「キョン、お前、9組の古泉と付き合ってんのか?」 これはもう弁当のサバが古かったんじゃないかと疑うしかないような谷口の唐突な発言に、俺は口に含んでいたお茶を吹き出しかけた。 辛うじてそれは堪え、弁当が台無しになると言った大惨事は避けられたのだが、その代償はなかなか厳しく、俺は死ぬほど咽る破目に陥った。 げほげほと咳き込む俺に、谷口はとんでもないことを言いはじめやがった。 「やっぱりか。あれだけいい女の揃ってる中にいて、つるんでるからそうかもしれないとは思ってたが、まさかキョンがな――」 おい! 勝手に勘違いするな! 「違うのか?」 違うに決まっている。 俺と古泉が付き合うなんてことは天地がひっくり返ってもありえん。 少なくとも俺はあいつに恋愛感情を抱いたりはしない。 俺からすれば改めて考えるまでもないことだが、あいつは確かに顔もいいし成績だって優秀かも知れんが、言葉遊びめいた訳の分からんロジックに固執したり、回りくどい言い回しを極めてみたりしようとするような奴だぞ。 その上――これは谷口には言えないが――、あいつの背後には妙なバックボーンが控えてやがる。 くわえて言わせてもらうが、俺があいつとつるんでいるのも好き好んでのことではない。 他に選択肢がないんだ。 長門とはまず会話にならんし、読書の邪魔をするのも悪い。 朝比奈さんはお茶を淹れるのに忙しい上、そもそも共通する話題がまずないときた。 ハルヒと余計な話をすると後で痛い目に遭うことも学習した。 それなら、暇で退屈でゆえに平穏無事な放課後をつつがなく過ごすには、あいつとつるむしかないだろう。 大体、女子ばっかりの空間の居心地の悪さがお前に分かるのか? ハルヒは男の存在など無頓着に振舞うことが少なくなりこそすれ、全くなくなったわけではないし、朝比奈さんに至っては学校中のアイドルだ。 長門だってそれなりにファンがいると漏れ聞く。 うっかり親しくして世界崩壊、もとい、村八分なんて目には遭いたくない。 特に、朝比奈さんには俺も含め、どんな男とも付き合うことなく、輝かしい偶像のままでいてもらいたいと思う。 それより何より、俺は男であいつも男だ! 「今時、ホモって意外と珍しくないって言うよね」 古泉並に表情を変えず、弁当を食べ進める箸を止めもせずに国木田は淡々と言った。 お前まで俺の敵に回ることはないだろうに。 この裏切り者! 「回りくどい言い回しをするのはキョンも一緒だし」 それはそうかもしれんが、だからといって付き合っていることになるなら、お前らだってそうなるんじゃないか? 「僕たちの場合はキョンたちとは違うだろう? キョンたちとは違って、他にも友達はいるんだし」 じゃあ聞くが、俺はお前等と友達じゃなかったのか? 「友達だよ」 「そうに決まってんだろ。わざわざ言わせるなよ。恥ずかしい奴だな」 谷口、うるさい。 それならなんで俺だけホモ扱いされにゃあならんのだ。 理屈が通らんだろうが。 「だって、ねぇ?」 「なあ?」 顔を見合わせる国木田と谷口。 ……お前らを見てると俺たちにだけそんな疑惑を囁かれるのが不公平に思えるぞ。 俺の呟きを無視して、谷口が言った。 「お前さ、毎日放課後に何やってんの?」 何って……それが何か関係あるのか? 「大アリに決まってんだろ。あんな、何やってんだか分かんねぇようなところに毎日嬉々として通ってやがるから、何が楽しいんだって疑問に思うんだよ。ああ、俺の話じゃねぇぞ。他の連中だ」 お前も多少思ってるんだろう。 というか、嬉々としてってのは語弊があるぞ。 「それは置いとけ。とにかくだ。あの妙な集まりの活動が楽しいと思えない以上、他に何かあるって勘繰るもんだろ。けど、涼宮が恋愛対象としてなりえないのは周知の事実だ。朝比奈先輩も鶴屋先輩がついてるからない。長門有希はまともなコミュニケーションを取ろうともしないからなんとも言えんが、お前に対してだけ活発に喋ってみせたりするのは想像も出来ん。つまりは、」 消去法か。 何かあるにしてもそれをすかさず恋愛系統の話にする必要もないだろうに、とげんなりした俺に、谷口は頷いた。 「実際、お前と古泉って妙に引っ付いてたりするだろう。クラスの奴等とは当たり障りのない話しかしないってのに」 それは初耳だな。 あいつのことだからクラスでもどうでもいいことをくっちゃらべっているものだと思ったが。 「まあ、特進コースだからもともと愛想のいい奴は少ないけどな。その中でも壁を作ってるタイプって話だ。あのルックスだから告られたりもするらしいが、どれも断ってるって聞くし」 待て。 もしかしてそれのせいじゃないのか? 「あん?」 「そうかもしれないね」 飲み込みの悪い谷口と違って、頭のいい国木田は俺の言いたいことを理解してくれたらしい。 「女の子ってどうしてかホモとかそういうネタが好きみたいだし。僕の知り合いにもいるよ。女の子を振ったら翌日には、学校中に知れ渡るくらい、ホモだって噂をばら撒かれた奴」 ご愁傷様としか言いようがないな。 