違和感



空からは白い雪が降り、風がごうごうと吹く、冬休みのある日のことだった。
寒さを感じながら外に出たのは、寒いってのに妹がアイスを食べたがったせいだ。
よりにもよってリクエストの物が品切れで、俺はかなり歩く破目になった。
まったく、どうして妹ってやつはいくらでもわがままをいうんだろうな。
思わずため息を吐いた時、見覚えのある黒塗りの車が見えた。
機関の車だろう、と思ったら、それがすぐ目の前のマンションに止まった。
中から下りてきた古泉を見て、俺は思わず塀の影に身を潜めた。
隠れる必要はないだろうと思われるかもしれないが、その時のあいつを見たら俺じゃなくても隠れるか逃げ出すかあるいは呆然と立ち尽くすかしただろう。
それくらい、古泉はいつもと違っていた。
降ってくる雪がダイアモンドダストに変わってるんじゃないかと思うくらい、冷たい空気。
目は長門以上に感情を感じさせない。
タクシー運転手の姿をした新川さんは新川さんで、俺たちに見せていたのとは全く違う、どこか冷徹な印象を与える表情で言った。
「彼等と親しくしているようですが、これ以上は危険ではありませんか」
「親しく?」
古泉は冷笑した。
「僕が、彼等と? 何の冗談です」
まるで何度も演じてきた芝居を、今また繰り返すかのように、古泉は言った。
「僕の役目は涼宮ハルヒを監視し、出来るようであればその暴走を止めること。――その僕が、どうして彼等と仲良しこよしでいられるというんです? 全く、あなたらしくもなく、つまらないことを言うものですね」
いつになく刺々しい言葉を吐き、大仰に肩を竦めて首を振る古泉に、俺は違和感を感じていた。
不本意ながら、俺はあいつの言動に慣れてしまい、あいつが嘘を言っているのかどうか、大体察することが出来るようになってしまっている。
場合によっては、あいつの考えも読める。
その自信は、今、目の前で繰り広げられている現実感のない芝居を見ていても揺るがない。
古泉は、嘘を言っている。
だが、何故だ?
どうして機関に嘘を言う?
それが、分からなかった。
新川さんはそれ以上古泉に何も言わず、去っていった。
古泉はそれを見送り、マンションの方へ足を向けた。
「おい」
声を掛けたのは、分からないままで放っておくのが嫌だったからだ。
古泉は驚いたように振り返り、そして、いくらかぎこちないものの、いつものように微笑んだ。
「おや、珍しいですね」
「お前、体調でも悪いのか?」
俺が問うと、いよいよ古泉は困惑したようだった。
「どうしてそう思われるんです?」
「お前らしくなかったからだ。それとも、いつもああなのか?」
古泉は静かに苦笑して言った。
「……上がって行かれませんか?」
俺は黙って頷いた。

通された部屋は随分と殺風景だった。
モデルハウスだってもう少し物はあるだろう。
いや、ここが空っぽだというのではない。
ただ、無駄なものがなかったのだ。
あれだけ部室にゲームを持ち込むくらいだから、家に置いてあるのかと思っていたのだが、そういうことではないらしい。
あのゲームももしかすると、古泉曰く「キャラ作り」の一端なのかも知れないが。
それでもゲームをやっている古泉は楽しそうに見える。
少なくとも、あの、マンションの前に立っていた時よりはずっと。
「コーヒーでかまいませんでしたよね?」
言いながら、古泉は俺の前にカップを置いた。
俺を部屋に上げたということは、話をする気があるということで間違いないだろう。
「そうですね。…ここなら、一応プライバシーは守られますから」
まるで、他の場所じゃ守られないような口ぶりだな。
機関はそんなに広いネットワークをもってるのか?
「それは言わないでおきましょう。知らないでいた方がいいこともありますから」
そうかもな。
自分の部屋に盗聴機が仕掛けられてるなんて言われた日にゃ、たとえ嘘でも気分が悪いし、お前の口から言われたら気分が悪いではすまないだろうしな。
「すみません」
それで、一体なんだったんだ?
体調は悪く無さそうだが。
そう問うと、古泉は軽く鼻を鳴らした
「あれがいつものことというだけのことです。…理由も、お聞きになりたいですか?」
俺は噂話をして喜ぶような性格じゃないし、詮索好きでもない。
だが、古泉は俺に話を聞いてもらいたいように見えた。
俺が黙って頷くと、古泉は、
「ありがとうございます」
と答え、どこか寂しい笑みを浮かべ、静かに話し始めた。


