親睦



「こんにちは」
「ああ」
いつもと同じような感じで古泉が言い、俺も答えたが、状況はいつもと随分と違っている。
今日は平日ではないし、ここは駅前のいつもの待ち合わせ場所でもない。
今日は日曜で時間は午後1時半、場所は俺の家の玄関だ。
ついでに言い添えるならば、いつぞやこいつが俺をあの灰色の不快な空間に連れ込んだ時のようにアポなしでもなく、れっきとした客として、そして俺の友人として、着ているのだ。
それにしても、まさかこいつを友人と呼ぶ日が来るとはね。
人生分からないもんだぜ。
古泉は手に下げていた紙袋を差し出しながら、
「これ、お土産です。皆さんで召し上がってください」
「悪いな」
「いえ、お気に召していただけたら嬉しいのですが」
お気に召すも何も、妹が好きなお菓子じゃないか。
それも遠方の土産物なので滅多に妹の口に入らない物だ。
機関ってのは俺だけを調査したんじゃなくて妹の嗜好品まで調べ上げたのか?
「それはご想像にお任せします」
と古泉はそつのない笑みを浮かべて見せた。
俺は笑みを返してやりながら、
「ただの偶然だって素直に答えたらどうだ?」
「お見通しなら必要はないでしょう」
「それもそうかもな。まあ上がれ」
俺は古泉を連れて自分の部屋に入った。
適当に古泉をベッドに座らせてやりながら、
「コーヒー、緑茶、紅茶、オレンジジュース、あと、野菜ジュースもあったかな。どれがいい」
「どれでも結構ですよ。手間のかからないもので」
わざわざ列挙してやったと言うのにそう言われた。
お前、いつからそんな殊勝になったんだ?
「僕はもともと殊勝な方ですよ?」
「そうか。じゃあ水道水、しかも氷なしだな」
「そ、それはちょっと…」
ざまあみろ。
「嫌なら言ってみろ。どれがいい?」
「それでは…オレンジジュースをお願いします」
「分かった」
俺は古泉を部屋に残して台所へ向かった。
途中、玄関に置いておいた古泉の土産を回収しようと思ったのだが、すでに妹がそれを発見していた。
目敏い奴だ。
「キョンくん、これどうしたのー?」
目をきらきらさせながら聞いてくるのは、俺のであるのならば奪い取ってやろうと言う魂胆に基づいてのことなのだろう。
まったく、妹というのはかわいいものだな。
泣けてくるぜ。
「古泉が持ってきたんだ。食べてもいいが、ちゃんとお礼を言いにいくんだぞ」
「分かったー」
きゃっきゃと袋を抱えこんだ妹に目を細めながら、俺は台所に入った。
適当にジュースを注ぎ、お盆にも載せずに持って行くと、古泉が所在なさげに座っており、思わず吹き出した。
「な、なんですか、いきなり…」
なんでもない、と言いつつ笑いの発作は収まらなかった。
想像してくれ。
あのいつも平静としていて、お前、本当は年齢詐称してるだろと言ってやりたくなるような古泉が、初めて彼女の家に挨拶に上がった男みたいに居心地悪そうにしている姿を。
それも、ただの友人に過ぎない俺の部屋でそうなってるってことを考えに入れていただきたい。
笑えてこないか?
「友人の家を訪ねるというのも随分久し振りなもので」
と古泉は苦笑しながら弁明した。
だが古泉よ、その発言はちょっと卑怯じゃないか?
お前がいつぞや吐露した話によれば、お前が人間不信に陥ったのはハルヒのせいだ。
その人間不信のせいで緊張しているのだと言われてしまえば、笑ってしまった俺はどうなる。
ただの酷い奴じゃないか。
だから、言ってやろう。
「それは理由にならん」
「そうですか?」
と困ったような笑み。
薄幸そうに見えるから止めておけ。
「そうだ。お前が無駄に緊張してるのはただ単にお前が臆病者だからだ」
「そうかもしれませんね」
俺はうんうんと頷き、
「大体、朝比奈さんのお宅や長門の家に行ったんじゃあるまいし、なんで俺の家でそこまで緊張するんだ?」
「僕が臆病者で、しかもこういったことに慣れていないからですよ」
そう古泉は皮肉っぽく笑ってみせた。
やれやれとため息を吐きながら、俺は言った。
「くだらない話はやめて、ゲームを始めるとするか」

