時の経つのは早いもので、 「文化祭での出し物を決めたいと思います」 という学級委員長の発言を完全に他人事のように聞きながら、ああもうそんな時期なのかと俺は思っていた。 実際、他人事だろう。 どうせ大した出し物はせず、去年のようにだらだらと意味のない事をするのだろうし、クラスがそうであれば俺は完全にSOS団員としてハルヒに振り回されるに決まっている。 それでいいのかと言われれば、全く以ってよろしくないと言ってやりたいのだが、先頃、ハルヒに古泉との交際及び自分の身体に関して告白した身としては、少々のことは許してやれる気分にもなるというものだ。 よっぽど無茶をされない限り、ハルヒの思いつきに付き合ってやろうと考えていた俺の背後で、椅子から立ち上がる音がした。 おいおい、ハルヒ、何を言いだすつもりだ? まさか、くだらない出し物なんて止めて自由行動にでもしなさいとでも言い出すつもりじゃないだろうな。 流石にそれはまずいだろ。 思わず凝視する俺に、不穏な笑みを向けた。 やばい、と直感的に思った俺は、ハルヒを止めようとしたのだが、既に遅かった。 「コスプレ喫茶がいいわ!」 定番といえば定番、色物といえば色物の極みを、ハルヒは口にした。 あのたちの悪いきらきらした瞳で。 「女装も男装もアリで、色んな格好してやったら、人だって来るんじゃないの? 特に、うちにはキョンもいるんだし」 待て、なんでそこで俺を引き合いに出す。 「あんた目当ての客が来るに決まってるからよ。相変わらずもててんでしょ」 不本意ながらな。 というか、あれもいい加減収まってくれんもんかね。 呼び出されるのも手紙を押し付けられるのも、正直飽き飽きなんだが。 などと俺が逃避している間に、気がつけばコスプレ喫茶が可決されていた。 ちょっと待て、どうなるんだこれ。 休み時間になってから、俺はハルヒに小声で聞いた。 「お前、一体何を考えてるんだ?」 「何って?」 「俺の体のこと分かってて、女装だのなんだのって言い出したんだろ?」 「別に、そうじゃなくても言ってよかったわよ。あんたに女装が似合うのは知ってたし」 だからと言って、ハルヒはわざわざクラスの出し物に協力するような奴ではないと思うのだが。 それこそ、SOS団で何かする時に女装しろと言い出すくらいが関の山だろうと思っていた俺は甘かったということなのだろうか。 「それに、」 とハルヒは悪戯っぽく笑って見せた。 「あんただって、もっと女の子でいられる場所が欲しかったんじゃないの?」 どういう意味だ。 「この機会にカミングアウトしちゃえば? 古泉くんとのことだけでも」 こいつアホか。 「そんなことしたら俺と古泉がホモ扱いされるだけだろうが」 「それくらい、別にいいじゃない。それとも、そう見られるのってそんなに嫌なこと?」 「ああ」 少なくとも俺はな。 ――今はまだ、俺もあいつもお互い好きだからそれでいいかも知れん。 だが、いつまでこの感情が続くかも分からないし、そうであれば別れちまった時に、妙な醜聞をあいつに残すわけにはいかんだろう。 「…キョン」 「なんだ?」 「それ、古泉くんには言わない方がいいわよ」 「なんでだ」 「普通、そんなことを恋人に言われたら、泣くか怒るかするからに決まってるでしょ。それに、キョンがそこまで真剣だって古泉くんに知られるのも面白くないし」 なんだそれは。 呆れ返る俺にハルヒは憤然と、 「とにかく、言わないでおくこと」 と命令した。 その数日後のことである。 衣装合わせという名目で俺は放課後になっても教室に留め置かれていた。 命じたのはハルヒなのでSOS団的に問題はない。 ないのだが、俺としてはこの拷問の如き時間をさっさと終らせて部室に行きたいと思っている次第である。 「それってやっぱり古泉くんが待ってるから?」 とハルヒが平然と聞いてくるのは、今教室にいるのが俺とハルヒの二人だけだからだ。 残りの人間は現在廊下に追放してある。 で、今俺が何をしているかというと、ハルヒにこっちを見るなと指示した後、用意された衣装である、甲陽園学院の黒ブレザー制服に着替えているところだ。 トラウマと言っていいようなあの経験を思い出させる衣装選択は、本当に偶然の産物なのかと聞きたくなる。 俺は苛立ちながら黒いスカートを引っ張り上げながら、 「それだけのわけがあるか」 と答えた。 「古泉くんも理由のひとつなのは否定しないのね。じゃあ残りは?」 「こんなことにつき合わされるのがうんざりなんだ。