お姉ちゃんはお見通し!



私の名前は有希。
三人兄弟の真ん中で、二つ年上の兄とひとつ年下の弟に挟まれてるんだけど、これがなかなか大変で、「自分が一番」なんて言える余裕なんてないんだよね。
昔っから成績優秀、眉目秀麗とかなんとか美々しい四字熟語できらっきらに飾られてたお兄ちゃんは、大学生になった今も変わらず、女の子たちに騒がれてるらしい。
それでも、サークルに入ったりせず、コンパやなんかもことごとく断るのには、理由がある。
いい年して、弟が一番大事っていうのが、うちのお兄ちゃんだからだ。
弟に向ける愛情の何割かを私の方にまわした方がキョンくんのためでもあると思うんだけどなー。
あ、キョンくんってのは私の弟ね。
本名は違うんだけど、キョンって響きが本名以上にぴったりだから、私もお兄ちゃんもキョンって呼んでるの。
キョンくんは素直で可愛くて優しいんだけど、少し古風って言うのかな。
今時の子って感じじゃないから、もてたりはしてないみたい。
ま、その方がうちも平和で済むからいいんだけどね。
キョンくんが誰かに告白なんてされて、それがお兄ちゃんの耳に入ったりしたら――私、とりあえずさっさと家から逃げ出してハルちゃんでもみくるんでもいいから泊めてもらいに行くことにするよ。
それくらいの気遣いはしてあげたいからね。
ちなみに、うちの親は海外出張中で、もう三年くらい顔を見ていない。
月々お金は届くから、生きてるんだろうけど、今頃どこにいるんだろうねぇ。
親がいたら、多少状況は違ったかもしれないのに。
やーれやれっ、と私はため息を吐いた。
ため息くらい、いいでしょ?
普段結構耐えてるんだからさぁ。
んっ? 何に耐えてるかって?
例えばねー、こんなことがあったなぁ……。

