放課後、教室を出ようとしたところで階段を下りてきたキョンと顔を合わせた。 「奇遇ですね」 人前だからとそう声を掛ければ、 「何が奇遇だ。狙ったに決まってるだろ」 と人前らしからぬ笑顔で返されて、思わず苦笑した。 嬉しいのは分かるけど、浮かれすぎだよ? 「…だめか?」 「んー……やめて欲しくはある、かな」 顔を寄せて小声で言えば、キョンは可愛く唇を尖らせて、 「なんでだよ」 「キョンの可愛い顔を他人にまで見せたくないからね」 そう本当の事を言ったのに、キョンはぎゅっと眉を寄せると、 「からかうな」 「からかってないよ。本当にそう思ったから言ったんだけど…」 「それはそれで恥ずかしいから勘弁してくれ」 そう言ってぷいっと顔を背けるキョンも可愛い。 でもこれ以上人にそんな顔を見せるのは勿体無いな。 だから僕は軽く肩を竦めてそれ以上の反論をやめると、 「今日の涼宮さんのご機嫌はどうだった?」 「今日? ……別に良くも悪くもなく、いつも通りだと思ったが……閉鎖空間でも発生しそうなのか?」 「違うよ。ただ僕が気になっただけ」 「…そういや、」 とキョンは考え込むような表情を見せた後、 「兄ちゃんは朝比奈さんには妬くくせにハルヒには妬かないんだな」 「そう言われてみるとそうだね」 「なんでなんだ?」 さて、どうしてだろう。 妬くまでもないと感情でもちゃんと理解出来ているから、なんだろうか? それで言うならどうしてそう理解出来ているのかが気になるが、それについては見当もつかない。 本当にどうしてだろう、と首を捻り捻り考えているうちに、部室に着いていた。 ドアをノックして、朝比奈さんが返事をするのを聞いてから部屋の中に入ると、以前と変わらず、いつもの席に腰を落ち着けた。 涼宮さんはまだ来ていない。 校内か、あるいは校外のどこかを駆け回っているのだろう。 涼宮さんが戻ってくるまでの間、キョンとボードゲームをしても良かったけれど、椅子に座るなりキョンがあくびをしたので、 「眠いの?」 「ん…ちょっと、な」 ともうひとつ大あくびだ。 「少し寝たらどうかな。必要なら起こすから」 「ああ…そうだな……。うん、頼む…」 そう答えながらも眠そうで、さっきまでしゃきっとしていたように見えたのはもしかして、やっぱりある程度は周囲の目を気にしていたからなんだろうか。 つまりこの部室の中ではそんな風に気を張っていなくていいと感じているということなんだろう。 それは僕も同じなので、なんだかくすぐったいような心持ちになりながら、 「おやすみ」 と声を掛けてあげると、キョンはむにゃむにゃと中途半端な声を上げたきり、静かな寝息を立て始めてしまった。 よっぽど疲れてたらしい。 今日は授業中に寝たりもしなかったのかな。 そっと髪を撫でていると、ひょこひょこっと近づいてきたゆきりんが、 「かっわいー!」 と小さく歓声を上げた。 朝比奈さんもいるのに「ゆきりん」全開でいいのかな、と思っていると、 「本当ですね」 と特にゆきりんの豹変振りに戸惑う様子もなく朝比奈さんが同意を示したので、どうやら知らないうちに随分と仲良くなっていたらしい。 それなら、これからはゆきりんに無理矢理連れまわされたりしなくて済むかな。 なんて期待していると、 「甘いよ、いっちゃん。みくるんとお茶するのといっちゃんに奢ってもらうのは違うんだから」 「だから、考えていることを読まないでくださいと何度いえば分かってくれるんだよ」 ため息混じりにそう返した僕に、朝比奈さんは首を傾げながら、 「そんなに嫌なんですか?」 「……嫌じゃないんですか?」 「あたしは別に平気ですけど……」 もしかして、未来ではお互いに心が読めたりするようになってたりするんだろうか。 それで社会が混乱しないのなら、それは随分と発達した社会だろう。 一体朝比奈さんはどれくらい先の未来から来たのやら。 呆れ半分、驚き半分で朝比奈さんを見ていると、何をどう思ったのか、朝比奈さんは恥ずかしそうに顔を赤らめて目をそらしてしまった。 