朝比奈さんのお茶も飲みたいし」 「……あんた、古泉くんが好きで付き合ってるのよね?」 それは今更確認を必要とされるようなことなのか? 俺ははっきりとそう告げたはずだが。 「それにしては有希とかみくるちゃんのこともしっかり見てるし、でれでれした締まりのない表情になったりするじゃない。女として古泉くんは好きだけど、男としてはみくるちゃんが好きとか言い出すつもりじゃないでしょうね?」 「有り得んな。俺はそこまで器用にはなれんし、大体…」 「大体?」 「…なんでもない」 男としても古泉のことを好きになってるなんて恐ろしいことを口に出来るはずがない。 俺はブレザーのボタンを留めると、 「ほら、着替え終わったぞ」 とハルヒに言った。 振り返ったハルヒは、 「うん、ぴったりじゃない」 「どこから用意して来たんだ?」 「制服くらい簡単に手に入るわよ」 一応男の体型に近い俺に着れるようなものはなかなか手に入らないと思うんだがな。 「お化粧もするわよ」 「衣装合わせだけじゃなかったのか?」 「どうせならお化粧してみたいじゃない。みんなをびっくりさせたいし」 心配しなくてもお前はいつでも人を驚かせてばかりだ。 俺がいつか心臓の病で死んだらそれはハルヒに負担を掛けられ続けたせいに違いあるまい。 「せめて自分でさせろ」 お前に任せたらどうなるか分からん、とそう唸った俺に、 「だめよ。あんたのことだからちょっとするだけで終らせるつもりでしょ。見せるつもりならしっかりやらなきゃ」 「って、お前はどれだけ塗りたくるつもりだ!」 「そんなことしないわよ。ただ必要なだけはするってこと」 にんまりと笑ったハルヒから俺が逃れられるはずなどなかった。 「お嬢様学校の制服ならいっそスッピンでいいとおもわないか?」 「もう遅いわよ」 先に言っても止めるつもりなんぞなかったくせに、よく言うぜ。 「それにしてもキョン、」 とハルヒは感慨深げに呟いて俺を見つめた。 「あんたって本当に似合うわね。完璧に女の子にしか見えないわ」 「そりゃどうも」 げんなりしながら言ってやると、 「もっと喜びなさいよ」 状況が状況でなければ俺だって喜んだとも。 ちゃんと女に見えるっていうのは一応嬉しいことだからな。 だが、見世物にされると分かっていてどうして喜べる。 今の精神状態がほぼ男って言うのもまずかったな。 そうでなければもう少し楽しめたに違いない。 深い深いため息を吐いたところで、頭にウィッグを被せられた。 「こんなもんまで用意して…」 「どうせなら完璧を求めたいじゃない。男が女装して、それで笑いが取れればいいってんじゃないんだから。あんただって、嫌でしょ? 女の子の格好して笑われたりするのは」 それはそうだが、だからと言ってやりすぎもどうなんだ。 「やりすぎなんてありえないわ」 そう断定したハルヒはウィッグを整えると、 「よしっ」 と楽しげに言い放ち、ドアに向かった。 そうして掛けていた鍵を外すと、 「出来たわよ」 と外で待っていた連中に告げた。 俺は窓際の自分の席に座ったまま頬杖をつき、雪崩れ込んでくるだろう連中から目を背けていたのだが、意外にも騒がしくならなかった。 どうした、と目を向けると、ドアの向こう側でクラスの奴等が立ち尽くしていた。 国木田も目を見開き、谷口にいたってはぽかんとした間抜け面をさらしている。 ハルヒは俺の顔にラクガキでもしたのか? まだ鏡を見ていないからどうなっているのか分からんのだが。 「……どうかしたのか?」 俺がそう言ってやっと、谷口が口を開いた。 「お前、本当にキョンか?」 「違うと思うのか?」 教室に残ったのが俺とハルヒであり、ハルヒがそこにいる以上俺は俺でしかないと思うのだが、谷口は俺が妙な手品でも心得ていると思っているのだろうか。 俺が軽く眉を寄せ、首を傾げると、ハルヒが笑って、 「あんたが綺麗だからびっくりしてるんでしょ」 「綺麗、ねぇ?」 ハルヒの口から出ると非常に胡散臭いというか、裏がありそうに聞こえてくるな。 「失礼ね」 などとハルヒと言い合っていたからか、放心していた連中もやっと我に返ったらしい。 国木田は笑いながら、 「本当に美人だよ。キョンがここまで化粧映えするとは思わなかったな」 と言いながら俺に近づくと、 「これはウィッグだよね」 と俺の髪をそっとつまんだ。 「ああ。ハルヒが無駄に準備がよくてな」 「よく似合ってるよ。