友達



「よう」
と俺が食堂で声を掛けた相手は兄ちゃんでも長門でもなく、もっと言うならSOS団の正式な団員ですらなかった。
準団員、という扱いがいまだに継続中なのかどうなのか、よく分からないところではあるのだが、全くの無関係でもないはずの奴らだ。
つまり、国木田と谷口である。
国木田は学部が違うとはいえ同じ大学だからこうして会うことも少なくはないのだが、谷口とは久しぶりだ。
なにせ、こいつは高卒で就職しちまったからな。
谷口は慣れない大学に物珍しさが出てるらしく、きょろきょろと辺りを見ては国木田にたしなめられていた。
「やあキョン」
「おっせーぞ、キョン」
二人して大声でキョンキョン言うな。
「元気そうだな、谷口」
「まーなっ」
と変わらない底抜けの明るさで応じた谷口だったが、国木田はいつものにこやかな表情で、
「こんなこと言ってるけど、さっきまで会社が大変だって煩かったんだよ」
「言ってねぇよ!」
言ったんだろうな。
俺は笑いながら、
「まあご苦労さん。束の間の大学生気分でも味わえよ」
と言ってやった。
タダの茶だけを飲むのもなんなので、数少ないドリンクメニューからコーヒーを選んで席に戻ると、国木田と谷口はなにやら楽しげに話しこんでいた。
「何の話だ?」
「うん、みんな結構変わったなって話」
ほう。
「さっき、キョンが来る前に長門さんが来てね、楽しそうに歌いながらデザートを選んでたから、どれがお勧めか聞いてみたら、真っ赤になって逃げられちゃったんだよ。悪いけど、あとでキョンから謝っといてくれるかな?」
それは構わんが……あいつにも羞恥心はあったのか。
てっきり開き直ってるもんだと思ってたんだが。
「長門さんはほんとに明るくなったね」
「別人かと思ったぜ」
という谷口の意見には全く同意してやりたい。
「言っとくが、あれが本性だからな。…で、高校時代にAマイナーという評価だったと思うが、あれだとどうなんだ?」
「そうだな…」
冗談のつもりで聞いてみたってのに、谷口は真面目に考え込んだ後、
「あれくらいの方が話しやすそうでいいかもな。ってことでAプラスでどうだ」
「分かった、長門に伝えておいてやろう」
その結果お前に報復措置が取られても俺は知らん。
「大学生になって派手になった奴とかも多いけど、キョンも明るくなったよね?」
報復って何だ、と騒ぐ谷口を無視して国木田が言った。
「そうか?」
「そうだよ。高校時代には時々話しかけづらいくらい真剣に何か考えてたりもしただろ?」
よく見てるもんだな。
「たまたま目に入っただけだよ」
と言った国木田に、俺は小さく笑い、
「俺が明るくなったとしたら、それは多分、隠し事が減ったせいだろうな」
「ああ、お兄さんのこととか?」
「そうだ」
と俺は頷く。
それが全てと言うわけではないから、これもまた嘘を吐いたと言うことになるのかも知れん。
しかし、全くの嘘でもない。
実際、俺の中で一番大きくて苦しい秘密は、兄ちゃんとの血のつながりであり、兄ちゃんとの交際のことだったからな。
余計なことかも知れないと思いつつ、俺は卒業式に際して、こいつらにも兄ちゃんとのことを明かしていた。
付き合ってることも含めて、だ。
それを知って、付き合いが疎遠になるということも可能性に入れていたのだが、こいつらは少しも変わらなかった。
「兄弟だったなんて、本当にびっくりしたよ」
と本当に驚いたのか疑問になるような顔で言う国木田とは反対に、谷口は小難しげな顔で、
「年上なら勉強だって出来て当然だよな」
と言ったが、そんなことはないぞ。
あれで苦労はしてたんだからな。
「で、キョン」
なんだよ。
「まだ続いてんのか?」
「まだとは何だまだとは」
怒鳴るか殴るかしてやろうかと思ったのを見透かされたんだろうか。
俺に代わって国木田が、
「そうだよ谷口、そういうことは思っても言うなって」
おいこら、たしなめるんじゃなかったのか。
「というか、自分がサイクル短いからって、人もそうだとは思わない方がいいんじゃない?」
と国木田が一応ちゃんと谷口を注意したところで、
「そうだよ」
と同意を示す声がしたと思ったら、兄ちゃんに背後から抱きしめられた。
「お待たせ、キョン」
弾んだ声と共に頭をすり寄せられて、俺は戸惑いながら、
「え? 兄ちゃん? もう講義は終わったのか?」
「珍しくね」
言いながら恥ずかしげもなく俺の頭に鼻先を寄せてくる兄ちゃんに、俺は苦笑しながらもうひとつだけ聞く。
「ハルヒは?」
「置いてきちゃった」
けろりとした顔で言った兄ちゃんに、
「兄ちゃん……」
何やってるんだよと呆れる俺に、悪戯っぽく笑って、
「そろそろ来るんじゃないかな?」
と言っておいて国木田と谷口を見ると、
「やあ、久しぶりだね、国木田くん。谷口くんも、元気そうで何より」
と比較的無害な笑顔を振りまいた。
国木田はもうすっかり慣れているらしく、
「こんにちは、お兄さん」
と平気な顔で返したが、谷口は、
「おう」
と返しながらも複雑な顔だった。
まあ、そっちのが普通の反応だろうな。
「そんなに固くならなくてもいいよ? …って言っても難しいかな。まあ、これまでと変わらずに接してもらえたらありがたいかな」
兄ちゃんがわざわざそんなことを言って余計に谷口を妙な顔にさせているのは、多分、あれだ。
からかって遊んでいるとかそういう類の嫌がらせだ。
