気がついた時にはそうなっていた、としか言いようがない。 何しろどうしてそうなったのか、俺には皆目見当がつかないのだ。 それどころか、そこまでの経緯すら思い出せない。 おそらく、そんなものは存在すらしないのだろう。 俺の中で結論はすでに出ていた。 ――これは夢だ。 そうでなかったらハルヒによって世界が改変されてしまったに違いない。 なにしろ、俺の中では俺は、未だしがない高校生に過ぎないのだが、どういうわけか社会人らしくスーツを着ている。 恐ろしく似合わないが、くたびれ加減が俺らしいといえば俺らしい。 そうして俺の目の前にいるハルヒも、どこか俺が知っているハルヒとは違っていた。 顔立ちや傲岸不遜な態度はそのままなのだが、服装がぴしっとしたスーツ姿。 気合が入っていながらもOLやなんかには見えない。 それもそのはず、このハルヒは高校生でもなければ神でもなく、いわんやSOS団の団長ですらないからだ。 敏腕女性警部――それが、今のハルヒの肩書きその一であるらしい。 とはいえ、中身までは変わっていないらしく、ハルヒはいつものように何の説明もなしに俺の腕を引っつかみ、もぎ取らんばかりの勢いで歩き出しながら言った。 「さあキョン、行くわよ!!」 「行くってどこに」 俺のもっともな問いに返ってきたのは軽蔑しきったような目線と、 「この馬鹿っ!」 というきつい――しかしハルヒにしてはいたって平凡な――罵り文句だった。 ハルヒに引きずり出されて初めて、今までいた建物の外に出た俺は、そこが警察署であったことを確認することが出来た。 話の流れからしてそうだとは思っていたが、本当にそうだとはな。 ハルヒは俺を覆面パトカーの助手席に押し込み、自分は運転席でハンドルをきっと握り締めた。 おいお前、免許持ってんのか? 俺の問いかけに対する答えはなかった。 ただ、呆れ切った視線に身を切られただけで。 「捕まってなさい!」 そう言ってハルヒはアクセルを踏み込んだ。 とんでもない暴走パトカーに、俺は座席にしがみつきながら思ったね。 誰がこいつに免許や警察手帳を持たせたんだ? 到着した先はおしゃれなマンションだった。 入り口には野次馬や報道関係者、それから警察関係車両が集まっている。 うーん、ドラマでよく見る光景だ。 ハルヒがざくざくと野次馬を押しのけ、俺はその後について中に入った。 警戒に当たっているらしい制服警官がハルヒの顔を見るなり、飛びのくように道を開けていたことから察すると、ハルヒの顔も名前も所業も知れ渡っているらしい。 夢だか改変世界だか知らないが、どんな状況であってもハルヒは他人を巻き込むってことを忘れないらしい。 マンションに入り、エレベーターで三階へ上がる。 その小さな名札を見て、俺は愕然とした。 そこには小さく丸っこい、つまりはよく見知った文字で「朝比奈」と記されていたのだ。 まさか、と思いながらもハルヒに続いて中に入る。 ピンク系でまとめられたかわいらしい部屋の奥、淡いピンクと白のベッドで眠るようにその人はいた。 見間違いようのない愛らしい顔の色は白を通り越していた。 「朝比奈さん…!?」 驚き、呟きながら、こみ上げそうになる吐き気をこらえる。 と、そこへ、また見覚えのある顔を見つけた。 「……長門?」 「そう」 小さくそう答えたのだから、長門に間違いはないだろう。 しかし違和感があるのはやはり、その格好のせいだろうか。 長門はいつもの見慣れた制服姿ではなく、テレビで見るような鑑識官の服装をしていた。 「…お前は鑑識なのか?」 「……そう」 俺はちらりとハルヒを見た。 ハルヒもほかの警官も、部屋の状況を確認するので手一杯らしいと見て、俺は長門に尋ねる。 「お前はいつもの長門だな?」 長門はこくりと頷いた。 「聞かせてくれ。これは夢か? それともハルヒが世界を改変させたのか?」 俺の予想では夢なんだが。 「そう」 …長門、それは同意か? 