待ってました!



レースで縁取りされた黒いスパッツに、クリーム色の長袖ルーズネックTシャツ、白い薄手のワンピースを重ねる。
それから、これでもかとばかりにビーズのネックレスをじゃらじゃら付けて、淡い茶色のボレロに腕を通す。
レースの短くて可愛い靴下に足を突っ込んで立ち上がり、
「よし」
と気合を入れる。
準備万端整えて、もういいだろうと思いながらももう一度見直す。
緊張感でどうにかなりそうになっているのは、これから会うのが一樹じゃないからだ。
だからと言って浮気をするとかそういうわけじゃない。
先日の約束通り、ハルヒたちに会おうと言うだけだ。
妙に期待されてしまっているようなので、気が抜けず、一樹とのデート以上に真剣に準備をしてしまった。
結果、化粧がいささかけばけばしくなったような気もするが、そこには目を瞑ろう。
これでよしと見切りを付けて、時計を見ると、遅刻すれすれの時間がきていた。
ヤバイ、とバッグを掴んで部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。
途中で擦れ違った妹に、
「キョンくんスカートめくれちゃうよー?」
と言われたが、
「ほっといてくれ」
と返して家を出る。
「女の子なら女の子らしくしたらいいのに」
なんて言葉も黙殺する。
大体、お前に俺のことが言えるのか?
チャリに飛びのり、大急ぎで漕いで行く。
ギリギリ間に合った待ち合わせ場所には既にハルヒも長門も朝比奈さんもおり、なんでだか、一樹まで一緒にいた。
「お前…何やってんだ…?」
挨拶の前に思わずそう言うと、一樹は笑って、
「有希さんに誘われたものですから。それにしても、」
と俺をしげしげと見遣り、
「…いつにもまして、可愛らしいですね」
「んなことはどうでもいい。お前は帰れ」
出来るだけ冷たく言い放ったのだが、一樹はそんなもので怖気づくような奴ではない。
「酷いですね。理由くらい説明してくださってもいいんじゃありませんか?」
「……言ったら、帰るか?」
「納得出来たら帰ります」
「だったら、言いたくない」
「じゃあ、帰りませんけど、いいですか?」
どう考えても俺の分が悪いだろうが、それじゃあ。
しかし、このままここで押し問答をしても仕方がない。
「…お前がいると、甘えたり、いちゃついてやりたく、なるだろが…。今日の目的は買い物なんだから、お前は帰れ」
小声でそう呟いたところで、いきなり抱きしめられた。
「ちょっ……」
「そんな可愛らしいことを言われて、帰れると思うんですか?」
「てめ…、汚いぞ!」
人が恥を忍んで正直に言ってやったんだから、満足して帰れ!
「あなたが可愛いのがいけないんですよ」
一樹は楽しげに笑いながら、俺を解放して、
「失礼しました」
とハルヒたちに言ったのだが、ハルヒは唖然として俺を見ているし、朝比奈さんは朝比奈さんで真っ赤になっている。
確かに、それだけ恥ずかしいことをやっちまった気はするが、それにしてもこの反応はオーバーじゃないか?
ハルヒはじと目で俺を睨んでいたが、
「…キョン」
「な、なんだ?」
「……よね」
「は?」
「強制したわけじゃないのに可愛い格好してくるからびっくりしちゃったじゃない。それにあんた、意外とお化粧上手だったのね。それなら文化祭の時もあんたに任せた方がよかったかも」
なんだ?
つまり何が言いたいんだ?