そんなことをしている間にキョンの周りをちょろちょろ動き回りながらその寝姿を堪能していたゆきりんがニヤリと意地悪な笑いを浮かべて、 「何? キョンくんのこと疲れさせでもしたのー?」 「ゆきりん、その発言はオヤジっぽいよ」 呆れながら言えば、 「むっ! うら若き乙女に向かって親父だなんて聞き捨てならないなぁっ! 酷いよいっちゃん!!」 酷いと言うなら自分の発言をちゃんと反省してもらいたい。 やれやれ、とため息を吐けば、朝比奈さんが優しく笑いながら、 「ほら、あんまり騒いでたらキョンくん起きちゃいますよ」 とゆきりんをたしなめ、 「……ちゃんと、守って上げなきゃダメですよ。キョンくんが、こんな風に安らげるように」 と僕に警告した。 「言われるまでもありませんよ」 幸せそうな寝顔を見るにつけ、キョンが笑うのを見るにつけ、僕はいつも思っている。 キョンを守りたい。 キョンを守るために僕は生まれてきて、力を与えられたに違いないんだ、と。 朝比奈さんは僕の答えに満足したのか、笑顔で頷き返すと、 「あたし、お茶でも淹れますね」 「あっ! あたし今日は紅茶がいいなっ」 ゆきりんが遠慮の欠片もなくリクエストしても、朝比奈さんは気を悪くする様子もなく、むしろ嬉しそうに、 「古泉くんも、それでいいですか?」 「はい、お願いします」 ゆきりんは嬉しそうに、 「わぁい! こ・お・ちゃー、こ・お・ちゃー」 と歌った後、 「あ、ねえねえいっちゃんみくるん、今度みんなで出かけようよっ! あたし紅茶のアイス食べたいな」 「また僕のおごりで?」 苦笑しながら尋ねれば、 「あったりまえじゃん!」 と返されてしまった。 まあ、いいんですけどね、アイスくらいなら。 「みんな、って言った時にハルにゃんを入れて上げられないのは残念だけどね…こればっかりは」 珍しく表情を曇らせるゆきりんに、僕も朝比奈さんも似たような表情になったに違いない。 それを見て慌てたゆきりんは、 「ごめんね、あたしのことが原因として大きいのに、こんなこと言っちゃって。…でも、やっぱり思うんだ。ハルにゃんだけ仲間外れにしちゃってるみたいで……嫌だなって…」 「僕も同じだよ」 キョンも同じようなことを言ってた。 「あたしもです」 僕と朝比奈さんが同意するのを聞いて、ゆきりんはにこっと小さく笑うと、 「よかった。あたしだけじゃないんだね。……いつか、そうだな、何もかも問題なく明かせる時が来たら、ちゃんと言いたいな。ハルにゃんにも」 「…そうだね」 それがいつになるんだろうと思いながら、僕たちは紅茶を口に運んだ。 思った以上にしんみりとしたお茶会になってしまったけれど、それはすぐに明るいものに変えられた。 涼宮さんが来たのだ。 「やっほー!」 ゆきりんに負けず劣らぬハイテンションでやってきた涼宮さんは、大きな音を立ててドアを開けたが、キョンが寝ているのを見ると、静かにドアを閉めた。 キョンはよっぽど眠かったのか、小さく声を上げて身動ぎはしたものの、目は覚まさなかった。 相変わらず幸せそうに眠っている。 「キョンったら寝ちゃってるの?」 どこか微笑ましげにキョンの寝顔を覗き込んだ涼宮さんは、 「幸せそうな顔しちゃって」 と笑うと、僕の方へさっきのゆきりんのような、少しばかり意地の悪い笑みを向け、 「円満みたいで何よりだわ」 「涼宮さんのおかげですよ」 本当に、涼宮さんには一生頭が上がらないに違いない。 「あたしは大したことはしてないでしょ。――あ、みくるちゃん、あたしにもお茶!」 「はぁい」 いつも通りに朝比奈さんがお茶を淹れる。 涼宮さんは当然、自分が来る少し前までいつもと違う様子だったゆきりんのことなど気付いていない。 僕や朝比奈さんは自分が奇妙な顔つきになってしまわないかと思うくらい、ゆきりんの激変振りに戸惑わされるのだから、それを思うと知らないことは少々羨ましいことかもしれない。 いつか、涼宮さんがゆきりんの正体を知ったら一体どうなるのだろうと僕はちょっとばかり考えようとしたけれどすぐにやめた。 