「これは涼宮ハルヒの夢。ただし、私たちの意識が引き込まれている形になっている上、涼宮ハルヒにとってはただの夢であり、涼宮ハルヒの記憶や意識は現実とは厳密にリンクしていない。そして、涼宮ハルヒが目を覚まさない限り、私たちも起きることが出来ない」 何だって? 「涼宮ハルヒを満足させなければ、私たちが危険。そして、涼宮ハルヒはあなたが活躍することを望んでいる」 「危険ってのはどういうことだ?」 ハルヒが俺の活躍を望んでいるという部分を無視して俺が問うと、長門はじっと俺を見た。 まるで、嘘は言わないと宣誓するように。 「最悪、意識が戻らない。そうでなくても、私たちの意識になんらかの影響を及ぼすことは必定。だから、頑張って」 頑張ってって…どうしろって言うんだ。 「…涼宮ハルヒの思考パターンは変わっていない。つまり、涼宮ハルヒの思考パターンをトレース出来れば簡単」 それならお前がやってくれ。 「私では無理。私はただの鑑識」 んなこと言われたって…。 朝比奈さんはどうなってるんだ。 と、俺がさらに問いかけようとしたのだが、ハルヒに襟首を掴まれ、息が詰まった。 「あんた何やってんのよ」 いつだったか見た覚えのある不機嫌な顔だった。 「こんなところでナンパなんていい度胸じゃないの」 「待て待て待て、お前はあいつを知らないのか?」 「知らないわ。あんた、知り合いなの?」 ハルヒの記憶や意識が現実のとは違うというのは間違いないらしい、と思いながら俺は軽く頷いた。 「久しぶりに会えたもんだから、話し込んじまったんだ。すまん」 「…まあいいわ」 全然いいと思っていない顔でハルヒは言った。 「それより、関係者の事情聴取よ。今ちょうど被害者の恋人ってのが来てるから」 朝比奈さんの恋人!? 下手なやつだったら夢の中の人物だろうがなんだろうが構わん。 一発ぶん殴ってやろう。 俺が内心息巻いていると、警官に引っ張られるようにしてつれてこられたのは、いやに見覚えのある野郎だった。 よしハルヒ、こいつ犯人ってことにしよう。 それで一件落着だ。 いやーよかったなー。 「それはあんまりだと思うんですけど」 いいからお前は黙ってろ、古泉。 「黙っていたら僕が犯人にされるんでしょう?」 「いいじゃないか、ここでならどうなったって」 「そうはいきません。それに、ミスリーディングに引っかかるようでは正解として認めてもらえないと思いますよ?」 ウインクをするな気色悪い。 というかお前、長門に会ったのか? 「長門さんですか? いえ、ここではお目にかかっていませんが」 ならどうしてそんなことを言うんだ? 「簡単ですよ。彼女の、考えることなら僕にはよくわかりますから」 彼女の、と強調したところで古泉はハルヒの方へ一瞬だけ目をやった。 ハルヒは目をぱちくりさせながら俺たちを見ていたが、 「何、キョン、またあんたの知り合いなの?」 知り合いというか、 「友人です」 今の答えは古泉が、俺が答えるより前に断言しやがったのであって、俺が言ったのではない。 てっきりハルヒは面白がるかと思っていたのだが、ハルヒはなぜか渋い顔をして見せた。 「それ、ちょっとまずいんじゃないの?」 何がだ? と俺が問うより早く、古泉の向こうで声がした。 「ちょっとでなくまずいな。君、なんと言った?」 聞きおぼえのある声に、嫌味ったらしい表情――おいおい、生徒会長まで夢の中に引っ張り込んだのか、ハルヒ。 「中身は別人のようですよ」 そう教えてくれたことには礼を言おう。 だが古泉、耳元で囁くな気持ち悪い。 そんな俺たちのやりとりは一切無視して、会長は俺に言った。 「捜査に私情を挟まれては困る。君はこの捜査を外れたまえ」 「でも署長、」 「君も外されたいのか?」 ハルヒが言い募ろうとしたのを、会長もとい、署長は冷たくあしらった。 ……素晴らしい度胸だ。 そのひとかけらでも俺に分けてはもらえないものだろうか。 