その証拠に、兄ちゃんの口の形が意地悪い。
「兄ちゃん、あんまりいじめてやるなよ」
「え? ああうん、ごめんね。構って欲しかった?」
「違う」
「別に、照れなくったっていいのに」
ねえ? と兄ちゃんが話を振った先は国木田で、国木田は笑顔で頷いてやがるが、
「そこで頷くな」
「だって、今更じゃないか。大学内でも構わずに仲良くしてるのに。前に見たよ? 階段下でキスしてたの……」
「っ、あ、あれは兄ちゃんが強引に…!」
思わず真っ赤になって言いかけると、
「ああ、やっぱりしたことあったんだ」
と言われて硬直した。
……やられた。
「そういうところは、キョンも相変わらずだね。普段なら多少カマをかけたって平気な顔でかわすくせに、時々妙にガードが緩いんだから。今思うと、お兄さん関係のことだったからなのかな?」
「知るか……」
テーブルに突っ伏して唸れば、兄ちゃんの手が慰めるように頭に触れた。
変わらない、優しくて暖かい撫で方に、我知らず頭をすり寄せれば、兄ちゃんは困ったような調子で国木田に言った。
「あんまりいじめないでやってくれないかな」
「ほどほどにしてますよ? お兄さんを怒らせると怖いってことくらい分かりますから」
…すまん、正直二人とも怖いから退席してもいいか。
そう思ったところで、
「一樹――っ!!」
とハルヒが怒鳴りつける声が食堂中に響き渡った。
厄介なのがまた来たか。
ハルヒはズカズカというのを通り越してドガガガガとでも言いたくなるような足音を響かせてこちらへやってきたかと思うと、
「あたしを置いてくなんていい度胸してるわね…!」
と兄ちゃんを睨み付けた。
兄ちゃんはへらりとした笑顔で、
「お褒めに預かり光栄ですね」
「褒めてないわよ! 全くもう、キョンのこととなると人が変わるんだから。片付けも何もかも放り出して飛び出すなんて」
んなことしたのかよ。
道理で、来るのが早過ぎると思った。
しかし、だからと言ってハルヒが兄ちゃんの分までしてくれたというわけではないんだろう。
「当然でしょ。なんであたしがそんなことしなきゃなんないのよ。他の連中に押し付けてやったわ」
ハルヒ、そこは胸を張るところじゃないからな。
「流石だね」
兄ちゃん、褒めるところでもない。
国木田の、
「キョンは相変わらず大変そうだね」
という言葉と、生温かい視線が辛い。
ハルヒは国木田と少し話したかと思うと、その横で居心地悪そうにしていた谷口がとうとう逃げ出そうとしたのを見抜いたかのように、
「あら? 谷口もいたの?」
「おいっ!」
逃げ出そうとしていた谷口だが、その扱いは嫌だったようだ。
というか、今更じゃないのか?
ハルヒが谷口に対して、当たりも扱いもキツイのは。
「元気そうじゃない」
「お前は相変わらずだな。国木田やキョンが、お前も変わったって言うからどんなもんかと思ったってのに」
「あたしがそう簡単に変わるわけないでしょ! あんたみたいな軽佻浮薄な人間と違って、あたしはもうとっくの昔に完成されてるのよ!」
おーおー、こりゃまた大言壮語を吐いたもんだ。
兄ちゃんはにやにやしながらハルヒと谷口を見てるし。
邪推するのは勝手だと思うが、別にそんなんじゃないと思うぞ?
ハルヒの目つきからして、おもちゃをいたぶる猫のそれだからな。
ああだこうだとやりあっているハルヒと谷口を見ながら、国木田は薄い茶をすすり、
「涼宮さんもやっぱり変わったよね。前なら、谷口なんか無視したと思うよ」
谷口なんかって。
…まあ、そんなもんだろうが。
「酷ぇ!!」
という谷口の発言は当然満場一致で無視したとも。
それから、昔を懐かしんだり近況報告なんぞをしながら、昼飯を食った。
兄ちゃんの弁当じゃなかったのは、人数が多かったのと、谷口なんぞに兄ちゃんの手作り弁当は勿体無いからだ。
それでも、学食だってそこそこに美味しく、谷口なんかは、
「こんだけ安いのに」
と悔しそうに繰り返していた。
日頃、よっぽど食費で苦しんでいるんだろうか。
ハルヒはもごもごとパートのおばちゃんにおまけさせた形の悪いハンバーグを食べながら、
「さっきはああ言ったけど、成長って意味の変化ならするべきだとあたしだって思うわ。成長しなくなったら終りよ終り」
と熱弁をふるっている。
そんなものさえ楽しそうな顔つきで聞いていた国木田は、次の講義があるからと立ち上がりながら、
「また何か面白いことをするのに人手が足りないことがあったら、遠慮なく言って欲しいな」
と言った。
全く、奇特と言うか悪趣味と言うか、変わった奴だ。
準団員とはいえ、ハルヒに認められたことはある、ってことなのかね?
「いいわよ。いつでも駆けつけられるよう体を開けておきなさい」
と言うハルヒも大概無責任だ。
当分、そんな風に大人数で騒ぐ予定もないだろうに。
それとも、これをきっかけにまた何かやらかすつもりじゃないだろうな?
そんなことになったら恨むぞ、国木田。
「こら、キョン」
国木田を睨んでいたのがばれたか、兄ちゃんはぐいっと俺の顔を強引に自分の方へと向けると、
「国木田くんばっかり見てると、いじめちゃうよ?」
「い、いじめって……」
反射的に赤くなった俺をしげしげと見たハルヒは、
「…一樹、あんた普段一体どういうことしてんのよ?」
と聞いたが、答えさせるわけには行かず、俺は兄ちゃんを連れて食堂から逃亡するしかなかった。