計り事



兄ちゃんによる胡散臭いことこの上ない推理に対して、ハルヒが妙なリアクションを見せ、ミーティングとも言えない集まりが解散した後、俺は時間を適当に潰してから兄ちゃんの部屋を訪れた。
「なんでしょう?」
笑顔でそう言った兄ちゃんに言ってやりたいセリフがあるとしたらそれは、
「詰めの甘ささえなかったら詐欺師になれるんじゃねぇの?」
というセリフなのだが、ここでそれを言うのはまずいだろうと、
「話がある」
と俺は兄ちゃんの部屋に入った。
ドアを閉めて、室内を見回す。
他に人間はいないらしいが、兄ちゃんの悪ふざけに付き合う人間がいる以上、ここにも何か仕掛けがないとは限らない。
そして、俺と兄ちゃんのことをどの程度秘密にしておくべきなのか、俺にはよく分からない以上、慎重に振舞うべきだろう。
「……ここで話をしてもかまわないんだろうな?」
俺が言うと、兄ちゃんにはちゃんと伝わったらしい。
「いいよ。なんだい?」
俺が言いたいことくらい分かってんだろうに、よく言うぜ。
俺はため息を吐き、一言。
「兄ちゃん、白々し過ぎ」
「キョンにそこまで呆れた顔されると辛いものがあるね」
全然堪えてないだろ。
「堪えてるよ。……なんでばれたのかな」
「反省会をするなら、多丸さんたちとすればいいだろ。ちなみに、直感で分かったんじゃないからな。というか、結局あの人たちはなんだったんだよ」
遠い親戚ってのも嘘なら、新川さんと森さんが多丸さんの使用人というのも大嘘に違いない。
兄ちゃんはふふっと笑い、
「そう、当たりだよ。キョンにはばれるかと思ってたけど、そこまで一刀両断されるとはね」
はーぁ、ともうひとつため息だ。
世の中に暇な奴等がいるということは、その暇な奴筆頭のような自分の生活及び、暇を持て余すのが嫌な奴筆頭であるハルヒを見ていれば分かることだが、それにしたってこれほどまでに大きな仕掛けをやらかす奴がいるとは思わなかった。
大方、兄ちゃんの所属する『機関』とやらの関係者、あるいはどうやってか丸め込まれた劇団員か何かといったところなのだろう。
この建物だって、このためにわざわざ借り切ったと言われても俺は驚かないだろう。
……流石に、このために建てたと言われたら呆れて物も言えなくなるだろうが。
「どうせならもうちょっと上手くやれよ。気を抜いてたんだかなんだか知らないけど、初っ端っから失言をやらかしてくれて、呆れたぞ」
「失言?」
気付いてなかったのかよ。
俺は呆れ返りながら、フェリーで港に着き、新川さん、森さんに出迎えられた時の兄ちゃんの発言について説明した。
兄ちゃんは驚いたように目を見開いて、
「参ったね。全然気が付いてなかった」
ちゃんとした真相へ導くためのヒントだとばかり思っていたんだが、違ったのか。
俺の中で兄ちゃんへの尊敬度が少し下がる。
少し下がったところで元々が妙に高くて余り関係がないと言えばその通りではあるのだが。
「というか、兄ちゃんってさぁ…」
俺は痛みそうになる頭を押さえつつ、
「結構、うかつだよな」
「そんな風に言われるのは初めてだな。どうしてそう思うのかな?」
兄ちゃん、一応敬語キャラを保たなきゃならないんだろ。
それなのに時々それを忘れて常体で喋ったりするし、妙に俺に馴れ馴れしくしてきたりするから、俺もかなりひやひやさせられてるんだぞ。
「なるほどね。やっぱり、キョンに打ち明けたのがまずかったかなぁ…」
かもな。
とはいえ、今更それを嘆いたところでどうしようもないんだから、そんな風に愚痴るな。
「まあね」
と兄ちゃんは笑った。
もしかして、さっきの発言はわざとだったんだろうか。
俺の反応を楽しむためにやったのかも知れない。
くっ、「古泉」の性格の悪さは地だったのか。
「何を考え込んでるかしらないけど、ひとつ、頼んでいいかな」
何だよ。