違和感もないし、これだと当日、甲陽園から手伝いに来てくれてるようにしか見えないかもしれないね」 流石にそれはないと思うが、と言いかけた俺を遮って、 「それじゃあもっとコスプレっぽい格好の方がいいんじゃないの?」 と誰かが言った。 誰が言ったのかはよく分からん。 その時には俺の回りに人垣が出来上がりつつあったからな。 若干、気色ばむ俺を他所に、ハルヒが、 「そうね。確かにこれじゃまともすぎてつまらないわ。何がいいかしら」 などと呟き始める。 「キョンくん立ち上がって」 言われるままに椅子から立ち上がると、 「脚もきれい」 とか言われて顔が赤くなった。 ハルヒがこの場でどうにかしたとは思ってくれないだろうから、俺が自分でしたとばれるか、はたまた元々俺の脚が毛深くないと思われるかだろうな。 出来れば後者であってくれ、と祈る俺の肩を谷口がぽんと叩き、 「お前が何で最近もててるのか分かった気がするぜ。これだったら俺も…」 俺もってのはなんだ!? 不穏な発言はよせ! ああもう、本当に勘弁してくれ。 逃げ出したい、と思う俺に、衣装担当の女子がぺたぺたと触れてくる。 「キョンくんって思ったよりも華奢なのね。もっとぴったりした服とかでも大丈夫かな」 やめてくれ。 「胸も何か詰めたりしたいよね」 いや、本気で勘弁してくれ。 そうなった時俺は自分で女性用下着を身につけるか、下手をすれば誰かにつけてもらう破目になるだろう。 それだけは嫌だ。 いよいよ遠慮のなくなってきた発言と悪だくみと手に辟易した俺が、いい加減にしてくれ、とでも叫ぼうかと思った時、 「何をなさっているんですか?」 と古泉の声がした。 人垣の向こうに見える古泉に向かって手を伸ばす。 「助けろ、古泉…っ!」 果たしてここが助けろと言うような場面なのかは俺にも分からん。 ただ、口をついて出たのがそれだったのだ。 たとえ不釣合いな言葉だったとしてもいいだろう。 俺としては心底助けてもらいたい気持ちだったのだ。 それが分かったのかどうかは知らないが、古泉はにっこりと微笑むと、 「いいですよ」 と答えて人垣を強引に割り、俺の手を取った。 引っ張られたかと思うと、ひょいと横抱きに抱え上げられる。 「ちょっ…!?」 これはやりすぎだろう、と叫ぶ前に、 「ちゃんと掴まって、口を閉じてないと、舌を噛んでしまいますよ?」 と言われ、発言を封じられた。 反射的に古泉の首に掴まったのはいいが、これは合意の上での逃避行に見られるだけじゃないのか? 後にした方向から聞こえる黄色い声にげんなりしながら、後でどうフォローすればいいんだと頭を抱えた。 古泉が逃げ込んだのは、同じ階の空き教室だった。 そこでやっと下ろしてもらえた俺は、 「お前、どういうつもりだよ」 と古泉を睨んだのだが、古泉はまだ呼吸を荒げたまま、しかし笑顔を崩すこともせずに答えた。 「あなたが僕の大切な人であるということを、知らしめておく必要があると思いましてね」 「な…」 「いけなかったでしょうか。ただでさえ、このところのあなたは頻繁に誰かに呼び出されていますし、僕としても不安なんですよ。誰かにあなたを奪われてしまうのではないかと」 それを言うなら、俺だってそうだ。 古泉は無駄にもてるし、頭もよくて、ハルヒのせいで一時的にもてている俺とは違う。 俺の方こそ不安なのに、同じようなことを古泉も思っていたんだろうか。 「当然でしょう。それに、涼宮さんの力の影響はすでになくなっていますよ。あれは言って見れば、あなたと僕にきっかけをくれたようなものですからね」 「じゃあなんでまだ呼び出されたりしてるんだ、俺は」 「それは勿論、あなた自身の魅力でしょう。涼宮さんの力が働いている間に、あなたに告白する人間が現れたことで、それまで黙っていることが出来た人もそうしてはおれなくなった、というところではないでしょうか」 胡散臭い。 そんなことはありえないだろう。 「どうしてです?」 俺はそんな風に言われるほど顔も頭もよくない。 「人が誰かを好きになる時に、顔や知性で決めると思いますか? そんな人もいるにはいるでしょうが、大多数はその人の人柄に好意を抱くものだと思いますよ。そして、人柄という意味では、あなたはとても素敵な人です」 そう言った古泉が、俺の身体を抱きしめる。 「愛してます。あなたへの好意を抱いている他の誰にも、この気持ちは負けないと信じています。あなたも…僕を愛してくれてますよね?」 「…今更何を言いだすんだ?」 俺は呆れながら古泉の身体を抱きしめた。 返事はそれで十分だろう? |