「署長こそ、職務から外れた事をしてるんじゃありませんか」 ハルヒが敬語で、しかし敬意はかけらも感じさせない話し方で言った。 「私はたまたま様子を見に来ただけだ。これ以上口を挟むつもりはない。何か文句でも?」 「…っ」 ハルヒは悔しそうに唸りながら俺に向き直り、 「キョン、あんたどうせだから有休でもとったら?」 ああ、そうさせてもらう。 じゃあな古泉、精々頑張れよ。 立ち去ろうとした俺の襟首を掴んで引き戻し、耳元で言ったのはハルヒだった。 「情報はあたしが流すから、あんた、なんとしてでも真犯人を見つけてあの腐れ署長の鼻を明かしてやるのよ」 なんでそうなるんだ。 俺の苦情など一切受け付けず、ハルヒは事情聴取すべく、古泉を連れていった。 それから俺は、数時間後に古泉が解放されるまでずっと待ち、一緒に歩くことになった。 ちなみに俺はどこへ向かえばいいんだ? 「とりあえず、街の作り自体は同じですから、ご自宅に向かったんでよろしいのでは?」 家には行きたくないな。 妹がいたら、うるさいだろうし、もしも成長していたならそれはそれで嫌だ。 「では、僕の部屋へ向かいますか」 その方が楽だろう。 歩きながら、俺はさっき中断させられた話を再開した。 「お前、長門に会わずになんでこれがハルヒの夢だと分かったんだ?」 「閉鎖空間と感じが似ているんですよ。ですから、現実ではないと判断しました。後は、あなたと涼宮さんの様子を見れば、なんとなく分かります」 おそらく、と古泉は困惑しているような、面白がっているような曖昧な笑みを見せた。 「涼宮さんはあなたが無事に事件を解決することを望んでいるのでしょう」 長門が言うにはそうらしいが、それにしては俺が捜査から外されたのはどういうことだ? 「捜査から外された刑事、つまりあなたが、処分覚悟で友人、つまり僕に、掛けられた疑いを晴らす。いやぁ、実に涼宮さん好みの展開ではありませんか」 お前、完全に面白がってるだろ。 そういえばお前もミステリー好きだったな。 俺が指摘すると、古泉は鼻にかかった笑いを漏らした。 「どうせ夢なのでしたら、楽しんだ方がいいと思いませんか?」 思わん。 それに、これはただの夢じゃないんだぞ。 俺が長門に言われたことを説明してやっても、古泉は飄々と笑っていた。 「では、本腰を入れて頑張るとしましょうか」 「何をどう頑張るって言うんだ」 前向きすぎるぞ古泉。 「それしかないのなら、仕方ないでしょう。それとも、このままこの夢の中にいたいですか?」 まさか。 「では、異論はないでしょう。僕としても、ここは居心地がいいとは言いかねますし」 そう言えば、会長はお前の手先じゃなかったのか? 「手先というのは言い過ぎですよ。確かに、ある程度僕が指示できることは否定しませんが」 なのに、お前に疑いが掛けられているのか? 「彼は僕たちと違い、現実の彼とは性格も言動も違うようですから。おそらく、涼宮さんのイメージの中での姿なのでしょう」 と古泉は肩を竦めて見せた。 その表情にはどこか疲れが見える。 「…どうかしたのか?」 俺が聞くと、古泉はため息をついた。 「厳しく取り調べられましたよ。彼の中で僕は犯人として断定されているようですね」 それは……ちょっと見てみたかったな。 「……あなたって、思ったよりサドっ気が強いんですね」 なんだと? 俺が咎めようとした時、スーツのポケットで携帯が喧しく鳴り響いた。 ハルヒか。 「もしも…」 「遅い! あたしからの連絡はワンコール以内に取りなさいっていつも言ってるでしょ!?」 いや、言ってるでしょもなにもそんな記憶はないんだが。 「それより、あんたの友達危ないわよ」 「どういう意味だ?」 とりあえず人間性はそこそこまともだと思っていたんだが、実は危ない奴だったのか? 「署長がやけに張り切ってんのよ! で、もうあんたの友達が本ボシだって決めつけちゃってんの。全く、何考えてんだか。