公け事



俺が部室に行くと、すでにメイド服に着替えた朝比奈さんと、いつものように読書に勤しむ長門、それから古泉がいた。
「こんにちは」
なんて軽く言って寄越す姿はいっそ見事としか言いようがない。
胡散臭い作り笑いも隙のない姿勢も、兄ちゃんとは違いすぎる。
いつものこととはいえ、うまく化けるもんだ。
「よう」
出来るだけ素っ気無く言いながら椅子に座ると、古泉がオセロを取り出して俺に見せた。
まあいいだろう、と頷くと、嬉しそうに古泉が笑った。
俺が後手になり、遊び始めたのはいいんだが、古泉は本当に考えて手を打ってるんだろうか?
現実にあれやこれやと陰謀をめぐらしたりすることは得意なくせになんでこんなシンプルなゲームが上達しないままなんだろうか。
「お前、本当に弱いよな」
「すみません」
「…手でも抜いてんのか?」
そんなことはないと俺は知っている。
それでもそう聞いてみると、曖昧な笑みを返された。
盤上が着実に白く染まっていく。
俺はもはや一体どれだけ陣地を広げられるかということにのみ集中することにした。
勝利は決まってたからな。
ひっくり返す枚数が多くなり、手間取っていると古泉が手を伸ばしてきた。
手伝うつもりらしい。
ぱちぱちとひっくり返していると、俺の指と古泉の指がかすかに触れ合った。
驚いて古泉を見ると、古泉が小さく笑った。
「キモイ」
思わずそう言い放った俺は間違っていないだろう。
そんな表情を見せるのはうかつにもほどがあるし、それに、本当にキモイと思ったのだ。
兄ちゃんじゃなくて古泉がそんな顔をするなとも思う。
嫌悪に思いっきり顔を顰めた俺にコメントを寄越したのは、古泉ではなくハルヒだった。
「あんたって古泉くんには厳しいのね」
「…そうか?」
十分甘いと思うが。
「どこがよ。まさか、古泉くんが成績優秀で顔もいいからってひがんでんの?」
「別に」
それこそまさかだな。
古泉が兄じゃなかったならいくらかはひがんだかも知れんが、兄である以上、憧れ、尊敬する対象になっている。
それに、ひがむということ自体俺は好きじゃない。
ハルヒは古泉に目を向け、
「古泉くんも何か言ったら?」
「いやぁ…」
と頭に手をやった古泉は、
「僕としてはもっと歩み寄りたいと思っているのですが」
と恥ずかしげもなく言い放ちやがった。
「気色悪いことを言うな」
俺がそう吐き捨てても、古泉は小さく苦笑しただけだった。
余計に気色悪い。
ハルヒはそんな俺と古泉を見比べながら、面白がるように言った。
「知ってる? 古泉くんがゲイじゃないかって噂になってるのよ」
「マジか」
本気でぞっとした。
何でそんな噂になってるんだ?
まさか俺が部屋に出入りしているのを見られたりしてんじゃないだろうな。
いや、ハルヒの機嫌からして噂になってるのは古泉一人か。
「古泉くん、どんな可愛い女の子に告白されても断ってるんでしょ? でも誰かと付き合ってる様子もないから、女の子に興味がないんじゃないかって言われてるわよ。キョンと一緒にいる時も、距離が妙に近いし」
距離が近いことに関しては否定は出来ないが、
「それで言うならお前と朝比奈さんも噂になってるんじゃないのか?」
「なんでよ」
「何かと言っちゃ朝比奈さんにセクハラしたりコスプレさせたりしてるのは誰だよ」
俺が言うと、ハルヒは少し考え込んだが、
「……そうね。まあ、別にいいわ! それでみくるちゃんに変な虫がつかないならむしろ大歓迎よ!」
……勝手にしろよ。
呆れ返る俺を他所に、ハルヒは矛先を古泉に向けた。
「で、実際どうなの? 古泉くん!」
無理矢理話を逸らしたつもりだったのだが、だめだったか。
さて、古泉はどう誤魔化すんだろうな。
「どう、とは一体どういう意味でしょうか?」
脚を組み直しながら、古泉は軽く首を傾げてそう聞いた。
