでもただの友人なのかな」
何が言いたい。
「何が仰りたいんですか?」
古泉が俺と同時に言った。
国木田は古泉へ目を向けながら、
「とりあえず、傍で見ている分には恋人同士以外の何物にも見えないよってこと」
勘弁してくれ。
なんでこれ以上表を堂々と歩けなくなりそうな要素を付与されなきゃならないんだ。
弁当なんか二度と作ってくるもの…
「ごちそうさまでした」
古泉がそう言ってぴしりと手を合わせた。
弁当は綺麗に空になっている。
作り手冥利に尽きる状況だ。
満足そうな笑顔は作り笑いじゃない。
お前、ここがどこか忘れてるのか?
そんなに嬉しかったのか?
……畜生、かわいい。
俺がそう思ってしまうのは、この前に子供古泉を見たせいもあると思う。
前々から思っていたことでもあるが。
ああしかし、これで、弁当を作って来ないってのはナシだな。
却下だ却下。
あの顔見て、俺が弁当無しを宣言できるわけがない。
遊びに来るなと言うべきか?
だが妹も古泉を気に入っているし、古泉もかなりへこむだろう。
「諦めて、ホモの汚名を着せられたままでいるしかないのか…?」
思わず声に出して唸った俺に国木田はあっさりと、
「別に、特にデメリットもないならいいんじゃない?」
そういう問題じゃないだろう。
ことは俺の名誉にかかるんだ。
やっぱり古泉を切り捨てるべきか?
「まあまあ、諦めて仲良くしていきましょうよ」
古泉は笑いながらそう言って俺の肩へ自分の肩を寄せてきやがった。
教室の反対側辺りから上がった、女子のきゃあという浮かれた声を聞きながら、俺は思いっきり怒鳴ったね。
「くっつくんじゃない! 鬱陶しい!!」
ハルヒと関わりのないところでさえ、俺は真っ当な高校生活を送れないんだろうか。