キャリアならキャリアらしく机で踏ん反りがえってなさいっての」 なるほど。 ところでハルヒ、友達友達と連呼しているが、まさか名前も覚えてないのか? 「それで、情報だけど、」 聞いちゃいねえ。 「死体発見当時、部屋には鍵が掛かってたの。でも、部屋の中に鍵はないし、現場から少しいったゴミ捨て場に捨ててあるのが見つかったわ。指紋はなし。どうせなら密室でも作って行けばいいのに、つまらないわよね」 つまらないとかそういう問題じゃない。 それから、朝比奈さんを死体と呼ぶな。 「部屋の中にあったもので犯人の遺留品らしいものは、ゴミ箱の奥に落ちてたタバコの吸殻だけ。時間が経ってるから大変みたいだけど、DNAの抽出をしてみてるらしいわ。これで被害者の物だったら笑うしかないけど」 その点は心配ない。 朝比奈さんがタバコを吸うはずがないからな。 「それと、犯行時刻と思われる深夜二時前後に、現場近くでスーツ姿の若い男の姿が目撃されてるわ。身長は大体あんたの友達と同じくらいみたい」 おい、それ、思いっきりこいつに不利な情報じゃないか。 もっとマシな情報はないのか? 「あんたの友達にとってのいい情報なら――アリバイがないことくらいじゃない?」 どこがいい情報だ。 「少し考えてみたら? 深夜の二時にアリバイがある方がおかしいじゃないの。しかも、一人暮らしなんだし」 呆れた声で言われたのは不満だが、言われたことはなるほどもっともな話だった。 「ハルヒ、こいつの疑いを晴らすために、俺はどうすればいい?」 「真犯人を見つけなさいよ。アリバイがないってなってるのに今更証人見つけてきても信憑性も薄いしね」 じゃ、とハルヒは一方的に電話を切った。 古泉、頼みの綱の神様はこの程度らしいぞ。 「涼宮さんらしいですね」 余裕の笑みか。 さて、どうしたものか――と思いながら俺は古泉のマンションに上がりこむことになったのだった。 ソファに腰を下ろした俺にコーヒーを出しながら、古泉が言った。 「あなたは、二時間ドラマなんて観ますか?」 することもないくらい暇ならな。 「では、お分かりかと思いますが、いわゆる二時間ドラマと呼ばれる推理物の体裁をしたドラマ群には、いくつか法則のようなものがあるのです。最初に出てくる有力な容疑者はまず真犯人ではないとか、怪しすぎる人間ほど逆に怪しくないとかね。これは現実にはとても当てはまらない、ドラマだからこそのものです」 それがどうした。 「僕が思うに、この夢は涼宮さんが作った二時間ドラマのようなものなんです。だから我々役者は、自分が本当は刑事や鑑識官でないことを知っているんです。そして、これが涼宮さんによる二時間ドラマであるなら、真犯人を探すのは推理小説においてのそれよりもずっと簡単でしょう。違いますか?」 そう言えば長門も、ハルヒの思考をトレースできれば簡単みたいなことを言ってたな。 「それは朗報ですね。ですから、我々には情報は余り必要でないのです。このドラマに誰が登場しているのかということの他には」 そう古泉は笑って見せた。 「以前、新聞の番組表の中で何番目に名前が出ているのが犯人か、ということを調べた番組があったと聞いたことがあるのですが、何番目というよりも、その役者の持つネームバリューなどからも犯人を推測することが出来ると僕は考えます。分かりやすい例としては、番組表などの説明や、最初の三十分程度を見た限りでは端役にしか思えないような役に、名の売れた俳優を使っている時などは、その人が犯人であったり、重要人物であったりします。それと同じように、僕たちは、このドラマの中に出てくる人々のうち、不自然な位置にいる人物を見つければいいわけです」 不自然ってのは具体的にどういうのだ? 「そうですね…。長門さんが鑑識官というのは実に納得できることですし、夏の合宿時の涼宮さんの発言からして朝比奈さんが被害者というのも当然でしょう。