僕がどれだけ考えようと、涼宮さんのことだ。 僕の予想なんて軽く飛び越えてくれるに違いない。 朝比奈さんが淹れてくれた紅茶をいつもながら見事に一気飲みした涼宮さんは、 「そうだわ!」 と楽しげな声を上げ、部室の隅に置いてあったデジカメを取り上げると、悪戯っぽい目つきで僕に尋ねた。 「古泉くん、キョンの寝顔、撮ってもいいかしら」 「どうなさるおつもりですか?」 まさか悪用はしないだろうと思いつつ、一応聞いて見ると、 「SOS団の活動記録に加えてやるのよ」 と返された。 そう言えば、涼宮さんは孤島行きのフェリーの中でもキョンの寝顔を写真に収めさせていたっけ。 僕は笑って頷きつつ、 「僕にもデータを下さるんでしたら」 「もちろん、いいわよ」 僕たちは共犯者めいた笑みを浮かべつつ、写真撮影を決行した。 ゆきりんもどうやらデータが欲しいようだから、データをもらったらコピーして送ってあげよう、と思いながら数度フラッシュを光らせたところで、キョンが目を開けた。 「ん……う…?」 「おはよう」 僕がそう声を掛け、涼宮さんは勝ち誇った顔で、 「あんたの寝顔のデータがまた増えたわ」 と言い放った。 どうやらそれで目が覚めたらしいキョンは、怒ったように眉を寄せると、 「そんなもん増やしてどうするつもりなんだお前は!」 と涼宮さんに向かって言った後、僕にも、 「兄ちゃんも、笑ってみてないで止めてくれ」 「ごめんごめん」 そう笑って返した僕の肩を涼宮さんはがしっと掴んで、 「残念だったわね、キョン! 古泉くんはあたしの味方よ」 「何でだよ」 僕は笑いながら正直に、 「ごめんね。僕もキョンの寝顔の写真が欲しくて」 「兄ちゃん…っ……」 呆れきった顔で机に突っ伏したキョンはもごもごと、聞こえるか聞こえないかというような声で文句を言った。 「寝顔くらいいっつも見てるだろうが」とかなんとか、涼宮さんに聞かれたらからかわれること間違いなしの言葉も聞こえた気がするけれど、幸いにも涼宮さんは聞きとがめなかった。 「大体キョン、あんた、授業中もあれだけ寝ておいてなんでまだ寝てるのよ。貴重な団活の時間を何だと思ってるの?」 「あれだけって言えるほど寝てないだろうが。誰かさんが背後から蹴っ飛ばしてくれるおかげでな」 「何よ、あたしはあんたがちゃんと授業を聞くようにしてやってるだけでしょ」 「誰がそんなこと頼んだ?」 険悪と言いたくなるような状態にまでヒートアップして行く口げんかを、僕はいたって穏やかに聞いていた。 涼宮さんもキョンも楽しんでいるのが分かるからだ。 それだけの信頼関係がある二人が微笑ましくて、少々羨ましくもある。 それでも、妬いたりはしない。 ――ああ、もしかすると。 キョンと涼宮さんが取っ組み合い寸前になっているのを見ながら、僕は胸の内で独り言ちた。 キョンと涼宮さんが小さな子供、それも兄妹――または姉弟――みたいだからかな。 だから僕は涼宮さんに対して妬いたりせず、穏やかに見守っていられるんだろうか。 そんなことを考えている間に、取っ組み合いはとりあえず朝比奈さんによって解除された。 キョンは軽く腕を組みながら僕に目を向け、 「兄ちゃんも、ハルヒを調子に乗らせることはないだろうが」 とお説教を始めた。 キョンに怒られる、それも弟としてのキョンに、涼宮さんの目の前で。 これもまたなんだか不思議な感じだと思うのだけれど、本来なら有り得なかったと思えるだけに嬉しくて堪らない。 幸せすぎるほど幸せで、驚くほどに平穏なこの日々が、いつまででも続けばいいのになぁ。 そうぼんやりと思っていると、 「兄ちゃん! ちゃんと話を聞けよ!!」 とキョンに怒鳴られ、軽く頭を叩かれてしまったけれど。 それでもやっぱり僕は願うのだ。 こんな幸せが続きますように。 もっとみんなが幸せになれますように。 嘘を吐かなくていいようになりますように。 どこまで叶えられるのか分からないまま、また、何に対して願っているのかも分からないまま。 |