僕はかつて、ごく普通の子供でした。
大人しくて、手の掛からない、いわゆるいい子でしたね。
両親にも友人にも恵まれて、楽しく過ごしていた……はずです。
自信を持ってそう言えないのは、三年前のことがあるからです。
あなたにも、お話ししたでしょう?
「この世界は三年前に創造されたものかもしれない」と。
両親も友人も、楽しかった思い出も全て、一瞬のうちに創られた物であるかもしれないと、考えてみてください。
まだ中学生になったばかりの子供には、耐えられないほどの恐怖でしたよ。
僕は誰も信じられなくなりました。
いえ、それは正確な表現ではありません。
何とも関わりを持ちたくないと思ったのです。
同い年の少女が最高の権力を握り、僕たちの命を握っている恐怖の中でのうのうと過ごせるほど、僕はのんきではありませんでしたから。
閉鎖空間が発生するたび、僕は他の誰よりも早くそこへ向かい、神人に挑みかかっていましたが、それも、自分の苛立ちを、恐怖を、ぶつけたかったからに過ぎません。
あの頃の僕は、まるきり狂犬のようでした。
それでも機関は、僕を使える手駒と見なしました。
僕を飼い馴らそうとしてか、僕が望むように、僕がひとりで暮らせるように計らい、家族との断絶を叶えてくれました。
それでも僕は、この、夢のようにいつ消えるとも分からないこの世界を守ろうと足掻きながらも、彼女を神と崇めるしかない彼等に苛立ちを抑えられませんでした。
それは今も同じです。
だから僕は彼等を上司部下の関係であると思いはしても、仲間だとは決して思えないのです。
その僕が、こうして彼女の近くにいるのは、僕がうってつけだったからです。
世界の存在が揺らぐ中、僕は既存の哲学に縋ってみたのです。
古今東西を問わず、あらゆる哲学書を読みましたよ。
それでも、僕の心に平穏はありえませんでしたけれど、それ故に僕はこの通り、理屈っぽくなりました。
口が立ち、情に流されず、機関に忠実なもの。
それこそが、彼女が望む、そして機関が望む、神の監視役であり、僕のあるべき姿だったのです。
そう思うと、ああしてあらゆる本を読み漁ったことも、既に定められていたことだったのかもしれません。
彼女によって、あるいは機関によって。
それから僕は、あなたもご存知の通り転校し、SOS団に入りました。
身近で涼宮さんを見て過ごすようになって、僕の中から少しずつ、平凡な日常を奪われたことに対する憎しみは減っていきました。
完全になくなることはないかもしれませんけれど、限りなく0には近づいているのです。
もっともそれは――あなたのおかげかもしれませんが。
――そんな、変な顔をしないでくださいよ。
妙な意味ではありませんから。
……失礼ながら僕は、あなたに、あるいは朝比奈さんや長門さんにも、同じ被害者としての意識のようなものを感じているのです。
涼宮さんに振り回されてしまうという星の下に生まれたということでね。
同病相憐れむという言葉が一番あっているかも知れません。
だから、僕にとって仲間と言えるのはSOS団だけなのです。
…ただ、長門さんにも朝比奈さんにも、SOS団の他に属する、より大きな組織がありますから、その行動は多く制限され、あるいは操作されることが考えられます。
だからこそ僕は、裏もなければただまっすぐに僕を見てくれるあなたのことを、最も信頼しているんです。
同時に、あなたといる時が一番安心できるのですよ。
つまり、


「僕にとって、やっと手にすることが出来た心の平安とは、あなたなんです」
そんなことを面と向かって言えるこいつは、恥ずかしい奴であると同時にかなり痛々しいのだが、その言葉に嘘はないのだろう。
間違いなく本心であると俺に告げるように、古泉の表情は泣き笑いの形に歪んでいた。
これ以上、そんな顔を見ていたくなくて、俺は口を開いた。
「その割に、俺と話す時は妙に回りくどく、しかも敬語で話すんだな」
仲間だと思っているなら、もう少し砕けた話し方でもいいんじゃないか?
「これは性分です。三年前よりも前も、こうでしたしね。少なくとも、僕の記憶の中での話ですが。それから、回りくどく話すのは、僕なりにコミュニケーションをとりたいと思っているからですよ。少しでも長く、あなたとの会話を楽しみたいんです」
気色悪い奴だ。
「嫌な相手なら、一言多く話すのも嫌なんです。その証拠に、僕が涼宮さんと話し込むことなんて、ないでしょう?」
俺は古泉の、一見人好きのする、しかし実際は裏があると主張するような笑顔を見つめて呟いた。
「お前って、偽悪者だよな」
本当は口で言うほど機関を嫌ってもいなければ、ハルヒを恨んでもいないくせに。
そうやって嘘をついて自分を誤魔化すのはくせなのか?
「さあ、どうでしょう?」
にっこり笑った古泉に、俺は苦笑しながら目を逸らした。
うっかりと溶かしてしまったアイスの袋が目に入る。
新川さんも、口ではああ言いながら、お前のことを心配してくれてるだろ。
俺は胸の内でそう呟きながら、新川さんが去り際に、俺に向かって目礼を残していったことを思い出していた。