部室に行くと、いつもながらの眺めが広がっていた。 つまり、長門は部屋の隅で本を読み、ハルヒはつまらなさそうに頬杖をつきつつパソコンのディスプレイを眺め、朝比奈さんはメイド服姿でいそいそとお茶を淹れていたということだ。 例外が古泉で、ハルヒの持ちこんだ「備品」の山を漁っていた。 それを見た俺は、いつもの場所に荷物を置きながら、 「将棋の駒なら本棚に載せたぞ」 古泉は顔を上げ、苦笑した。 「すみません。…ああ、これですね」 木で出来た小さな箱を手に、古泉は軽く小首を傾げて見せた。 言いたいことはなんとなく分かる。 俺は頷き、将棋盤の用意を始めた。 それから、朝比奈さんが淹れてくださったありがたーいお茶をすすりつつ、下手な将棋を指していると、不意に古泉が盤上から目を離し、俺を見た。 「一緒には…いらっしゃいませんね」 俺は盤上を見つめたまま、軽く頷く。 「残念です」 答えながら、古泉は立ち上がり、 「ちょっとコーヒーを飲んできます。どうも眠気が抜けなくて」 などと苦笑しながら部室を出て行った。 俺は残された盤上を睨みつつ、三手先にある勝利を見据えていた。 それへ、ハルヒが、 「ねえ、あんたと古泉くんってそんなに仲良かったっけ?」 別にさして良くもないだろう。 だからと言って、悪くもないとは思うが。 「そう?」 ああ。 付き合いなら谷口と国木田の方がよっぽど長いし、会話もあいつらとする方が多い。 あいつとなんかここで話すくらいだぞ。 なんでそんなこと思ったんだ? 「だって、あんたたち、さっきから変な会話ばっかりじゃない」 変? 「そうよ。あんたは聞きもしないで古泉君が探してる物を当てちゃうし、古泉くんは古泉くんで、用件も何も言わずにあんたの答えを分かっちゃってるじゃないの。何十年も連れ添った夫婦みたいだわ」 気色の悪いたとえをするな、鳥肌が立つ! ぶるりと身震いしながら俺はハルヒから目を背けた。 嫌な雲行きになってきたことをひしひしと感じながら。 とうとうハルヒがとんでもない爆弾を投下したのは、古泉がコーヒー片手に部室に戻り、再開された将棋では古泉の負けが確定してからのことだった。 「まさかとは思うけど……あんたたち、付き合ってんの?」 はっ? 毎度のことながら、いきなり何を言い出すんだ、こいつは。 そんなこと地球の自転が止まってもありえないっつうの! 「ありえませんよ」 思わず叫んだ俺と同時に古泉も、やんわりとだがきっぱりと否定した。 しかし、それもハルヒのお気に召さなかったらしい。 幸い、と言うべきか、俺と古泉にまつわる、非常に不本意かつ胸糞悪い噂は、未だハルヒの耳には届いていないようだ。 もし知っていたとしたらこの程度の冷たい目じゃ済まなかっただろう。 じとりと俺たちを睨み据えながら、ハルヒは断罪者のように言う。 「本当に?」 本当だ。 「本当です」 む、また声が揃っちまった。 ハルヒの表情が険しくなる。 危なくないか? これ。 古泉もまた微妙に表情を強張らせながら抗弁した。 「どうしてそう思われたのか、お聞きしてもよろしいですか?」 「だって、古泉くんとキョンって見ててすごくアヤシイのよ」 論理的に話そうとする古泉に対して、ハルヒはいきなり感情論をぶつけた。 さて、どちらが勝つかなと俺は既に観戦モードに入る。 もっとも、古泉が口で負けるはずはないんだがな。 「アヤシイとは、どういうことでしょう」 「見てて、なんかすっごく信頼してるのが分かるのよ。やりとりは最小限だし、そのくせ以心伝心って感じがするし」 「信頼と言うなら、涼宮さんと彼に勝る者はいないでしょう。彼は本当に凉宮さんのことを分かっていますよ」 「……そうなの?」 「保証します。