「僕がまた、『僕らしからぬこと』をしていたら、教えて欲しいんだ。失敗が余りに重なって涼宮さんに不審がられても困るからね」
それくらい、どうってことないから構わない。
「ありがとう」
そう言って、くしゃくしゃと頭を撫でられた。
「それで、」
と俺は兄ちゃんに聞く。
「この後はどうするつもりなんだ?」
兄ちゃんがそうしたいなら、ハルヒには真相を言わずにおいて、このまま茶番に付き合ってもいいが。
「いや、やめておこう。本当のところ、キョンに見破られてよかったという気もするし」
何でだよ。
「騙されたと知って涼宮さんが怒ったとしても、キョンが見破ったのなら涼宮さんの機嫌はよくなりそうだからね」
それは、ハルヒが俺に好意を持っているという兄ちゃんの邪推から来た発言のようだった。
ハルヒが俺をどう思っていようが俺には関係ない。
むしろ、ハルヒに好かれているとしたら困るしかないだろう。
非日常に引っ張り込まれ、兄ちゃんに尋常ならぬ人生を歩ませるハルヒには、複雑な感情を持っているんだからな。
もちろん、ハルヒのおかげで兄ちゃんに再会できたという面もあるのだが、それさえ、人目を忍んでのことである。
俺がハルヒに対して、好悪でいえば嫌悪に近い感情を抱いていたところでなんら不思議はないはずだ。
俺は苦い顔をしつつ、
「それはどうか知らないけど、まあ、妙な口裏合わせをやらされるよりはずっとマシか」
「悪いね、キョン」
そう言って俺の頭をもう一度撫でた兄ちゃんは、どこか寂しそうな顔をして、
「それじゃあ、涼宮さんに叱られに行くとしますね」
と言って俺に背を向けたのを、背中にしがみついて止めた。
「…キョン?」
自分でも、何をやってんだろうなと呆れるしかない。
ただ、このまま兄ちゃんを行かせたくなかったのだ。
あんな、悲しい顔のまま、必死に取繕ったペルソナを被りなおす兄ちゃんなんて、見たくなかった。
しかしそれを口にすれば兄ちゃんは困るだけだろう。
そう思って黙り込んだ俺に、兄ちゃんは小さく笑った気配を見せ、
「ありがとう」
兄ちゃんの胸へ回した腕へ手が添えられる。
解こうとするのではなく、ただ優しく。
兄ちゃんに背中を向けられ、置いて行かれそうになるのが怖いのは、一度別れを体験しているからかも知れない。
お袋に手を引かれて出て行ったあの日、置いて行ったのはむしろ俺の方だというのに。
抱きしめる手にぎゅっと力を込めながら、俺は言う。
「やっぱり、やれるだけやってやろう」
「茶番劇を続けるということ?」
そうだ。
面白いじゃないか。
俺たちに騙されるハルヒを見るってのも。
「キョンも結構人が悪いね」
「兄ちゃんの弟だからな」
言ってやると、兄ちゃんが少し困った顔をしたのが分かった。
俺はニッと笑いながら少し体の位置をずらし、兄ちゃんの顔をのぞきこんだ。
思った通りの表情に、満足する。
「新川さんや森さんたちは皆、機関の人間なのか?」
「そうだよ」
「それなら、俺と兄ちゃんが兄弟だってことも知ってるのか?」
「うん。…キョンのことは徹底的に調べたって言っただろ?」
そう言えばそうだったな。
全く、薄気味悪い話だぜ。
「そんじゃ、打ち合わせでもしに行こうか、兄ちゃん」
「分かった」
俺が浮かべた笑みにつられるように、兄ちゃんも笑った。
これでいい。
俺まで兄ちゃんの不安の素になる必要はない。
兄ちゃんを悩ませるのはハルヒだけで十分だ。
そうだろ。

俺たちは本来なら通されるはずのない場所にこそこそと集まった。
場所は圭一さんの「殺害現場」たる書斎である。
胸にナイフが突き立ったままの圭一さんも含め、そこには新川さんと森さん、そして俺と兄ちゃんがいた。
裕さんは島の裏側へクルーザーともども移動して、そこで待機しているそうだ。
あの天候の中、島の周りをぐるっと回るってのもご苦労な話だ。
そこまで命を掛けるような仕事かね、これが。
まあそんな俺の寸感はおいておこう。