あなたが刑事役なのも、そしてあなたの友人役の僕も」 「友人役というよりは容疑者役だろ」 俺の発言を無視して、古泉は続けた。 「他に出てきている、我々が知っている人物といえば、ひとりだけです。つまりは、彼が犯人なのですよ」 待て待て待て、彼ってのはあれだろう? いくら何でもそこまで意外性を追及すると思うか? 「ドラマならありでしょう。それに、涼宮さんは彼を嫌っています。犯人役に抜擢するなら、最適の人物ですよ。彼にはこのドラマ中の登場人物としての人格しかないようですしね」 さて、と古泉は俺に言った。 「どうしましょうか。他の登場人物の登場を待ちますか? それとも、今の推論を元に、動いてみますか?」 それ、選択肢はないようなもんじゃないか。 「失礼します」 と俺が固くなりながら入ったのは署長室だった。 「弁明がしたいとのことだったな」 高飛車に言うのは当然署長だ。 そう言えば、こいつの名前は何て言うんだったかな。 くだらないことを考えながら俺は言うべき台詞を口にする。 内容あってないようなものだ。 ずっと会っていなかった友人が容疑者であるというだけのことで外されては困るということと、ハルヒの暴走を止められるのは自分だけだということ。 それに対する署長のにべもない返事が寄越され、俺は退室するように言われる。 それも予定通りだ。 去りかけて足を止めた俺は、すっと署長に近寄ると、 「タバコ、吸われるんですか?」 「いや? 私はタバコは嫌いだ」 そういうことになってんのか。 通りでここに灰皿がないわけだ。 夢の中でまで猫被りとは大変だな。 「そうなんですか? なんとなく、匂いがした気がしたんですけど」 「君の気のせいだろう。さっさと出ていきたまえ」 「はい。…あ」 俺は署長の肩へさっと手を伸ばし、 「肩にゴミがついてますよ」 と髪の毛を数本ぶっちぎった。 「っ!? どういうつもりだ!」 痛かったんだろうな。 目が少し涙目になりかかっていた。 化けの皮も剥げそうだが、それをしている場合じゃない。 「あれ、ゴミじゃなかったみたいですね」 我ながら白々しいと思うセリフを吐きながら、俺は署長室から逃げ出した。 ドアを閉める。 追いかけてくる気配はない。 俺は安堵のため息をつきながら、長門がいるであろう部署へ向かう。 全く、こんなのは俺じゃなくて古泉の役割のはずだろ。 「長門」 と俺が声を掛けると、パソコンを恐ろしい早さで操作していた長門が振り返った。 「手に入れた?」 証拠を、と言う意味だろうか。 頼むから主語を省くのはやめてもらいたい。 「これのDNA鑑定はお前から頼めるか?」 長門が頷く。 これで後は結果待ちだ。 帰ろうとした俺に、長門が言った。 「気をつけて」 ……どう言う意味だ? 「…あなたの身が危険だから」 更に分からん。 説明が足らないぞ、長門。 「……これ以上、私に発言は許されない」 超脚本家涼宮ハルヒの陰謀か。 俺は慨嘆しながら家路についた。 と言っても帰る先が古泉の部屋ってのもなんだかな…。 マンションの古泉の部屋の前に着いた俺が、一応、と思いながらインターホンを鳴らすと、中から返事が返ってきた。 「お帰りなさい。鍵は掛けていませんから、どうぞ入ってください」 お帰りなさいって、お前、楽しそうだな。 楽天的にもほどがあるぞ。 ため息をつきながら俺はドアを開け、中に入る。 人の気配のするキッチンへ向かい、――俺は、一瞬息が止まるかと思った。 「お前、その格好は何なんだ」 「え、どこかおかしいですか?」 古泉は菜箸を片手に、きちっとエプロンを着けていた。 デザインはシンプルなのだが、色が淡いピンクなのがまずい。 気色悪いどころか変態疑惑をプレゼントしてやりたい気分だ。 「もらい物なんですよ」 そう古泉は苦笑したが、つまりは現実でも使ってるんだな、そのエプロン。 