「そうだね。でも、酷い振り方をしたらしいから、自業自得なんだけど」 酷い振り方か。 ……それを古泉がしたって可能性はあるな。 あいつと来たら、ぱっと見の印象や立ち居振る舞いではフェミニストなように見せかけて、実はそうでもないし、ハルヒにはイエスマンと化すが、俺に対しては全然違う。 妙に饒舌になるかと思ったら、いきなり無口になったりもする、非常に扱い辛くて面倒な奴だ。 考えれば考えるほどありうる。 しかし、あいつの外見と人当たりのいい言動を考えれば、女子から告白された経験も一度や二度ならずあるだろうとは思っていたが、実際にされていたとは。 しかも断ってるってのが頭に来る。 ――ああ、いや、そこはまだいい。 許す。 あいつにもあいつなりの事情があるんだろうからな。 だが、それならもっときれいにやれ。 後腐れを残すな。 放課後、締め上げてやろう。 そう結論付けた俺が顔を上げると、谷口と国木田が珍妙な顔をして俺を見ていた。 「…お前さあ……」 「……本当に、付き合ってるんじゃないの?」 なんでそうなるんだ。 「それは困りましたね」 爽やかな笑顔で古泉が言った。 「僕としては危険なアルバイトをしている身ですし、詳しい事情をお話しすることも困難なので、丁重にお断りさせていただいていただけなのですが、そんな噂になってしまうとは」 厚顔無恥とはこういう奴を言うんだろうな。 「おや、心外ですね。どうしてそんなことを仰るんです?」 胡散臭い言葉を発する古泉に俺は本気で眉を寄せる。 「本気で言ってないだろ」 校内の噂なんざ、お前、いや、お前たちにはラジオの周波数を合わせるよりも簡単に聞けるはずだ。 このことだって、俺の耳に入るより前に掴んでいたはずだ。 それをあえて放っておいた理由はなんだ。 「取るに足らないものだと思っていましたので」 きざったらしく肩を竦めながら、悪びれもせずに古泉は答えた。 「実際には僕のファンを名乗る女性に詰め寄られたり、廊下を歩いているだけで後ろ指をさされたりしたわけではないのでしょう?」 それはそうだが、俺の受けた、そしてこれからも受けるであろう精神的苦痛はどうなる。 「申し訳ありませんが我慢してください、としか言いようがありませんね。何しろ、僕とあなたが接触しているのはSOS団の活動範囲内だけなのです。これ以上接触を避けることは、涼宮さんの機嫌を損ねることに他なりません。それはお分かりでしょう」 それは分かるが、別に接触を避けるまでもないだろう。 火のない所に煙は立たぬ、だ。 火元もないのに無理矢理立たせた煙は、さっさと消えちまうさ。 根も葉もない噂話は雲散霧消するものだ。 「おや」 古泉は意外そうな声を上げた。 「てっきり僕との絶交宣言になると思ったのですが、そうはならないのですね」 当たり前だ。 不本意ではあるが、一応SOS団でハルヒに振り回され、否応なく苦楽を共にすることになっちまう仲間にして、それなりにお互いの立場を理解しあえる数少ない友人のひとりだからな。 「光栄ですよ。あなたにそう思っていていただけたとは」 茶化すな。 それとも何か? 怒った俺がお前をシカトし始めるとでも思ったのか? あるいはお前を相手に怒鳴り散らすとかか? それこそ、気色悪いホモのバカップルか何かにしか見えないだろうよ。 「その意見には賛成です。では、お互いに我慢するとしましょう」 ちょっと待て。 俺は立ち上がりかけた古泉の手を掴んで止めた。 「どうかしましたか?」 「お前なら、さっき言ったような方法を取らなくても、あの程度の馬鹿げた噂をなくすくらい簡単だろう」 「僕にそんな力があるとお思いですか?」 お前になくても、お前たちにはあるはずだ。 俺が言うと、古泉は困ったように笑ってみせた。 「『機関』を頼るように仰るのですね」 何か不都合なことでもあるのか? 「不都合と言えば不都合ですね。――正直なところ、『機関』も忙しくないとはいえない状態でして、これ以上負担を増やしたくないのですよ。この件は特に、僕とあなた、事情を知っている者だけにしか被害が及ばないであろうことでもありますからね」 ほう、俺なら巻き込んで構わんということか。 「いけませんか? あなたなら許してくださるかと思ったのですが」 そう言った古泉の目に滲む、ちょっとした馴れ馴れしさらしきものが、そう不快でもないのが妙な気分だ。 宇宙人に親愛の情を示されたらこんな気分になるんじゃないだろうか。 気味が悪いような、疑わしいような、そのくせ憂鬱感めいたものまで混ざった、みょうな気分に。 俺は少し考え込んだ後、おもむろに口を開いた。 「そうだな…許してやらんこともない」 ただし、 「ただし? なんでしょうか」 「昼飯でも奢れ」 古泉は一瞬ぽかんとしていたが、すぐに柔らかく笑った。 「畏まりました。でもそれって、噂を助長させませんかね」 そんなもん、明日食堂にでも行ってみりゃ分かるだろ。 |