――僕たちが凉宮さんの仰るようにアヤシく見えるとするならば、それはおそらく、僕たちがよく一緒に何かしたりしているからでしょう。しかしそれも、他の方々と関わり辛いからですよ。SOS団の女性陣は皆さんお綺麗ですから腰が引けてしまうので」 「そういうものなの?」 「そういうものです」 俺の意見を聞きもせず、古泉は決めつけたのだった。 その日の帰り道、歩調を合わせるようにしてハルヒたちからいくらか距離を取った俺は、隣を歩く古泉に言った。 「今日は本気で冷や冷やさせられたな」 「全くです。涼宮さんのお耳に例の噂が入っていなかっただけマシでしたが、小規模な閉鎖空間は発生しましたよ」 だが、お前が行かなくても大丈夫なくらいだったんだな。 それなら改めて話題にするまでもないだろうと、俺は別の話題を口にする。 「お前、さっさと誰かとくっついたらどうだ? 校内にも協力者はいるんだろ? お前と偽装恋愛なんて言ったら飛びついてくる女子のひとりやふたり、いるんじゃないのか?」 「それは、どちらかというと僕のセリフですね。あなたが涼宮さんと付き合えば全て解決ですよ。そうすればおそらく、凉宮さんの精神状態も安定して、僕たちの出番も減るでしょうしね」 なんでこれ以上厄介ごとを背負い込まなきゃならんのだ。 そう、抗議を込めて睨みつけてやると、古泉は大袈裟に肩を竦めて見せた。 そのオーバーアクション――前々から思っていたんだが、お前、実はイタリア人じゃないのか? 口には出さずに思う。 が、古泉にはばれたらしい。 「少なくとも数代遡っても、イタリア人の親類はいませんよ。遠縁の誰かがイギリスに嫁いだような話は聞きますけどね。それも噂レベルの話です」 思考を読むなよ。 「失礼」 ――などというくだらない会話はともかく、あらためて、考えてみよう。 俺は――古泉たちの胡散臭い発言を信じるならばという前提がつく話だが――ハルヒが許さない限り、ハルヒ以外とは恋愛も出来ないらしい。 しかし俺はハルヒを恋愛対象として見る気もない。 それはつまり、俺は恋愛も出来ないと言うことで。 そう思うと、古泉に彼女が出来るというのは、たとえ偽装でも腹が立つことだった。 「やっぱ止めろ」 「やっぱり止めてください」 ――今日何度目のハモりだろうな。 思わず笑ってしまう。 古泉も作り物ではないらしい笑みを浮かべ、 「今日は本当にどうかしてますね。バイオリズムが合っているということでしょうか」 俺が知るかよ。 だが、止めろと言ってくれたのは有難かった。 「これ以上、我々の都合であなたの人生を振り回すわけにもいきませんから」 と古泉は本心から言う。 それが分かるくらい、こいつに慣れてしまっている。 俺は苦笑しながら、 「俺が言った理由も分かってるんだろ」 「なんとなくですが。……僕に彼女が出来るのは同い年の男として腹が立つ、というところでしょう?」 「当たりだ。お前の理由と違って下世話で悪かったな」 本当に今日は面白いくらいいい当てられる日だ。 「いいえ。僕もいくらかは思いましたから。涼宮さんのように魅力的な女性と付き合うあなたを想像するだけでも羨ましくてならなくなりそうだとは」 お前、ハルヒみたいなのが好みなのか? 「世間一般を考えると、涼宮さんが魅力的であると言うことは黄金律並に不動のことでしょう?」 見た目だけならな。 「手厳しいですね」 そうして俺たちは、女がどうのという話をしながら帰った。 古泉とそんな話をするようになるとは、ちょっと前までは思いもしなかったんだがな。 慣れってのは怖いもんだ。 なお、ハルヒが俺たちに持った疑いはどうやら、暇を持て余していたがために生じたものだったらしく、その後は何も言われなかったことを付け足しておく。 |