そもそも、古泉を家に呼んだのは他でもない。
こいつがテレビゲームをやったことがないとのたまわったからである。
理不尽かつ奇妙奇天烈極まりない例の噂によって、古泉との間に妙な連帯感が生まれていたせいもあって、俺は快く古泉を招待してやったわけだ。
テレビにゲーム機を繋ぎ、さてなにをやるか、と思ったところで妹が部屋に飛び込んできた。
「古泉くん、お菓子ありがとう!」
嬉しそうなのはいいが口の周りが菓子くずだらけだ。
というか、いきなり言うことがそれなのか?
いらっしゃいとかこんにちはとか、言うことはいくらもあると思うのだが。
だが古泉は気にした様子もなく、いつもの仮面のような笑顔で、
「いえ、どういたしまして。美味しかったですか?」
「うん!」
と妹はご満悦だ。
「それはよかった」
心なしか古泉も満足そうである。
次に妹は広げてあったゲームソフトに目を向け、
「あーっ、キョンくんゲームして遊ぶの? あたしもやりたいー」
こういう時、兄として出来ることはふたつだ。
出ていけと追い出すか、諦めて付き合うか。
俺は古泉に目で問うた。
古泉は苦笑を浮かべてはいるものの、別に妹の乱入は気にしないらしい。
俺は諦めて、
「わかったわかった。ただし、古泉も参加できるのにするんだぞ」
「うんっ」
とソフトを漁り始めた妹が取り出したのは、平和なことこの上ないすごろく様のゲームであり、これなら初心者の古泉でも遊べるだろうと俺もゴーサインを出したのだ。
ところで、一般に、新しい物で遊ぶ際、いきなり遊んでみるタイプの人もいれば、とりあえず取扱説明書を熟読するタイプもいることは、誰しもご存知のことだろう。
俺はどちらかと言うと、とりあえずゲームをつけて遊んでみて、分からなかったら取説を読むタイプだ。
ハルヒあたりもそんな感じだろうな。
そうでなかったらひたすら適当にやってみるんだろう、あいつは。
長門は取説の、普通誰もが読まないような小さな字で書かれた注意書きまでじっくり丁寧に読みこむ気がする。
朝比奈さんならきっと、とりあえず取説を読むもののよく分からないままゲームを始めてしまい、取説を手放せなくなるに違いない。
で、ただいま俺の隣りで黙々と取説を読んでいる奴も、どうやら長門と似たタイプであるらしい。
物珍しそうに、コントローラーのボタンの名称まで読んでいるようだが……お前、本当にやったことなかったんだな。
「ええ」
答えながら、古泉は不恰好にコントローラーを手に取った。
取説は読みかけのまま、伏せてある。
妹が早くやりたがったため、途中まで読んでのスタートだ。
……どうでもいいが古泉よ、名前を「いっちゃん」で登録する理由はなんだ?
「理由は特にありませんが…」
「嘘吐け」
「ちょっと、童心にかえってみようかと思いまして。やっぱり恥ずかしいですね」
と古泉が名前を登録し直そうとしたところで妹が、
「いっちゃんでいいよー。かわいいもん」
と止めた。
古泉は一瞬表情を強張らせたものの、妹の機嫌を損ねるのはよろしくないとでも思ったのだろう。
「では、このままで」
と言った。
正しい判断だ。
まあ、そんな訳で適当にだらだらとすごろくを始めたわけだが、面白いくらい古泉が強かった。
ルーレットの目も、止まるマスも、ありえないくらいいいものばかりで、どれだけ運がいいんだと途中からは笑うしかなかった。
「お前、実際どこかで元手作って転がしてみたらどうだ? これだけ運が強いんだったらいける気がするぞ」
結果を見ながら俺が言うと、古泉は苦笑して、
「現実ではこうはいかないでしょう。普段の僕が幸運の持ち主であるように思えますか?」
「全くもって思えないな」
「つまりはそういうことでしょう」
そう古泉は笑ってみせた。
それからまた色々なゲームで遊んだ。
格ゲーもアクションも古泉はなかなか上手かった。
ただおかしかったのは、レーシングゲームをした時に、古泉が左右に体を傾けながらやっていたことだ。
「古泉、ボタンを押すだけでいいんだぞ」
笑いを堪えきれないままそう言ってやると古泉はあたふたと、
「つ、つい傾いちゃうんですよ。やろうとしているわけでもなく、また、止めようとしていないわけでもないんです。ありませんか? こんなこと」
そんなことを言っている間に、妹命名の「いっちゃん号」はカーブを曲がりきれず、壁にぶつかったのだった。

ああだこうだと過ごしているうちに、夕方になり、古泉も帰る時間になった。
夕食を食べて言ったらと言ううちの母親に如才なく、しかし明確に断りをいれながら、古泉は玄関を出る。
それへむかって妹が、
「いっちゃんまた来てね〜」
と手を振った。
おいおい、随分懐いたんだな。
でもお兄ちゃんは古泉みたいなやつとの交際は一切認めません。
などと俺が考えていると見抜いたわけではないのだろうが、古泉は困ったように俺を見てきた。
何だお前?
あれくらいのことにも自分の意思では答えられないっていうのか?
俺は呆れ、それからそのあまりにも子供っぽい表情に笑いながら、
「また来いよ、古泉」
といってやると、古泉はあからさまなほどほっとした笑みを浮かべ、
「ええ、是非」
そう俺と妹に向かって答えた。
帰っていく古泉を門扉のところで見送りながら、その背中がどこか楽しそうだと思ったのは、俺の思い違いだろうか。