戸惑う俺に、一樹がわざわざ解説してくれた。
「あなたの私服姿が思っていた以上に可愛かったということのようですよ」
「そう…なのか?」
俺が聞くと、ハルヒは不承不承頷き、
「まあね」
「…そりゃ、ありがとな」
と笑ったところで、なんでだか、一樹に顔の向きを強引に変えられた。
「な、なんだ!?」
驚いていると、
「…いえ……」
歯切れが悪い。
「…あまり、そういう表情を人に振りまかないでいただきたいと思っただけです」
「……お前な、どれだけ独占欲が強いんだ?」
呆れながら呟けば、
「強くもなりますよ。むしろ、これまで抑えてきたことを褒めていただきたいくらいですね」
威張るな。
俺はニヤリと唇を歪め、
「そうやって嫌な気分になるんだったら、帰った方がいいんじゃないのか?」
「冗談でしょう? ここであなたから目を放す方がよっぽど心配です」
そうかい、だったら勝手にしろよ。
俺は諦めて一樹を無視する方針にし、ハルヒに向き直る。
「んで? 今日はどこに買い物に行くんだ? 俺としてはブーツを見たいんだが」
「あ、うん、いいわね」
そう返事をしながらもまだ調子が出ない様子のハルヒに、俺としては苦笑するしかない。
自分でも、男の気分が強い時と女としての気分が強い時とのギャップの激しさはよく分かっているからな。
ハルヒが戸惑うのも無理はないだろう。
しかし、このままここでボーっとしていても仕方がない。
俺は長門に、
「有希、有希は何か見たいものあるのか?」
「……お母さんに着て欲しいものなら見たい」
「なら、俺は有希に着て欲しいものを探すか」
そんなことを話しながら、有希と手を繋ぎ、歩き出す。
「置いていかないでくださいよ」
と、追いかけてきた一樹が、さりげなく有希の手を取ると、有希の表情がかすかに緩んだ気がした。
「楽しいのか?」
俺が聞くと、有希は小さく頷いた。
はにかむような仕草がかわいい。
俺の表情も緩んでしまったんだろう。
早足になって俺を追い越して、俺の表情を見たハルヒが、
「あんたの方こそ楽しそうじゃない」
「楽しいからな」
「そりゃよかったわ。…また前みたいなことになったらどうしようかと思ってたのよ」
「あー……前回は悪かったな」
迷惑掛けちまったことについては反省してる。
「別にいいわよ。あんたにはどうしようもないんでしょ?」
「ああ」
自分でも、どういう加減で変わるのか分からん。
本当に、バイオリズムとかそんな感じじゃないだろうか。
確実に女の感覚が強くなる時期は分かってるんだから、それにあわせて予定を組めばよかったのかも知れないと後になって思った。
「確実にって?」
「……お前も女なら分かるだろ」
「……ああ、そういうこと」
少し考えた後、ハルヒは理解してくれたらしい。
朝比奈さんはかすかに首を傾げているが、流石に俺の口からは説明しかねるので、後でハルヒにでもフォローしてもらおう。
そんな風にわいわい話しながら向かったのは、ちょっとしたデパートの婦人服売り場だった。
ここなら、ブーツも一緒に見られるし、色々な系統の服があるからな。
「じゃあ俺は、有希に似合いそうな服を探すから、有希は俺に着せたい服ってのを考えてくれ」
そう言って手を離し、めいめいに見ていくことにする。
ハルヒもどうやら選ぶ気満々らしく、
「あんた、いつもはどういうの着てるの?」
と聞いてくる。
「色々だな。ボーイッシュなので満足出来る時はそうするし、そうじゃなかったら朝比奈さんが着てるようなのを着る日もあるから」
「んー……あんただったら、キリッとしたデザインが似合いそうだけど、それじゃあんまり楽しくはないわよね?」
「そう…だな。その日の気分にもよるが、どうせならスカートの方が好きだから、スカートならスーツみたいなタイトスカートでもいいと言えばいい。けど、スーツなんて用がないだろ」
「そうね…。まあ、探してみるわ」
「よろしく」
朝比奈さんも熱心に服を見つめている。
長門は一樹と手を繋いだまま歩いていく。
一樹は俺に柔らかな笑みとウィンクを寄越したが、意味はよく分からん。
俺が妬くとでも思ったのかね?
