「最近、綺麗になってない?」 ハルヒが唐突にそう言ったのは、部室でのことだった。 だから俺はてっきり、朝比奈さんか長門のことを言ったのだと思った。 「朝比奈さんも長門も、前から十分綺麗だろうが」 「ばか、違うわよ。みくるちゃんも有希も可愛いの」 ああそうかい。 それじゃあ誰が綺麗になったって言うんだ? お前か? ナルシストになるなら勝手にしろよ。 その方が多分世界も平和だろうからな。 「何ぶつぶつ言ってんのよ。綺麗になったのは、あんたよ」 「――はぁ?」 我が耳を疑うとはこのことだな。 ハルヒはなんて言ったんだ? とても俺に向かって言ったとは思えないんだが、俺は気がつかないうちに誰かと入れ替わってたのかね。 ハルヒに「転校生」とか「パパと娘の七日間」とか読ませた奴がいるなら今のうちに名乗りを上げろよ。 「あんた、綺麗になったでしょ」 ……どうやら幻聴でも何でもないらしい。 困惑する俺に、ハルヒは笑いながら言った。 「誰か好きな人でも出来たの? よく言うでしょ。恋をすると綺麗になるって」 「んなわけあるか、非科学的な」 後、その言葉は女性にのみ適応される言葉だと思うぞ。 ……まあ、俺も半分は女なんだが。 「何にしても、あんた、絶対に綺麗になってると思うわ」 そうハルヒは断定したが、俺は信じなかった。 後から考えると、どうやらこれが伏線だった……らしい。 長門と古泉と並んで帰りながら、俺はため息を吐いた。 「ハルヒは本当に何を考えてんだ…?」 と。 すると古泉が、 「あなたは本当に綺麗になったと思いますよ。より女性らしくなった、と言うべきかも知れませんが」 「……お前に言われてもな…」 いまひとつ信用し切れん。 「酷いですね。では、可愛い娘の言葉なら、どうです?」 話を振られた長門は、綺麗なガラス球めいた瞳を俺に向け、 「お母さんは綺麗になった。それは事実。でも」 でも? 「…問題がひとつ、ある」 ……なんだ? 俺も古泉も、揃って深刻な顔になった、その時だ。 「キョン」 と呼び止められた。 俺たちはそろそろ正門を出ようとしていたところである。 呼び止めてきたのは隣りのクラスの……えーと、誰だったかな。 サッカー部だかなんだかで注目されてる奴のはずだが、俺はサッカーにも人気の動向にも興味がないので、名前を覚えていない。 長門と同じクラスのはずだから、長門に聞けば名前くらい分かるんだろうが、当人の前で聞くのもまずいだろう。 …しかしどうして、俺がそんな奴にあの間の抜けたニックネームで呼ばれねばならんのだろうか。 自分の本名を周知徹底すべく、名札の着用でも試みるべきかも知れん。 そんなことを考えながら、 「何か用か?」 とぞんざいに聞いたのは、娘との語らいの時間を邪魔されたからだ。 古泉? ああ、そんなもんは別に構わん。 放っておいても人を長話に引きずりこむような男だからな。 「少し、時間を貰いたいんだ。…話がある」 名前をまだ覚えだせないそいつはそう言った。 「話?」 一体なんだ。 「ここでは話せない。……頼む、少しでいいんだ」 そう、妙に必死な様子で頼まれた俺は、ちらりと長門を見た。 長門は数秒の間をあけて、頷いた。 どうやら危険はないらしい。 古泉は、と思うと、滅多に見ないような不機嫌な面だった。 表面上はいつもの対外的営業スマイルだ。 だが、薄皮一枚下にドス黒いものが透けて見える。 一体何にそんなキレてんだ、こいつは。 俺はため息を吐き、 「長門、古泉と先に帰っててくれ」 「嫌です」 と言ったのは当然古泉だ。 俺は思いっきり顔を顰め、 「帰れ」 「ここで待っています。…それくらい、いいでしょう」 「……」 しょうがない。 古泉は、時と場合によっては、俺がなんと言おうと動かない頑固者になるからな。 その一片でも、ハルヒの前で発揮しろよと言いたくなるくらい。 俺はため息を吐きながら、隣りのクラスの人間に目を向け、 「そういうことだから、手短に頼む」 と言った。 そのまま、そいつに誘導されるように、校内に戻る。 向かった先は、中庭だ。 なんでそんなところまで行かねばならんのだ、とますます眉間の皺を深くする俺に、そいつはいきなり言った。 「君が好きなんだ」 ………なんだって? 「気持ち悪いと思われるだろうとは思ってた。けど、真剣に聞いてもらいたいんだ。…俺は、君が好きだ」 …聞き間違いじゃなかったか。 本日二度目の心臓に悪すぎる発言だ。 「好きって、どういう意味だ?」 「友達になってほしいとか、そういうことじゃなく、……その、付き合って欲しいと、思うような意味でって、言えば、…分かってもらえないか?」 …初々しいなぁ。 古泉なんて、告白したかと思ったら俺の返事も聞かずにキスしてきやがったからな。 これぞ正しい高校生ってところだろう。 などと感慨深く思うのもおかしいか。 とりあえず、出来るだけ後腐れなく断ろう、と考えた俺は、 「……なんで俺なんだ?」 と出来るだけ不信感を露わに聞いた。 それに、反論するためだけでなく、聞いておきたくもあった。 