その仕草をかっこいいと思おうか、それともキザったらしいと思おうかと俺が無駄な考えをめぐらせている間にハルヒは、
「ゲイだったりするの? それともバイ?」
「特にそんなことはないと思うんですけどね…」
っておいおいおい、なんでそこでこっちに目配せして来るんだよ。
やめろ。
「本当にそうだとしたらどうします?」
にっこり笑って、古泉は俺に聞いた。
俺に聞くな。
その場合はとりあえず、お前との付き合い方についてどうするか、真剣に考えさせてもらおう。
団長の考えも聞かせてもらってからな。
「ハルヒ、同性愛者は団員としてアリなのか? ナシなのか?」
「あたしは別にいいわよ? そっちの方が面白そうだし」
にやにや笑いながら言ったハルヒに、古泉は本気で感嘆した顔をして、
「さすがは涼宮さん。寛大ですね」
「で、どうなの?」
「さて、どうでしょう?」
笑ってはぐらかした古泉に、俺は一言だけ忠告してやった。
「はっきり否定しないと、好き勝手に決め付けられるぞ」

やがて、長門が本を閉じる音が響き、俺たちは帰り支度を始めた。
荷物を拾い上げながら俺は、
「あ」
と呟いた。
「どうかしましたか?」
そう聞いてきた古泉に、
「お前、この前貸したCD、いい加減に返せよ」
「あぁ…すみません。忘れてました」
「またか」
呆れながらため息を吐くと、
「よろしかったら、今から僕の部屋にいらっしゃいませんか? CDのお礼に何か本でもお貸ししたいですし」
「そうだな…」
腕を組み、考え込むフリをした俺は、小さく笑って言った。
「襲うんじゃねぇぞ?」
古泉は笑って、
「そんなこと、しませんよ。それとも、襲って欲しいんですか?」
「冗談だからやめろ」
そんな風に軽口を叩いていた俺たちに、ハルヒが、
「バカ言ってないでさっさと帰ったら? もう真っ暗だし、古泉くんの家に寄るなら急がなきゃだめでしょ」
と忠告をよこしたのがなんとなくおかしくて、俺たちは笑いながら部室を出た。
歩きながら古泉と話す。
肩が触れ合うほど距離が近くても、薄闇に紛れてよく見えないだろう。
寒いからだということにしてやってくれ。
「お前、本当に噂になったらどうするんだ?」
「噂、ですか?」
「ガチムチなゲイに呼び出されて告白されて押し倒されたなんてことにはなるなよ」
「それは怖いですね」
そう笑いながら言った古泉は、
「僕としてはあなたの方が心配ですよ」
「どういう意味だ」
「あなたは大変に魅力的な方ですからね」
「やめろ、気色悪い」
そう吐き捨てた俺に、
「酷いですね。僕は正直なところを言ったまでですよ。――男の僕でもそう思うんです。あなたを慕う女性はどんなにか多いでしょうね」
「有り得んな」
俺は小さくため息を吐き、
「少なくとも、俺をそういう意味で好きだと言うような人間は、今のところ一人しか思い浮かばないし、俺はその一人だけで十分だ」
「のろけですか?」
古泉はかすかに声を上げて笑った。
「光栄ですね」
「ばか」
坂を下りだしても、辺りには人がいた。
下校時刻だから、俺たち同様、部活を終えて帰るやつらが多いんだろう。
まだしばらく、この危なっかしい茶番は続くらしい。
俺はげんなりしながらも、いつもとは少し違う、古泉との会話を楽しんだ。
古泉の住んでいるマンションに上がり、古泉が鍵を開けるのを待つ。
「さあ、どうぞ」
部屋に上がりながら言った古泉に続いて、上がりこみながら、
「邪魔するぞ」
とだけ言い、ドアを閉める。
そうしてやっと、
「兄ちゃん」
と抱きつくと、
「いつもながら見事な切り替えだね」
と呆れるように笑われた。
兄ちゃんにだけは言われたくないと思う。
「それに、」
兄ちゃんは意地悪に言った。
「襲うなと言ったのは誰だったっけ?」
余裕綽々な笑みはむかつくが、それでも俺の好きな兄ちゃんの笑みのひとつで、
「じゃあ俺が襲ってやる」
と言いながら、俺は兄ちゃんの頭を引き寄せてキスをしたのだった。