そんなことは、欠片もないんだが。
むしろ、一樹と長門が仲良くしてくれるならそれに越したことはないと思っている。
長門が一樹に恋愛感情を抱くとか、そんなことにならなけりゃ、だが。
さて、それで俺はと言うと、長門にはどんなのが似合うかと真剣に考えながら、色々な服を見ていた。
たまに見る私服は意外と女の子らしい服を着ているが、その私服姿をまず滅多に見ないから、本当にそれを好んでいるのかがよく分からん。
が、たまにはかっちりしたシャツなんてどうだろうか。
制服をよく着ているということはそれを苦に思ったりはしていないはずだし。
フリルの付いたシャツにミニのスカート、ニーソックス……って、これはどっちかというと男として選んでないか、俺。
しかし、長門に似合いそうだとは思うので、とりあえずそれらの品に目星をつけて、長門の姿を探した。
長門の方も、俺を探していたらしい。
一樹と手を繋いだまま、俺の姿を見つけると少し空気を和らげた。
「お母さん」
「俺の方は見つけたが、お前らは?」
答えたのは一樹で、
「いいのを見つけましたよ。どうぞ、こちらです」
頷いた俺の手を長門が握り締める。
そうして引っ張って行かれた先にあったのは、ひらひらふりふりのワンピースだった。
それもピンクだ。
「可愛いけど…俺には可愛すぎないか?」
俺が言うと、長門と一樹は揃って首を振った。
「うーん……」
長門のおすすめなら着てやりたい気もするんだが、これは流石に…。
そんなことを考えているのを見透かしたように、長門が言った。
「これは、お揃いで着れる」
「……え?」
「お母さんとお揃いがいい」
言いながら、長門はピンクのそれと水色のそれとを並べて見せる。
どちらか選べということだろうか。
だが、真っ直ぐに俺を見つめてくる瞳が訴えることはそれ以外のことだ。
――お願い。
「……本当に、似合うと思うか?」
長門に問えば、長門ははっきりと頷き、一樹も、
「きっとよく似合いますよ。不安なんですか?」
「んー…ほら、俺の髪型がこうだろ? ギャップがありすぎて似合わないんじゃないか?」
「それはそれでいいと思いますけどね。それが気になるんでしたら、ウィッグをつけたらどうでしょう?」
ああ、その手があったか。
「そうだな。それなら…」
「必要ない」
と言ったのは長門だ。
「お母さんは今のままで十分可愛い」
いつになくはっきり言う長門に、俺は思わず顔を緩め、
「ありがとな。それじゃ、これにするか」
「色はどっち?」
長門に聞かれ、俺は少し悩んだ後、
「……一樹、どっちがいい?」
と丸投げしたのは、選びかねたからというだけじゃない。
これくらい、一樹に選ばせてやってもいいかと思っただけだ。
「そうですね……」
真剣にワンピースを見つめた一樹は、ややあって、
「二人ともピンクの方を着るというのはどうでしょうか。きっと愛らしいですよ」
「有希、それでいいか?」
長門はこくんと頷く。
「でも、お母さんが選んでくれたのも見てみたい」
「ああ、そうだったな」
今度は俺が二人を引っ張って行き、さっき目星をつけたものを見せると、
「…こっちもいい」
と長門が呟いた。
一樹は微笑んで、
「両方買いますか? 難でしたら、僕からプレゼントしてもいいですけど」
とこれは俺にむけての台詞でもあったらしい。
向けられた目に苦笑を返し、
「俺はいい。理由もないのにプレゼントなんてもらいたくない」
「理由なら、どうとでも。…そうですね。誕生日プレゼントなんてどうです?」
「誕生日プレゼント?」
そんなもん、まだ遠いんだが。
「あなたが一歳になった時の誕生日プレゼント、です」
にやっと笑って言った一樹には悪いが、俺は渋面を作る。
「キザったらしい。というかそれ、小説か映画か何かになかったか?」
「おや、そうでしたか? それは残念です。でも、いい口実だと思いませんか?」
「却下だ、そんなもん」
軽く肩を竦めた一樹に、長門が言う。
「お金なら大丈夫。だから、両方とも自分で買う。……誕生日プレゼントは、本当に誕生日の時に」
「ええ、そうですね。…今から楽しみです」
そう言って見交わしあう二人に、心が和んだ。
と思ったら、
「キョン! これなんかどう?」
とハルヒが叫び、手にしたものを振った。
黒い布ということしか分からん。
「ほら、これよ」
つかつかと近づいてきたハルヒが見せたのは、ハイネックのノースリーブシャツにスリットの入った細身のスカートだった。
色は両方とも真っ黒だ。
「どう? かっこよくて似合いそうでしょ。古泉くんもそう思わない?」
聞かれた一樹は微笑みながら、
「そうですね…。こういった雰囲気の服を着ているところを見たことがないのですが、とてもよく似合いそうです」
「でしょ? ちょっと近寄りがたいような美人に仕上がると思わない?」
そんなもんかね。
首を傾げる俺の隣りでは、長門がかすかに目を輝かせている。
…お前、こういうのも好きなのか。
「これにゴージャスなネックレスとかつけたらいいと思わない?」
「…いい」
長門が同意すると、ハルヒは笑顔を余計に輝かせた。
「よね! キョン、あんたちゃんと潤沢な資金を用意してきたんでしょうね?」
「ああ、まあな」
というか、お袋が嬉しそうに押し付けてくれたんだが。
「だったらこれも買いなさい。…あ、その前に試着よね!」
その迫力に押されて、俺はしばらく着せ替え人形にされちまったのだった。