私の部屋は二階にあって、キョンくんの部屋はその隣りにある。
お兄ちゃんの部屋は私の部屋の向かいだ。
だから、物音が聞こえて来やすいのはキョンくんの部屋なんだけど、お兄ちゃんの部屋からも聞こえてこないわけじゃない。
家の近所は夜静かだから、場合によると結構聞こえてきちゃうんだよね。
で、その夜、私がちょっとした拍子に目を覚ますと、お兄ちゃんの部屋から物音が聞こえてきたんだよ。
なんていったら言いのかな。
こう――、
「あぁっ…」
とか、
「は、あ、…っ、や、早く…!」
とか、まあ、そういう類の声だよ、うん。
ア行変格活用ってのがあったらそんな感じかな。
これが女の子の声だったら、
「弟も妹もいる家に女連れ込んでんじゃないよっ! ホテル代くらいあるでしょ、このバカ兄貴!!」
くらいのことは叫んでやって、ついでに相手の女の子にもお帰りいただくんだけど、問題はその声の主が私の可愛い可愛い弟だってこと。
まさかキョンくんを追い出すわけにもいかないし、そもそも私が怒鳴り込んで行った時点で、キョンくんは恥ずかしさの余り憤死するか舌を噛むくらいしかねないような子だからね。
出来ないわけだよ。
私に出来ることといえば、精々気付いてない振りをして寝続けてあげることで、頭まで布団を被った私は布団の中で、
「…あんの色ボケ兄貴めぇ――…!」
と唸るだけだった。
だけど、翌朝になったら遠慮は要らないわけよ。
うちでは料理はお兄ちゃんの担当、掃除はキョンくんの担当、洗濯は私の担当って具合に分業制を採用して家事をこなしてるんだけど、つまり朝食もお兄ちゃんが作るわけ。
キョンくんは割りとお寝坊さんだから、朝は朝食が出来上がるまでまず起きてこない。
要するに、朝の朝食を作ってる時間が、私とお兄ちゃんが遠慮なく話せる時間ってこと。
私はキョンくんを起こさないように階段を降りると、台所に入った。
お兄ちゃんが起きているのは香り始めているコーヒーの匂いと物音で分かる。
私は極力気配を消して、卵を焼いているらしいお兄ちゃんの背後に回ると、
「……古泉一樹。あなたに警告したいことがある」
と声を掛けた。
わざと、フルネームを呼び捨てにするのも、対外仕様――普通は「猫を被る」と言う――の淡々とした冷たい声を響かせるのも、お兄ちゃんを少しでも懲らしめてやりたいから、脅してやりたいからだ。
「なんですか?」
と振り返ったお兄ちゃんの表情が固く、敬語になっているのも、私が怒っているのに気がついて、いくらか動揺しているからだろう。
「――ヤるなら外でやってよ」
私が口調を崩すと、お兄ちゃんもほっとしたように表情を崩した。
「いきなり何を言い出すかと思ったら…」
「重要な問題でしょ! もう、昨日なんか滅茶苦茶声聞こえてきて大変だったんだよ。眠れなくなったらどうしてくれるわけ?」
「あれくらいで眠れなくなったりするキャラじゃないくせに」
「こーら! それが兄として言うこと!?」
「はいはい、ごめんね。やっぱり父さんと母さんの寝室を横領させてもらおうかなぁ」
そしたら一階だから聞こえないし、と呟くお兄ちゃんに、
「それはそれで私が夜中に起きてこられなくなるでしょ」
のどが渇いたりすることもあるのに。
「お兄ちゃんが控えればいいの! 今日だって学校なんだから、自重しなさい!」
「したよ?」
にへらっと笑うお兄ちゃんの顔を見れば分かる。
自重した、というのはつまり、人から見えるような位置にキスマークを残さなかったという意味なんだってことが。
あーもう!
いっそ殴っちゃおっか。
それくらいで壊れるお兄ちゃんじゃないからそれで言いような気もするんだけど、生憎、今日はタイミングが悪かったみたい。
とんとんと階段を下りてくる足音が聞こえてきた、と思うと眠そうな顔をしたキョンくんが姿を見せたの。
そうじゃなかったら、血の繋がりの存在さえも廃棄したくなるようなイカレトンチキを殴れてたのに。
「おはよっ、キョンくん!」
努めて明るくそう言うと、キョンくんが笑みを見せて、
「おはよ、姉ちゃん」
と言った。
ああもう可愛いなぁっ。
思いっきり抱きしめて撫で回して、ほっぺにちゅーくらいしてあげたくなるけど、今すべきことは別のことだ。
「あれ、キョンくん、寝足りなかったの? 眠そうな顔してるけど…」
素知らぬ顔をして言ってあげると、キョンくんがぱっと赤くなった。
「え、あ、いや、別に……」
これで恥ずかしくなって、多少は控えてくれるといいんだけど、無理かな。
ああ…それにしても、可愛いなぁ。
なんでこんなに可愛くて気立てもいいキョンくんがお兄ちゃんの毒牙にかかっちゃったんだろう。
…本気モード入ったお兄ちゃんは、毒牙一発ーって感じの危険物だから、しょうがないのかもって気もするけど。
だとしたら、お兄ちゃんが付け入れるような隙を作った、つまりは家を留守にしたうちの両親の責任だと思うんだけど、どうなんだろ。
私でさえ防げなかったんだから、親がいたところでどうしようもなかったかも、とも思うけど、そもそも親がいたらキョンくんだってお兄ちゃんにそこまで懐かなかったんじゃないかな。
つまりは昔っから留守がちにしてる両親が悪いっ!
私はお兄ちゃんをもう一度睨みつけると、キョンくんには聞こえないような小さな声で言った。
「もしキョンくんを悲しませたりしたら、お兄ちゃんでも許さないからねっ。青少年愛護条例違反で通報する準備はいつだって出来てるんだから」
「……大丈夫だよ」
そうお兄ちゃんは小さく笑った。
人前で見せる気取った演技の笑みじゃなくて、本当に穏やかに。
「キョンを悲しませたりなんかしない。何があっても、守るよ」
「……あっそ」
釘を刺したつもりが惚気られるなんて、私もまだまだ修行が足りないわ。
「姉ちゃん?」
訝しげに私を見るキョンくんに、
「なんでもないよ」
と返しながら近づき、その頭を軽く撫でて、
「ほら、寝癖で頭くしゃくしゃになってるよ。ちゃんと整えておいで」
と洗面所へ送り出した。
いつも通りの日常――だって、これでいつも通りなんだもん。
私は笑いながら、心の中だけで呟いた。
お姉ちゃんはキョンくんの味方だから、ね!
だから、今度の金曜日にはみくるんのところかハルちゃんのところに泊まりに行ってあげる。
お兄ちゃんのためじゃなくて、キョンくんのためだからね!

朝ごはんに出されたオムレツにぐるっと大きな赤い丸を描いた後、ぐさっ! とお箸を突き立てると、お兄ちゃんが痛そうな顔をしたので、惚気に対する報復はしないでおいてあげよっと。