「それより、夕食ももう出来ますし、食事でもとりませんか」 「お前、料理なんか出来たのか」 「簡単なものですけど」 俺はスーツを上着を椅子に掛けて、調理中と思しき鍋をのぞきこんだ。 どうやらシチューらしいのだが、野菜がえらくごろごろとデカイ。 肉なんかほとんど切ってないだろ。 考えてみればこいつは、顔に似合わず乱暴な字を書くような奴だった。 料理も豪快な男の料理になるんだろう。 とりあえず匂いからしてまずくはないんだろうが。 「……不満そうですね」 夢の中くらい、もう少しいい思いが出来てもいいと思うからな。 願わくば、こんな夢が長引かないといいんだが。 俺のため息に古泉は苦笑しただけだった。 その夜である。 いい加減寝ようと寝室に入った俺と古泉は、話し合いとじゃんけんの結果、俺がベッドで、古泉が床で寝ることになった。 スペースさえあれば一緒にベッドで寝てやってもよかったんだが、古泉のベッドはシングルサイズだ。 男同士密着して寝るのは不快以外の何物でもない。 ソファで寝てもよかったんだが、長門に言われた忠告とも思えない発言を古泉に言っていたため、反対されたのだ。 何があるか分からないからと。 これで危ないのがお前と一緒にいることだったら、余計に危なくなるってことだな。 「そんなことがありえないと分かってて言ってるんでしょうね?」 当たり前だ。 「それを聞いて安心しました。ここしばらくの間に培ってきたあなたとの友情を全否定されたのだったらどうしようかと思いましたからね」 わざわざそう言う発言をするなよ、気色悪い。 と俺が毒づいた時、俺の携帯が鳴った。 メールだ。 発信者は……誰だ? 覚えのないアドレスに訝しみながら開くと、簡潔に近くの公園への呼び出しが書いてあった。 交渉に応じよう、といったことも書いてある。 署名も何もないが、おそらく署長こと真犯人からなのだろう。 俺は嘆息しながらもベッドから這い出し、古泉に止められた。 「どうしたんです?」 「多分犯人殿から呼び出しだ。ちょっと行ってくる」 「僕も行きます」 なんでだよ。 「長門さんに気をつけてと言われたことをお忘れですか? 僕はそんな状況であなたを放って置けるほど冷血漢ではありませんよ」 まあ、その方がいいかもな。 ここまでの流れから考えて、夜中の呼び出しはおかしすぎる。 どう考えても穏やかなものじゃないだろう。 下手すりゃ死亡フラグだ。 「それだけ分かってるなら、自分から僕を誘って行く位のことはしてください」 お前を誘うのなんかうちに来いという時とコーヒーを買いに行く時だけで十分だ。 「余裕ですね」 所詮夢だからな。 「夢の中で死ぬとどうなるのでしょうね。そのまま目覚められなくなったりするのでしょうか」 恐ろしいことを言うな。 それで行くと朝比奈さんはもうアウトじゃないか。 「彼女の心配は要らないでしょう。おそらく、彼女は眠ってないんですよ。だから夢の中にいない。それだけのことです」 だといいんだがな。 「それより、行きましょう。あまり待たせてもよくないでしょうから」 と言うわけで俺たちは表に出られる服装に着替え、部屋を出た。 エレベーターで一階に下り、マンションを出る。 そうして公園の方へ歩きだそうとしたところで、目の端に何か光るものが見えた。 「危ない!」 と言ったのは古泉だろう。 俺が言ってないんだから。 次の瞬間俺は地面に叩きつけられるように倒されていた。 聞こえるのは走り去っていくバイクの音くらいだ。 「大丈夫ですか?」 俺に覆いかぶさるようになっていた古泉が言った。 「ああ。お前は?」 「大丈夫です。――ナイフが見えましたか?」 ちらっとな。 しかし、それだけでナイフと判断できるほど、凶器としてのナイフに慣れちまってるのは嘆かわしい事実だな。 それに、ナイフで狙ってくるのは朝倉の専売特許だと思ってたんだが、どうやら違うらしい。 「他に怪我は?」 すり傷くらいだ。 「…すみません。僕も気が動転してしまいまして」 刺されるのに比べたらどうってこともないだろう。 