俺は機関の面々たる彼等に順々に視線を巡らせた後、軽く頭を下げた。
「あらためまして、…兄がいつもお世話になっております」
「いいえ、こちらこそ、お兄さんにもあなたにも手間を掛けさせてすみません」
と微笑んだのは森さんだった。
「今日も、ご協力に感謝します」
「俺に大したことが出来るとも思えませんけどね。それより、手早く終らせましょう。古泉も俺も姿を見せないとなると、ハルヒが騒ぎだすかもしれませんから」
「そうですね」
俺たちはハルヒをひっかけるべく計画の練り直しを行ったのだが、時間がないこともあってかなり簡単なものになった。
ぶっちゃけ、俺だけが楽しませてもらうものになっちまった気がするんだが、森さんたちはそれでよかったんだろうか。
気を遣わせて悪かったかも知れないな。
解散後、ふと思いついて兄ちゃんに聞いてみた。
「もしかして、昨日、一昨日と酒を飲ませて泥酔させたのって、打ち合わせのためか?」
「そうです」
廊下だったからか、兄ちゃんは敬語でそう答えた。
「特に昨日は、まかり間違っても裕さんが屋敷を出るところを見られたりしてはいけませんでしたからね。一昨日よりも強いお酒を飲ませてしまいました」
道理で、兄ちゃんにしては止め方が甘いと思ったよ。
「すみません。それより、話し方を直した方がいいですよ」
おっと、そうだったな。
しかし、兄ちゃんの切り替えの早さには呆れるべきなのか、はたまた嘆くべきなのか。
兄ちゃんが嘘を吐いたら、俺は多分見抜けるだろう。
だが、「古泉」が嘘を吐いても、きっと俺には分からない。
今回のことについては嘘というよりもむしろ芝居だったから分かったのだろう。
兄ちゃんの演技は上手くて、俺にも時々本当に兄ちゃんなのかと疑わせる時がある。
そうやって上手く仮面を被り続けることで、いつか兄ちゃんが兄ちゃんでなくなってしまうのではないかと、妙な不安が胸を過ぎった。
俺がため息を吐くと、
「やっぱり、気乗りがしないのではありませんか?」
べつにそういうため息じゃなかったんだが、と思いつつ、
「いや、面白がってるよ。何しろ、いつも振り回してくれてるハルヒに仕返しができるんだからな」
森さんや新川さん、多丸さんたちがわざわざこんなことをしているのにも、若干そんな心理が働いているのではないだろうか。
そうじゃなかったらどこかの劇団員でも連れてきた方が話は早いに決まってるからな。
勿論、あの面々が実はかなりの推理物狂いという可能性もないではないが。
推理物、と言えば兄ちゃんはどんな物を読むんだろうか。
「に」
じゃない、
「古泉」
「はい?」
「今度、何かお薦めの推理小説でもあったら教えてくれ」
「…ええ、喜んで」
と兄ちゃんは嬉しそうに笑ったが、
「……その顔は古泉の顔じゃないよな」
「すみません。やっぱり僕は粗忽者のようです」
だから、嬉しそうに言うことじゃないって。
「それより、……お願いしますよ?」
分かってる。
俺は兄ちゃんと共に兄ちゃんの部屋へ入り、ベッドに腰を下ろした。
わざわざここまでする必要はないと思うのだが、
「リアリティーの追及って奴だよ」
と言われると逃げようがないな。
兄ちゃんに変な趣味があるというわけではないと信じたい、と思いつつ、俺は立ち上がり、兄ちゃんの喉へ手を掛けた。
そのままベッドへ押し倒す。
兄ちゃんが少しも抵抗しないのは打ち合わせ済みの芝居だからだと思うのに、そうじゃなくても兄ちゃんは抵抗しないのではないだろうかと、嫌な予感が脳裏を過ぎる。
俺は兄ちゃんの首へ掛けた手を緩め、そのまま兄ちゃんを抱きしめた。
「……キョン? なんか、違う気がするんだけど…」
うるさい。
死体役は黙ってろ。
俺はぎゅうっと兄ちゃんを抱きしめながら、
「…頼むから、死に急がないでくれよ」
と呟いた。
「分かってるよ」
笑いながら言われても、今一つ信用ならないな。