ほとんど接触がないはずの人間に告白されるなんて、思ってもみなかったからな。 「…気がついたら、君ばかり見てたんだ。ちょっとした笑顔とか仕草が、凄く綺麗に見えて、…目が、離せなくなってた」 はにかむように、そいつは笑った。 「最近特に、綺麗になったよな?」 「知らん。というか、綺麗とかそういう台詞は女の子に言った方がいいんじゃないか?」 というのは、俺の正直な感想だ。 するとそいつも苦笑して、 「俺もそう思った。実際、女の子と付き合ってみたりもしたけど……だめだったんだ。どうしても、君のことばかり考えて」 とそいつはため息を吐き、 「…付き合っては、もらえないみたいだな?」 「……悪いが、付き合ってる奴がいるんでな」 そう言って断ることはやめておこうと思っていた。 どこかから話が流れて、ハルヒの耳に入ったらまずいと思ったからだ。 だが、そいつが本当に本気なんだと思うと、適当に誤魔化すのは申し訳なく感じた。 だから俺は正直にそう言った。 「…そっ…か……」 脱力した様子で、そいつはがっくりと肩を落とした。 「…すまん」 「いや、元々断られるだろうと思ってたし、振られれば思い切りがつくだろうと思ってやったことだから、気にしなくていいんだ」 そう言いながらも、そいつは明らかに落ち込んでいた。 良心が疼かないでもないが、俺に出来ることはこれだけだろう。 「最後に、ひとつだけ言っていいかな?」 やっと顔を上げたそいつは、笑って言った。 「やっぱり、綺麗になったよ」 ここで否定するのも難だろう。 俺は苦笑しながら、 「ありがとな」 と言って背を向けた。 ゆっくりその場を離れ、ある程度距離を取ってから駆け出した。 正門まで一気に走る。 すぐに走り出さなかったのは、あいつへのちょっとした配慮のつもりだ。 息を切らしながら正門に着くと、仏頂面の古泉と、無機質な長門の顔が見えた。 「待たせたな」 言いながら、古泉の肩に腕を置き、体重を掛ける。 慣れないことがあったせいで疲れた。 「どういうお話だったんです?」 「…察しはついてんだろ」 だからあんなに不機嫌になったんじゃないのか? 「告白されたんでしょう」 「当たりだ」 返事は言うまでもないだろ。 そう言って、俺は古泉の肩に腕を置いたまま、歩きだす。 疲れたから早く帰りたいんだ、俺は。 「これで、少しは分かってくださいましたか?」 何を。 「あなたが魅力的な人だと言うことを、です」 …恥ずかしげもなくよく言うぜ。 俺は呆れながら長門に目を向け、 「問題ってのはあれのことか?」 「それもある」 「…それもって」 まさか。 「これで終りではない」 長門の言葉は予言の如く的中した。 その日から俺は度々呼び出しを喰らうようになっちまった。 男ばかりではなく女の子もいたってのはありがたがるべきなのかね。 何にせよ断るんだから関係ないと言えば関係ないのだが。 そして、いつの間にか俺は魔性の男呼ばわりされちまってるんだが、誰か何とかしてくれ。 疲れ果て、昼休みにもかかわらず机に突っ伏していると、頭を叩かれた。 誰だ。 いや、誰でもいい。 呼び出しなら応じんぞ。 「大分参ってんのね」 と言う声はハルヒのものだった。 誰のせいだと思ってる、とも言えず、俺はうんざりしながらハルヒを睨み、 「当たり前だろ」 「モテるんだから喜べばいいんじゃないの?」 喜べるか。 俺は極々平凡な人間であり、騒がれるのも注目されるのも好きじゃないんだ。 「だからことごとく断ってるわけ?」 呆れたように目を剥いたハルヒだったが、すぐににやりと笑ったかと思うと、 「ね、本当なの?」 だから何が。 「告白されたらいっつも、付き合ってるからって断るって言うのは」 …どう答えるべきだろうか。 ハルヒは面白がっている。 だから、もしかするともう既に、俺への恋愛感情なんて失っちまっているのかもしれない。 それなら、頷いてもいいんだろう。 だが、そうじゃなかったら? 面白がっているのは見せ掛けだけで、本当はまだ俺に妙な執着心を持っており、頷いた瞬間、世界改変なんてことになってもぞっとしない。 「ねえ、どうなの?」 このまま放っておいて、焦れさせても閉鎖空間が発生してまずいだろう。 考えあぐねた俺は、 「だとしたら、どうする?」 と答えを丸投げしてやった。 ハルヒは特に気にした様子もなく、 「だとしたら、綺麗になったのも納得できるってだけよ」 「……それだけか」 俺が拍子抜けしたのは言うまでもない。 ハルヒは笑いながら、 「何よ、他に何かあると思ったの?」 「いや、なんというか……」 正直、見くびっていた。 「すまん」 「変なキョン」 そう言ったハルヒは、 「今度紹介しなさいよ? その付き合ってる奴に」 「…あいつがいいって言ったらな」 俺はそう笑い返した。 いつか、明かせるならどんなにかいいだろう。 堂々と、古泉と付き合えたら。 そう思うだけで嬉しくなる。 「早くしなさいよ。あたしの気が変わっても知らないからね」 と、ハルヒが付け足したってことは、もしかすると既に気取られてるのかもしれないが。 |