で、顔は見たのか? 「残念ながら…」 と古泉は首を振った。 まあいいだろう。 言ってみたら正解ルートを選んだ証明みたいなもんだからな。 次の朝は電話で叩き起こされた。 時刻は午前六時。 非常識な電話の主は当然ハルヒである。 「なんだ?」 半分寝ぼけたまま俺が出ると、ハルヒは大声で絶叫した。 「でかしたわキョン!」 絶叫した割に楽しそうな声だ。 「何の話だ?」 「あんたが持ってった髪の毛、現場にあったタバコの吸殻の主と同じよ。どこで見つけたの?」 見つけたのは署長室だが。 「はぁ?」 俺はハルヒに署長の髪の毛をいかにして採取したのかを説明した。 そうするに至った経緯は当然正直に説明できるはずもないので、適当に捏造したものだ。 わざわざ署長が乗り出してくるのがおかしいとか言ってやったんだったかな。 ハルヒは一々相槌を打ちながら聞いていたが、話を聞くうちに興奮してきているのが電話越しでも十分分かった。 俺が昨日襲われたことを説明すると、流石に驚いたようだったが。 「あとはあたしに任せなさい」 俺の話を聞き終えたハルヒは力強く言った。 「あんたの友達の無実を証明して、あの署長を豚箱に放り込んでやるわ!」 「ああ、任せる」 その方が楽だからな。 「朗報を待ってなさい!」 楽しそうに言って、ハルヒは電話を切った。 俺も携帯を閉じ、体を起こした。 古泉のベッドは柔らかくて上等だ。 羨ましい。 床で寝ている古泉へ蹴りを入れて、起こしてやろうとしたところで、頭が揺れるような感覚に襲われた。 どこか覚えのある感覚――ああ、朝比奈さんと共に時間移動をする時の感じに似ているのかもしれん。 俺は耐えかねて目を閉じ、眩暈をこらえた。 それがおさまるのを待って目が開けると、そこは古泉の部屋ではなかった。 いつも通りの、SOS団のアジトこと、文芸部室だ。 どうやら俺たちは長机に突っ伏して寝ていたらしい。 俺は窓際に目を向ける。 長門はいつも通り本を読んでいるが、夢の中にいたということはあいつも眠り、夢を見るんだろう。 「長門、いつ起きたんだ?」 俺の問いに長門は短く、 「あなたの起きる約64秒前」 と答えた。 朝比奈さんは部室に来なかったのだろう。 だからこそ意識のある役ではなく、死体役だったのかもしれない。 俺がそう思いながら視線を前に向けると、古泉が顔を上げた。 「おはようございます」 「俺より遅かったな」 「ほとんどタイムラグはないと思いますよ。あなたと長門さんとの会話は聞こえてましたから」 ちょっと、目覚めが悪い方でして、と古泉は苦笑した。 となると後はハルヒだけだが、こいつはどうもしばらく起きそうにないな。 俺は立ち上がり、 「眠気覚ましにコーヒーでも買いに行くが、お前も行くか?」 「お供しましょう」 と答えて立ち上がりながら、古泉は笑って言った。 「僕に掛けられた疑いを晴らしていただいたお礼に、コーヒーくらいでよろしければ奢りますよ」 それはありがたいな。 ところで古泉。 「はい?」 ピンクのエプロンはやめたらどうだ? 「……考えてみます」 答えた表情が微妙に引きつっていた。 俺が思ったより、古泉はピンクのエプロンに執着があるのかもしれない。 誰にもらったのか問いただしてみるのも面白いだろうな。 そして俺たちがコーヒーの紙コップをひとつずつ空にして部室に戻ると、ハルヒが長門を相手に今見ていた夢について大いに語っているところだった。 「これを映画化してやろうかしら」 とかなんとか不穏な発言をしてもいたが、長門ユキの逆襲よりはずっとマシだろうと思った俺は黙っていた。 ハルヒも、退屈しのぎがしたいなら、想像を現実に持ち込まずに、今回みたいに夢の中で済ませればいいんだ。 それなら俺たちの負担もいくらかは減る。 それに、たまにならこういうのも悪くないからな。 ハルヒに褒められるのも、古泉に頼られるのも。 |