俺はため息を吐き、
「ハルヒのところに行ってくる」
と兄ちゃんの上からどこうとしたのだが、
「…えぇと、兄ちゃん?」
「ああ、ごめん」
謝りながらも兄ちゃんは俺を抱きしめる手を離そうとしない。
「キョンが心配してくれるのが嬉しくて、つい、ね」
「……心配してるって分かってんなら、もうちょっとくらい心配掛けないようにしてくれよ」
「ごめん」
出来なくてごめん、ってことか。
いっそ殴ってでも連れ帰りたくなるが、それが出来ないくらいには俺は兄ちゃんに弱いらしい。
やれやれ、どうして俺はこうもブラコンかね。

俺はハルヒの部屋のドアを乱暴にノックした。
「ハルヒ、開けてくれ」
声に焦りを滲ませると、ドアが開いた。
「どうしたの?」
「今、お前だけか?」
「う、うん。そうだけど…」
「入れてくれ」
と言った時にはもう部屋に押し入っていた。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ!?」
驚くハルヒへ、俺は睨むような目を向けた。
「お前、気付いたんだろ」
「何に…」
「多丸圭一さんを殺したのが誰かってことに、だ」
ハルヒの顔が青褪める。
「やっぱりな」
「でもっ、」
とハルヒはいつになく焦った様子で言った。
「あれは事故だわ。殺人事件じゃない」
「ああ、今ならそれも分かる。だが、遅すぎたな」
俺は自分の震える手を見た。
ハルヒがそれに目を向けるまで待ち、
「……古泉を、殺した」
ハルヒが瞠目する。
いい気分だな。
「嘘でしょ…」
「あいつが、あいつが悪いんだ」
がたがたと体が震えた。
うーん、俺の演技力もこのところの芝居のおかげでちったぁマシになってきたってことかな。
「あいつが、俺が犯人だって言い出すから…っ」
「落ち着いて、キョン!」
ハルヒが俺を押さえ込むように腕に触れたのを振り払う。
更に、恐ろしく冷めた表情を作り、
「……お前も」
「え」
「お前も、知ってるんだろ。俺のせいだって、思ってるんだろ!」
ポケットから取り出すのは、果物ナイフだ。
「キョン…!?」
ハルヒが息を呑む。
「…お前も、死ね」
俺はナイフを低く構え、ハルヒの腹に突きたてた。
「なっ…!?」
反射的に声を上げたハルヒの顔が奇妙に歪んだ。
俺はニタリと笑い、
「――なんてな」
「……どういうことよ」
ハルヒがいつもの不機嫌面を作る。
俺はハルヒの腹から話したナイフの刃を弄りながら答えた。
「ちょっとした余興だ」
ちなみにこのナイフは果物ナイフに見えるが、実は芝居やなんかの小道具としてよく使われる、物にぶちあたると刃の部分が引っ込むというやつである。
玩具にもあるが、あれよりよっぽど精巧に出来ている。
「びっくりしたか?」
「…っ、驚くに決まってんでしょ!」
そう言ってハルヒは拳を振り上げ、俺を叩きはじめた。
「大体ね、刃が引っ込むって言っても結構痛いんだからやめなさいよ! あざになったらどうしてくれるの!?」
ぼかぼかと俺を殴る手には、本気と言えるほどの力はこもっていない。
もちろん、痛くないわけではないのだが、平気だ。
「このばかキョン!」
言いながらも、ハルヒは笑っていた。
余興が気に入ったのか、はたまた俺の言った言葉が嘘でよかったと思っているからなのかは分からないが。
結果として、この作られた事件はハルヒにとってもいい思い出となったのか、種明かしをした俺や兄ちゃんが殴り飛ばされることもなかった。
ただ、兄ちゃんは、「次回作」を期待されて困り果てていたが、
「今度こそ、俺に見破られたりするなよ」
と言ってやると、
「…そうですね」
と困惑気味にとはいえ微笑んだ。
手伝うと言わなかったのは、俺が考えたところで大したものが出来るとは思わなかったのと、兄ちゃんの困り顔がもう少し見てみたかったからでもある。
まあ、兄ちゃんに頼まれたら嫌とは言えないのだろうが。